<第三章>

ィレノーザ


 翌日、ルークたち四人は、隣の国家連邦ビルにユージェニーを訪ねた。
 いつも見てはていも、特に用事もなく、入るのは初めて。普段ゆったりしている協会本部に比べて、こちらは誰もが足早に動いている。こちらは軍服の人々の行き交うホールの雰囲気だけで、緊張してくる。
 「お待たせしました」
隅っこで目立たないように待っていたルークたちのもとへ、護衛らしきスーツの職員に連れられたユージェニーが姿を現した。リブレを脱出した時の白いローブは白いワンピースに着替え、手は手袋で隠し、ヴェールを目深に被っている。.
 「怪我の具合は?」
 「まだ包帯は取れませんけれど、大丈夫です」
そう言って微笑んだユージェニーの口元のひげは、以前見た時よりしおれているように見えた。
 「なんだか、疲れてるみたい」
と、ミズハ。
 「ええ…すいません。ずっと、はなシ続けだったもので」
一時的にせよ、亡命扱いで国家連邦の預かりの身になるからには、聞き取り調査は避けて通れない道だ。ましてや、この百年、門戸を閉ざし続け、外部にほとんど情報の出てこなかったリブレ人ともあれば。
 「やっぱり色々聞かれたんですね、リブレのこと」
 「はい…。でも、お答えできないことが多くて…」
ユージェニーは、ぴったりくっついているスーツのほうにちらと目をやった。
 「でも、もう終わったんでしょ。町に出てみない? 案内するよ」
 「いいんですか?」
スーツの職員が特に何も言わないのを確かめると、ミズハがユージェニーの手をとり、真っ先に駆け出す。
 「わあ」
建物から外に出ると、そこは町のメインストリートにつながる大通りだ。
 「リブレでは、こんなに沢山の人がいる場所は見たことがありません」
ユージェニーの表情が明るくなる。リブレに比べれば雑多だが、人工物めいたあの町よりは活気がある。
 「一年ちょっと前、巨人に町のあちこちが壊されたんですけどね。」
 「巨人ですか? どうやって倒したんですか」
 「あたしとルー君で頑張ったんだよ。」
 「あの頃は、色々あったよな…」
ジャスパーも、しみじみした顔をする。 「怪我してドックで寝転がってた時はほんとキツかった…」
 「そんなこともあったなあ」
 「ジャスパー、一人でお留守番多かったよね」
 「まあ、その意味じゃ、この腕輪には感謝なんだろうけどな」
言いながら、腕をさする。ユージェニーは、そわそわしながら、しきりとヴェールの角度を気にしている。
 店などを眺めながら、小一時間の通りを歩いていただろうか。
 ふいに、ユージェニーが足を止めた。
 「どうしたのだ?」
マルが振り返る。
 「何か、さっきからずっと見られている感じで、落ち着かなくて…」
 「あー、コレか?」
と、少年は、肩の辺りをぱたぱた飛んでいるバルゴスを指した。確かにさっきから、バルゴスは、注目を集めっぱなしだ。くすくす笑いながら「あれって生きてるの?」などと囁き合っているのは主に女の子たち。触ろうと手を伸ばしてくる子供に、鼻から炎を吐いて脅しつけようとしては、余計に興味を示される結果になっている。
 「いえ、そうではなく」
彼女は、困ったようにヴェールの端を引き下げた。
 「わたくシ…見られているようなのです。何かおかしいでしょうか…?」
どんなに隠しても、長い耳と毛むくじゃらの顔は完全に隠しきれるものではない。おまけに不自然なヴェール。迂闊だったな、とルークは思った。ルークとミズハ、ジャスパーまでの三人ならそう目立つ組み合わせではないが、マルとバルゴス、それにユージェニーは、この人混みの中すら目立ってしまう。
 ユージェニーは、しゅんとなっている。
 「…耳が良いのです、わたくシ。ひそひそ言われているのが聞こえてしまって、なんだか…」
 「気にしちゃだめだよ」
と、ミズハ。
 「だいぶ東のほうだけど、獣人っていうのもいるんだよ。耳とか牙とかあって… どっちかっていうと、猛獣系なイメージだけど」
 「そのナユタも、時々嫌な思いはする、…って言ってはいたけどな」
 「すいません、やはり少シ疲れているようです。戻りまシょう」
無理強いは出来ない。ルークたちは、散歩を切り上げて戻ることにした。息抜きのつもりだったが、かえって逆効果だったようだ。

 「ユージェニーさん、落ち込んでたな」
国家連邦本部にユージェニーを送り届け、もう一度町を一巡りしてから、協会本部の部屋に戻ってきたのは夕方も遅くなってからだった。
 「仕方ないよ、だってリブレに帰れなくなっちゃったんだもの」
 「まあ…そうなんだけどさ。」
脱出の時、ユージェニーに怪我を負わせたのは、彼女の双子の兄だ。今戻れば、どんな目に遭わされるかは想像するまでもない。国家連邦本部で預かりの身になっているのは、彼女の命が狙われる可能性も考えてのことだ。
 「ま、慣れりゃどうにでもなるって。俺みたく、好きなとこに住み着いてりゃ、そのうちそこが故郷になるって話。」
ジャスパーは呑気なものだ。
 「余は帰るぞー、必ずな。目指せ炎の国の再建!」
 「さすがです、マル様」
 「おーがんばれー」
緊迫感のない会話。そんな風に、いつもと同じのんびりとした時間を過ごすはずだった彼らを次の瞬間とらえたのは、予想すらしていなかったものだった。
 前触れもなく、唐突に鐘の音が響き渡った。
 幾重にも重なり、高く、低く―― 大音量が頭の中に押し寄せて、まるで脳を直接殴られたかのよう。教会の鐘楼に閉じ込められて反響音をモロに受けているかのような感覚。自らの上げた声すらも聞こえず、ただ耳を覆ってその場にうずくまるしか出来ない。
 「ちょっと… あなたたち?!」
様子を見にやってきたカーリーは、四人が四人ともただならぬ様子で悶絶しているのを見て、大急ぎで駆け寄ってきた。
 「どうしたの!」
 「この、この音…」
 「音?!」
 「頭が割れる…!」
残響がようやく引いていく。体が硬直して、しばらく動けない。知らず知らず歯を食いしばっていたらしい。
 ようやく、ジャスパーが起き上がった。まだふらついている。
 「音って…、一体」
 「おのれ、バージェスか! こんなことするのはヤツしかいないぞ!」
 「見ろ!」
ルークが、息を飲み窓の外の空を指す。夕焼けにはまだ早い西の空低く浮かぶ白い満月の、その背後で空が縦にひび割れてゆく。割れた空の向こうに見えているのは、底知れぬ暗闇。満月の背後に、もう一つの月が姿を現した。
 「あれは… ”事象の水平線”で見た…」
いま浮かんでいる月よりも一回り大きい、この世界から消えてしまった、第三の月。

 すなわち、バージェスのいるところ。

 真っ白な月は姿を現してすぐ、ぼやけて、闇に溶けるようにして消えてしまった。空の割れ目が閉じてゆく。ルークの傍らで、ふらりとミズハが立ち上がった。
 「…呼んでる」
 「ミズハ?」
振り返ったルークは、少女の瞳が深い青の変わっていることに気がついた。だが、それもほんの一瞬のこと。瞬きしてルークを振り返ったとき、ミズハの瞳は、確かにいつもの淡い緑だった。
 「…お母さんが呼んでる。戻らなきゃ」
 「戻るって… 島に?」
 「そう」
 「分かった」
ルークは、頷いた。
 遠からず、ミズハがそう言い出すような気がしていた。
 ミズハが言い出さなくても、自分が。
 「カーリーさん、フォルティーザ行きの汽車、まだありますよね」
 「え、え?! ちょ――」
 「急ごう。ジャスパーとマルも準備」
 「え、マジか」
 「何だか分からんが、あとで訳は教えろ」
ばたばたと走りだす二人。カーリーはあたふたと何処かへ駆け出してゆく。
 最後の扉へと至る道は、開かれた。
 そしてもう、ここから先は、止まれない。


 フォルティーザゆきの列車には、結局、カーリーもついてきた。ルークたちだけでは心配だから、というのは口実で、お目付け役だろう。
 「いいんですか? リブレから持ちだした資料の検証とか…」
 「心配ないわ!」
びっ、と親指を立て、カーリーは得意げに鞄の中から紙の束を取り出す。
 「こっそりコピーしといたわ!」
 「それ、一応機密なんじゃ…」
呆れ顔のルークの言葉を無視して、カーリーは鼻歌まじりにその中から一枚の紙を取り出す。
 「ふふーん。これ、見覚えある?」
 「これは…」
セフィロトと名付けられようとしていた、謎の装置。セフィリーザのかつての支部長が研究していたというもの――
 「生命を創造する装置。と言えば格好いいけど、それは身代わり製造装置ね。情報を総合すると」
 「身代わり――同位体?」
 「はい正解! さすがルーク君。気づいてたの?」
ルークは、曖昧に頷いた。そうだろうという結論は出ていた、だが、
 「現実的ではないと思っていました。本人ならともかく、狙って他人の同位体なんてそう簡単につくれないだろうと」
 「他人? どうして他人である必要があるの? これはリブレのお墨付きで作ってるんだから」
カーリーは、いたずらっぽく笑う。
 「分からない? 分身である同位体を欲しがってたのは、バージェス自身ってことよ。」
 「……!」
思考の中で、うまく当てまらないまま放置されていたピースが反転する。
 そう、逆だったのだ。
 バージェスが力を取り戻すために何かを生み出そうとしていたのは、それに代わりにやらせるためではない。”自分で力を取り戻しにいくため”。
 図を覗きこんでいたジャスパーが、ああ、と手を打った。
 「そーか、こっちの世界で作った身代わりに自分を移し替えて生まれ変われば、またこの世界に干渉できるってことか」
 「でも、カーリーさん…どうして、分かったんですか」
 「これよ、これ」
紙の束の中から、論文の束を取り出す。
 「設計者の過去の論文が協会のライブラリに残ってたわ。著者はパクスリー・ルフェーブル。タイトルは――」
 「『神々の器 死と転生』…。」
隅のほうには、協会の季刊誌Noの刻印が記されている。
 そうだ。
 リブレでセフィリーザの研究者たちと出くわしたとき、彼らは協会の季刊誌を持っていた。あの時は気にも留めなかったが、あれは、ルフェーブル博士の論文が掲載された号ではなかったのか。ルフェーブル博士が研究していた内容とは、神と呼ばれるような上位の精霊たちが行う、完全な自分のコピーを元にした”転生”のメカニズムの解明。すなわちそれは、コアを生み出し、新たな生命を創造する方法の解明にほかならない。
 「研究は完成していたんですか?」
 「理論上はね。ただ、それをどうやって実証すればいいと思う? 千年に一度しか起きない地震の予測は、正しいのか正しくないのか、千年経ってみないと分からないのと同じ様に、神が転生する瞬間を観測することなど出来るわけがない。――神自身が協力してくれるのでもない限り、ね。」
 「リブレ――、いや、バージェスは協力した…?」
あるいは、バージェスがルフェーブルという博士を利用して、理論を完成させたのか。
 「この論文、読んだことはあったんだけどね。正直、突拍子もない話すぎて、当時はわたし含め誰も見向きもしなかったわ。ていうか、そもそも精霊とか今もう居なくなってんのに、何いってんだろうって感じでね。迂闊だったわー、あの時少しでも、誰か疑ってみてればねえ」
 「マル、炎の魔神が転生するとき同位体を創るのって、どのくらいかかる」
 「え? あ」急に話を振られたマルが慌てている。「そうだな…五年くらい」
 「五年?!」
 「それでも早いほうだぞ! 人間のように未熟な状態で生まれてくるものではないのだからな。人間の子供だって、一人前になるにはそのくらいかかるだろう」
確かにそうだ。
 (同じくらいかかるとして、バージェスが同位体を準備し始めたのは、相当前でなければいけない…)
だが、いつからリブレがルフェーブル博士に接触していたかは分からないが、その研究が完成したのは、数年前。
 (そのための、促成装置か)
実験もせず、一発勝負の転生だ。
 「それで? 奴の転生は成功したのか」
マルは腕組みをしてルークとカーリーを交互に見やる。「さっきの異常な空と音――、どう考えても嫌な予感にしか結びつかんがな」
 「それはミズハちゃんに聞いたほうがいいと思う」
ミズハは、列車に乗ったときから窓の外をじっと睨みつけている。
 「ミズハ?」
 「あいつ、この世界にいるよ」
頬杖をついたまま、少女は答えた。腹立たしげな口調だ。
 「どうして…。人間の手を借りてなんて…」
 「ミズハ」
ルークは、少女の肩に手をやった。
 「え、あ」
我に返った様子で振り返り、目をしばたかせる。「何?」
 「いや、――何か考え込んでるみたいだったから」
 「何もしてないよ、ちょっとぼーっとしてただけ」
列車の立てる規則正しい枕木の音が、車内を満たしている。
 「サラサさんは、何か言ってた?」
 「ううん。ただ、戻って来なさい、――ってだけ」
 「そうか」
ルークは、席から立ち上がった。
 「カーリーさん。通信機持ってきてます?」
 「ええ、一応ねー。あ、でもジョルジュ君には、キミたちがフォルテに戻ろうとしてることは伝えてるわよ」
 「フォルテに連絡したいんです。アネットさんに。通信機貸してもらえますか」
 「いいわよー」
言いながら、ルークは視線でカーリーに合図し、それとなく客室を出て行く。カーリーも心得て鞄をごそごそやりながら後に続いた。ジャスパーとマルは、気づかないふりをして、それとなくミズハの様子を伺う。彼女の意識は、再び窓の外に戻ってしまっていた。


 飛び乗ったのは最終に近い列車で、もともと乗客は少ないうえに、既に寝静まっている。
 ルークは、車両同士の連結部分まで行って周囲を見回した。
 「誰もいないな」
 「ちょっと、何よ。あそこで話せないこと?」
 「ミズハに聞かれたくなくて。…少なくとも、今はまだ。」
カーリーは、長い黒髪をくしゃっと書き上げて、怪訝そうに眉を潜めた。
 「カーリーさん、おれの考えてることが間違ってたら言って欲しいんですけど。…神魔戦争は、北天の神王と南海の女王が発端ですよね、多分」
 「まぁー 十中八九、そうでしょうね。」
ここまでは、正解。
 「そして北天の神王は今、この世界にほとんど干渉することが出来ない。片方の南海の女王は以前と同じ。ということは、勝利したのは南海の女王だ」
 「干渉できない…? そうなの? それがほんとなら、確かに負けはバージェスのほうでしょうね」
 「バージェスをこの世界から閉めだしたのは、サラサさんってことになりますよね。ということは…」
ここからだ。「今のこの世界を創ったのは―― 南海の女王、ってことになりませんか…?」
 カタタン、カタタン。
 音が響いて流れてゆく。
 「……。」
カーリーは、ぽりぽりと頭を掻きながら、ゆっくりと壁にもたれかかった。
 「…そこに思い至らなかったわ。我ながら盲点というか、うん…」
 「おれはずっと、バージェスがこの世界を都合よく作り替えたんだと思っていた。だけどそれは、バージェスが以前のままの力を持ち続けていると思い込んでいたからだ。自分で創ったなら、その世界で今も好き勝手に出来ていなければおかしい。逆だったんだ。この世界は――」
青い岩に腰掛け、微笑んでいた真っ白な鳥。
 「――あの人が、バージェスを閉め出すために世界を作り替えたんじゃないか、って…」
この世界の空に存在することを許されなかった、失われた第三の月。

 最後の扉は開かれた。
 列車が走り続けるその先には、始まりの舞台となった”霧の巣”が、待ち受けている。


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