Reginleif Saga

第一歌章  ブランケルの悪霊塚


 それは、ここから遥か北の山向こうにある、ソルマルケルという、小さな町から始まる物語だよ。古い塚と、冷たい死者と、眠れる黄金と、それと生きた人間の物語さね。

 塚は、町から一マイル離れた丘の上に、もう三百年も昔から横たわっていた。
 古い塚だった。誰も、その塚の正確な由来を知らない。葬られた墓の主の血縁者も、とうの昔に絶えている。
 かろうじて残っている言い伝えによれば、そこには、ずっと昔、竜が守っていた宝を奪い、莫大な黄金の遺産を受け継いだブランケルという男が、そのすべての宝とともに葬られているという話だった。
 黄金への執着は人の心を狂わせて、狂った心は強い呪いを呼び寄せる。命が尽きたその後も、魂はこの世から離れることが出来ず、宝を守るため、悪霊は毎夜さまよい出て、近づく者を呪い殺す。
 ただ満月の晩だけは、光を恐れてか、地上には出て来られないのだと。
 「ブランケルの悪霊塚」。
長い年月が経っても、そこには草一本生えることなく、鳥も獣も近づかない。それどころか、夜ごと、地面の下から不気味な唸り声が聞こえてくるのだという。
 塚にいちばん近い町、ソルマルケルの住人なら、どんな子供だって知っている話だった。
 村はずれに住むレヴィンも勿論のこと。幼い頃から何度となく聞かされた話だった。

 レヴィンというのはね、人より頭ひとつは背の高い、だがそれほど逞しいわけでもない、
明るい金髪の青年だった。
私はよおく覚えている。村に住む、ごくごく当たり前の若者の一人だったよ。
ただ違っていたのは、彼は信じていたということだけさ。
家には、まだ年端も行かない弟がひとり。母親はとうの昔に亡くなって、父親は海を渡ったきり帰ってこない。家には、兄弟二人きりだった。レヴィンは、このまま父親が帰ってこなかったら、自分が弟の面倒を見るんだ、と、堅く心に誓っていたのだよ。
 塚を暴こう、と、最初に言い出したのは、ユングヴィだっただろうか。それとも、町長の息子のアルドレットだったかもしれない。仕事の終わりに酒場で一杯やったあとの、ちょっとした昂揚感から出た勢いだったのだろう。
若者はみな、大した理由もなく、そういう無茶なことをやりたがる。古い言い伝えや、規則なんかには逆らいたがる。失うことは怖くない。
 そんなものさ。
 年を取った大人たちの言うとおり、真面目にあくせく働くよりも、まだ遊んでいたい盛り。未来のことなど、どうでも良い。やがて来る、“明日の無い今日”のことなど思いもよらないものだったんだろうよ。
 とにかく、彼ら幼馴染の四人は、…あとの一人は、うすのろのローニーだった…、この四人は、ふとした思い付きから、半年前の満月の晩、この塚を訪れたのだ。

 最初は、肝試しのつもりだった。
 いつものように、気心の知れた仲間たちと悪戯を出来れば、それで良かった。または、臆病なローニーを驚かして笑えれば、それで良かったのだ。
 けれど、少なくともアルドレットは違っていたのだろう。 アルドレットは、つねづね、どこか大きな町に出たいと言っていた。
こんな小さな町で、町長の家を継ぐのは嫌だ、金を手に入れは都会に出られる。長男だからと言って必ずしも家を継ぐ必要なんて無い、なにせ自分の家には五人も弟がいるのだから、と。
 「ここに本当に黄金が埋められているんなら、それは見つけた者のもんだ。なんたって大昔のものだし、相続する奴はもういないんだから。」
 アルドレットは、自分で道具まで用意していた。そうして、渋る仲間たちを説得し、たきつけて、どうにかその気にさせた。
ユングヴィには、誰か好きな娘がいるらしかった。

 その娘は、ユングヴィからすると高嶺の花で、求婚するには、多額の結婚持参金が必要なのだと言っていた。もし娘の家に断られても、元手があれば商売を興して、名を上げることだって出来るかもしれない。あとは、自分が運を引き寄せられるかどうかだ。
 愚かなローニーは、金さえあればもう惨めな思いはしなくて済むのだと、誰からも馬鹿にされずに済むのだと、そう思い込んでいた。
 家はひどく貧しくて、昔から満足に食べることも出来なかった。一度でいいから、贅沢な食べ物を、腹いっぱい食ってみたいと思っていた。
 だが、レヴィンには、彼らのような理由はない。
 「お前はどうだ。何かあるだろう。女でも、商売でも」
 「いや、特に。」
と、レヴィンは答えた。
禁忌を犯すことが怖かったのではない。彼には何か、その日の仲間たちが、常軌を逸しているような気がしてならなかったのだ。
 アルドレットは、なおも取り憑かれたように説得し続けた。
 「なあ、金を手にいれて、悪いことなんか無い。あったほうがいいに決まってるじゃないか。お前だって、そう楽な家計じゃないんだろう。」
 「なんとか食っていけるくらいの蓄えは、あるさ。それに、父さんだってまだ死んだと決まったわけじゃない――」
 「弟のことは、どうする。」
 「……あいつは、自分でも何とかできる」
 「本当にそうか? お前はどうする。二人ぶんの食い扶持を稼げるのか?」
アルドレットの言葉は、まるで悪魔の囁きのようにレヴィンの痛みを突いてきた。

 レヴィンの父親のウォーレルは、数年前、大きな賭けをして海に乗り出したきり、その後の消息は杳として知れない。船が難破して死んだのだと、誰もが噂している。
 弟は、母親に似て、生まれつき体が弱い。
 肌は夏になっても白いまま、手足は、女の子のように華奢だった。同じ年頃の子供たちの、荒っぽい遊びには交じれない。からかわれては、いつも兄のレヴィンに庇われていた。
 大人になったとしても、男たちの荒々しい仕事にはとてもついていけないだろう。
それどころか、大人になれるかどうかも、分からない。特に、この、冬の厳しい地方では…町には医者もいない…、毎年、一体どれだけの子供たちが、風邪をこじらせて命を落すだろう?
 本当は、もっと南の町に移り住みたかった。弟のためにも、自分のためにも。
そのほうがいい。だが、それには、少なくとも金貨二十枚は必要だ。そんな大金が、まともな仕事で手に入るはずもない。
 …この思いが、彼を動かした。弟を養って暮らしていけるだけの金が欲しかった。たった、それっぽっちの望みだったのさ。
 「分かった。手伝おう」
 「よし。出てきたものは山分けだ。いいな」
彼らは、アルドレットの言葉に、神妙にうなずいた。

 夜半を過ぎた頃。
 いつしか辺りには白い霧が低くたちこめ、不気味なほどの静けさが包んでいた。
 手元のカンテラの火は細く頼りなく、土を掘る音だけが響く。手元の暗がりは徐々に深さを増し、塚のまわりには、掘り出された、湿った墓の匂いのする土が、小山のように積み上げられていた。
 「灰色の土。まるで死者の体だな」
ユングヴィがつぶやくと、臆病なローニーがひぃぃっと間の抜けた声を上げた。
 「よせ。死者に聞こえる」
レヴィンが低く一喝すると、仲間たちの数人の肩が、ぴくりと動いた。
 「…なあ、レヴィン。」
少し手を止め、アルドレットは汗を拭った。
 「前々から思っていたんだが、お前、少し本気にしすぎてやしないか?」
 「何がだ。」
レヴィンは、手を止めない。
 「妖精にしろ、幽霊にしろ、そんなもの実際にいるわけ無いじゃないか。忘れ去られた神々の時代の迷信さ。昔の人間の言うことなんか、間に受けるものじゃない。」
 「じゃあ、ここにある竜の宝っていうのも嘘じゃないか。竜も悪霊もいないんだろう」
 「それは、…誰かが面白がって勝手につけた話さ。黄金は本当にある。だからこそ、つまらない言い伝えなんかが残っているんだろ。」
アルドレットの一族は、かつて、新しき神々の信仰を先頭に立って広めてきた家系だ。高名な司祭や、遠く海の向こうの島まで神の教えを説きに行った宣教師の末裔でもある。
 だからなのか、古い言い伝えをことさら馬鹿にし、「新しき神」のものではない信仰の証しなど、すべて打ち壊してしまいたいようだった。

 子供の時からそうだった。
 目に見えないものは、信じない。
埋もれたものは埋もれたままに、眠った者はそのまま眠らせておけ。それが、アルドレットのやり方で。
 レヴィンは、何も言い返さなかった。
 言い返して何になる。
 彼自身、幽霊なんぞ見たことはないし、神も妖精も信じてはいない。不可視の闇の奥に広がるのは、神秘の空間ではなく、無だ。世界は空虚なものだ。
 心のどこかで、闇の奥に広がるもう一つの世界を感じながら、ずっと、そう――思おうとしてきた。
 かつん、と音がして、ユングヴィの手元で明かりが揺れた。
 「何か出たぞ。」
興奮した声で、アルドレットが真っ先に穴の中にかがみこむ。遅れて、よたよたしながローニーが明かりを翳す。
 「もっと近くだ。照らせ。箱がある」
 「ああ… うん」
怯えているのか、腰が引けて、臆病者の手はガタガタと大きく揺れている。
 「貸せ」
見かねたレヴィンは、その手からカンテラを奪って穴の中に滑り降りた。アレドレッドはしゃがみこみ、硬い地層の中から、鉄の箱を引っ張り出そうと懸命になっている。
 「すごいな、ずいぶん古いものらしい。」
 「ああ。きっとこれが、宝―――。」
ばきっ、と音がして、腐りかけていた木の箍が外れた。
 「うおっ」
尻餅をついたアルドレッドが、弾みでレヴィンの手からカンテラを叩き落す。
 一瞬辺りが深い闇に包まれた。いつしか月の光は完全に消えて、なくなっていた。
 空を見上げる。
 どこからやって来たのか、分厚い雲が空を覆っている。その時だった。
生ぬるい風とともに、何かが青く、土の中から、ゆっくりと起き上がった。
 「…誰だ…。」
それは、体の奥に直接響くような、低く、重苦しく、陰鬱な男の声だった。

 レヴィンは、振り返って辺りを見回した。声はどこから聞こえてくるのか。自分たちではない。
 「…わしの眠りをさまたげるのは…。」
 「お前こそ誰だ!」
彼は声のするほうへ向かって怒鳴った。仲間たちはどうしているのか。足元に、もそもそと動くアルドレッドの気配がある。落ちたカンテラを探しているようだった。
 陰鬱な声が、耳から染みとおって腹に重く溜まるような声が、彼の手を鈍らせた。
 「…我が名はブランケル。ソルグリームの息子で、アルヴィトの娘ラウズを妻とした、偉大なる首長ブランケル」
 「ひ、ひいいっ」
息を吸い込むような悲鳴と共に、ローニーが地面に崩れ落ちる気配がする。
レヴィンは、思わず塚を見上げた。
 その生き物は青白く、半透明に、人の形をして塚の上に立っていた。
 生きていた時のままの灰色の髭、ぼろぼろに切れて汚れたマントは、かすかに血の跡が滲んでいる。
 だが、白い頭蓋に落ち窪んだ目は、がらんどうの暗い孔で、ぞっとするような、青白いりん光を湛えていた。
 …死者だ。この世のものではない。
 レヴィンは、幽霊の目を見てはいけない、と、いう亡き母の言葉を思い出し、思わず顔をそむけた。
 「もう遅い」
塚の主は、低くあざ笑うかのように言った。
 「欲望にとらわれた、愚かなる者どもよ。ここに秘されし我が財宝を持ってゆくがよい。だが、その呪いは絶えることなく、間違いなくお前たちを不幸にするだろう。栄光とともに死を抱えて行くがよい。」
 「俺は別に宝など欲しくない。お前に返してやる。だから、今すぐ眠りにつけ!」
レヴィンは叫んだ。死者の手に掴まれて冷えかけた炎を奮い立たせ、体の奥底から気力を振り絞るようにして叫んだ。
 だが、声は、その炎をいたぶりながら、じわじわと指先で握りつぶしてゆく。
 「もう遅いのだ。その宝は決して人を幸せにすることはない。嘘と不実と、欺きによって、血塗られた一族の手から葬られたもの。起こしてはならぬものだったのだ。それを知らぬとは、愚かな」
力が抜けていく。

 もう駄目だ、…そう思ったとき、足元で、カチンと音がした。
 アルドレッドが、カンテラと火打ち石を見つけたのだ。
 明かりが点り、一瞬にして、辺りが明るくなる。光の中で、幽霊の青い影が、薄れた。
 「去れ。立ち去れ! 神の御名において!」
光を掲げるアルドレッドのその姿はまるで、悪霊を調伏せんと神の威光を振りかざした、かつての宣教師のようだった。
 ブランケルの幽霊は、消えながら、低い声で囁いた。
 「お前たちは、偽りの輝きを手に入れて、もっとも愛する者の命を奪うだろう。…よいか。お前たちは必ず、――もっとも愛する者の命を奪うのだ」
 そのとき何故か、レヴィンには分かった。その霊は、悲しそうな声で…、落ち窪んで、輝きを無くした瞳の奥で、泣いていた。
そうして、気がつくと、彼らは全身に汗をかいて、ぐったりとその場に座り込んでいたのだった。


 悪夢に悩まされはじめたのは、その夜からだった。
 だが、凶事の兆しに怯えているのはレヴィンただひとりで、後の仲間たちには、全く変わった様子など見られなかった。
彼らはときに困惑したような目でレヴィンを見、アルドレットなど、まるでレヴィンの気が違ってしまったかのような扱いをした。
 彼らは、あの夜のことなどすっかり忘れてしまったかのようで、宝を手に入れたことに、大いに満足していたのだ。
 少しずつ、仲間たちとの間に距離が出来初めていることに、レヴィンは気がついていた。
幼い時から、どれだけの時を共に過ごしたことか、…それが、たった一晩で変わってしまうものなのか。
 「黄金の山だ。財宝だ。これだけあれば、何だって出来るぞ。屋敷を買って、召使を雇うことだって出来る。船も買えるぞ。思いのままだ」
興奮したように言っていたユングヴィは、手に入れた金を持参金に、早々と、前から好意を抱いていた娘の家と婚約を取り付けたらしかった。
 アルドレットは、町に出て商売を始めると言い、ローニーはローニーで、黄金を使って毎日飲み食い三昧の毎日を過ごしているという。
 ごくごく僅かな期間に、彼らはすっかり変わってしまった。
 変わった、といえば、レヴィンもそうだ。しかし彼の変化は、他の三人とは、違っていた。
 莫大な黄金を手に入れていながら、毎日、思いつめた顔をして徘徊する彼を見て町の人々は、きっと金が誰かに奪われやしないかと神経質になっているのだろう、などと悪意に満ちた陰口をたたいた。
けれど、彼はそんなことは考えてはいなかった。むしろ、誰かに譲れるものなら、宝をそっくり譲ってもいいとさえ思っていた。

 ――呪われた宝。手にした者に、不幸をもたらす。

 ただの夢だと思うことは、レヴィンにはどうしても出来なかった。
「もっとも愛する者の命を奪うだろう」。…
その声は、振り払おうとしても頭の中に木霊し、毎夜繰り返される残酷な夢の中で、彼は弟を自らの手で絞め殺していた。あるいは、剣で貫いていた。
 どんなに抗おうとしても、しまいには、その結末だけが冷たく、死者の体のように腕の中に残される。
 彼は恐れた。
 夢はいつか、現実になるのではないかと。気が狂わんばかりの夜が続いた。
…そして、決心したのだ。これが呪いだというのなら、どうにかして解いてやる、と。
 彼は、剣を手にした。
 その剣は、もう長いこと誰にも使われず、長持ちの奥に、仕舞い込まれていたものだった。
祖父の形見だった。
柄には、かすれて、はっきりと読み取れない紋章が刻まれ、刃には、かすかなきらめきを残す千文字で、古き神々への祈りの文字が刻まれている。
 祖父は、その剣があることを知られるのを、ひどく恐れていた。
 異教の証ゆえに、誰かの目に触れることを恐れたのか、それとも、剣に秘められた過去のせいか。
 かつて、町を守るために剣を取って戦ったこともある、という祖父の右手は、遥か昔の戦いで砕かれて、引きつったようにしか動かなかった。
 …そして、古い神々を崇めた最後の世代の生き残りは、老いたあとも、決して重い口を開くことはないままに、一人静かに去っていった。
 だから、剣を手にしたレヴィンは何も知らなかった。


 皮の上着で出かける支度をしていると、彼のもとに、弟のナルヴィがやって来た。
 「兄さん」
まだ声変わりを済ませていない少年の声は、幼かった。
 荷造りに気を取られていたレヴィンは、びくりと肩を震わせ、顔を上げる。
 「どこかへ行くの?」
その声を聞くと、レヴィンの胸は締め付けられるようだった。
 母親のいないこの子は、これから、この家で、たった一人で暮らしていかなくてはならないのか。
 彼は片手で弟を引き寄せ、細い体を両腕で抱きしめた。
 「町の人たちが、兄さんは財宝を手に入れたって言ってたよ。」
 「財宝なんかじゃない。あれは財宝なんかじゃないんだ。皆は知らない。ひどい呪いだ。幽霊の仕業だ…」
 「塚の幽霊を見たの?」
 「ああ。だから、行かなくちゃならないんだ。もし、次の春が来るまで待って俺が戻らなかったら、その時は、お前は隣町の叔母さんの家に行け。蓄えは、いつもの場所に隠してある」
 「わかった。行ってらっしゃい。」
ナルヴィは、素直にうなづいた。静まり返った湖のように碧い瞳は、兄の顔をまっすぐに見上げている。
 「…気をつけてね」
 荷物を担ぎ上げたレヴィンは、うなづいて、弟の柔らかい髪を撫でた。
 これ以上、ぐずぐすしてはいられない。
 宝は全部持っていく。家に置いておけば、誰かがナルヴィを傷つけて奪い取るかもしれないからだ。
 呪いがついてくるなら、ついてくればいい。
 命をとられるのは自分だけでいい。咎人は、塚を暴いた己だけだ。


 出掛けにレヴィンは、弟のことを頼みにユングヴィのところへ寄った。
呪いを信じていようがいまいが、幼馴染たちの中で、いちばん信用できるのが彼だったからだ。
 けれど、旅の目的のことは何も言わなかった。
 ただ、南へ行く、とだけ―――告げた。


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