<第三章>

終章 世界の生まれる場所


 繰り返し押し寄せてくる小さな振動音は、机の引き出しの中から聞こえる。
 寝ぼけ眼をこすりながら簡易ベットを這い出したルークは、何度か手を滑らせながらなんとか通信機を探り当て、蓋を開く。
 「こちらハーヴィ号…」
 『ヴィレノーザ本部、エリザです。ルーク、なんだか眠たそうですね』
 「昨日、遅かったからなあ…」
ひとつ欠伸。出港したのがそもそも昨日の夜、というより今朝。沖合まで出たあと、今は流れに任せているところだ。
 列車を降りてすぐ、駅まで出迎えに来たアネットから着替えなどの荷物を受け取って、そのまま港に直行。船に飛び乗って、今は”霧の巣”を目指す途上―― というところ。たどり着くまでは、半月かかる。カーリーも、後から別の船で追いかけてくると言っていたが…。
 ひと通りの報告を終え、通信機を仕舞うと、ルークは、キャビンのほうに出てみた、ハンモックにミズハ、ソファにマルとバルゴスが、それぞれ眠りこけている。ちょっと肩をすくめ、ルークはデッキまで出てみた。よく晴れた朝の海、水平線には白い雲が柱のように立ち上がっている。
 「ジャスパー? 起きてるか」
水の中を覗きこむと、黒い頭が浮かび上がってきた。こちらも眠たそうだ。
 「久しぶりの海は、どうだ? 戻れてよかったな」
そうだな、というように瞬きし、ジャスパーは再び水の下に潜り込んでゆく。
 人間の姿から海竜の姿に戻る方法。それは、「海水につけて腕輪を三度回す」というものだった。
 「…なんでそんな単純な方法、わからなかったんだよ。押して駄目なら引いてみろ、引いて駄目なら回すとか、普通やってみるだろう」
呆れたようにルークが言うと、ジャスパーはむっとして言い返した。
 「いいか、”回す”ってのがそもそも人間の発想だからな。俺ら海の住人的には、押して引いたら、次は体当たりなんだよ!」
 「…海には回すものがないとでもいうのか。渦巻き貝が泣いてるぞ」
 「あーもう! 細かいことはいいんだよ! 戻れたんだからいいだろっ」
そんなこともありつつ、ジャスパーは今やめでたく元の姿に戻り、定位置のハーヴィ号の牽引役に収まっている、というわけだ。
 ルークは、甲板上から陸の方を振り返った。陸の姿はもうないが、沖合を航行する船の姿はときおり波間に見えている。
 さっきエリザが告げた簡素な報告が浮かんできた。

 ――リブレから、複数の飛空艇が飛び立ったという情報があります

国家連邦のライラ・エレミカからの情報だという。目的地は不明。かなりの高度を取っていた、とも言っていた。
 (目的地は同じだろうな…)
そうとしか考えられない。高度を取ったのは、おそらく海風の影響を最小限にするため。察知した南海の女王に途中でたたき落とされないためだ。飛空艇に乗っているのが何にせよ、味方ではありえない。
 速度は勝負にならないが、距離はこちらのほうが近い。先回りできる可能性は十分にある。
 船にかすかな振動が走り、船底がこすれるような音がした。ジャスパーが牽引位置に潜り込んだのだ。ゆるやかに潮の流れに流されていたハーヴィ号が、ゆっくりと加速していく。白波が尾を引き、さっきまで見えていた行き交う船の姿はきらめく波の彼方に消えていった。


 風の調子が変わる。以前は広い範囲を旋回していた海鳥たちの姿は、今日は無い。このあたりの海域は、雲が多い―― 晴れと曇りを繰り返す斑な海、相変わらずころころと変わる流れを器用に泳ぎ分けてゆくジャスパーの黒い頭が、船の先の海に見え隠れしている。
 キャビンから、ミズハが顔を出した
 「そろそろ見えたー?」
 「どれどれ、余にも見せろ」
マルも一緒だ。目指す方角は、分厚い雲に覆われている…
 と、その時、雲間から光がさした。船の舳先で割れた海は、深い緑から淡い緑、飛沫の白へと次々色を変えてゆく。
 「ああ、ちょうど見えたな。」
風にあおられて顔にはりつく髪を払いながら、ルークは渦巻く雲の中心に指をむけた。空に浮かぶ巨大な石、ここからだと波の上に直接立っているようにも見えるそれは、”霧の巣”の名にふさわしく、今日も靄に覆われていた。
 「あれが… 霧の巣、ってやつか?」
 「大きいですな…」
初めて見るマルとバルゴスは、食い入るようにその不思議な光景を見つめた。岩の上部は空に溶け込んで、良く分からない。炎の国の首都に突き刺さっていた月の欠片と同じか、それ異常の大きさを持っている。
 「ずっと削り続けて、まだあの大きさらしい。」
 「うへえ」
マルは首を振った。「あんなものが頭上にあって、その下でなんぞ眠れぬわ。よくやる」
 「毎日見てるとそのうち慣れるって、お父さん言ってたけどなー」
と、ミズハ。ハーヴィ号の屋根に登って、翼を広げた。風が吹いてくる。
 「先導するね。ついてきて」
そう言って、少女は波の上すれすれを滑るように飛び出した。ジャスパーが首を傾ぎ、少女の後を追う。この先、島の周囲を囲む1.5ケルテほどの凪の海域に突入するまでは、風と波の変わりやすい、荒れた海を通る。変化を読むことのできるミズハの先導なしには近付くのが難しい。
 フォルティーザの港を出て、約二週間。特に問題もなく、ハーヴィ号は無事に目的地へ到着しようとしている。リブレを発ったという飛空艇の行方は不明。どこかですれ違うことも、空に船影を見ることもなかった。
 背後の船室から、規則正しいコール音が響いてきた。通信機の呼び出しだ。
 「マル、落ちるなよ。ちょっと行ってくる」
手すりから身を乗り出して興奮気味の少年に釘をさして置いて、ルークは部屋に戻った。
 「はい、こちらハーヴィ号…」
 『こちらエレオノール号よ。そっちは順調?』
カーリーの声だ。
 「ええ、ちょうど今から突入するところです」
追いかけてくる船は――エレオノール号。何をどうやったのか――今や、実質協会のトップはジョルジュなのだから不思議はないのだが――、ハーヴィ号のバックアップにとエレオノール号がこの海域を目指している。さすがは最新鋭の船といったところか、何日も遅れての出港だったというのに、早くも同じ海域に到着しようとしている。
 「島の周囲は風と潮流が特殊なので――前にも言ったように、島にあまり近づきすぎないで下さい」
 『りょーかいっ。外野で待機しとくわー』
 「お願いします」
通信を切ると同時に、船が大きく揺れた。横から思い切り波を被ったマルとバルゴスの悲鳴が聞こえてくる。相変わらず船をよせつけない、気まぐれで不可解な海。しかし、それにしても静かだ。海鳥の一羽もいない。ミズハの母親、サラサの生み出す鳥たちも、今は、敵の襲来に備えているのだろうか。


 船は、いつか見た小さな入江に滑りこんでいた。外の荒れた海とは打って変わって、穏やかな波が打ち寄せる白い砂浜、そのすぐ間際まで迫る緑の森。浅い水底には砂が見え、波は明るいエメラルドグリーンだ。
 船底が砂にこすれるまで近付いたところで、ジャスパーは定位置を外れて甲板に首を伸ばした。
 「ありがとう、ジャスパー。ここで大丈夫」
 「おーい」
上陸のための準備をしていると、どこかから呼ぶ声がした。森のほうから、男が手を振りながら近づいてくる。日焼けした肌にざんばらの髪、――この島の唯一の住人、ハロルド・カーネイアスだ。
 「あ、お父さんだ!」
ミズハが、ぱっと飛び立った。
 「おーミズハ! おかえりー。」
 「ただいまー!」
空中から勢いよく抱きついたミズハをキャッチしたハロルドは、娘をぶんぶん回転させてはしゃいでいる。濡れるのが嫌で小型ボートに乗り移ろうとしていたマルは、足を止めて物珍しそうにその光景を眺めている。
 「…あれが父親か。ただの人間にしか見えんが」
 「うん、ハロルドさんは普通の人間だよ。…ジャスパー、ほんとに行くのか?」
ルークは、たったいま腕輪で人間に化けたばかりのジャスパーに、最小限の衣服 ――水着とパーカー―― を差し出している。
 「ここで待ってるのも寂しいだろ。なんかあったら船戻る。…しっかいイチイチ服着たり脱いだり、人間ってほんとメンドクセーよな」
 「それ、ミズハも昔、同じこと言ってた。」
浅い波をかきわけて砂浜に辿り着いた頃、ハロルドは既にミズハと一通り挨拶を終えていた。
 「おールーク君! 久しぶりだな。元気そうで何よりだ」
 「お久しぶりです。そちらもお変りなく」
 「すまんなー、急に呼び出したりして」
 「いえ、…」
ルークは、森の奥に目をやる。この先、内海を越えた先に、彼女はいる。南海の女王、神魔戦争の最終勝利者、この世界を創った存在――、そして、ミズハの母。
 「すいません、サラサさんに会ってきます」
ハロルドは、何もかもわかった顔で頷いた。
 「行っておいで」
南国の木々を越えた先に、再び白い砂浜が現れる。内海のようになった潮だまりは、今は斜めに差し込む光に白くきらめいている。その先に、浅い岩礁が見えた。
 「ここを渡っていくのか?」
と、ジャスパー。既に足首まで海水に浸かっている。「なんか妙な感じだな、やたら冷たいぞ、ココ」
 「余は濡れるのは嫌だぞ!」
マルが喚く。
 「…しょうがねぇな。乗せてやっから…ったく」
ジャスパーは、ぶつぶつ言いながら着たものを脱いでいる。人から海竜に戻るところを見るのは二度目だが、海水に使ったとたん、体がぐんにゃりと伸びていくのは、不思議な光景だ。
 海竜のジャスパーが、水面に顔を出した。ひょいとマルをくわえると、瘤のようになった背中のいちばん高い場所に載せる。ルークもよじ登り、二人を載せてジャスパーは中心の島を目指して泳ぎ始めた。ミズハはその横を飛んでゆく。ルークは、頭上を見た。ここは岩のちょうど真下。渦を巻く雲の中心を、下から見上げる事ができる。以前来た時は夜だったせいで気が付かなかったが、内海の海底は岩だらけで、砂浜ではない。海藻は揺らめいているが、魚は一匹も見当たらない。中心の岩礁付近は切り立った崖のように落ち込んでいて。まるで岩が海の中に柱のように生えているような格好だ。
 黒に近い深い藍色をした岩礁に辿り着いた時、ルークの視界に白いものがふわりと揺れた。
 ミズハが嬉しそうに抱きついている。昼の日差しの中で、その色はあまりにも強烈で、光の反射だけで輝いているように感じた。
 足元まで垂れる長い白い髪がたおやかに風に揺れる。――象牙のように白い肌、長いまつげ。深い海の色をした瞳が、訪問者たちに向けられる。
 <いらっしゃい>
柔らかく甘い声は、頭のなかに直接響き、痺れのように広がっていく。以前、月の夜にここへ来た時も、確かにその声を聞いたのだ。ルークは、ぽかんとしているマルを肘で小突いて、先に岩に上陸した。
 「サラサさん、あの――」
 <ミズハちゃん大きくなったわねー>
 「うん」
サラサは表情を変えずにミズハの髪を撫でている。
 「……あの」
 <お友達もいっぱい出来て良かったわねえ。今の暮らしは楽しい?>
 「うん、すっごく」
 <そうー>
 「……。」
ルークは、額に手を当てて考え込んだ。
 予想外の雰囲気というべきか…、いや、予想はしておくべきだった。ミズハから断片的に聞いていた内容と、「あの」ミズハの母親という前提から察するサラサの、「人間として見た時の」人物像について。
 サラサは、真っ白なロングスカートの裾を正しながら岩礁の一番高いところに腰を下ろした。
 <みんなも座って。何も言わなくても、今までのことは、娘を通して見てました>
ジャスパーは、このままでいい、というように首を振り、岩の下に陣取った。 
 「マル?」
 「…余もここでいい、近づいたら食われる」
少年は、珍しく汗をかくほど緊張している。小脇に抱えたバルゴスがやけに大人しい。
 「緊張し過ぎなんだよ。何だかなあ」
ミズハは、既にちょこんと母親の横に腰を下ろしている。ルークもそこに合流した。
 「サラサさん、話してください。バージェスと何があったのか。この世界を変えたのは―― やっぱり、貴方なんですか?」
 <そうする気は、なかったのだけれどね>
ちょっと首を傾げて、サラサは、なぜか悲しそうな顔をした。
 <ずっと見ていた―― そういうモノだということはわかっていた。他の命を喰らって生きるモノ、喰らい続けなければ存在することの出来ない死の精霊。それは悪いことではない、鳥も魚も、より小さなものを食べて生きている>
 「…ええ」
 <けれどもし、食らうことによって大きくなり、大きくなるほどに食らう量が増えるものがいるとしたら、それは問題でしょう>
 「その通りだと思います」
 <私は見ていた。あれが膨れ上がってゆくのを、…生まれた世界を滅ぼすまでに成長するところを>
サラサが白い腕を差し上げると、水滴が幾重にも集まって、光を反射し、鏡のような形を創った。そこに朧気な図が浮かび上がる。九つに重なる層は、かつての世界の姿なのか。
 <最初に喰らい尽くされたのは、最下層にあった世界。暗い闇の世界で、魔界よりも深い場所で、あれはその世界すべての生き物を食べてしまった。いずれ、この世界にもやってくる、と私は思った――>
 「神魔戦争の始まり…」
 <戦ってなどいませんよ>
長い白い睫毛が少し揺れた。
 <私はただの傍観者。自分と、見えているものたちを守ろうとしただけ。今もそう>
指を差し上げ、九つの世界を順になぞる。
 <命はすべての世界を循環していた。あれが一つの世界を食い尽くし、次の世界へ移動している間、食われた世界は少しずつでも再生していた。私はそれを守りたかった…>
指先が世界を重ねあわせる。
 <それが世界を繋ぐことになった…>
 「守ろうとした…って」
 「生命を見守るもの、だからだよ」
淡い緑の瞳を上げ、ミズハが言った。「それが、お母さんだから」
 「戦って、バージェスを倒そうとは思わなかったってことですか」
 <私に戦う力はない。私はただ、ここに在り、命の循環を見守る存在。>
宙の映像を指でかき消して、サラサは、遠い目をした。
 <――あれは、光が好きだった。闇の世界で生まれたから、光ある上の世界を好んでいた。私が再生しつつある下の世界を繋ぎあわせても、あれは何も気にしていなかった。…私の前に現われたのは、私の世界が豊かに戻りつつあったとき…>
僅かな間。
 <あれは、自分のものになれ、と、私に言った。>
風が吹き抜けてゆく。
 サラサの声は、空気を震わすことなく、耳からではなく、直接体に染みこんでくるようだ。集中して聞いていると、気が遠くなってくるようにも思える。以前ここで会話した内容を覚えていなかったのも、そのせいかもしれない。
 「…生命を育てる者と、生命を食らう者、だからですか」
 <そう。私は拒否した。――するとあれは、私に、これを寄越した>
頭上を指さす。
 <さすがにちょっと”ムカついた”わ>
 「…え?」
 <ミズハちゃんに教わった人間の語彙を借りたのだけれど…使い方違うかしら>
 「使い方はあってますよ…。」
時折入る軽めのジャブで、なんとか気を持ち直している格好だ。
 「ええと… それで、腹が立って、本気で締め出そうと思ったんですか」
 <多分…>
 「多分?」
 <あまり意識はしていないの。あれと二度と会いたくない、遠くへやりたいと思っただけ>
話していて違和感があるのは、何故だろう。サラサはずっと、「自分は傍観者だ」と言っている。だが、実際にやったことは、世界を繋ぎ、バージェスを追い出すという、想像を越えた大事業だ。
 <不思議に思っているのね? あなたも>
サラサは、微笑みに似た表情を浮かべてルークを振り返った。
 <ごく当たり前のことも、他人に言われないと気がつかないもの―― 私がそれに気がついたのは、ハロルドがここへ来てからだった。ハロルドは教えてくれた。私が 何を したのかを。私が、何であるのかを…>
さわさわと風が揺れた。ぴく、とミズハが反応する。サラサは小さくため息をついた。
 <…来ちゃったわねえ>
遠く頭上から、低いプロペラ音が近づいてくる。サラサの象牙のような白い細い腕が伸びて、虚空に水滴の鏡を幾つか生み出した。中央の大きな鏡に写っているのは、雲の中を進む大きな飛空艇。その後ろには二隻さらに続いている。チカチカと船体に光が走る。
 「リブレの飛空艇… 追いついて来たのか」
 <ここにいてね。>
サラサは慌てた様子もなく次の鏡に視線を向けた。雲を抜けて、海面に降りてゆこうとしている飛空艇がある。雲の切れ間に、一瞬、海に浮かぶエレオノーラ号の船体も見えた。ルークは、慌ててサラサに言った。
 「あの船は敵じゃない。おれたちの仲間が――」
 <そう、じゃあ あれは除外。>
淡々とした口調に、ルークははじめて、この女性を恐ろしいと思った。いつかフォルティーザの港で石のような生き物が暴れだした時にミズハの見せた、予想外に過激な一面を思い出す。”排除すればいいの?”と、あの時のミズハは言った。排除。もう会いたくないということ。破壊も、殲滅も、規模の如何を問わずすべて単純な一言に凝縮し処理する、その大雑把すぎる感覚。
 (――この人は、本当に、ただ”そこにある”だけの存在なんだ…)
実感とともに、ルークは理解した。神でも魔王でもない。他者が規定した役割を持たず、自らが何者かを知らない存在。傍観者たる彼女は、自らの明確な目的意識では動いていない。ただ「守りたい」と漠然と思うこと、「排除したい」と願うこと、それが無意識の中で勝手に世界を変えているのだ。誰かを殺したいなどと明確にイメージする必要はない。嫌だ、来てほしくない、と思うだけで――

 ドン、と波が柱のように吹き上がる。
 海面すれすれから、島の見える場所まで突入してきていた飛空艇が瞬時に海に絡め取られ、小さな炎を上げながら波間に沈んでゆく。
 「ちょっ…」
一瞬のことに、宙に浮かんだ映像を見上げていたルークは言葉を失った。
 「お母さん、だめだよ。人が乗ってる」
ミズハも腰を浮かせる。
 <ごめんなさいね。手加減出来なさそう>
困ったように微笑んで、サラサは青い瞳を空へと向けた。雲の彼方から飛空艇が近付いてくる。島の真上、空に向かってそびえ立つ岩の柱のすぐ近くだ。稲妻のような光が幾重にも閃き空が真っ白に輝く。
 ドォン!
 「きゃあああっ」
耳を塞いで、ミズハがしゃがみ込む。サラサも少し表情を歪めたが、さすがにミズハほど怯えた様子は無い。いかづちは、まっすぐに島を目指す途中で浮かぶ岩に引き輪寄せられ、その側面に着弾する。
 「岩を避雷針代わりに使ってるのか…」
 <あれだけは、ちょっと痛いからねぇ>
サラサは、のんびりとした口調だ。ルークのほうに視線は移さずに一言だけ。<行かなくていいの?>
 「行く? ――あ」
小さな鏡に、波間に落ちた飛空艇の周りに浮かび上がる幾つかの浮き輪と、もがいている何人かの人が小さく写っている。
 「ジャスパー、頼む!」
呆けていたジャスパーは、はっと我に返った。長い首を振り、ルークの指した映像を見て、ようやく状況に気がついたようだ。追いかけようとするルークだったが、ミズハの声がそれを許さない。
 <ここにいなさい>
 「でも――」
 <ここで、その力は使えませんよ>
言われて、ルークは気がついた。足元の岩の感触は、リブレの町の中と同じだ。力を注ぎ込んでもぴくりともしない。あそこがバージェスの領域だったように、ここはサラサの領域として支配されているということ。ここでは、ゴーレムを作り出すことは出来ない。
 足元の岩が震えた。サラサの白い髪がゆらめきながら宙に舞い上がる。ここからでも、木立の向こうに水しぶきが上がるのが見える。岩をとりまく雲はいつのまにか灰色の壁と化していた。空からの電撃の閃光はその向こうに、今は微かに見えるだけ。時折、空の割れるような音がひびき、削られた岩の欠片が降ってくる。
 ルークは、水滴の鏡に次々と映し出される風景を食い入る様に見つめていた。渦巻く雲の外側に静止した飛空艇から、パラシュートが投下されるが、風にあおられ、近付くことは出来ない。沖合へと流されていくパラシュートには、半ば諦めたように両手を垂れた人影が見える。
 墜落した飛空艇から落ちた人々を、ジャスパーがくわえて板に載せている。そこへ近づいていくエレオノール号。甲板を走るカーリーが見えた。長い黒髪を振り乱し、何か指示している。海は荒れ、大きな波が何度も押し寄せて、救助は進まない。
 それらがすべて、遠い世界の出来事のように思えた。
 島の中心にあるこの岩礁には、ほとんど音は響いてこない。内海は鏡のように静まり返り、ただ僅かに乱れたような風が吹き抜けるだけだ。
 ふいに、マルの腕の中で気を失ったようになっていたバルゴスがぴくりと反応した。
 「何か、き、来ますぞ!」
 「何か?」
はあ、と小さなため息が聞こえた。
 <――やれやれ、抜けちゃったかぁ>
さっきからじっとしていたミズハが、ふいに勢い良く立ち上がった。
 <ごめんね、ルークくん。ミズハちゃんをちょっと借りるわね>
 「えっ?」
ミズハは、さっと羽根を広げた。
 「おい待て、どこへ」
振り向きもせず、少女は一直線に島の外縁を目指す。ルークは、慌てて岩礁を滑り降り、マルとバルゴスに駆け寄った。
 「向こう岸に飛んでくれ」
 「飛ぶって… 何がどうなって」
 「バルゴスだよ! おれも連れてってくれ。追いかけるんだ、早く!」
有無をいわさぬ剣幕に押されて、マルはバルゴスに命じて巨大化させる。炎に包まれた翼を広げて飛び立つバルゴスの背に、マルとルークが飛び乗った。
 「どうしたのだ、いきなり。何が来るのか?」
 「そっちじゃない。ミズハの雰囲気が急に変わった。あれは…」
あれは多分、ミズハではない。


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