<第三章>

して、それから



 ――二十年後。


 遠い世界の小さな振動音が、彼を夢から現実に引き戻した。
 チリリリン、チリリリンと忙しないその音はだんだん大きくなり、やがて部屋の輪郭が浮かび上がるとともに、すぐ側の机の引き出しから聞こえるようになる。もぞもぞと毛布の中から腕だけ伸ばし、手探りに引き出しを開け――、目は閉じたまま、枕元に通信機を引き寄せる。
 「はい? もしもし」
 『あー朝早くからごめんねえ。まだ寝てた? 試験勉強期間?』
 「いーえ、ただの低血圧です」
 『あ、そう…』
寝返りを打って、少年は、くしゃくしゃの銀灰色の髪を掻きあげた。もともと少し癖っ毛だが、実家を出てこのかた櫛というものに縁がないので余計に絡まっている。
 少し意識がはっきりしてきた。安物のカーテンから差し込む眩しい光は、六畳一間の下宿の狭い天井に反射して、ゆらゆら揺れている。遠くから、朝練習に励む運動部の元気な声。それ以外は何も聞こえない。
 「――で、何か用ですか、ウォーレン支部長」
 『もう、アーノルドで良いって何度も言ってるのに。まぁいいけど。…実はねえ、先日レムリアで旗揚げした例の”火の国”がね。建国祭をやるんで挨拶に来いとか、また面倒なこと言ってきてるんだよ』
 「…はあ」
通信機を枕元に置いたまま、片腕を額に載せる。海の向こうの大陸は、神魔戦争以降、地形や気候が大きく変動し無人状態になっていた。その大陸の一部が再開拓され、移住が開始されたのはつい最近。先導した、自称・炎の魔神なる人物とは、彼も縁明からぬ関係だ。というより、元・ご近所さんだ。
 「まさか、僕に行って来いとか言いませんよね」
 『え…』
 「無理ですよ、学校あるし」
ようやく目が冷めてきた。起き上がって、椅子にかけてあった上着を手にとり、通信機を机に上に置く。
 『そこをそう言わずに…頼むよ、ルーミス君~。相手が相手だからさぁ、うちの国のお偉いさんが、どうしても誰か付けて欲しいと言いはるんだよ。ほんとは君のご両親がいれば良かったんだけど、二人とも、今、海に出ちゃってるだろ?』
 「兄貴に頼んでくださいよ。」
 『彼も今、西の海なんだよねえ』
 「またか…。」
鏡を覗きこむと、寝起きのひどい顔が写った。父親によく似た面立ちに、瞳だけは母親譲りの緑。ちょいちょいと前髪だけ直して、上着を羽織る。沈黙している通信機の向こうでは、人のよい小太りのフォルティーザ支部長が、どう説得したものかとオロオロしているに違いない。父の昔馴染みの石マニア、人の良さには定評のある、ルーミスもどこか憎めない人物。
 ため息まじりに、少年は通信機に向かい直した。
 「…分かりましたよ…。で、どうすればいいんですか」
結局、いつもこうなるのだ。
 『あ、ありがとうルーミス君! 今回は大奮発だよ。なんと飛空艇の使用許可が降りたんだ。今、ヴィレノーザの寄宿学校だよね。すぐ迎えを手配するからっ』
 「は? 今すぐ? これから?」
 『レムリア行きだよー。何しろ距離があるからさ―』
やっぱり、請けるんじゃなかった。
 ため息をついて、通信機の蓋を閉じた。何だって日曜の朝から、こんな忙しないことになってしまうのか。ゆっくり寝るどころか、久しぶりに部屋の掃除をする暇もない。
 机の端には、家族の写真。
 好き勝手にそれぞれの道を生きていて、滅多に全員が揃うことはない。そう言う自分も、今から海の向こうの大陸などという場所に出かけようとしている。きっとそういう運命なのだろう。

 二十年前、最後の”神々の戦い”が終わった。
 この世界は「創世の女神」によって創られ、新しく生まれ変わった。
 女神が最後の仕事を終えて休息したあと、巨人の王は、女神の娘と世界を回る旅に出た。
 そして、彼らは今――

 荷物を詰め込んだナップサックを片手に、食堂に駆け込んでパンを一枚。ついでに、寮母に声をかけていく。
 「すいません、ちょっと一ヶ月くらい出かけてきます。」
 「あらあら、また調査に引っぱり出されるの?」
 「です。文句はウォーレン支部長にお願いします。いってきまーす」
パンをくわえつつ駆け出す門の先、町並みの上に広がる晴れた空の下には、人がまだその果てを知らない世界が、広がっていた。




<完>


表紙 ┃ 戻る ┃ 終了