<第三章>

終章 世界の生まれる場所


 浜辺から外の世界を眺めていたハロルドは、ふと、入江に小さな箱が流れ着いているのに気がついた。白い布切れ――パラシュートが、箱の外側に絡まっている。箱の蓋がギシギシと音を立て、外側に向けて開いてゆく。
 「ほう」
ハロルドは、面白そうに顎のひげをこすった。「多方向に注意を向けさせて、うまく抜けてきた奴がいたか」
 箱の中から、人の形をしたスーツが立ち上がる。潜水服と防弾チョッキを合わせたような、奇妙な形状をしている。それは、砂浜にハロルドの姿を見つけると、即座に銃を抜いた。
 「おっと――」
とっさに後ろへ飛ぼうとしたハロルドの前に、光が疾走る。風とともに森の奥から飛び出してきた海鳥たちが、ハロルドの目の前で大きく旋回して侵入者に飛びかかる。スーツの首が飛び、銃が落ちた。下から現われたのは、毛むくじゃらの顔――、風とともに両手を広げて立ちはだかったのは、ミズハ。
 ハロルドは、のんびりとした口調で声をかけた。
 「君らしくないな。娘の友達の目の前で、手加減しすぎじゃないかい」
 <――そうかもしれない>
ミズハ、いや、ミズハの体を借りたサラハは、ふふっと小さく笑ってそう答えた。
 <でも、これはただのヒトではない>
少女は、深い海の色をした瞳で、赤いウサギの目を見つめる。ハロルドの、外の世界の知識に照らし合わせても、それはウサギにしか見えなかった。長い耳、ふさふさした毛に覆われた口元に覗く齧歯と、長いひげ。
 風を切る羽音が近づいてくる。少し遅れて、木々の向こうからバルゴスが姿を現した。
 「お前… ヴァージニー!?」
叫んで、ルークはバルゴスの背から飛び降りた。ウサギ…リブレ人は、重たそうなスーツを軋ませながら、ぎこちない動作で振り返る。
 「おやおや… 先回りされていまシたか」
その口調からして、ヴァージニーだと直感したのは正解だったらしい。素顔を見たのは一度きりだが、何故か分かったのだ。
 「ここへ特攻かけてくるなんて、どういうつもりだ。その武器、自分たちで使うつもりだったのか!」
ヴァージニーの足元には、メテオラ軍が使っていたのと同じ銃が、鳥たちに破壊されて白い煙を上げながら転がっている。リブレ人は、小さく笑った。
 「人の姿――人の武器ならば、感知出来ないと思いまシて…ね」
ちらりとミズハのほうを見る。ミズハの姿を借りたサラサは、微かに、呆れたような表情を浮かべた。
 <よく分からない執念ねえ>
 「貴女がいけないのですよ? 貴女が人間の男などにうつつを抜かすから」
ヴァージニーの背後で、箱が変形した。中から金属の細い足のようなものが這い出してくる。リブレで見た金属の人工生命――”ガーディアン”だ。
 「こんなモノに、変質させられようとは」
ちらりとルークのほうに視線を向ける。
 「下等な巨人や、取るに足りない人間などに至高の鳥が――」
言いかけた言葉が途切れた。海鳥のくちばしが、光の矢のようにスーツの胸を貫いたからだ。
 「おいっ…」
だが、そこから血は吹き出さなかった。代わりに、白い湯気のようなものが立ち上り、スーツはぐにゅりと溶け落ちてゆく。
 ウサギの顔が崩れた。湯気に包まれ、変貌していくそれを、ルークも、マルも、声もなく見つめている。再び面差しを上げた時、それは――ヴァージニーだったモノは、全く別の何かに姿を変えていた。
 「相変わらず刺激的だ、貴女は」
そう言った生き物は、まるきり人間に見えた。白に近い金の巻き毛はゆらゆらと揺れ、雲のよう。サラサによく似た象牙色の肌に白く纏う靄のようなローブ。そして、どこか残酷さを赤い瞳――
 サラサの冷たい声。
 <同位体をたくさん創ったのね>
 「ええ。他の生き物と混じらぬよう、人間とは姿を変えてね。お遊びで創った廷臣だったが、思っていたより利用価値があった。…はは、なぁんだ、やっぱり気がついていたんじゃないか。なら、どうして手加減なんかしたの」
 <……。>
 「これも生命である以上、故意に命を奪えないか。優しいな、貴女は。いつだって優しい。それなのに残酷だ。ただ眺めていることは、時として殺すよりはるかに残酷な――」
 「おいっ!」
マルが怒鳴った。
 「話が見えんが、この巫山戯た気配は覚えている。貴様、余の仇――バージェスだな!?」
自分を指さしている赤毛の少年のほうを振り返ることもなく、男はミズハの姿をしたサラサだけを見つめている。
 「どうしたの、殺さないの? さあ、殺し給え。外にはまだ、いくらでも換えがあるんだ。みんな殺さないとおしまいにならないよ。」
サラサは、嬉しそうに両手を広げ狂ったような笑みを浮かべる男から、微かに目を逸らす。鳥たちが舞い、海風が、遠くで鳴り続けている雷の音を運んでくる。
 ルークの頭は、この状況を理解すべく高速回転していた。リブレ人とは、バージェスが自らに仕えさせるべく創りだした生き物。そのリブレ人のヴァージニーが、目の前でバージェスに変わった。同位体。転生のための器。そのためにリブレ人を、玉砕覚悟でこの島へ突っ込ませた。リブレ人の誰か一人でも島に辿りつけたなら、その体に乗り移って――今もサラサがミズハの体を借りているように――彼自身も、島へ侵入できる。
 だが、何のためにそんなことを?
 「お前、サラサさんから力を奪い返すのが目的じゃなかったのか」
ぴく、とバージェスの表情が反応した。
 サラサだけを見つめていた視線が、初めて別の存在に振り向けられた。
 「サラサさんを倒しに来たんだと思ってた。けど、どう考えたって無謀だ。こんな戦力じゃかないっこない」
 「倒す? なぜ? 私は彼女が欲しかっただけだ。その彼女が、美しき至高の鳥が、空と海を統べし母なる存在が、永遠に消えてしまうなど許せない。」
 <……。>
 「消え…る…?」
 <存在の変質。交換すること。ミズハも同じ…>
静かな色を湛えた青い瞳が、傍らのハロルドを見る。バージェスは髪をかきむしり、血を吐くような悲鳴を上げた。
 「おお! やめろ、そんなことは! 貴女は変わってはいけない、そのままで―― 私は待つつもりだった。世界の境界線の向こうからでも、貴女を見ていたかったのに! 人の時間で何億年でも! 悠久の時を輝く星々でさえ、遥かな時間の中で何度も生まれ変わる――」
 「つまり、」マルがぽつりと呟く。「振られたくせに何億年単位でストーカーするつもりだったのか、貴様」
 「最低の男だよな」
ハロルドが同調する。
 「黙れ。価値も分からぬ者どもが…」
言いかけたその胸を、光が貫いた。
 ミズハ、ではない。島の中心部から舞い上がる鳥たちの群れが見える。サラサの本体が放った鳥たち、かつてここへ来た時、岩の周りを飛び巡っていたあの鳥たちだ。
 波しぶきが押し寄せて、鳥たちがその波にバージェスの体を突き落とす。ガーディアンたちも一緒だ。飛び散る飛沫に、島の周囲あちこちで同じ様に鳥たちが繰り広げるバージェスの分身たちとの戦いが写っていた。エンジン音が頭上から近づいてくる。上空、岩の上にいた飛空艇が、浮力を失ったように急速に地面に近づいてくるのが見えた。
 <最も暗い闇の中で生まれ、光に憧れた存在…。おしまいにしましょうか>
呟いて、ミズハは片手を振った。風が砂を舞い上げ、ルークは思わず腕で顔を覆った。森の木々が折れてしまいそうに軋み、もぎ取られた葉が空へ舞い散る。数秒の間、飛空艇のど真ん中が吹き飛ばされた。真ん中から折れるようにしてひしゃげた船が、炎に包まれながら海へと落下してゆく。雲を突き抜け、その雲が一瞬、人の顔を形作ろうとして―― 崩れた。
 重たい爆発音と、ひときわ大きな水の柱。聞こえない叫び声。
 そのときルークは、鐘の音を聞いたような気がした。大きな、重たい鐘が地面にぶつかって立てるような、ひび割れた音――。大きな波が島の側面を洗い、入江にも余波が押し寄せてくる
 「ん、あれ」
ミズハが声を上げて、きょろきょろと辺りを見回した。 
 「バージェスどこ? あれ?」
 「ミズハ、戻ったのか」
 「うん、えっと…」
瞳が、父と同じ淡い緑に戻っている。「…お母さん?」島の奥を振り返る。
 ハロルドが近づいて、娘の肩にぽん、と手を置いた。
 「戦いは終わったようだ。さあ、仕上げに行こうか。」
 「仕上げ? 仕上げって――」
ハロルドは答えず、ズボンのポケットに手を突っ込んで木々の間に消えてゆく。ルークとミズハは、顔を見合わせた。
 「バージェスは倒した、――ってことなのか?」
 「ヤツの気配は消えた」と、マル。
 「こんなにあっさりとか? 気になるな」
 「さっき落ちたデカぶつを見てくる。構わんな」
言いながら、マルはバルゴスに飛び乗る。
 「ああ、頼む。おれたちは、ハロルドさんを追ってみる」
くるりとひとつ旋回すると、マルを乗せたバルゴスは、炎の尾を引きながら島から飛び立っていった。いつのまにか飛び回っていた鳥たちの数は減り、頭上を分厚く覆っていた雲の壁もちぎれはじめている。サラサが警戒を解いた証拠だ。風は止まり、波は穏やかに、何事もなかったかのように砂浜を洗う。奇妙な静寂だった。まるで、この島だけが外から切り離された別世界のように。


 鏡面のように静まり返った内海を渡って辿り着いた青い岩礁には、既にサラサとハロルドが待っていた。ミズハに連れてきてもらったルークは、岩の上に足をつけた。少女も翼を畳んでその隣に降り立つ。
 「あの、これで終わったってことなんですか?」
 「君も言ってたとおりだ。彼女にかなう戦力ではなかったしね、無茶な転生をしたお陰で、力のほとんどを手放してしまっていたようだ」
と、ハロルド。
 「リブレ人が、バージェスの同位体だというのは――」
 「どの世界も奪える命に限りがあり、ほとんど世界から閉めだされてしまった時に、自ら生命を生み出すことを思いついたのだろう。その過程での代物だ。とはいえ、不完全でも生命を生み出す力を得たことは驚嘆に値する――と、彼女も言っていたよ」
サラサは瞳を閉じ、さっきから身動き一つしない。
 「ただ、あれは自ら生み出したものを食うための家畜か何かとしか思っていない、”悪い王様”だったがね」
 「それなら、どうしてさっき、”仕上げ”なんて? バージェスはもう消えたんでしょう?」
 「そう、消えた。だがまだ敵はいるんだよ」
肩をすくめて、ハロルドは傍らに手を――
 「冗談はやめてくだい」
 「冗談ではないよ、ルーク君。君だって気がついているはずだ。過去の世界を創り替えたとき、いったい何が起きたのか」
ハロルドに手を取られ、サラサが静かに立ち上がる。
 「お母さん――」
 <すべて死んだわ>
びくっ、となってミズハが肩を震わせた。深い青い瞳。整った、どことなくミズハに面影の似た美しい顔。
 <あいつの器になるものは、不完全なものも含めてすべて>
 「……。」
飛空艇に乗っていたリブレ人は、海に落ちたものも全員死んだ、という意味だ。
 「嘘だ。あなたは手加減してた」
ルークは食い下がる。「ジャスパーが助けに行った時だって、あなたが言ったから…」
 <私は命を奪わない。ただ見ているだけ>
静かに微笑む。<海に落ちたから。あなたたちの仲間の船が辿り着く前に、みんな押し流してしまったわ>
 「サラサ…さん…。」
 <いつもこうなの。嫌だな、って思うと波が起きるし、風が吹く。私はそういう存在―― あれもそういう存在。食べたいと思えば食べる。悲しいと思えば泣く。嫌なものがあれば、遠ざけたいと思う>
 「でも人間なら、我慢できます。」
ルークは両手を握りしめる。「それに人間は、思っただけで誰かを殺せたりしない…」
 「彼女は出来る。」
小さく頷き、サラサはゆっくりと、口を開いた。
 <波を起こせば島が流され、海流が変わって魚たちの群れは戻るべき場所を見失ってみな果てた。突然の嵐に鳥たちは力尽き、大地は乾いて森が枯れ、精霊たちが消えた>
歌うような言葉は、美しくも恐ろしい過去の情景を写しだしてゆく。
 <大陸を繋ぎあわせたとき間にあった海は消え――、世界の狭間に落ちたものはみな消えた。風の流れひとつ変えただけで沢山の生命が消えていった――私はただ見ていただけ。あれを拒もうとするたびに、儚い星の煌きは一つずつ、落ちていったの>
世界を造り替えた存在は、それとともに、意図せず多くの命を奪ってしまった。
 「憎悪を覚えるだろう? ルーク君」
ハロルドは、ルークの表情の微かな変化を見逃さない。
 「私とともに生きて、彼女は人の感情というものを理解してくれるようにはなった。だが存在そのものは変えられない。この世界の創造者であり、心ひとつで世界を左右できる存在だということ自体は」
そう言って、ハロルドはサラサの肩を抱き寄せた。
 「この島にたどり着いてから二十年――、どうすればいいのか二人でずっと考えてきた。この力を放棄する方法は一つしかない、と」
 「まさか、ハロルドさん…」
 「彼女ほどの存在になると、力を放棄することすら危険でね。別の存在に移譲することは出来るが、力を移譲できる相手は同位体のみ」
 「そのためにミズハを…」
父方と母方、双方の力を半々に受け継いで生まれてきた、”南海の女王”の分身としての存在――。
 サラサは、ルークとミズハの表情を見比べて、悲しげに微笑んだ。
 <人の言葉で、贖罪っていうのかしら? それは必要でしょう。>
 「だけど、だけどそれって、お母さんが…」
 <嫌でしょう、自分が、存在するだけで世界じゅうの生き物を殺してしまう可能性のあるものだなんて>
 「その力を娘に押し付けて消える気ですか?!」
 <ミズハちゃんなら大丈夫だもの。大丈夫だったでしょう? 人間なら我慢できる、さっき自分で言ったとおりよ。ずっと見ていたから――あなたたちの旅は。ミズハちゃんになら任せられるわ…。>
サラサは片手をさし上げた。ミズハは嫌だというように首を振って、一歩あとすさった。
 <…そんな顔しないで。転移は、拒まれると行えない>
 「お母さんが消えちゃうなんて駄目! お父さん、それでいいの?!」
 「私は彼女と共にいるよ」ハロルドは、頭上の大岩見上げた。
 「あれは、彼女の力が支えている。力が消えれば、ここへ落ちてくる… この岩、彼女の本体であるこの岩の上へ…」
 「心中するつもりですか?! おれたちは、あなた方の自殺に付き合うために、ここに呼ばれたんですか? そんなの認めない!」
 「なら君は、世界が一人の”神”に支配されたままでもいいのかい? その神は、気まぐれに生命を大量に死なせる存在だ。彼女と同等な力を持つ存在は、もはやこの世界に存在しない。」
 「おれたちが、そんなに弱いと思ってるんですか」
ルークは、ミズハの手をとった。一瞬、驚いたような顔をしたミズハだったが、すぐに意図に気づいてその手を握り返す。
 「認めないなら、力づくでも納得させてみせますよ。」
 「ほう――」
ミズハは、さっと翼を広げた。だが、向かってくるのかと身構えたハロルドの予想とは裏腹に、少女は、ルークの手を掴んだまま、一気に空を飛び去っていく。
 「おや…」
虚を突かれた格好で、ハロルドは頭を掻いた。
 <珍しいわね、あなたが読みを外すなんて>
 「そうだなあ、…だが、逃げたわけじゃなさそうだよ」
ハロルドの口調は、いかにも楽しそうだ。「お友達も連れて、全員で…ってところかな。どうする? サラサ」
 <いいんじゃないかしら。>
何故かサラサも嬉しそうだった。
 <いちど体験してみたかったの、”反抗期の苦労”っていうやつを――。>
白い髪が波のように揺れて、音もなく羽ばたく無数の鳥たちが宙に生まれる。次から次へ、岩の隙間からも、光の洪水となって溢れだしてゆく。
 ハロルドは、肩をすくめて側の岩に腰を下ろした。こうなったらもう、見守っているしかない。これから始まるのは、人知を越えた世界の出来事だ。



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