<第三章>


 ミズハたちと合流出来たのは、町の入り口までたどり着いてからだ。ちょうど入り口で顔を突き合わせてあれこれ話し合っていたところに、泥だらけのルークがひょっこり現れた。
 「ルー君!」
 「無事だったのか!」
 「うわ… ひどい格好だな…」
三人は口々に言いながら駆け寄ってくる。ルークは、頭をかいた。
 「酷い目に逢ったよ…。」
 「奴らは? 巻いてきたのか」
 「いや、捕まって逃げてきた。脅しつけておいたから、これで大人しくしてくれるといいんだけど…」
とにかく宿をとろう、というルークの案に、誰も意義はなかった。もう夜も遅くなりかけているし、この格好では、次の街に出発することも出来ない。

 河に流されてからのルークの話を聞き終えた時、真っ先に口を開いたのはマルだった。
 「お前は人が良すぎるぞ。逆らった愚か者どもなど、粛清すべきだったのだ。」
 「いや… そこまでは…。」
 「けど面倒くせーよな。双頭の巨人で一纏めっつーのもさ。もう左右で分けちまえばいいのに。右首の信奉者、左首の信奉者、ってさ」
 「いや、信奉者とか要らないから…」
ルークは、手首に手をやった。吊るされた時の傷はもう癒えているが、だからと言って吊り橋ごと流された上に縛り上げられ、武器で脅されたことまで無かったことにはならない。
 「ま、何かに頼らねば生きてゆけん弱い人間も、世の中にはいるからな。神も好き好きというか、邪神だろうが悪魔だろうが、信奉する奴はおるであろう。」
 「ああ…まあ、そういう人たちもいくらかは見てきたけど。」
ロカッティオにいた、魔法使いの子孫たち。――仕える相手を失って、今は普通の人間のように暮らしている彼らも、かつては狂信的な危険な集団だったのだろうか。
 「ねえ、その人たちって、誰かにルー君が北へ行くことを教わったって言ってたんだよね?」
 「え…ああ、そうだ」
ミズハの言葉で、忘れかけていたことを思い出した。 
 「そう。彼らの一人が何気なく言ってたんだ。おれたちがバージェスに挑むつもりだと聞いた、って。」
 「何…」
 「それって」
ルークは、小さく頷いてみせる。「リブレかメテオラか分からないけど、とっくに気づかれてるってこと。」
 「で、ここで待ち伏せしてたってことは――、」
 「見張られてるのか、どこかから情報が漏れてるのか。」
ミズハは辺りの気配に耳を済ませ、バルゴスは、くんくんと鼻を鳴らす。
 「今は…何も気配ない。人間以外は…」
 「それがしの鼻も、こう人が多いと何も分かりませぬぞ。」
 「ごく普通の人たちに襲われるんじゃ、事前に気がつくのは不可能に近いよ。それより、そっちは? ジャスパーも川に落ちたんだろ。そっちはどうやって助かったんだ。」
 「ああ、それそれ―― 聞いてくれよ」
ジャスパーは、急に生き生きとなって身を乗り出した。「俺さ! 川も泳げるらしいぜ、大発見!」
 「…その、姿でか?」
 「おう! ていうか、川が割れた。」
 「割れた?」
 「ヴェリザンドに、教わったあれだよ。」
海を割る力――、海竜の中でも、祖先に竜神を持つ限られた一族だけが使うことが出来ると言われた、秘術のことだ。
 「なんか、気がついたらこう… さ。吃驚だぜ。あれ海じゃなくても行けるもんなんだな―」
 「すごいな。ってことは、人間の姿になってるだけで、完全に人間になってるわけじゃないのか」
にやにやしながら、マルが口を挟んだ。
 「うむ。これで、足手まといにならずに済んだな」
 「なんだとぉ」
ジャスパーは拳を振り上げ、マルを殴る素振りをする。マルはマルで、あかんべをしてみせる。なんだか、半日ほど見ていない間に、この二人もずいぶん打ち解けたようだ。
 「それで? これからどうするの?」
 「ああ、ルートは幾つか考えたんだけど――」
濡れた荷物の中から地図を取り出し、破れないようにそっとテーブルの上に広げる。
 「今いるアガットが、ここ。大陸の西地方の中心部だ。リブレはここ、黒い森のある山脈のすぐ東。ここに行くには、西にメテオラまで突っ切って北上するか、東から砂漠を迂回するか、北の海に通じてる川を下って途中から陸路を行くか、なんだが――」
そこまで言って、ルークは思案顔になる。
 「砂漠ルートは一番遠回りだけど、人も少ないし、今のところメテオラの勢力下に入ってないのがほぼ確実だから一番安全なんだ。逆に、メテオラを通るのは一番危険だけど、近いし、ミズハのおばあさん――エミリアさんの力を借りられるかもしれない。川下りは正直あんまり気が進まなかったんだけど、今のジャスパーの力の話を聞いて、アリかもしれない気がしてきたな」
 「ふむ」
 「川下りだと逃げ場がないし、一本道だから追いかけられたら絶対見つかるよ」
と、ミズハ。
 「どの道でもないコース―― じゃ、だめなの?」
 「って言うと?」
 「こことか」
ミズハの指の下は、今いる町から森を抜けて砂漠の入り口を通る、細い街道がある。その先は北の果てある山脈、つい半年前にメテオラの飛空艇が達したという北の果てにある山脈だ。
 「ここを通る乗合馬車は無さそうだな…途中に町もあまりない」
 「目立ちたくないなら、そのほうが良くない?」
 「それは、…」
いや。
 多分、それが正解なのだ。これは旅行ではない。なるべく早く、確実に、リブレに辿り着き、潜入する方法を考えなくては――
 「…問題は、この中の誰も、馬車や車を使えないってことだ」
ルークは、コンパスを取り出した。「この距離を徒歩で歩くのは時間がかかりすぎる。」
 「こっち方面に行く奴にあいのりさせてもらうとか」
 「うーん…。町は幾つかあるから、探せば途中までは何とかなるか…」
ヒッチハイク、というやつだ。
 「よし、それでいこう。明日、夜が明けたらこっちへ向かう人を探してみよう」
 「よし」
話し合っているうちに、いつしか夜も更けようとしている。まったく、慌ただしい一日だ。と言っても、ここのところ、陸路での旅は大抵いつも途中で事件が起きて、慌ただしいことばかりなのだが。


 眠っているつもりで、眠っていなかったようだ。
 視界に光を感じて、ルークは目を覚ました。音もなく水紋が広がる。空一面に広がる星々と、足元の水の下にある星の世界。鏡のように見えるが、異なる2つの世界。その境界線上の水平面に、ルークは立っていた。
 何度か来た場所だ。
 空には白い月が輝き、足の下には果てしなく暗い、どこまでも深い水、そして水平線は消失点まで続いている。オーロラのような光が空に揺れ、見覚えのある巨大な赤い星が、今ゆっくりと崩壊しようとしていた。
 (ルー・ラー・ガの星…)
それは、”最果ての島”と”世界の果て”の霧の壁を越えた先、レムリア大陸の果ての巨人の島で、半ば岩と化したまま数百年を過ごしてきた老巨人の命の星だった。音もなく弾けて霧散してゆく巨星を、ルークは声もなく、ただ見つめていた。――今、最後の知性を持つ巨人が死んだ。無言に胸の中で祈りを唱える。
 ふと、ルークは、周囲にいつもの羽ばたきがないことに気がついた。
 白い翼を持つ少女、いつもここへ来た時には、ミズハがいたはずだ。振り返り、頭上にも目を凝らす。だが、ここには他に誰もいない。
 いない――

 足に波がかかり、新たな水紋が広がった。

 気が付くと、いつのまにか左右の傍らに、二頭の竜が並んで眠っていた。黒っぽいつやつやした体を持つ、見慣れた姿はジャスパー。もう一方の、真っ赤な鱗を持つ赤い鬣のほうは、前足に顎を乗せ、鼻から炎の吐息を吐いている。バルゴスによく似た姿だ。
 (まさか… あれは、マル?)
二頭は、半ば水面に没するようにして深く眠ったまま目覚めようとしない。
 そのとき、遠い頭上から、あの音がした。

 リィ…… ン。

ルークは、はっとして月を見上げた。白い、巨大な月が目の前に浮かんでいる。音は、そこから聞こえる。
 もぞもぞと、眠っている竜たちが動いた。

 リィー… … ン。

音は世界全体に響き渡る。ゆるゆると、赤いほうの竜が首をもたげ、苦しそうにうめいた。
 「マル!」
もう一方の、ジャスパーは寝苦しそうに瞼をぴくぴくさせただけで、ほとんど反応しない。
 ルークは、音の出処に目を凝らす。月の城。バージェス。事象の水平線。月―― あの白い月は――
 目を閉じたまま、赤い竜が起き上がる。炎に包まれた翼を広げ、音のほうに向かって飛ぼうとしている。いつかのミズハと同じだ。音に引き寄せられたら、もう戻れない。
 「起きろ!」
ルークは、赤い竜に駆け寄って、硬い鱗に覆われた足を掴んだ。「目を覚ませ!」


 「目を…」
開けた時、目の前には宿の天井があった。
 息苦しい。
 それもそのはずで、隣に寝ていたはずのマルが寝返りを打って、その足がルークの胸の上に乗っかっているからだ。
 「……。」
ルークは、少年の足を掴んで、乱暴に払いのけた。
 「んー…」
もぞもぞと、少年は反対側に転がっていく。やれやれと思ったら、今度し手元に冷たいものが触れた。反対側の隣で熟睡しているジャスパーの涎だ。ちょっとした海のようになっている。
 「…こいつら」
どおりで、妙な夢を見るわけだ。
 まだ、時間は早い。
 カーテンの隙間からは、日が昇り始めたばかりの、朝もやに包まれた通りが見える。鳥たちの朝の挨拶の声が、にぎやかに響いてくる。ミズハは隣の部屋。遅い時間にチェックインしたせいで2部屋しかとれず、男三人とミズハという分け方で一晩を過ごした。
 (だから… 今回はミズハがいなかったのか)
外の通りを眺めながら、ルークはひとりごちた。あの世界、”事象の水平線”は、ミズハが隣で寝ている時にしか行ったことがない。隣で寝ている者まで連れ込んでしまう世界なのだろうか。あそこへ行きたいと願えば、自分の意志で、いつでも行くことは出来るのか? それとも、眠っている時だけ、偶然のようにして辿り着くだけ――?
 窓枠に腰掛けたまま、彼はぼんやりと、そんなことを考え続けていた。


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