<第三章>

終章 世界の生まれる場所


 静かな日暮れ。
 荒れた海は濁った色のまま、千切れた海藻が波間を漂い、落ちた飛空艇やパラシュートの残骸が浮き沈みしている。島の周囲3ケルテほどの沖合には瓦礫の山が壁のように積み重なり、その上に降り注いだ溶けた岩が湯気を立てている。まるで、大型の嵐と火山の噴火が同時に起きた後のような惨状だ。
 けれど島の周囲だけは不思議なほど穏やかで、外の世界の影響は何一つ受けていないように見えた。
 打ち寄せる波は穏やかに、白い砂浜を洗っている。ハーヴィ号も、乗り付けた時のままそこにあった。何もかもが夢だったかのよう。赤い日暮れが背中を押す。エレオノール号と往復してここまで運んでくれたジャスパーが、疲れた様子で砂浜に長々と体を伸ばし、マルとバルゴスも、岩にもたれかかって力尽きている。
 ルークは、空を見上げた。
 そこにはもう、あの、浮かぶ岩は存在しない。


 岩の上に座っていたハロルドは、顔を上げた。 
 「やぁ、ルーク君。なかなか良いものを見せてもらった」
 「…ハロルドさん」
 「ミズハも、良い友だちが出来たな。」
何故かハロルドは、清々しい顔をしていた。「満足したか、サラサ?」
 ハロルドの後ろにしゃがみこんでいた白い影が、ふわりと起き上がる。振り返ったサラサの顔を見て、ミズハははっとした。
 「お母さん、…泣いてるの?」
言いながら、駆け寄る。「どこか痛かった? ごめんね、あたし――」
 サラサは首を振り、無言に娘を抱き寄せた。ルークは、ハロルドの隣に腰を下ろした。
 「さすがに、疲れました…」
 「大活躍だったな。ははは」
 「笑い事じゃありません。最後の最後で乗せられたのに気づきましたよ。」
いくらサラサとミズハが同質の力を持っていると言ったところで、桁が違う。本気で拒絶されたなら、ルークたちが無事で済むわけがない。それにサラサは、ミズハの体を借りて自由に行動することが出来ていた。ミズハの体に力を移譲するだけなら、本人の同意などなくても力づくで出来たはずだ。
 「試すつもりだったんでしょう。何でこんな面倒くさいことしたんですか?」
 「ケジメ、さ。彼女の言う”贖罪”かな。こうでもしないと、彼女の気が済まなかったんでね。」
そう言って男は、空を見上げる。光の翼を持つ海鳥たちが、空を舞う。その向こうに、暮れなずむ昼と夜の境界の色をした空が、満天の星をたたえて広がっている。
 「彼女がこの世界を支配する自分の力に不安を持っていたのは本当だ。ミズハと君が許してくれるなら、本当に全て託して、過去の世界を滅ぼした元凶として消えるつもりだったんだよ。私はどっちでも良かった。彼女が選んだ道に従うつもりだった――」
 「…両親を同時に失くすことになるんですよ。ミズハがうんというわけないじゃないですか」
 「目の前で人を殺した両親でも?」
 「ええ。彼女はあなたの娘ですよ。そのくらい分かりませんか」
 「ははは。――そうだったな」
ハロルドは、何か話し合っている親娘のほうにちらりと目を向け、再び空を見上げた。
 「ここから夜空を見るのは、島に来てから初めてだな」
そんなことを呟く。
 「…だが、本当にいいのか? 彼女が今のまま存在し続けるということは…」
 「いいに決まってるじゃないですか。サラサさんはあなたの妻で、ミズハの母親です」
男は、意表を突かれたような顔をしてルークを見た。
 「初めて逢った時にハロルドさん自身が言ったことでしょう? ”存在を規定するのは他者に過ぎない”って。あなたが生きている限り、サラサさんは人とともに生きる存在であり続けるんだって。たとえ人の寿命には限りがあるとしても――共に過ごした時間は胸の中に残ります。そうじゃないですか?」
そう言って、ルークはハロルドの顔を見返した。一呼吸おいて、日に灼けた無精髭の顔に笑みが広がっていく。
 「――そうだったな。」
あの時は届かないと思えた背に、今ようやく、追いつくことが出来た。あの時は隣に座っていても分からなかった言葉の意味が、今なら分かる。この男の歩いてきた道と、その先にあったものと。
 「彼女は、世界を創りし女神であり、旧世界を滅ぼした大魔王であり、―― 一人の女性だ」
 「ルー君」
ミズハが駆けて来た。
 「船が来る、ってお母さんが言ってる。たぶんカーリーさんの乗ってた船だよ。」
 「ああ、心配して迎えに来てくれたんだな。」
へばっていたジャスパーたちも、いい加減動けるようになっているかもしれない。
 「帰ろうか。」
 「うん」
宵闇の中、佇むサラサの姿は、朧気な白い光をまといつつ在る。
 「じゃあまたね。お母さん」
サラサは、頷いて手を振った。
 「ルーク君」
ハロルドが、立ち上がりかけたルークの耳にそっと囁く。
 「そっちも頑張れよ」
 「…頑張ります」
 「ミズハもな。元気で、また顔見せに来なさい」
 「はーい」
去ってゆく二人の姿を見送りなから、ハロルドは、側に立ったサラサを見やった。
 「変わったな、君も」
小さく微笑んで、かつて「南海の女王」と呼ばれた存在は、手を重ねた。
 全ての存在は、新たな世界で姿を変えてゆく。世界を創造した者でさえも例外ではない。


 話を聞き終えて、カーリーは、ひとつ息をついた。
 「――そんなことが、ねえ」
手すりの外には暗い海が波立っている。フォルティーザへ向けて帰還中のエレオノール号の甲板。潮風が吹き抜ける。船尾には、ハーヴィ号が牽引されている。力を使い果たしたジャスパーは人の姿のほうでマルと一緒に船室の二段ベットにぐったりしている。ルークも疲れてはいたが、不思議と頭の芯が冴えて疲れに打ち勝っていた。
 「いまだに不思議なんです… どうしてバージェスはあんなことをしたのか。これじゃまるで、自殺だ」
 「そうねえ…」
カーリーは、ぽりぽりと頭をかく。
 「わたしは、分かるような気がするわー。どうしても欲しくて欲しくて仕方ないほど素敵な人がいて、その人は全然振り向いてもくれなくて、怒り任せに壊してしまおうにも相手のほうが強くて、そのうち手も届かない場所に行ってしまったら、どう思う?」
 「……。」
 「それでも待つつもりだったのよね、バージェスは。何億年、だっけ? 人間でいえば何十年とか。そこまで想っていたのに、その相手はあっさり自分なんかより弱くてちっぽけな別の誰かとくっついて、その相手に影響されて人間らしくなっちゃったりしてさ。悔しかったんだろうなあーって」
 「何ですか、それ。バージェスが本気でサラサさんのことを好きだったみたいに聞こえますよ」
 「あはは、ものの例えよ。愛情とは違うんだろうけど、”欲しい”って思ってたのは事実じゃない? 憧れっていうのか…さ」

 ”――あれは、光が好きだった。闇の世界で生まれたから”

眩しくて、暖かくて、闇の中から見るそれは、あまりにも美しすぎた。けれど、どんなに欲しても手は届かない。
 「変質するっていうのは、なんていうのかな、人間に近くなるっていうことでしょ。ミズハさんのお母さんが人間の気持ちを理解するようになって、ただの傍観者じゃなくなっていくってことは、バージェスにとって我慢ならないことだったんだと思う。だから焦っていたんでしょうね。うまくすれば、ハロルド君を始末して――なんて思ってたのかも」
ルークは、ため息をついて手すりに額を押し当てる。
 「…やっぱり、よく分かりませんよ、それ…。」
足下の暗い海に、船体が立てる白い波が見える。夜風に冷えた手すりの感触が、生きて今ここにいることを実感させてくれる。
 「そうだ。救助したリブレ人って」
 「あー、うん、十人くらい…かなあ」
カーリーは歯切れが悪い。「ごめんね、ジャスパー君も援軍に来てくれたんだけど、あんまり助けられなくて」
 「いえ」
やっぱり、サラサの「みんな死んだ」は、嘘だったのだ。ほっとすると同時に、サラサとのあの時のやり取りが思い起こされた。
 「ハロルドさんも、サラサさんと一緒に死ぬつもりでしたよ」
 「――そうね。らしくない、って思うのは、わたしが昔の彼しか知らないからよね。変わったってことだわ、…彼も」
髪をかきあげ、カーリーは、なぜか寂しそうな顔をした。
 そして、振り返って少しだけ、ぎこちなく微笑んだ。
 「ちょっと冷えてきたから、先戻ってるわ。ルーク君も無理しないでね」
 「はい」
船室のほうへ消えてゆくカーリーの後ろ姿を見送った後、ルークはまだ星空を見上げていた。

 眩しくて、憧れて、それでも届かないもの――

その感覚はよく知っている。ミズハが倒れた夜、”事象の水平線”に初めて迷い込んだあの時に。
あの時と同じように、夜空に向けて手を伸ばす。

 自由奔放で、元気いっぱいで、少しだけおっちょこちょいで、色んな表情を見せる白い鳥――

 「あ、ルー君いたっ」
船室から顔を出したミズハが、ぱたぱたと駆け寄ってくる。「さっきカーリーさんに会ったら、まだ外にいるって聞いて。風邪ひくよー?」
 「ああ、今戻るとこだから」
 「ほらー、こんなに手冷たくなっちゃってるし」
空に差し伸べていた手を少女の両手が包み、船室のほうへ引っ張る。手に伝わってくるぬくもり。引っ張られて歩きながら、ルークは、星空を見上げた。
 冷たく輝く月も、揺れるオーロラも、そこにはもういない。


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