<第三章>

終章 世界の生まれる場所


 とつぜん周囲の海が静かになったことに気づいて、カーリーは足を止めた。
 エレオノール号に甲板には、辛うじて助けだされたリブレ人が何人か横たえられて、救命処置を受けている。だがその大半は沖合まで流されていたのをジャスパーが引き上げてきたもので、島から一定圏内に着水したか、ボートなどで侵入した場合には、すべて救助前に光の矢に貫かれて命を落としている。徹底した絶対防衛圏。ルークの言うとおり、島に近づきすぎないで良かった、とカーリーは思った。
 風と波が止まったのは、そのごたごたの最中だ。
 ここからでは、島の辺りは分厚い雲に覆われていて何が起きているのかは伺えない。さっき、ひときわ大きな雷が走ったような気がして、水しぶきの上がるのが辛うじて見えたが…、決着がついたのだろうか?
 「バークレー博士!」
遠望鏡を手にした水夫が、見張り台の上から怒鳴った。
 「燃え盛る飛行物体が島方向より接近!」
 「たぶん、マル君ね。…」
近づいてくるバルゴスの姿が、ぐんぐん大きくなる。熱された風が甲板に叩きつけ、炎を纏った翼のあたりからマルがひょいと顔を出した。
 「おい女! 喜べ、戦いは終わったぞ」
 「もう?」
 「うむ。海の魔女の圧勝だ。というか、バージェスが何やらよく分からんことになっていて、試合放棄同然だったのだが…」
言いかけたとき、再び風が吹いてきた。ごう、と唸りを上げるような風に白波が立ち、エレオノール号の巨大な船体でさえ、大きく上下する。
 「ちょっと、何? まだ何か起きてるじゃないの」
 「そんなはずは…」
島の方から、飛んでくる白い翼が見えた。ルークも一緒だ。
 急旋回で甲板に突っ込むようにして降りてきたミズハと、投げ出されるようにして甲板に転がったルーク。ただならぬ様子に、ジャスパーも船のほうへ戻ってくる。
 「ちょっ…ルーク君…」
ルークは、よろよろ起き上がりながら波の飛沫を手で払った。
 「この海域から全力で離脱して下さい、カーリーさん。ジャスパー! マル! ちょっと手伝ってくれ」
 「は、はあ? 手伝うとは一体…」
 「今から、世界の命運を賭けた最初で最後の親子喧嘩が始まる」
ミズハは、揺れる船首に仁王立ちしていた。いつにないピリピリした雰囲気に、周囲の風まで毛羽立って見える。一つにまとめた栗色の髪がゆらりと風に舞い上がり、吸い込んだ息とともに周囲に白い鳥たちが次々と浮かび上がるる
 「お母さんの…」
きっ、と睨みつけた視界の先に、同じ様に島から舞い上がる鳥の”波”が見えた。
 「ばかあああ!」
滝のたたきつけるような羽音が、一斉に船から飛び立つ。カーリーとルークは、思わず頭を抱えて甲板に伏せた。
 「…という感じです」
 「よーく分かったわ…。機関室打診、面舵いっぱい! 全力転進180度!」
 「おれの体、頼みます」
言うなり、ルークの体が甲板に倒れた。次の瞬間には、船の側にゆらめくように、影の巨人が立っている。
 「ちょっと… 本気なの…」
ミズハが飛び立つと同時に、空から光の矢が降ってくる。大きな波のうねりが足元を洗う、カーリーは、慌ててルークの体を抱えて船室へ走った。
 「急いで! 巻き込まれたら死ぬわよ!」
さっきから、眼帯で覆われたほうの左の目が痛みっぱなしだ。直視したわけでもないのに、近くにいるだけでズキズキと痛む。
 (とんでもないことになってるじゃない、あの子たち…)
島の上空が輝いて見える。海も、空も、風も、全てが2つに分裂して渦巻きながらぶつかり合っているようだ。
 通信機がけたたましい音を立てる。
 「はいはいはい! 誰よ、こんな時にッ」
 『私です、カーリー?』
 「あージョルジュ君? 今とりこみ中よ。全力で逃げてるわ」
 『逃げてる? 何があったのですか? 先ほど、戦闘は終了したようだとの連絡が入って――』
 「えーそうよ。バージェスとかリブレの飛空艇とかの戦闘はね。でもメインはそっちじゃなかったの」
大きな波にぶつかった衝撃で、カーリーは通信機ごと壁に叩きつけられた。閉じているはずのドアの隙間からも波が侵入してくる。
 『――何が起きているのです?』
 「ミズハちゃんとこの親子喧嘩らしいわよ」
 『はい?』
 「南海の女王とその娘がガチンコで殴りあってんのよ! ルーク君たちも本気モードで行ったわ。細かいことはよく分からないの、ただ…」
一瞬だけ見た、さっきの光景が脳裏を過る。
 「ただ、四人の相乗効果で、それなりに良い勝負にはなりそうよ。どっちが勝つかなんて聞かないでね! こんな、作り物の目で見えるものなんて限られて…」
再び大きな波が襲い、ノイズとともに通信が中断された。海域の異変が電波状況にも干渉しているらしい。
 ため息をついて蓋を閉じ、カーリーは、潮に濡れてぐしゃぐしゃになった髪をかき揚げた。
 巨人としての本体が抜けだしたルークの体は、カーリーの脇に抱えられたまま、眠っているように見える。
 (――あんたたちが人間じゃないことなんて、忘れてたわよ)
椅子とテーブルの間で踏ん張りながら、カーリーは、心の中で呟く。「あの」ミズハの姿は、フォルティーザで一度、ハリールードの戦いの後、海に落ちたルークを探していた時に見ていたのに、なぜ気づかなかったのだろう。
 人間はあまりにも無力で、到底かなうはずのない存在―― 神魔戦争後の世界では消えてしまったはずのものたちがそこにいる。


 水しぶきとともに、鳥の群れが相殺して光の粒となって消える。ふっ飛ばされそうなるバルゴスを、影の巨人が受け止めた。ジャスパーが周囲の波を避けてくれていなければ、もろとも高波を被っているところだ。追いつこうにも、先頭をゆくミズハは、既に光の固まりのようにしか見えない。
 「おい、デカぶつ! どうすりゃいいんだよ、これ!」
バルゴスの背にしがみついていたマルが、顔を上げてわめいた。潮を被った赤い髪はぐしゃぐしゃだ。
 <サラサさんに、おれたちがサラサさんを止められるくらいの力は持ってる、って認めさせる>
 「はあ?」
 <そうしないと、考えを曲げてくれないと思う>
 「考えって…」
 <マルに頼みがある。思い切りやってくれ>
ひときわ大きな波が押し寄せて、影の巨人の巨体は、一度 頭まで全て沈んだ。ひっくり返ったジャスパーが足にひっかかる。
 (さすがに、強いな…)
それでも辛うじて生きていられるのは、自分の一部を鳥として飛ばす以外に、サラサが攻撃手段を持たないからだ。サラサとミズハの力は同質。つまり――波や風を操る力は、ある程度のところで相殺される。
 だが、あくまでそれは”ある程度”だ。ミズハはサラサの分身というべき存在だが、その力の威力は本体に及ばない。時間が長引くほど、じわじわと押されてゆくのは見えている。
 こちらから反撃できるとしたら、今しかない。
 <いくぞ>
 「お、おい…まさか…」
バルゴスの尻尾をむんずと掴んで、思い切り振りかぶる。
 「おま… それ…!」
渾身の力を込めて、全力投球。
 「ぬぅあああああぁ」
バルゴスの悲鳴が弧を描いて一直線に”霧の巣”目指していく。
 <ミズハ!>
ルークの呼び声に、少し先を急旋回していた白い翼が振り返る。巨人の腕がゆるゆると持ち上がるのを見て、ミズハは何が起きようとしているのかを悟った。
 岩が目の前に迫ってくるのを見て、マルは腹をくくった。
 「仕方あるまい。バルゴス! 全力でいくぞ」
 「は、はひぃぃ」
ドゴォン!
 落雷のような音ともに、大気を揺るがせて炎の固まりが岩の壁面に激突した。熱で大穴が空き、溶けて溶岩のようになった破片が流れ落ちていく。
 「おぉー…」
下から見上げていたハロルドは、軽く口笛を吹いた。
 「彼らも無茶するなあ。若いねぇー」
くすっ、と笑ってサラサは片手をふわりと差し上げる。新たに生まれた鳥たちが、落ちてくる溶岩を避けて舞い上がる。入れ替わりに落ちてきた溶岩は、岩の底面ほ支える見えない壁に遮られ、半円状の輪郭をなぞって海へと落ちてゆく。
 「ぐぬぬ… けっこう硬いな、この岩…」
 「マル様! 来ます!」
 「ぬあっ」
岩の真ん中に逆さまにめり込んでいたマルは、輝く鳥たちが向かってくるのに気づいて、慌てて周囲を溶かしてバルゴスの背に飛び乗った。 
 「撤退撤退!」 
大急ぎで飛び立つバルゴスの足元に、鳥たちが突き刺さり、光の粒となって消える。ミズハがその後を追って飛び込んできた。
 「マル君! 手伝ってっ」
 「え、え?」
 「この岩壊すよ!」
 「壊すって――」
オオオ、という低い唸り声。振り返ると、影の巨人が海の底から岩を掴みあげたところだ。大きく振りかぶり、さっきバルゴスにしたように、思い切りぶん投げる。
 「避けて!」
 「言われなくても、そうするっ」
ミズハとバルゴスがぱっと両側に飛びのいた、まさにその場所に、岩が突っ込んでくる。見る間にヒビが入り、岩が傾いた。割れた大きな破片が見えない壁にぶつかっては島の外へ落ちていく。本体の巨大な岩はゆっくりと沈みつつある。ルークの足下に、ジャスパーが首をもたげた。
 「ルーク、あの岩、壊すって一体…」
 <逃げ道を無くすんだ>
サラサの力なら、もっと早くあの岩を破壊出来ていたはずだ。おそらく、あの岩は意図的に全てを破壊せずに残された。いつか再びバージェスから身を守らねばならない時のため、いかづちに対する避雷針としての役割をもたせた保険として。そして、全て終わった後、自分自身を抹消するための道具として、残しておく必要があった――
 「何だかよくわかんねーが、そうしないとダメなんだな?」
 <ああ>
 「ちぇ、しょーがねぇな。お前がそう言うんなら、手伝ってやるよ。理由はあとで教えろよ」
ジャスパーはため息とともに、首を大きくもたげた。波が退いて海が割れ、海底が顕になる。
 「あんまもたねぇから、早くしろ!」
ルークは、頷いて海底の岩をしっかりと掴む。力任せに岩盤ごと引きちぎり、力いっぱい放り投げる。今度の岩は、さっきより大きい。地響きにも似た衝撃が大気を走り、雲を貫く岩が傾いだ。あと少し。波が押し寄せてくる。ジャスパーの海を割る力と、サラサの波とが相殺しあってジャスパーが流されている。再び岩盤を引き剥がしたとき、ひときわ大きな波が押し寄せて、ルークはよろめいた。岩の周りで、岩の吹き出した霧を切って光と炎が飛び交っている。島の周りに溶けて落ちた岩が海水を蒸発させ、白い煙があちこちから立ち上っている。
 (これで終わり…)
 力いっぱい踏ん張りながら、ルークは心の中で念じた。
 (当たれ――!)
空を切って弧を描いた岩の固まりが吸い込まれるように視界の果てへ消え、――雲が霧散した。


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