<第三章>

の城



 解散といっても、向かう先はほぼ同じだった。 
 マルとバルゴスがアネットについていったほか、ミズハとジャスパーはルークと一緒に町へ行くことになった。今回は船旅ではないから、保存食や海図の買い出しは要らない。強いて言うなら、ジャスパー用の着替えと旅の道具の準備、くらいか。
 「ジャスパー、その姿の時は何食べるんだ?」
 「魚系ならなんでもイケるぞ。焼いてても煮てても問題なし」
そういえば、”世界の果て”に泳いでいた色とりどりの不思議な魚も美味そうに食べていたな…と、ルークは思い出した。干した魚くらいなら大陸じゅうどこでも手に入るから、非常食はあまり持たなくても大丈夫そうだ。
 「なあ、ほんとについてくる気なのか?」
 「当たり前だろ。俺一人待っててどうすんだよ。元に戻る方法もわかんねーし…。」
ジャスパーは、恨めしそうに腕にぴったり張り付いた平らな銀の輪を見つめた。
 そう、協会でさんざん聞いて回ったが、シェムスール人の遺産で「人に化けられる」輪など記録のどこにもなかった。魔法使いたちに関する限られた記録の中にそうした変身道具が出てくることはあるが、それらの取り扱い方は、どれも今回のケースには当てはまらなかった。
 「一生このまま海に戻れなかったら、俺どうしよう…」
 「それはないだろ。どうしてもダメだったら、ヴェリザンドに聞きに行こう。それとも、腕切り落としてみるか?」
 「やめろよー、俺のは一回無くしたらもう生えてこないんだぞ。お前じゃあるまいし」
 「ははは」
笑っていると、ジャスパーがいきなり、その首をぐいと掴んで引き寄せた。無言でわしわしとルークの頭髪をかき回す。
 「な、なんだよ」
 「いや… お前変わったなぁ、って、なんとなく…こう」
 「は?」
 「昔は無表情だったから、らしいよ」
側を歩くミズハが補足する。「前から言ってたもの。昔のルー君は愛想がなくて、ちょっと心配になるくらいだったって」
 「ああ――」
記憶を無くして再生する以前の話だ。
 「あっちのおれとは、もうほとんど別物だから。ほら、離れろよ。苦しいって」
人間の姿の時でも、ジャスパーの力は強い。おまけに上背もあって、人間年齢ではそう変わらないはずなのに、ルークとは比べ物にならない体格だ。

 商店街に入ろうとした時だ。
 「あら」
向こうから歩いてきた、どこか見覚えのある少女と出くわした。特徴のある巻き毛、聞き覚えのある声――、通信技師のエリザ・アーベント。
 ぱっと明るい表情になったかと思うと、少女は、一直線にルークのほうに駆け寄ってきた。
 「お久しぶりです、ルークさん! その、一年ぶり、ですね」
 「エリザ…、どうして、まだこの町に? 本部に帰ったとばかり…」
ヴィレノーザから来ていた協会の職員は、本部機能が戻った時、一緒にラヴィノーザに帰還したはずだった。
 「そうなんですけど、今、通信機が全然使えない状態でしょう。お陰で仕事なくって…。休暇をとったので、久しぶりにこの町に来てみたんです。ルークさんたちも戻ってきたって聞いたし… あっ?!」
ルークだけ見つめていた少女は、傍らに立つもうひとりの男に、遅ればせながら気がついた。見る見る、エリザの顔が赤くなっていく。
 「あ、あの、こちらは?」
 「あー、その。従兄弟…かな」
 「ジャスパーってんだ。よろしくな」
 「あ、え、えっと。はじめまして、エリザ…です」
エリザは真っ赤になりながら俯いた。おやおや、とルークは心のなかで思った。ルークの時より顕著な反応だ。相手の正体を知ったら、きっと驚くに違いない。
 「ヒマならデートに誘うとこなんだがな、お嬢ちゃん。俺らちょっと用事あるんだわ。な。ルーク」
 「あー、うん。ちょっとね。じゃあ、エリザ」
 「あっ」
まだ何か言いたげな少女を置いて、ルークたちはさっさと近くの店に逃げ込んでしまう。後から、ミズハが追いかけてきた。
 「ちょっとー、二人とも酷いじゃない」 
 「いや、ああいう雰囲気、俺ムリ」
 「分かるよジャスパー。女の子って面倒だよな」
 「……。」
ミズハは、無言で二人の背中に一発ずつビンタを食らわした。


 そんな思いがけない再会もありつつ、買い物を無事済ませ、丘の上の家に引き上げたのは昼過ぎのこと。
 「あ、しまった」
リビングで旅行用の荷物をまとめていたルークは、手帳を買い忘れたことに気がついた。いつも、調査に出た時に使っている耐水性の記録用手帳だ。何かメモしておきたい時に重宝するもので、前回の航海で、ほとんど使い切ってしまっていた。
 「ごめん、ちょっと忘れてたもの買いに行ってくる」
上着を引っ掛け、駆け下りる丘からの坂道に伸びる影は、既に夕刻のもの。太陽は波間を輝かせながら西へ傾きつつある。見慣れているもののはずなのに、ルークは、ふと足を止めてしまった。
 美しい。
 どこまでも続く海。大陸の南から遠く広がる、見渡す限りの水平線。物心ついてからずっと、――文字通り、この町で人間として暮らし始めてからずっと、いつも見続けていた。明日には、またここを去り、しばらく見ることはできなくなる。
 どのくらい、そうして立っていただろう。
 視線を感じて振り返ったルークは、じっとこちらを見つめて佇んでいる女性の姿に気がついた。
 いつからそうしていたのか。この季節に似合わない長袖の黒いワンピースに身を包み、長い髪をひとつにまとめあげ、悲しげな、物言いたげな視線をルークのほうに投げかけている。だが、視線が合ったのは一瞬のこと。女性は、するりと背を向け、町のほうに向けてゆっくりと歩き出した。
 その腕に、見覚えのある金色のものが一瞬だけちらりと見えた。
 (あれは…)
ルークは、慌てて女性の消えたほう、海の見渡せる高台へと続く階段のあるほうへ駆け出した。初めてその腕輪を見たのは、ロカッティオの町だ。その後、それが自分の過去に深く関係していることを知った。
 (巨人の信奉者―― なぜ、ここに?)
ヴィレノーザ襲撃後、利用されていた”巨人の信奉者”たちの大半はこの町へ運ばれて手当を受けたのち、それぞれの住んでいた場所で元通りの生活に戻っていった。ハリールードに付いて本気で国家連邦の転覆を目論んだ者たちは、厳重な監視をつけられた上で所属国の牢獄に収監されたと聞く。ハリールードが消滅した今、彼らをこの町に留めるものは、もう何もないはずだ。

 黒いワンピースの女性は、足を止めることも振り返ることもせず、階段をゆっくりと上ってゆく。後ろにルークがついてくることを疑いもせず、どこかへ導こうとしているようだ。傾いた日の作る影が町に落ち、石段は影の中にすっぽりと包まれている。
 登り切った時、視界が開けた。
 夕日に照らされた暖色の世界。今まで影の中にいたせいで、ルークは眩しさに手をかざした。さっきの女性は、どこだろう?
 「――来てくださったんですね」
振り返ると、階段を上がりきったすぐの影の中に、その女性は、影の一部のようにして立っていた。
 「あなたは? おれに、何か用ですか」
 「はい」
女性は、腕輪を嵌めたほうの腕を、もう片方の手で持ち上げ、よく見えるようにした。刻まれた、2つの輪。間違いない。
 「”巨人の信奉者”…」
 「父はこの町で死にました」
涙をこぼすでも無く、ただ悲しみだけを湛えた女性は、静かにそう言った。ルークは、驚いた。ゴーレムの元として利用された人々の中には、一時手に危篤状態に陥った人もいたが、すべて息を吹き返したはずだ。それは確認した。あの戦いのあとの半年間、彼自身、何度も病院に足を運んでいた。
 ルークの困惑を上書きするように、彼女は、さらに言葉を重ねた。
 「私の名はエレオノーラです。エレオノーラ・ノイマン… いえ、名前などどうでもいい。私の父は、ハリールードです」
 「!?」
ハリールードの娘!
 思いもよらない言葉に、ルークはますます混乱した。どういうことだ? 人間として暮らしていた間に、妻子を持っていたのか?
 「そのご様子からして、何もご存知無かったのですね? 何も聞いていらっしゃらない?」
 「ええ…あの、本当に? えっと… すいません、どう言えばいいのか」
 「私はただの人間です」
女性は目を伏せた。「あなたが心配されているような、血のつながりはありません。」
 「え…」
 「”養女”なんです。それでも私には、本当の父のようだった。」
視線を伏せると、濡れた長いまつげの上に、ほつれた髪が一筋、垂れた。
 「私は知っています。貴方がかつて父の半身であったこと、父を殺した人であることも。」
言いながら、手元に隠していた黒い、細長いものを引き抜いていく。
 「私にとっては… ただ一人の家族でした…」
悲しみを湛えた瞳が見開かれ、次の瞬間、細い体がルーク目掛けて覆いかぶさってきた。黒髪が舞い散り、鋭い刃先が夕日を反射する。ルークは、とっさに攻撃を交わして、女性の体を脇に突き飛ばした。
 「あっ!」
手からナイフが飛ぶ。地面にたたきつけられてなお、そちらに手をのばそうとするのに気づいて、ルークはナイフに飛びついた。そして、それを更に遠くの茂みの中に放り投げる。
 「あ…あ…」
土と草にまみれながら、エレオノーラは両手で口元を覆い、その場に俯せた。嗚咽が漏れる。
 「こんなことをしても無意味だ。おれのことを知ってるなら、分かってるはずだ」
刺されたところで、死ぬことはない。だが今、ルークの胸は、本当に刺されたように痛みを感じていた。
 ハリールードには、こんなに思ってくれる”家族”がいた。
 ならば、何故――?

 泣きじゃくるエレオノーラをその場に残し、買い物を済ませて帰ってからも、ルークの胸の痛みは収まらなかった。
 


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