Reginleif Saga

第二歌章  墓守りのグレーシル



 レヴィンの行った先について、知りたいかい。
 彼が向かったのは、ソルマルケルから南へずっと下ったところにある、ドゥンヘーデの町だよ。
ほれ、すぐこの先にある町さ、丘の向こうにかすかな光が見えるだろう。お前さんもあすこの町から来たんじゃないのかい。
 …え、違うのかい。
 そうかね、旅人は、たいていあの町に泊まるんだがね。

 あすこは、昔は街道の入り口だったのさ。
 街道の奥、ずっと険しい山に続く、荒れた土地に住むのは、古くから住む貧しい人々だ。街道からこっち、海に続くなだらかな土地に住むのは、恵まれた外からの人々だよ。
 古い人々は、たいてい昔から住んでいたあたりに住み続けているものさ。豊かな土地に移り住むだけの財産は、無かったからね。
 寒い冬を耐えてすごし、雪が解けて夏になるたびに海へ出て、生きるために命を狩った。自然と人との、持てる富を奪った。逞しく、そして荒々しい人々だったよ。
 そこへ、内海の向こうから新しい人々が新しい神を連れて移り住んできた。時代は変わった。何者にも打ち負かされることはない、という輝ける天使の群れをつれた神の前に、古い人々の神々は追われて、どこかへ消えてしまった。
 それからさ。
 古い人々は祈りをなくして、かつて在った神の守護も無い。不幸なことばかりが起きるようになった。
 形だけは、新しい神に祈るようになったんだがね。神様ってものは、人の心の髄までお見通しなんだろうね。
ドゥンヘーデの町はね、そんな古い人々と、新しい人々の接点でもあった。
 もうずっと昔のことさ。


 …だからレヴィンは、特別に神の祝福を受けた若者ではなかった。
 黄金の入った袋を背負って、一人とぼとぼと暗い道を歩く彼の身が安全だったのは、皮肉にも、不吉な呪いのお陰だったのさ。
 飢えた獣たちも、獲物の背にある財宝から発する気配に恐れて近づきもしなかった。
 盗賊たちは、その夜に限って別の街道に張り込んでいた。
 黄金は孤独を与えた。そして、呪いが成就するその時まで、彼を生かして苦しめようとしていたんだね。
 夜道は月に照らされてしらじらと輝き、レヴィンには、どこまでも果てしなく続く道のりに思われたものだ。
 やがて、行く手にようやく町の明かりが見えたとき、彼はほっとして一夜の宿を求めたのだ。
 しかし彼は決して、袋の中の財宝に手をつけようとは思わなかった。なぜか、それを使ってしまったら、二度と取り返しのつかないことになるんじゃないかという気がしていたからだ。
 ズボンのポケットから磨り減った硬貨を出し、大きな荷物を背負った彼を、宿の主人は、よくいる行商人だと信じて疑わなかった。レヴィンのほうも、身の上話をしたがるような口軽ではない。その晩遅かったこともあって、部屋を取ると、早々にベッドにもぐりこんだ。 

 けれどどういうわけか、月があまりに明るく輝いて、どうしても眠れない。
 隙間だらけの安宿の窓に、そう立派なカーテンがかかっているものでもない。
あちこち破れた、ぼろのような、くたびれた布切れの隙間から満月の光が差し込んでくる。
その光に体を照らされると、なぜか、体の奥で熱く火照るような感覚があった。
 しばらく寝返りを打っていたあと、レヴィンは、眠るのを諦めた。
 町全体が、魔法の眠りにでも包まれたかのように寝静まっている。ひとり、夢遊病者のように出歩く彼を、一体誰が見咎めただろう。
 足は自然に動き、気が付くと、町外れの墓地に来ていた。
 朽ち果てた木の十字に蔦がからみつき、静かに佇む。その向こうに、新しい、立派な石の墓が整然と並んでいた。
しん、とした真夜中の墓地…白い月の輝きが、ほぼ真上から照らしている。
 「誰だえ。こんな時間にやって来るのは」
しわがれた声が、中へ歩き出そうとするレヴィンの足を止めた。墓地の中ほどに立つ老木の根元で、影が動く。
 月明かりの中に、灰色の老女の姿がおぼろげに浮かび上がった。
頭からすっぽりと亜麻織りの布を被り、その下から無造作に垂れ下がる白髪が、銀に輝く。片方がつぶれた、褐色の目が、やや下方からレヴィンを見上げる。

 「生きた人間が、こんなところに、何の用だい?」

 「わからない。」
と、レヴィンは正直に答えた。正直に、分からない。しばし、まじまじとレヴィンを見つめていた老女の口元が、少しずつ、つりあがる。
 「…ほう。もしかして、あんた」
その肩に、小さな黒いものが動いた。蛆虫だ。
 「墓の下のものに、呼ばれなさったか。なるほどね。あんたの体は確かに生きているが、魂は半分、死者の国だ」
 「どういうことだ?」 
 「あんたは、つい最近、強い呪いをお受けなさったね。」
老女の言葉に、レヴィンはどきりとして、強くこぶしを握り締めた。
 「図星だね。その様子だと」
 「なぜ分かる」
 「分かるさ。墓場の死せる魂たちは、何でもお見通しだよ。あたしには聞こえる」
 「土の下のものが、喋るものか。」
 「なら、あんたは、どうしてここへ来たんだい?」
はっとして、レヴィンはブランケルの塚のことを思い出した。青ざめた死体は、塚の下から起き上がって、自分たちに向かって喋ったではないか。
 「…どうすれば呪いを解けるのか、分からないか。どうにかしたい」
 「どうにか、ねぇ。呪いには幾つもあるが、それはどんな呪いだね」
 「もっとも愛する者の命を奪う、と、言われた。」
レヴィンは正直に答えた。だが老女は、笑って言った。
 「なあんだ。そんな呪いかい。なら簡単さ。あんたは誰も愛さなければいい。一生ひとりで暮らしていけばいい、人とのまじわりを絶ってね。」
 「そういうわけにはいかないんだ!」
怒鳴り声で、墓場の空気が震えた。どこかで、眠っていた死者が驚いて身じろぎするような、ガサガサという音がする。
 「…弟がいる。」
搾り出すように、彼は言った。
 「たった一人の弟なんだ。ナルヴィを殺してしまうかもしれないんだぞ。そんなことは、絶対にしたくない。」
 「だから、この町へ来たのかい? ばかだね。離れてどうこうなる類の呪いではないんだよ。因果は巡る。巡りめぐって、あんたの弟を殺すだろうよ。それが、本当にあんたの最も愛する者ならばね。」
 「そんな馬鹿な」
 「あんたの一挙一動、ふとした言葉のひとつ、それさえも、遠く離れた場所で何かを引き起こすものなのだからね。それが嫌なら、あんたはここで死ねばいい。おあつらえ向きに、ここは墓場だしね。」
 「それは…」
レヴィンは俯いた。
 「出来ない。」
 「どうしてだい?」
 「わからない。でも、死ねばいい、なんてものじゃない気がする。俺は…」
 「抗ってみたい、かい?」
頷く。 
 そう、死ぬまで抗ってみたい。
 たとえそれが運命でも、解かれない呪いでも、死ぬのは絶望の淵に立たされてからでいい。もしかしたら、その時、己の手は取り返しのつかない血に染まっているかもしれないけれど。

 墓守りの女は、ため息をついた。
 「いかにも古い民の言いそうなことだ。それ、そこの、朽ちた木の墓標の下に眠ってる連中さ。大きなもの、運命のようなものに逆らいたがる。あんたたちは、いつだってそうだ。諦めを知らない」
 「諦め…」
 「人はいつか死ぬもんだ。だが、死ぬまでは生きている。どうせ生きているのなら、往生際悪くしがみつくのも悪くは無い。」
言うなり、老女は立ち上がった。蛆虫たちがかさこそと体を伝い、足元に這い降りて、草むらに消えていく。
 「あたしは墓守りのグレーシル」
さく、と、老木の根元の草を踏んで、墓場の奥のほうへ歩き出す。
 振り返った顔を、白い月が照らし出す。
 「あんたは?」
 「レヴィン」
 「ふうん。レヴィン。…いい名だ」
どこか遠くで、リーリーと虫が鳴いていた。
 「あんたに、もしもその気があるのなら、内海に沿ってぐるりとお行き。霧の入り江で、あんたが会うべき者がいる。」


 それから、どこをどう歩いていたのか分からない。
 気が付くと、とうに朝になっていて、レヴィンは、宿で目を覚ました。すべてが夢だったかのように、襤褸布のカーテンの隙間から、明るい朝の日差しがこぼれていたよ。
 顔を洗いに部屋を出ると、宿は何やら騒がしかった。大勢の男たちが集まって、わいわい騒いでいる。その中心にいるのは、どうやら船乗りらしかった。
 「赤い目の… 蛇… 沈没…」
興奮した声でしゃべりまくっている声は、高くなったり、低くなったり落ち着きが無く、途切れ途切れにしか聞こえない。目は落ち窪み、よほど恐ろしいことに出会ったのか、顔は真っ青だった。
 「また出たのか。だから、満月の夜には船を出すなと、あれほど」
 「馬鹿な奴らだ。あのへんは、ただでさえ霧が濃い」
ひそひそと話し声がする間を通り抜けて、レヴィンは、宿の裏手の手洗い場に向かった。
 その日、宿を出た後、彼はもう一度、町外れの墓場に来ていた。昼間の輝きの中で、墓場は、夕べの気配を失っている。
そこは、ただの広場だった。朽ちた木と石の墓標が整然と並ぶだけの、ただのだだっ広い荒れ放題の草地だ。
 グレーシルが座っていた老木は、もうずいぶん昔に枯れてしまったようだった。中はがらんどうで、地面の下まで深い穴が開いている。
 レヴィンは、そろそろと穴の中を覗き込んだ。だいぶ深い。中は真っ暗で、分厚く落ち葉や土が溜まっていた。誰も、こんなところを覗き込もうとは思わないだろう。
 彼は何を思ったか、背負っていた重い財宝の袋を下ろし、用心深くあたりを見回したあと、その袋を、穴の中に投げ込んだ。
 家には置いておけない。そうかと言って、このさき持ち歩くのも危険だ。
 ならば、掘り出したときと同じように、土の下にあるのが一番だろう、と。彼は、そう思ったのだ。
 どさり、と重い音がして、袋はまるであつらえたかのように、穴の中に落ちていった。
 手元に残った荷物は、わずかだ。いくばくかの路銀の入った財布と、ちいさな背負い袋が一つ。それと、家から持ち出してきた、あの剣だ。
 彼には、それを売って路銀に換える気はなかった。大した装飾もない。売ろうとしても、さしたる値にはなるまい。それより、この旅に、何か一つでも身を守るものがあることで、安心できるような気がしたのだ。
 レヴィンは老木の下の、グレーシルが座っていた場所に腰掛けて、ひとつ、大きくため息をついた。
 それから、剣の鞘をまじまじと見、それが、打ち壊されずに取っておかれた意味を考えてみた。
 表面には、古き神々への祈りの言葉が刻まれている。新しい神々からすれば、悪魔に対する祈りだ。
 「だが、神など、どこにいるのだろう。」
声に出して呟いた。
 「祈れば、俺は自由になれるのか? それとも、自らの手で戦って勝ち取るものなのか?」
まっすぐに空を見上げる瞳は、揺らがない。
 否、という声が、己の内から沸きあがって来るのを、彼は感じた。
 祈りは、自らの腕を振るうことが出来なくなった、その時のために取って置け。
 剣を持つ腕の無事なうちは、ただ真っ直ぐに、己の足で突き進むがいい。

 …それは、墓の下に眠る、遠い祖先たる死者たちからのささやきだったのかもしれない。



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