<第三章>

ピローグ


 それから、三週間ほど後――。

 ルークは、裏の港の桟橋で、ハーヴィ号の点検をしていた。ジャスパーは海竜の姿で桟橋の上に顎を載せて日向ぼっこをしている。エレオノール号はフォルティーザの港に入港して乗務員を降ろしてすぐ、西の海へと向かった。メテオラ包囲戦のためだ。バージェスが消滅し、飛空艇で出撃した大半の市民が戻らず、リブレは混乱状態にあり、その援助が無いままメテオラと国家連邦の間は開戦した。
 開戦と同時に、いったんは国家連邦から離脱した国々がメテオラの呼びかけに応じずだんまりを決め込み、中立路線を保ったことで、今の戦況は五分以上という。包囲網が完成し、外部からの補給が絶たれれば、いずれ短期に決着はつく、と、新聞は報じている。メテオラ側についた国でも内部の不満が高まり、政府転覆や軍務法規の動きがある。内部からの切り崩し工作だろう。いずれにしても、ルークたちの出る幕ではなかった。

 船に持ち込んだラジオからは、ニュース番組がひっきりなしに戦況を報道している。
 リブレ内部で分裂があり、その一報が外の世界に相互援助を求めているというニュースも流れていた。神を頼りとして生きていた人々が、神のいない世界を受け入れるまでには、まだ時間がかかるだろう。神託も、ヴァージニーのような指導者も失ったリブレの人々は、いまだ自ら決めて生きることが出来ずにいる。それは、ハリールードを失った”巨人の信奉者”たちと同じだ。しばらくは混乱が続くはず。

 少し休憩しようとデッキに出てきたルークは、ジャスパーがまだごろごろしているのに気づいて、船から飛び降りた。
 「鈍ったんじゃないのか? ジャスパー」
鼻面を突いて、ポケットから取り出したシェムスールの石を海水につける。青白い輝きとともに、ジャスパーの唸り声が人の言葉に変わった。
 「うっせーな、まだ調子でねーんだよ。俺、あん時、ほんとマジ相当頑張ったんだぞ。」
 「マルもそんなこと言ってたけどな」
 「むしろ、お前と姫っちが何でそんなにピンピンしてるのか知りたい…。」
桟橋に腰掛けて、穏やかな港の風景を眺めていると、霧の巣での出来事が嘘のようだ。
 「あ! いたいた。ルークさーん」
弾むような声が町のほうから近づいてくる。肩まであるカールした髪をなびかせながら桟橋の上を駆けてくるのは、エリザ。びくっ、となったジャスパーが、そろそろと海水の中に沈んでいく。ルークのところまで駆けて来たエリザは、ルークに目もくれず、きょろしょろと辺りを見回した。
 「あれー? 今日、従兄弟さん来てるって聞いたんですけどー。一緒じゃないんですか?」
 「あー、どっかふらふらしてるかも… ここには来てないよ」
 「そうですかぁ」
少し残念そうな顔をしたものの、すぐにエリザはぱっと明るい笑顔に戻る。
 「それじゃ、また探してみますねー。従兄弟のジャスパーさんに宜しく!」
駆け戻っていく後ろ姿が十分遠くなったのを見計らって、ジャスパーがそっと水面に顔を出す。
 「あいつ最近毎日居ない?」
 「配置換えを希望したらしいよ。こんどから、フォルテ支部勤務。」
 「まじで」
一目惚れの一念、というやつだ。ルークは、ちらと足下の水面を見やった。
 「…いい加減、正体ばらしてやったほうがいいんじゃないのか」
 「やだ」
 「何で」
 「それでも追われる気がする。あのテのタイプは思い込み激しそうだし。」
 「…なら、付き合うか振るかちゃんとしろよ」
 「……。」
むすっとした様子で、ぶくぶく泡を吹き出しながらジャスパーはぼやいた。
 「何でこんなことになるんだよォ…」


 ジョルジュはヴィレノーザ本部で、フォルティーザを含む他支部からの報告を受けていた。
 「…成る程。はい、ええ。分かりました、ではそのように…」
通信を切って立ち上がろうとしたとき、戸口に立っている黒髪の女性に気づく。
 「忙しそうねぇ、相変わらず」
 「ええ、相変わらずです。カーリーさんは何時こちらへ?」
 「ついさっきね。はい、報告書。」
言いながら分厚い封筒を差し出す。ジョルジュは指で眼鏡を押上げた。
 「いかがでしたか、神魔戦争の決着を間近に体験するというのは」
カーリーは肩をすくめる。
 「走馬灯が回って、うっかり自伝小説を書きそうになったわ」
 「それは、それは…。」
カーリーの差し出した封筒を受け取りながら、ジョルジュは尋ねる。
 「戻るんですか、谷へ」
 「その前に、久々にロカッティオに寄ってくるわ。師匠に報告したいことも色々あるし」
神魔戦争の全貌と顛末、世界の理の変わってしまった原因。ドン・コローネがずっと知りたがっていた、沢山の物語を。
 部屋を出る直前、足を止め、カーリーは言った。
 「――ねえ、ジョルジュ君。覚えてる? ロカッティオで三人で話したこと」
 「三人―― ええ」
ジョルジュとハロルド、カーリーの三人で初めてロカッティオを訪れ、ドン・コローネから旧世界の話を聞き、いつか世界が変わってしまった原因を探り当てようと誓ったあの日のことは、何十年も経った今も、若かりし日の思い出として胸の奥にくすぶっている。

 一体誰に世界を作り替えるなどということが出来るのか、と問うたハロルド。
 そんなことが出来るとすれば、北天の神王か南海の女王しかいない、と答えるドン・コローネ。
 「それなら直接会いに言って聞けばいい。」
ハロルドは即座に答え、どうせなら美女のほうがいい、と笑って海へ漕ぎだしたまま消息を断った。なぜあの時、止めるか一緒についていかなかったのか、と、何度思っただろう。無謀で愚かだった自分を思い出す苦い思い出の痛みは消え、今はただ、かすかな疼きとなって残るだけ。

 「結局わたしたちは、誰ひとり道を間違わずに辿り着いたわけね」
 「…そうですね」
あの日の誓いの結実を、遠い海で、ここにいないもう一人も祝福してくれるだろうか。


 「わあ」
初めて見る海に、ユージェニーは目を輝かせて声を上げた。丘の上からは、フォルティーザの町並みとともに町から続く港も、その先の南の海も、よく見渡せた。
 「綺麗でしょ、ここが、あたしたちの町」
 「ええ。素敵ですね。とっても」
バージェスとともに”霧の巣”へ向かったリブレ人の結末とヴァージニーの最期のことを聞いて落ち込んでいたユージェニーも、このところ少しずつ元気になってきていた。戦況が流れるたびに表情が曇るのは変わらないが、こうして散歩に出られるくらいには回復している。人の多いヴィレノーザよりは落ち着くだろうということで、フォルティーザに身柄を移されたのが良かったようだ。
 「それで、あれが、この町に逃げてきた”白い森”なんですね」
 「うん」
ユージェニーは日差しに手をかざしながら、空に向かって伸びる白い枝を見上げた。
 「いまだに、これが何でここに来たのかよくわかんないんだよねー」
と、ミズハ。
 「話シてみましょうか」
ユージェニーは、鐘を取り出した。さわさわと森の枝が揺れる。
 「あら…」
 「大丈夫、この人は敵じゃないよ。」
枝の動きが止まり、その先にぽつぽつと光が灯る。
 「なんだか、ミズハさんのことが気に入ってるみたいですねえ」
 「そうなの?」
 「それに、この子…」
近づいたユージェニーが、指先でそっと枝の先に触れる。
 「幼体だと聞いていまシたが、いつのまにか成体になっていたみたいですね。ああ、それで…。そうか、そういうことなんですね」
 「何か分かったの?」
 「この子、きっとあなたに惹かれてここへ来たんですわ。」
ミズハは、目をしばたかせる。
 「あたしに?」
 「はい。正確には、海の気配というか――保護の気配ですね。バージェス様の手元から逃れたかったのだと…」
ユージェニーは、瞼を伏せる。「…もうご存知なのですよね。わたくシたちは、バージェス様にお仕えするために創られたモノ。この子も同じです。これは、体内でコアを生成し、精霊を生み出す生き物… 生み出したものをバージェス様に差し上げることが、この子たちの役目でシた」
 「そっか。自分の生んだ精霊が食べられるのがイヤだったから、逃げてきたんだね」
二人は、白い森の枝の先に灯る光を見上げる。バージェスに道具として創られた生き物でありながら、長い年月の間に自らの意思を持ち、望みを持って判断した。それは、同じ様にここにいるユージェニーと同じように。
 「精霊っていなくなったって聞いたけど、また生まれてくるんだね」
 「そうですね。すぐには無理でも、長い年月をかければ――きっと」
頷くように、白い枝がさわさわと揺れる。その時にはきっと、この森は色とりどりの”精霊の灯”に彩られた、賑やかな場所になっているに違いない。


 町の広場に戻ってくると、何やら賑やかな人だかりが出来ていた。
 「――というわけで! この炎の魔神様とともに新天地を目指してくれる国民を絶賛募集中である。志願者には即、土地付き一戸建てを進呈! 能力しだいでは重臣のポストも思いのまま!」
真ん中で演説をぶっているのは、バルゴス。鼻から炎を吐きながら、大真面目だ。聴衆の中にいる小さな子どもが、母親のエプロンを引いて指さしている。
 「ママ、あれ何? とかげ? もえてるよー」
 「こらーそこの幼子! それがしは由緒ただしい炎の魔神様の聖獣で――」
 「マル君、何やってるの?」
人混みから、ミズハがひょっこり顔を出す。マルは、バルゴスの隣でふんぞり返って、似合わないマントなど羽織っている。
 「ふふん、バージェスもいなくなったことだし、余も、いつまでもサボっているわけにはいかんからな。初志貫徹、だ! 国に戻るための準備を…」
 「結局、力は取り戻せなかったよね」
 「むぐ」
 「もともと、バージェスをどうにかしたら力が戻ってくるかどうかも分からなかったし…うん、まあ、しょうがないよ」
ミズハは、ぽん、とマルの肩に手をやる。
 「諦めて堅実に生きたほうがいいと思うの。」
 「出来るかー! 人の世界で生きるなんぞ真っ平だ! 余は絶対、国を再興してみせるっ」
 「えー、それは止めないけど…」
 「なんだなんだ、賑やかだな」
港のほうからルークと、腰をかがめてやけにコソコソしたジャスパーがやってくる。
 「出たな巨人の王め。バージェスのことでは共闘戦線を張ったが、ヤツが消えた今となっては古えよりの宿敵同士、ここで逢ったが百年目。いずれ決着をつけてくれる! 覚悟するんだな」
 「はあ? まぁいいけどさ」
ルークは、頰をかく。
 「お前、結局、力は取戻せなかっ…」
 「またそれを言うかああ!」
周囲に集まっていた町の人々が大笑いし、釣られてユージェニーも笑う。その様子を、車で通りかかったアネットが見つける。
 「…皆、なんだか慣れちゃったわねぇ」
 「はは、人間いがいと慣れるもんですからねぇ」
同乗していたアーノルドが苦笑する。窓からマルの姿を見つけたリーザは、後部座席を自分で開けて駆け出した。
 「お兄ちゃーん、迎えにきたよー。」
 「おお、我が国民第一号リーザ! 出迎えご苦労!」
マルは駆け寄ってきたリーザを抱き上げ、びしっとルークを指差す。
 「晩飯が待っているからな、今日の所は見逃してやる! ではさらばっ」
 「おう、またな」
 「では、わたくシもこれで…」
ぺこりと一礼して、ユージェニーもマルの後に続く。運転席のアネットがルークたちに向かって手を振った。
 リーザとマル、ユージェニー、それにバルゴスが後部座席に乗り込んでドアが閉まると、車は、アネットの家方向を目指して走りだした。車が見えなくなってしまうと、ルークは耐え切れなくなって思わず吹き出した。
 「あんだけ餌付けされて、魔神だとか国の再興とか言われてもな」
 「んー。意外と、出来るのかもよ? マル君、けっこう一途だから。」
 「そういうもんか?」
海岸通りに向けて歩き出そうとしたとき、三人の後ろから甲高い声が響き渡った。
 「ジャスパーさあぁん」
 「げっ…」
振り返った三人は、通りの向こうから花をまき散らしながら駆けてくる”恋する乙女”の姿を見とめた。ジャスパーは既に逃走体制に入っている。
 「やっと見つけましたあー。二人でお食事でもどうですかー?」
 「うわあー!」
逃げようとするジャスパー。追いすがるエリザ。二人の姿は、海岸通りのほうへ小さくなっていく。
 「…帰るか。」
 「そうだね」
戻ってきてから毎日こんな調子で、海岸通りを二人で歩くのも久しぶりだ。
 「体、大丈夫か? 疲れとか筋肉痛とか」
 「そういうのは全然。ルー君は?」
 「おれも、全然。むしろ、こんなに暇でいいのかなって思う」
ミャウ、ミャウと鳴きながら海鳥が頭上を通りすぎてゆく。ふと足を止め、ミズハは空を見上げた。風で流れた雲が細い筋になって広がっている。
 「――サラサさんとは、今も時々話してるのか?」
ミズハは、首を振った。
 「あれからは、全然」
穏やかな海風が吹いてくる。ここのところ、日が暮れれば肌寒い。季節は間もなく、また冬に差し掛かる。
 暖かくなったら、また海に出たい。
 世界はまだ落ち着かないけれど、仕事でなくてもいい。どこか、まだ見たことのない場所へ行ってみたい。


 数年前、この港を出た時は、まだ何も知らなかった。出会ったばかりの頃は、いずれ起きる出来事を夢にも思わなかった。
 けれど季節は移ろい、時は過ぎてゆく。
 今のこの瞬間も過去になり、自分たちが辿った道筋は「歴史」となり、発見したものは「既知」となる。いつかはこの世界の全てが地図や教科書に載る日もやって来るのだろう。いつか、遥か未来には――。


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