<第三章>


 けたたましいブレーキ音とともに、列車が大きく揺れた。
 部屋に戻ろうと廊下を歩いていたルークは、衝撃でふっとばされ、後ろにいたジャスパーごと床に転がった。
 「…っててて…」
 「おい、大丈夫か?」
ブレーキと線路が摩擦を起こして飛び散る火花が窓の外に見える。耳障りな金属音とともに、列車は静かに停止する。
 「なんだ、なんだ?!」
次々とコンパートメントが開き、乗客たちが慌てふためいて飛び出してくる。ミズハとマルも、その中にいた。
 「ルー君!」 
 「一体どうなってる?」
 「多分… これが、”気をつけろ”ってことだよ。急いで荷物をまとめるんだ。」
 「え、でも…」
列車の乗務員たちが大慌てで走ってくる。
 「みなさん落ち着いてくださーい! 客室にお戻りください! この先の線路上に障害物があるとのことです。現在、状況を確認中です」
乗客たちが詰め寄っている。
 「本当か?! この先には行けるのか」
 「戦争が始まったんじゃないの?!」
 「状況は確認出来次第、おってご説明致します。いったん客室にお戻りくださーい!」
騒然となる車内をよそに、ルークはなんとか自分たちの客室に戻ることに成功した。鞄の中から、バルゴスが不安そうな顔を出して、炎を吹いている。
 「事件ですかな?」
 「ああ、そうらしい」
窓を開け、進行方向のほうに目をやると、線路上にバリケードを築いて騒いでいる人々が見えた。一見デモ隊のようだが、数十人はいるだろうか。車掌が、銃を構えて威嚇しながら怒鳴り返している。この辺りの線路は直線で、遠くからでもバリケードは見えるだろうが、一歩間違えば自分たちももろとも列車に撥ねられていた。なんとも力づくの列車の止め方だ。
 「…あっちはだめだな。列車後方から脱出しよう。」
廊下には車掌がウロウロしているが、構うことはない。
 「あ、お客様?!」
 「すいません! 下車します」
荷物を抱え、半ば押し切るように強引に最後尾の車両を目指す。その時、前方から駆けてくる三人組が見えた。
 「あ、…」
だが、「影武者」の三人組は、ルークたちに目もくれず、他人のような顔で走り去ってゆく。
 「あれ、あいつら…」
 「囮になってくれるつもりらしい。今の隙だ」
ルークは、周囲を確認して最後尾の手すりから線路に飛び降りた。デモ隊の面々は、まだ気づいていない。線路の両脇は深い森になっている。かなり遠回りにはなるが、山を越えれば町まで続く街道に出られるはずだ。
 ざっ、と隣にマルが飛び降りてくる。肩にはバルゴスの入った鞄を下げている。
 「どっちだ?」
 「あっちだ。囮が動いたら行くぞ。――いまだ!」
線路を封鎖していた人々が、三人組に気づいてそちらに向かって一斉に走りだした。列車の前方、しかも車体の反対側だ。
 「森へ逃げこんで!」
ミズハが真っ先に、飛ぶような足取りで森の中へ駆け込んだ。「早く早く!」
ルーク、マル、それにジャスパーが続く。
 「お、おい… 待て、こんな斜面登るのかよ」
ジャスパーは、げんなりした顔だ。
 「俺まだ二本足慣れてないんですけどー? ていうか陸上、ハードすぎんだろ」
 「文句言うな。体格的には、お前が一番力ありそうなんだぞ。停まらずに山を越える!」
 「無茶苦茶だな…」
木々に阻まれて、列車の周囲で起きている騒ぎの喧騒は次第に遠ざかっていく。柔らかい腐葉土にくるぶしまでめり込み、荷物の重みで足が滑る。この斜面を軽々と登れているのは、身軽なミズハくらいだ。
 「みんな遅いよー、ほら早く」
 「はあ、はあ…。姫っち…なんでそんなに…」
 「ミズハ元気だな…」
 「ぐぬぬ…これが海の魔女の力…」
それでも何とか尾根上までは辿り着き、あとは下るだけとなった。眼下の端には、目的地のアガットの町の赤茶けたレンガの町並みが見えている。だが、眼下には街道らしいものは無かった。谷底には小川が流れ、吊り橋がかけられている。
 「街道に出るには、もうひとつ向こうの尾根も越えないとだめらしい」
地図を取り出したルークが位置を確かめていると、男性陣二人からため息にも似た抗議の声が上がった。
 「もうムリ、もう一回は絶対ムリ。死ぬ」
 「余は疲れたぞー、飛んで行っていいなら考える」
 「…うーん…」
ルークは、額に手を当てた。
 「なんかこう、色々と不安になってくる。冥王と戦えても、普通の持久力は無いっていうのが…」
 「お前が言うな」
 「自分だってヘバってたろ!」
 「喧嘩はやめてよ。どうするの? このまま徒歩で行くの?」 
 「そうするしかないだろ。目立ちたくないんだから」
地図を丸めて荷物にしまうと、ルークは眼下の細い道を見下ろした。人通りが少なく、心もとないが、この道だって町には通じているはずだ。
 「文句言うなよ。徒歩しかないけど、ここから町まで歩きだ。あの道まで下る」
 「へいへい」
 「急がないと日が暮れるな…」
下りは、ジャスパーを先頭にして進む。といっても、ジャスパーがやたらと足を滑らせるため、最後尾に立たせると全員巻き添えを食らいそうだったからだ。半ば滑り落ちるようにして、なんとか谷底に到着。そこからは、馬車がようやく通れるほどの川幅しかない吊り橋を渡ってゆくことになる。
 谷底にはひんやりとした空気がたまり、鳥の声しか聞こえない。
 最近人通りがあったことは間違いないが、それも頻繁なものではないようだ。

 バルゴスが気配に気づいたのは、歩き出してすぐだった。マルドルゥインの肩掛けカバンから頭を出し、そっと囁く。
 「お待ちを、何かいますぞ」
 「何か?」
 「後方、斜面の上です。風上にいますから、ニオイで分かります」
少年は、鞄をぎゅっと抱えて、そちらに視線をやる。木々の間―― 日陰になっているあたりか。
 「相手は何だ? 人間か?」
 「そのようです――」
 「ルーク!」
マルは、叫んで自らも駆け出した。「後ろに何かいる! 走れ!」
 「なに?」
気づかれたことを察したのか、斜面の上に潜んでいた影も動いた。ザ、ザザザっと音がして、小枝や木の葉とともに何人かが転がり降りてくる。
 「な、…」
 「さっきの連中か?! 走れ! 早く」
叫び声を上げながら、数人の男女が必死の形相でこちらに向かってくる。腕には――金の腕輪。
 ”巨人の信奉者”。
 エレオノーラの嗚咽と、あの時の胸の痛みが脳裏に蘇ってくる。この人たちも、ハリールードが死んだことを恨んでいるのか?
 「ルーク、何してる!」
ジャスパーが振り返って怒鳴った。三人は、既に吊り橋に差し掛かっている。いや、今は迷っているヒマはない。戦いたくないなら、逃げるしかない。
 「ごめん!」
足元の地面に素早く触れ、小型のゴーレムを生み出す。「足止めしてくれ!」
 人通りのほとんど無いここなら、無関係な通行人に見つかる可能性は低い。あまり力をこめずに作ったゴーレムは、時間が経てば消滅するはずだ。
 吊り橋でジャスパーに追いつき、小川の上を渡る。先をゆくミズハとマルは、既に橋を渡りきっている。
 「早く早く!」
もう少しだ、そう思ったとき、背後で爆発音がして、風とともに足元がぐらりと揺れた。
 「――な?!」
振り返ると、ゴーレムに抱え上げられ、手足をばたつかせながら、こちらを睨みつけている者がいる。その手には、何かスイッチらしきもの。そして吊り橋は、背後から崩れ落ちようとしている。
 しまった、と思ったが、もう遅かった。
 あらかじめ、橋には爆薬が仕掛けられていて、万が一捕獲出来なかった場合でも、吊り橋を落として逃さないつもりだったのだ。
 「ジャスパー! ルー君!」
ミズハが飛び立とうとしたとき、彼女の目の前で別の爆発が起きた。吊り橋の反対側が、遅れて爆破されたのだ。爆風によろめいた一瞬、ルークとジャスパーは、吊り橋もろとも宙に、河の真ん中に投げ出されていた。冷たい流れに巻き込まれ、岩に体がぶつかり、回転する。息ができない。もがけばもがくほど、流れに押し流されてゆく。
 世界が暗転する。

 そして気がついたとき、ルークは、ずぶ濡れでどこかの岸辺に打ち上げられていた。
 「…っ痛た」
背骨が痛む。幸い、荷物は無くしていないが、ここが何処なのか分からない。元の場所からどのくらい離れているのかも。辺りは既に真っ暗になっている。暗がりの中、流れ落ちる沢の水音がやけに大きく聞こえた。
 パキ、パキと小枝を踏む音が近づいてくる。
 ミズハたちが探しに来てくれたのか、と期待を込めて見上げたルークの目に写ったのは、見知らぬ男の顔。しかし、その男の顔は興奮で瞬時に紅潮し、目は期待に輝いた。
 「おおい! いたぞ、ここだ」
駆け寄ってくる足音。手に掲げた光の中に、金の腕輪が輝いた。
 ――最悪だ。
 沢から釣り上げられながら、ルークは歯噛みした。穏便に避けるつもりだったのに、身代わりになってくれた三人組の苦労をふいにしてしまった。


 運ばれたのは、テントを張っただけの簡素なキャンプ場だった。長いこと此処に暮らしているようには見えなかった。
 居るのは、白いひげの年寄りからルークより少し年上あたりの若者まで、男女あわせて20人ほど。バリケードで列車を止めた人々と同じだろうか。皆、金の腕輪を嵌めている所だけは同じだ。
 ルークが何も言わずにいると、グループの最年長、白髪の老人が口を開いた。
 「手荒な真似をして申し訳ありませんな。今、貴方様を失うわけにはいきませんので」
 「どういう…ことですか?」
 「アンタは曲りなりにも巨人の片割れだからね」
フン、と鼻を鳴らしてルークの側にしゃがみこんだのは、スカート丈の短い、そばかすだらけの女だ。くちゃくちゃとガムのようなものを噛んでいる。
 「ていうかァ、ホントにコレがハリールード様のもう一方の首なの? アタシちょっと信じられないんだけど」
 「試してみればいい」
老人は、かき混ぜていた焚き火の中から火の着いた燃えさしを取り上げ、女の前に差し出す。「本物なら、すぐに治る」
 女は、じろりと老人を睨みつけ、手を差し出しかけたが、すぐに思い直して手をひっこめた。
 「アハ。なにマジになってんのよー。疑ったりしてないわよォ。アンタが本物だっていうなら、そうなんでしょぉ。一回会ってるそうだしぃ」
 「会ってる…?」
ルークは、焚き火に照らされた老人の顔をまじまじと眺める。だが、記憶にはない。
 「覚えていないか。そうか。ヴィレノーザの”協会”本部…会議室前で、な」
 「あ」
そこまで言われて思い出した。
 エレベーターを降りてすぐ。ハリールードに見つかって撃たれた、あの時。確かに、ハリールードの側には数人の男がいた。
 「…あの時、俺を撃ったうちの一人か」
ルークは身を乗り出す。といっても、ご丁寧に腕は鎖で背後の木に縛り付けられ、あまり自由はない。
 「聞きたかったことがある。あんたたちは何故、あいつに従った? 巨人の復活とか、この大陸を支配するとか、そんなの――そんな話、ほんとに信じていたのか?」
 「後者はまぁ、若い連中が勝手に言い出した夢物語だがな」
はぜる火を見つめながら、老人は、ぽつり、ぽつりと語る。「前者は出来ただろう?」
 「…それは」
確かに、ハリールードは巨人としての力を取り戻した――、2つのコアを手に入れて、ルークが邪魔しなければ、あの姿のまま生きていけた、かもしれない。
 「…目的は、ハリールードを復活させることだけだったのか?」
 「おかしいかね? わしらは」金色の腕輪が、炎に輝く。「”巨人の信奉者”、双頭の巨人とともに生きてきた民の末裔だ…」
ルークは、首を振った。
 「”破壊の首”だとしてもか? あいつが元の力を取り戻したら、何もかも無茶苦茶に壊してしまうことくらい、分かってたはずだぞ」
 「それでも、わしらにとっては良き王であった」
 「こっちで普通の人間としての暮らしを手に入れてたんじゃないのか? おれが逢った”巨人の信奉者”の中には、ごくふつうに、町の人間と馴染んで暮らしてる人たちだっていた。それを投げ捨ててまで」
 「ああ、そりゃー幸せなほうなんじゃない?」
ガムを噛みながら、そばかすの女は岩の上に腰を下ろす。
 「アタシら、ろくな暮らししてなかったわ。ハリールード様はさぁ、そりゃあ恐ろしいけど、信奉者にはいい人だったのよ。仕事くれたりさー、孤児引き取って育ててくれたり。」
 「利用して危ない目に合わせた。ゴーレムに使おうとしたり」
 「幸せでしょ? あの方のために死ねるんだから」
 「望んでない人たちもいた」
 「自らの職分を忘れた裏切り者たちだ」 
 「何故、あんたたちは――」
駄目だ、とルークは思った。彼らは、シレノスの町で出会ったマリアのような穏健派とは思考が違いすぎる。ハリールードはおそらく、こちらの大陸に渡ってきた”巨人の信奉者”の一部と、ずっと接触し続けていたのだ。そこから生まれた過激な一派を利用して、失った力を取り戻す計画を建てた。長年そのために働いてきた彼らは、それが間違いだったかもしれないとは露ほども思っていない。
 双頭の巨人――その2つの首の思考が相反したように、巨人に従った者たちの思考も、2つに別れてしまった。ここにいる人々のように、ハリールードに従った者たちと、過去のルークの願った「見守ってほしい」の言葉のとおりに生きたマリアのような者たちと。
 「さっき、おれを失うわけにはいかない、…と言ったな。どういう意味だ」
 「確かな情報筋から、貴方様が北天の神に挑むという話を聞きましてな。」
老人は、火に薪をくべた。
 「勝てぬ相手です。ハリールード様でさえ、あれには手を出してはいけないとおっしゃっていた。」
ふん、と若い女が鼻を鳴らす。
 「アンタに死なれちゃ、アタシたちの存在意義がなくなるのよ」
 「お前らの仕える相手はハリールードだろ。」
 「そうね、それでもいい。宗旨替えしちゃう? 双頭の巨人ったって、こっちの首は大陸を出る前に捨てられちゃってたんでしょお?」
 「やめろ、カレン。軽口を叩くと儂が許さんぞ」
老人に凄まれて、女は表情をこわばらせ、引き下がる。だが、納得していないという表情だ。
 「これからどうするつもりだ」
 「なに、ほとぼりがさめるまで、貴方様には大人しくしていただくだけです。」
 「出来ると思うのか?」
 「どんな手を使ってでも。」
老人が目配せすると、周囲に座っていた仲間たちが、一斉に立ち上がった。手に、斧や混紡など、物騒なものを持っている。と同時に、手を縛っていた鎖が釣り上げられ、ルークの体が宙に浮いた。木々の間に、両手だけでぶら下げられた格好だ。痛みで、食いしばった歯の間から声が漏れた。手荒という問題ではない。
 「存じておりますよ、貴方様が仮初の人形を生み出す時は、手を大地に触れなければならない――」
足の下のほうから、声が響く。
 「そして、本来のお姿に戻られようとするとき、今あるその人間の体は置いて行かれる。そうでしたな」
 「…抜け出せば、…この体を痛めつける、って…・脅しか…」
 「さて。そう取られても致し方ない。しかし死ににゆかれるよりはマシでしょう」
湧いてきた怒りは、しかし、すぐに哀れみに取って代わる。この人たちは―― 自分たちのことしか考えていない。自分たちの存在意義を失うのが怖い、与えられた目的を失うのが怖い、だから――ー。
 炎に影が踊る。ルークは、体の力を抜き、痛みを感じるままに任せた。脳の芯が冷えてゆく。

 「…呆れたもんだ」
笑いがこみ上げてくる。
 「お前たち、それでも本当に”巨人の信奉者”か」
 「何ですと?」
 「この程度…」

できる、と思った。
 昔の感覚が蘇ってくる。大地に直接触れなくても、たとえここが故郷から遠く離れた土地であっても。
 吊るされたルークの左右でずるりと土が蠢き、自ら生き物のように首をもたげた。 
 「ひっ」
焚き火の周りを取り囲んでいた男女が、武器を取り落とす。盛り上がった土は人間の手のような形となり、片方の手がルークを支えて鎖から解き放ち、もう片方の手は、焚き火のほうへぬうと伸びた。
 「うわ、うわあああ」
金の腕輪の人々は、悲鳴を上げ、逃げ惑う。焚き火がの火がかき消され、テントが踏み潰される。ルークは闇の中に目を凝らした。さっきの老人は、まだ逃げずに、木の影に隠れている。念じると、土の手はさらに何本も生まれて、逃げようとした老人の足を掴んでその場に引き倒した。
 「あわわ」
 「おい」
手首に刻まれた鎖の跡をさすりがら、ルークは、泡を食っている老人に近づいた。
 「おれは人間は殺さない、だが死ぬほどの目に合わせることは出来るぞ」
自分の中の、普段眠っているもうひとつの人格が―― ハリールードと一つの体を共有していた、かつての自分の残骸が語るのを、ルークは久しぶりに聞いた。
 「”二度とおれたちに近付くな”。分かったら、去れ」
それだけ言うと、荷物を拾い上げ、暗がりの中を歩き出す。不思議だった。普通は、感情に支配されると体は熱くなるはずなのに、こうして巨人だった頃の記憶に支配されるようになる時は、いつも、体が芯から冷えて熱が奪われていく気がする。
 熱が戻ってくるにつれ、心配になってきた。
 あのテント村の人々は、本当に、ろくな暮らしをしていないのかもしれない。ひどい格好をしている女性もいた。
 足を止め、振り返る。ハリールードは、仕事を与え、孤児の世話もしていたと――

 いや。

 結局それは、自分のために働かせることを目的とした手助けなのだ。
 ルークは、暗い森の奥に背を向けた。そう、神も巨人も、頼る相手など必要ない。人は誰しも、自らの手で道を切り開かねばならない。今はもういない巨人に頼って前に進めないというのなら、それは―― 誰が悪いのでもない、彼ら自身の責任なのだ。


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