<第三章>



 翌朝、一同は再びジョルジュの執務室に勢揃いしていた。生欠伸を噛み殺しているルークに気づいて、ミズハが表情を覗きこむ。
 「なんか眠そうだね」
 「ああ… 色々、考え事してたら寝付けなくて」
 「ま、居眠りしながら行きゃいいだろ」
ジャスパーは気楽なものだ。「で? ジョルジュどこよ」
 言った時、ちょうど、ジョルジュが部屋に入ってきた。
 「お待たせしました」
抱えていた地図の筒をくるくると広げ、ピンで壁に停める。「最新の世界地図です。これが、現在の勢力図になります」
 「勢力図…って」
覗きこんだルークは、息を呑んだ。「…これは…本当に?」
 「ええ」
ジョルジュは、苦い顔で頷いた。
 フォルティーザを含むフィオナと、隣接する国々は緑。
 メテオラ、リブレ周辺の国々は赤。
 ロマナーサ支部などのある内陸部は灰色。
 ――そして、それ意外の大半が…、ラヴィノーザ支部のある辺りまで含めて、すべて黄色かオレンジで塗りつぶされている。
 「ふん、この大陸の大半が敵対勢力、ということか?」
 「その通りです、マルドルゥイン君」
マルは鼻を鳴らし、面白い、と呟いてそっぽを向いた。
 「念のため説明しますが、灰色は情報なし、黄色は使者が訪れたが回答を保留している国、オレンジは間もなくメテオラ側に勢力圏を移そうとしている国……です。緑についても、今のところは国家連邦からの離反は考えていない、という意味に過ぎません。そしてこれが、」
と、机の上に、身分証を並べる。
 「あなた方のために本部が急ごしらえしてくれた、身分証です。ま、偽の…ですが」
どれも、ルークが使っているのと同じ、ごく普通の人間――フィオナ出身の市民に与えられる身分証だ。
 「ミズハさんのものも、旅の間はこれと取り替えて使ってください。提示が求められるとしたら、国家連邦に所属しない国に入った時くらいだと思います。国境でバレては元も子もないですからね」
 「まるでスパイですね」
 「似たようなものでしょう。」
 「だが、空にいるアイツは、多分ごまかせんぞ」
と、マルは指を北の方に向ける。
 「そうですね。リブレ人は気づくかもしれません。ただ、向こうも、急場ごしらえの同盟で、そう情報伝達が早いわけではない。まして今は、大陸じゅうの通信機が使えませんからね。」
 「なるほど、味方の通信まで妨害しちまってるのか。」
 「幸いなことに。」
ルークは、地図の上で道をなぞった。リブレは、ここからはるか西、砂漠と険しい山々の取り囲む盆地の中にある。大陸横断鉄道を使えばメテオラ手前まで一気に行けるが、それはあまりに危険過ぎる。
 「ジョルジュさん、昨日聞いた、リブレと取引関係のある村――って、どのへんにあるんですか?」
 「場所はバラバラですね。砂漠のオアシスにある村、山間にある村、北の果てにある村…」
 「分かる場所だけでいいんです、場所と名前を教えて下さい」
 「分かりました」
ジョルジュは、入り口に待機しているアネットに声をかけ、指示を出す。
 「…砂漠を突っ切るのは、だめだな…」
胸元からペンを取り出すと、ルークは何かをメモしていく。
 「どしたの? ルー君」
 「リブレに近付くコースだよ。途中まで鉄道で行くにしても、そこから先は徒歩か乗合馬車。となると、何かあっても、人をあんまり巻き込まずに済む道がいい」
 「ほう」
マルは興味深そうにルークの手元を眺めている。
 「途中で妨害が入ると?」
 「ジャスパーの予想が正しくて、今はまだ戦えないっていうのが正解だとすればね。おれたちに会いたくないのは向こうのほうってことになるだろ。」 
 「なるほどな。んで、お人好しな俺らとしちゃ、相手が人間だと何も出来ない。」
 「そういうこと」
 「おまたせしました」
ジョルジュが手書きの紙の束を持ってきた。数枚に渡って、確認できた村々の情報が書き込まれている。
 「目指すなら、このヴェローナという村がよいかもしれませんね。リブレにワインを卸している村だそうです。この辺りは辺境ですから、今のところメテオラの影響が及んでいる形跡がありません。それに、ワイン買い付けに外部から商人が入ることも少なくない」
 「ありがとうございます」
ひと通りの準備を終えると、いよいよ出発だ。目立たないようにするため、出発のことはジョルジュとアネットの他、誰にも知らせていない。アーノルドにも、だ。

 見送りもなく、そそくさとヴィレノーザゆきの列車に乗り込んだのは出発間際のこと。席に腰を下ろすやいなや、鈍い振動とともに列車のドアが閉まり、鉄の斜体はホームから滑り出す。
 「うおお、何これ凄い!」
 「おー海じゃないのに船が走ってる!」
 「…マル、ジャスパー、分かってると思うけど、あんまり騒いで目立つなって…」
 「初めてなんだから仕方ないだろ!」
 「そうだそうだ。初日くらい楽しませろ」
 「…何でそういうところだけ仲いいんだよ」
ルークは、深い溜息とともに荷物に体をもたせかけた。その荷物の中から、くぐもったうめき声がする。
 「あ、ごめん。これバルゴス入りか」
 「ひどいのである。それがしは、こんなところに閉じ込められて!」
耐火布のバッグの隙間から、ほんの一瞬、ちろちろと赤い炎の鼻息が見えた。空を飛びながら火を吐くトカゲ、という、あまりにも稀有な存在であるバルゴスは、どんなに大人しくしていたところで目立ってしまう。人目につきそうな場所では、こうしてバッグの中に隠して連れて行くことになったのだ。
 「車掌が回ってくるまでは、我慢しててくれ。それが終わったら、次は夜まで誰も来ないはずだから」
確保した席は、寝台つきの個室だ。ドアの窓から覗く物好きがいない限り、ばれることはない。
 密かにリブレを目指す四人と一匹の旅は、まだ始まったばかり。
 ルークの読みでは、順調にいけば約一週間といったところ。だが、そう旨く行かないだろうとは、既に予感があった。
 大陸を南北に貫く鉄道の中間点、ヴィレノーザまでは約2日。そこから東西の横断路に乗り換えて更に一日半。――そこに、今回の鉄道の旅の終着点、乗合馬車の発着点でもある―― アガットの町がある。


 夜を徹して、列車は走り続ける。
 この辺りに大きな町はなく、民家もまばらだ。時折、線路の両脇に広がる草原の向こうにちらちらと明かりが見えるくらい。ここは一年前、ヴィレノーザから海を目指して夜の暗闇の中を敗走した道でもある。あの時は、メテオラの軍も味方側だった。
車内から漏れる灯りが足元を照らし、影が伸びる。
 「こんなところにいたのか」
列車の最後尾のデッキから去りゆく線路を眺めていたルークは、体を起こして振り返った。
 「マルか。どうした?」
 「いつまでも戻ってこないから見に来ただけだ。あいつらは、もう寝たぞ」
ミズハとジャスパーのことだ。
 「あの二人、寝付きいいからな」
 「貴様はどうして眠れない?」
外に出たとたん、風に煽られて少年の赤い髪が上方へ、炎のように吹き上がる。「昨日もあまり眠れていないようだったが。」
 「ああ、いや…大したことじゃないんだけどな。ちょっと…さ」
 「はっきりしないやつだな」
マルは、ルークの隣で腕組みをして立った。
 「…こっちの大陸には、かつて双頭の巨人に従った人々――”巨人の信奉者”と呼ばれる人たちがいるんだ。一年前、彼らの一部が、双頭の巨人”ハリールード”に従って反乱を起こした。」
 「ふむ」
 「わからないんだ。彼らがどうして、あいつに従ったのか。いや、おれはその時、まだ自分が何者かを思い出していなかったし、記憶があったとしても、今更彼らを従わせる気は無かったと思う。でも、あいつにだけ従って、おれの声なんて届かなかったら… 自分は何なんだろう、って時々思ってしまう」
赤毛の少年は、じろりとルークを見た。
 「つまり貴様は、かつて自分の支配下にあった下僕どもが、今は崇めてくれないのが嫌なのか? 崇められたいのか? 昔のように信徒どもを従えてみたいのか? それなら逆らう者は叩き潰せばよいではないか。貴様には、まだそれだけの力はある。」
 「そういうんじゃないよ。崇めてくれなんて意思ってない、ただ…」
言葉が自信なげに小さくなる。
 「ただ… 敵意を向けられると、どうしていいか分からないだけだ」
 「あぁ、それは分かる」
マルは、大きく頷いた。
 「面と向かって反逆されると、そりゃ嫌だな。余ならそういう生意気な連中は焼いてしまう。――だが! 貴様はワガママすぎるぞ。」
 「わがまま?」
ルークのほうに向き直ると、少年は何故か胸を張った。
 「余など誰もいないのだぞ! 逆らうどころか、崇めてくれる者は誰もおらぬわ。将来下僕になる予定のリーザを除けばな」
 「いや、それは…」
 「そもそも貴様はどうしたいのだ。」
 「どうって…」
ルークは、視線を線路の果ての闇に戻した。それは、ずっと前から決まっている。西の海を越えて、レムリアに辿り着く前から。
 「…知りたいんだよ。あいつが、何で海を越えたのか。何思って、この大陸で百年生きてきたのか。人間として暮らすことも出来たはずなのに、何で、今になってあんなことをしたのか。そうでなかったら、おれは――ただ、昔の自分の半分を殺しただけになるんじゃないか、って…」
 「聞いてみたのか? 貴様が倒した半分に従った連中に」
 「いや」
 「なら、まず聞いてみればいい。簡単な事だ。自分だでぐだぐた考えても時間のムダだ。さあ、結論が出たらとっとと寝るぞ。余はもう眠たい」
 「――マル」
 「何だ?」
髪を撫で付けながら車内に去りかけていた少年が振り返る。
 「ありがとう」
 「ふん、いつぞやの借りを返しただけだ。それに、貴様がいないと、この先の旅がうまくいかんからな。」
にやりと笑い、マルは去ってゆく。ルークも、風に当たりすぎて冷たくかじかんだ指をさすりながら後に続いた。
 そう、あの時、聞いてみればよかったのだ。エレオノーラと名乗った、あの喪服姿の女性に。そうしなかったのは、恐ろしかったからだ。あの女性の口から、人間として暮らしていた頃のハリールードのことを聞きたくなかった。もし少しでも同情してしまったら、あるいは共感してしまったら――、ハリールードを倒してしまったことを後悔するようになるかもしれない。
 (それでも、あいつは、おれを殺そうとした)
胸に拳を当てる。
 (ジョルジュさんや町の人たちも。”巨人の信奉者”たちも、利用するだけして見殺しにしようとしていた…)
かつて覚えた怒りに重なりあうように蘇ってくるのは、偽りなき涙を流していたエレオノーラの姿だ。
 分からない。一体どちらが、本当のハリールードなのだろう。
 


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