Reginleif Saga

”エイナルの夢”



 彼の名は、ソルブラン家のエイナルという。両親のもとを離れ、今は叔父夫婦と従兄弟たちが一緒に住んでいる。
彼は町一番の変わり者だったが、誰も彼を悪く言うことは無かった。変わり者と言っても、それは良いほうの「変わり者」だったからだ。

 エイナルの家は、古い家系だった。
 この町が出来た時から住んでいる。家の紋章は白い蛇。そして、代々、医者や学者になる者の多い血筋だった。
 エイナルは、つい先日、十五歳の誕生日を迎えたばかりだった。
 両親が彼をこの町に住まわせたのは、従兄弟のウォーレルのもとで見習いとして働かせながら、医者の仕事を覚えさせるためだった。両親は彼が一家の多くの人々のように、医者になって、人から尊敬されることを望んでいた。
彼がふらりといなくなるのは、しょっちゅうだった。その日も、いつものごとく、夕方ふらりと居なくなって、明け方、日が出た頃に帰って来たが、誰も不思議には思わなかった。
 彼を出迎えた家人たちは、体じゅう草の穂だらけになっている彼を見て、笑い出した。まるで草原で逢引をしたみたいだよ、とね。
 「…それで、どうだったんだね。<青緑岩の塚>は?」
 からかうように、従兄弟のウォーレルが言った。
 ウォーレルは、エイナルよりも15ほど年上で、すでに妻をめとり、一人立ちしている。
 町の医者でもある彼は薬草学にも通じていて、この町の近辺の草はほとんど知っていた。草の穂を見れば、どこに生えているものかは分かるのだ。人々に慕われ、敬われる、町の名士で、たいていのことには驚かない。
 だが、昨日の晩、塚に住んでいるという不思議な語り部のことを聞いたときの顔といったら。

 それはたまたま、丘三つ向こうの町から久しぶりにやってきた親戚の者が、話題のひとつとして持ち出した話だった。久しぶりに会った親戚同士が、互いの町のうわさ話をするのは、この辺りでは当たり前のことだった。
 そのとき、親戚の者が供に連れて来た語り部は、塚にまつわる古い言い伝えと、神々の祝福を受けぬ、恐ろしい化け物の話をしたのだった。語りがあまりにも真に迫り、面白かったものだから、人々は時間を忘れて没頭した。
 口実をつけて退散しようとしていたウォーレルは、皆に押さえつけられて、しぶしぶと話を聞いていた。彼のこの世でただひとつ怖いもの、それが、幽霊だの妖怪だの、目に見えぬものどもなのだった。
 ウォーレルが青くなって震えていたとき、エイナルの心は、家の外へと飛んでいた。
 そして、家人たちが語り部を誉めそやし、もてなしている間に、こっそり家を抜け出して、話にあった塚へ行ったのだった。

 「まったく、お前は、人の行かないようなところへばかり遊びに行くんだな。よほど、昔のことに興味があるらしい。学者にでもなるつもりかね?」
 「そういうわけではないけど」
 「なら、私のように医者になるのかね。お前は頭の良い子だから、今からでも勉強すればなれるだろう」
 「そうでもない…」
 「他に、なりたいものがあるのかね?」
 「僕は…。」
エイナルの胸に、この家系の長男の証である白い蛇の首飾りが光った。この家にずっと昔から伝わる銀細工で、古びてはいたが、かなりの値打ち物のように見えた。
 だが、その蛇の意味を知る者は少ない。
 ウォーレルは、ふうと溜息をついた。
 「まあ、今はそれでもいいが、お前もそろそろ一人立ちの時だ。いつまでも、私の助手で終わって欲しくは無いのだがね。」
分かっている、というように肩をすくめたエイナルは、草の穂だらけの服の下から、ひとつかみの草の束を取り出して、従兄弟が向かう広い机の端に置いた。
 黄色い、泡のような花を零れんばかりいっぱいにつけた、強い匂いを放つ薬草だった。
 「帰り道で見つけたんだ。ロセッタおばさんの咳に効くと思って。」
驚いて目を丸くしたウォーレルは、彼の言葉を待たず部屋を出ようとしているエイナルの背中に向かって、溜息交じりの声を投げかけた。
 「…まったく。どうしてお前は、医者にはなりたくないなんて言うんだろうな。」
ぱたん、と、静かに扉が閉じられた。

 エイナルは、金髪の、すらりと背の高い少年だった。父親や、血筋の多くの者たちも彼と同じような容姿を持っている。
 ほとんどが顔見知りの、小さな地方のことだ。
 名乗らなくとも、大抵の人は、彼がどこの家の出なのかを知っていた。
 この地方に暮らすことを、嫌だと思ったことはない。
 この家に生まれたこと、それも主筋の跡取りなどに生まれたことを、嫌だと思うわけでもない。
 妹たちはみな美しく成長して、早ければ来年の春にも、いちばん年上の妹が婚約する。長兄の彼だけが、いつまでも道を定められず、ふらふらしているのが許されるはずもない。
 医者や学者になることが嫌なわけではない。ただの農夫や、卑しい狩人よりは、両親の賛同ははるかに得やすい。おそらく、手を叩いて頑張れと励ましてくれるだろう。
 だが、自信が無かった。その職業に就いたところで、一生続けていけるのだろうか…。

 彼はいつものように、町はずれの草原にいた。
 医者になりたいとは思わなかったが、薬草採りは楽しかった。従兄弟のウォーレルが教えてくれるよりも遥かに早く、彼は薬草の種類と見分け方を覚えた。そしていつしかウォーレル自身も追い越して、薬草学にかけては、今では、並ぶものの無いほどの知識を蓄えていた。
 本人はそれに気付いておらず、周りの人々も知らない。ウォーレルだけは、薄々と感じ取ってはいたが。

 斜面に生えた木の枝を伝い、彼は慣れた足取りで、どんどん町を離れていく。
 「“長老木の森”。」
謳うように言って、森への最初の一歩を踏み出した。木立の間から、泥の溜まった小さな沼が見える。光が差し込み、濁った水の表面をきらきらと輝かせている。
 沼のほとりには、灰色岩が積み重なって出来た、ちいさな空洞があった。入り口には蔦が垂れ、岩の間に木の根がしっかりと食い込んでいる。
 「鍛冶屋ホブスボクスの洞窟だ。ここは昔、双頭の小人が、竜を倒すための剣を鍛えたところ」
…そんな話を、むかし、祖母が聞かせてくれた。

 ずっと昔、この地方に悪い竜がいて荒らしまわっていた頃に、うわさを聞きつけた異国の王、シグムントがやってきて、小人の鍛えた剣をとって、勇敢に戦った。
 王は勝利し、竜は倒された。けれど、手に入れた財宝が原因で揉め事がおこり、王は裏切りによって命を落した。
 王を慕っていた娘は絶望のあまり、崖から海に身を投げて、死んでしまったのだという。
 そんな、悲しい昔話を聞いて、子供の頃はひどく胸を痛めたものだ。
 けれど、それが本当にあった話なのかどうかは、分からない。お伽噺の主人公たちが、本当にいたのかどうかなんて誰も知らない。
 遠い昔の人々に向けて流した涙を、今では、自分自身でさえ疑わしく思うようになっていた。


 沼の淵には、秋になると深い青い色をした、硬い花が咲く。この花の場所を覚えておいて、翌年の春、掘り起こすと、柔らかい白い球根が手に入る。咳止めと熱冷ましの特効薬だ。
 大きな町から遠く、冬は激しく冷え込むこの辺りでは、風邪をこじらせる命に関わるため、その草は、とても貴重な薬草だった。売れば金貨何十枚にも換わる。
 だからエイナルは、この場所を誰にも教えない。静かな森を、金目当ての連中に荒らされるのが嫌で、薬草を採りに来るのは、いつも一人だった。
 沼のほとりの石の上に腰を下すと、エイナルは、家を出るときポケットに突っ込んで来たパンとバターを取り出した。
太陽は、もう随分高いところまで昇っている。ずいぶん遅い朝ごはんだ。朝には焼きたてだったパンも、もうすっかり冷めてしまっている。
 食事を始めて間もなくのこと、どこかで、かさかさと音がした。
 パンをちぎりかけた手を止めて、彼は耳を澄ませた。
 沼に照りつける日の光は暖かく、風はほんの少ししかない。ここには誰も来ないはずだし、泥ばかりだから、動物たちも、水を飲みには降りてこない。いるのは、かえるや、みみず、泥に澄む生き物たちばかり。
 光に照らされた水草が、泥の下からぷくぷくと泡を吐き出している。

 今度は、近くで聞こえた。
 かさかさと。
 「…あっ!」
エイナルは、思わず声を上げた。あやうくパンを取り落とすところだった。
 彼は茂みの上のほうばかり見ていて、気がつかなかったのだ。そんな小さな、…茂みの下にちょこんと居る様な、そんな小さな生き物がいるとは、思いもよらなかったから。
 それは、真っ赤なチョッキを着た、小さな人間だった。
 だが子供ではない。ひげを生やした、れっきとした大人だ。
 小人なんて見たことは無かったけれど、小さな人間は小人と呼ぶものだろうから、きっとこれが、小人というものに違いない。
 人間の半分ほどの背丈しかない、そのくせ頭でっかちで、腹はでっぷりとして手足はひょろひょろ、変わった形の頭巾をかろうじて頭の端にひっかけている。
 ぽかん、としているエイナルの目の前で、小人は、苦労して茂みから抜け出すと、そのままふらふらと地面にくずおれた。
「はあ、はあ。…ああ、ひどい目に遭ったよ、まったく」
「だ、大丈夫…かい?」
エイナルはようやく、驚きを飲み込んで立ち上がった。奇妙には見えるけれど、人の言葉を話す以上、放ってもおけないと思ったのだ。
 小人は片方の足をひきずっていた。きつね罠にかかったようだった。
 「無茶するなあ。折れているかもしれない」
 「あ、痛ッ、痛いよ、さわらないでおくれ」
 「触らなきゃ折れているかどうか分からないだろう。じっとしてろよ、痛い思いしたくなかったら」
小人は泣きそうな顔でエイナルをにらみ付け、そうして、ふと、彼が首から下げている、銀の飾りに気がついた。
 「…あんた、白蛇の家のもんかい?」
 「白蛇? そう呼ぶ人もいるけど。僕はソルブラン家のエイナルだ。君は?」
とたんに小人は、胸を張って堂々とした声で言った。
 「わしは“老巨木”の家のベリオン。かの偉大なる…あ、痛たたた」
 「立ち上がろうとするからだよ。」
エイナルは小人を座らせて、腫れている足を調べた。
 「うん、折れてはいないみたいだ。だけど、しばらくは動かさないほうがいい。泥を塗って、少し冷やしたほうがいいかもしれない」
 「面目ない」
ベリオンと名乗った小人は、しゅんとして草の間に座り込んだ。その間に、エイナルはパンを包んでいたハンカチをほどいて泥を塗り、応急用の湿布をこしらえた。
 「少し冷やせば、よくなると思う。でもしばらくは歩かないほうがいいな。家は遠いのかい?」
 「案ずるな。そら」
小人は、チョッキの下から緑の小笛を取り出して口に当てた。甲高い、澄んだ音が森の空に響き渡る。
 それを何度か繰り返し、鳥たちが驚いて飛び立つような羽音を耳にしたあと、彼は満足して笛をしまいこんだ。
「これで、じきに迎えがやって来る。」
 「ふうん、便利だなあ。」
元の場所に腰を下ろし、食事の続きをしようとしたエイナルは、小人が、もの欲しそうに、彼の手元をじっと見つめていることに気がついた。
 「…腹が減ってるのかい?」
 「いやあ、面目ない。あの、いまいましい罠から抜け出すのに、まる一晩もかかってしまったのでな」
 「しょうがないなあ。」
彼は、パンを半分にちぎってバターを載せ、小人に差し出した。
 「半分こだよ」
 「おお、恩に着るぞ若者。」
言うなり、パンをひったくって、あっという間に平らげてしまった。そのあまりの速さに、エイナルは呆れてしまった。
 「うむ、なかなかに旨かった。だが、もう少し、あればのう…。」
 「文句言うなよ。そんなに沢山、くすねてくるわけにもいかなかったんだしさ。」
小人に取られないうちに、と、エイナルは残りのパンを急いで口の中に押し込んだ。小人の、ひどくがっかりした気配が伝わってくる。
 「ところで、おぬし。エイナルと言ったか。手助けしてくれたからには、何か恩返しをせねばならん。何か欲しいものはあるかね」
 「欲しいもの…。うーん、そうだなあ…」
彼は口のふちについたパンくずを払い落としながら、首を傾げた。
小さな頃、よく、祖母にお伽噺を聞かせてもらった。古い古い時代、今はもういなくなってしまった神々が、まだ沢山いた時代のこと。どこか丘の上の語り部に似ている。
 森の中で出会った不思議な老人が、親切のお礼にと、何か特別な贈り物を授けてくれる、そんなお伽話も聞いたことがある。
物語は大抵、その贈り物がもとで家が栄えて、主人公が幸せになるところで終わる。“めでたし、めでたし。”
 けれどエイナルは、そんな、ありふれた物語は嫌いだった。
それではまるで、自分の「幸せ」が、誰かによってしか手に入らないみたいだと。
 困っている人に手を差し出すのは、ほんの少しの親切心からで、何かを貰うためではない。
 それに、不思議な豆や、金の斧や、何でも出てくる壷をもらっても、自分が幸せになれるとは思わなかった。たくさんの財宝があっても、豊かな暮らしをしても、楽しいとは思えない。
 「そうだ。話を聞かせてよ」
 「話?」
 「うん、なんでもいい。話を聞かせて。小人なんて、もういなくなってしまったと思ってた。ホブスボクスだって、皆はただのお伽噺だと…」
 「ほ! ホブスボクスを知ってるのかい」
小人は嬉しそうに声を上げ、ぴょんと立ち上がろうとして、足の痛みに気付いて座り込んだ。
 「大丈夫かい?」
 「いいや、なんの。心配いらんよ」
眉をしかめながらも、小人ベリオンは続ける。
 「懐かしいのう、鍛治屋ホブスボクス。奴はとっくの昔に西のほうへ行っちまったよ。このごろじゃみんなそうさ、どんどんいなくなっちまう」
 「どうして?」
 「そりゃあ、あんた。ここらにゃもう、竜も化け物もいないからさ。鍛治屋は、竜を殺せるような剣を作るのが夢さ。竜もいないのに、鍛治屋をやってもしょうがない。」
小人は、細い黄金の指輪をはめた指を、ぱちん、と鳴らし、謳うように語りだした。
 「最後に剣を作ったのは、そう、まさにこの場所さ。わしら一族の最後の鍛治屋、ホブスボクスの庵の中で。
 双子のホブスボクスは重なって生まれた、ひとつの体にふたつの心。賢い兄のホブスが左手で、とんまな弟のボクスが右手さ。兄が指示して、弟がハンマーを振り上げる。だけど口はたったひとつ、お互いひっきりなしに喋るものだから、話しかけるのも難しい。
 ついた綽名が“双頭”さ。頭はひとつしかないくせに、いつも二つのことを考える。
ホブスボクスがつくった最後の剣、それは…そう、ちょうどこの場所で、この沼で。古い神々の呪文が刻まれた最後の剣、月の光とバナディルの枝で清めた、青い鋼。霧の王を切り裂いた、その剣は…」
 「待って、ちょっと待って」
 「んん、何だね?」
 「霧の王って。今、そう言ったのか?」
 「そうだとも。どうかしたのかね」
 「それって、…レヴィンが倒した、霧の王のこと?」
小人ベリオンは目を丸くしたかと思うと、ぱちんと指を鳴らし、嬉しそうな声を上げた。
 「ほう、こいつは驚いた。森の外の人間は、まだ霧の王のことを覚えているのかい。しかもあんた、白蛇の家の子が」
 「…うん、でも、少しだけしか知らないんだ」
エイナルは、昨夜聞いたばかりの、新しい物語を思い出していた。

 <青緑の塚>で、語り部のレギンレイフに聞いた、もう、200年も前の物語。

 「レヴィンの剣は、ここで造られたの? ホブスボクスが造ったの?」
 「ほっほ、そうとも、小人が勇んで作り上げた。だがそれは、彼のためじゃあない。レヴィンは剣を、祖父の遺産のひとつとして受け取った。彼の祖父はコレールから譲り受けた。コレールは異国の王、かの竜殺しの英雄、シグムントから受け取った。いや…奪い取った、と言うべきか」
 「どうやって? コレールって、誰? それに、シグムントって」
 「知らないのかい。知りたいのかい。」
 「聞かせてよ。」
 「ようし、それじゃあ聞かせようとも。異国の王と美しい娘の悲劇の恋の物語、シグムントの竜退治の物語…オランと、コレールの物語…」
そうして、“老巨木”の家のベリオンは語りだした。
 いつしか森の中には霧が立ちこめて、沼の辺りは白い渦の中に包まれながら、ゆっくりと異界へ入っていった。けれどエイナルは、不思議と、気がついていなかったのだね。


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