<第三章>

象の水平線


 ルークが部屋に入っていくと、ベッドの側に付き添っていたジャスパーが立ち上がった。
 「何してたんだ? 長かったみたいだが」
 「ただのお勤めだよ。本部への報告とか。おれ、こんな状態でも一応まだ協会の職員だし。」
 「ああ」
 「――そっちは?」
ミズハが顔をあげ、ふるふると首を振った。マルの様子は、変わらない。まるで本当に、「眠り姫」ならぬ「眠り王子」だ。
 「ユージェニーさんは、何か?」
 「やっぱり分からない、ってさ。可能性があるとすれば、こいつを操ってた鐘のほうが束縛力が強くて、まだ解き切れてないってことらしいが…。――力不足だ、って何度も謝られたよ」
 「そんなこと…」
リブレに戻れなくなってしまい、事実上裏切り者になってしまったとはいえ、まだ自ら多くを語う気持ちの整理がついていない。それでもユージェニーが語ってくれたところによると、彼らの持つ”鐘”は、アストラル体に働きかける道具なのだという。いわば、物質で攻撃することの出来ない存在に対する専用の武器だ。

 「この鐘の”音”は、精神世界での”言葉”――呪文のようなものに匹敵シます。いわば命令です」
ユージェニーはそう行って、鐘を打ち鳴らす仕草をしてみせた。普段は不用意に鳴らさないよう、鐘の舌の部分に留め具を挟んでいるから、振っても音がすることはない。
 「打ち鳴らし方にはいくつかの作法があり、正しく鳴らすことで効果が発動シます。ほんの僅かな所作の違いで音が変わるのです。これが出来なければ、リブレでは一人前とは呼ばれません」
 「だけど、ただの音なら全員に聞こえるはずじゃないのか」
と、聞いたのはジャスパー。「何で、俺は正気だったわけ? 根性の問題?」
 「いいえ。先ほど音は言葉――と申しましたでシょう。アストラル体に響く音は、話しかける相手を選ぶことが出来るのです。そして、効果を発揮させるためには、真質――相手の正体と名前を正確に知らねばなりません」
 「ほほう」
ジャスパーは、にやりとした。「…ってことは、アイツ俺が何者か分かんなかったのか」
 「その姿じゃあね。」
と、ルーク。一行にジャスパーが加わることは出発前日まで予定されていなかったし、海竜が人の姿に化けられるなどという情報は、いくらリブレ人でも持ち合わせていなかったのだろう。
 「もう一つ気になることがある。人間にもアストラル体があるはずですが、それは人間相手には使えないんですか」
 「人間の場合は、肉体のほうが支配力が強いので、あまり効果はありません。眠っている時なら辛うじて効き目があるかもシれませんが、目覚めてシまえば、効果は持続シないのです」
 「成る程。」
 「正体は解ってるのに、効かなくなってしまうことはあるの?」
今度はミズハの番。
 「その音… 昔はすっごく嫌だったのに、今は全然なの。何でかなあ。慣れた?」
 「それもあるかもしれませんし、あるいは…普通はあまりないことなのですが…、本質が変化して、別な存在になったために”言葉”を受け付けなくなったとか」
 「別な存在…」
ルークが思い出していたのは、巨人の国で二度目に”事象の水平線”を訪れた時にミズハが言った言葉だ。
 『交換したの』
そう、彼女は言った。
 『あたしは、ただ見てるだけじゃなくなった。だからきっと、もう――”見守るもの”じゃなくなりかけてるのかもしれない…』
あれは――そういう意味だったのか。存在が変化したのだと。

 「…”事象の水平線”に行くことが出来れば」
ぽつりと、ルークの口から言葉が漏れた。
 「ミズハが向こうに引っ張られかけた時と同じように、あの世界から直接、マルを連れ戻すことは出来るんじゃないか…?」
 「ルーク、何の話だ?」
 「でも、それが出来るのは、家族とか、仲良しな同士だけだよ」
 「姫っち?」
ジャスパーは、意味がわからないという顔で二人を交互に見比べる。
 「え、え、何? どういうこと」
 「おれも、よく分からないんだ。寝てる時、たまに見える世界でさ。”事象の水平線”、って名前はミズハに教えてもらったんだけど、その世界にいたミズハ曰く、自分でも起きてるときはよく覚えていない、んだとか…」
 「失礼ね」
ミズハは不満げに腕を組んだ。「ルー君にぎゅってしてもらったの、ちゃんと覚えてたもん」
 「なっ?!」
ルークは、思わず転びそうになった。
 「おま… あのあと何も言わなかったじゃないか…!」
 「ふーん、ふーん」
 「ジャスパー、なんだよその目。そういうつもりじゃ」
 「別にいいけどねー俺はー。まっ、いいんじゃね? んで、そのなんちゃらって世界、寝てる時しかいけねーの?」
 「体が起きてるときは、だめだよ。たぶん――だけど、誰かと一緒にいく時は、近くで寝てないとだめ」
あっさりと話は流されてゆく。
 「試してみる? 今夜」 
 「お、おう。」
 「ダメ元だよな。この部屋じゃちょっと狭いけど、頑張ってみるか。」
かくして、その夜は、四人が同じ部屋に眠ることになった。ベッドの足りないぶんはソファを運び込んでの大騒ぎだ。
 「大丈夫なんですか?」
様子を見に来たユージェニーは、不安げだ。
 「”事象の水平線”――ですか。わたくシはよく存じ上げないのですが…精神だけが飛ぶことの出来る異世界の話は、聞いたことがあります。そこで精神が死ぬか囚われるかしてしまうと、肉体には戻れなくなると」
 「三人一緒だから平気だよ、はぐれなければ」
ミズハは、ソファの上にクッションを並べてにっこり笑う。
 「広いから、マル君とうまく会えるかどうかだけ心配。心配しないで」
 「でも――」
 「何度か行ってますし、問題ないですよ、多分。」
ルークの枕元には、バルゴスがクッションの上で丸くなっている。マルと連動して目覚めず、今もそのままなのだ。
 「なんだっけほら、こういうの、雑魚寝っていうんだろ? サメだって海底じゃこんな感じなのに、なんで人間って意味不明な表現するんだろうな。なあ」 
 「まあ、お前はどう考えても雑魚よりはサメの方に近いけどな…」
 「ルー君、そっちちょっと詰めてよー。これじゃはぐれちゃう。」
マルを囲んで四人。ユージェニーが電気を消し、ドアを閉める。
 「それじゃ、おやすみなさい。」
 「おやすみなさーい」
ドアが閉ざされると、完全な暗闇が部屋の中に満ちてくる。ルークは、天井の向こうに目を凝らすようにした。両脇からは、マルとミズハの吐息が聞こえてくる。緊張して眠れないかとも思ったが、やがて自然に眠気が襲ってきて、瞼を閉じた。


 ――波の音が聞こえる。
 いつも、あの世界では音を聞いたことはなかったのに。おまけに海鳥の声まで聞こえる。日差しにじりじりと肌を焼かれる感触がして、ルークは渋々と目を開けた。抜けるような青空が、目の前に広がっている。
 潮の香り。
 そこは、見慣れたフォルティーザの港町だった。砂浜の向こうには港の先端にある白い灯台があり、漁船の行き交う海の先にはきらきらと輝く水平線が広がっている。
 日差しが眩しい。足の下にある砂浜の熱い感覚まで、すべてが慣れ親しんだ世界のようだ。
 失敗?
 これは、自分だけの夢なのだろうか。それにしては、ずいぶんと現実的で――。
 波打ち際に、黒い頭が浮かび上がってきた。黒いヒレが砂をかき、体を引っ張り上げる。
 「ジャスパー?」
 「…うぉっ、ルーク!」
海竜の姿のジャスパーが、ばたばたと前足で砂を叩く。
 「って、声聞こえてるのか? あれ? あの石なくても… あれ? っていうか俺、いつのまに元に戻ってるんだ? あれ?」
 「夢の中の世界、には間違い無さそうだな…」
ルークは、辺りを見回した。「ミズハは?」
 「ここ。」
頭上を見上げると、白く輝く翼が見えた。真っ白な長い髪が風にそよいで、それ自体がもう一組の翼のようにも見える。ミズハは、ルークとジャスパーの間にふわりと舞い降りてきた。
 「すごいね、…こんなふうになってるの、初めて見た」
 「失敗じゃないのか?」
 「違うよ。ほら」
ミズハは、水平線を指さした。よく見ていると、波間にきらきらと輝くものが浮かび上がってくる。空に目を凝らすと、青い空だと思っていた部分が暗く透けて、夜空に輝く星々が見えて来た。風景が少しずつ、以前見たものと同じ世界へと置き換わってゆく。砂浜も波打ち際も消えて、行き交っていた船は水平線近くに浮かぶ星に、灯台は高い空の上に揺れているオーロラへと変わる。波打ち際にいたジャスパーは、水平線の”水”の中を泳いでいた。
 「ルー君が最初に入ったから、あんな風に見えてたんだね。」
 「そうなのか? 人によっても見え方が違うなんて思わなかった。」
 「自分で世界を作り替えちゃう人は、ちょっと特別。でもルー君の力は”創造”だから―― あ」
ミズハが、何かを見つけた。さっきまで漁船がとまっているように見えていた辺りに、何かが蹲っている。
 「マル…?」
姿はバルゴスによく似ているが、たぶんあれがマルだ、とルークは思った。水平線に半ば沈んだような格好で、前足に頭を載せて横たわっている。
 ルークたちが近づこうとするに気づいて、赤い竜は低く唸り声を上げた。鼻から炎を吹き出し、威嚇するように牙を剥く。
 「マル、おれたちがわからないのか?」
 「失せろ、巨人め。火の国に侵入するならば、ただではおかん…」
ぞっとするような低い声。ルークは、ミズハと顔を見合わせる。
 「あなた、マル君じゃないの?」
 「余は炎の魔神、マルドルゥイン…海の魔女め、ここは貴様の領域ではない」
 「なんか様子が変だな」
ジャスパーが、首をもたげた。「マルはマル、…なんだけど、なんか言ってることが古いっつーか、最初逢った時がちょうどあんな感じじゃなかったっけ」
 「ああ、そうかも。忘れてるのか?」
 「記憶喪失ってこと?」
 「うーん、いや…。逆なのかな… なんていうか、昔の自分になってるっていうか… 」
ルークも、似たような状況になったことがある。まだ自分の前身を思い出せずにいた頃、ラザロの町に”巨人の信奉者”の老女を訪ねて、襲撃を受けた時のことだ。影の巨人たちに襲われて、過去の声に意識を乗っ取られてミズハを攻撃してしまったことがある。
 「マルの中には、不完全でも先代の”炎の魔神”の記憶と人格が保存されてるって前にバルゴスが言ってただろ。そいつが今、意識の表面に出てきてるんだと思う。おれたちの知ってる本来のほうを呼び出せれば、たぶん元に戻るんじゃないかな」
 「ルー君の時と同じ方法でいいのかな」
と、ミズハ。
 「ああ、まぁ手っ取り早いほうがいいよな朝まで時間ないし」
ジャスパーも頷く。
 「…いいと思うけど、…二人とも、まさか」
 「要するに」
 「殴ればいいんだ!」
ミズハとジャスパーが一斉に飛び出す。ミズハは空から、ジャスパーは水面下から、
 「待てって! 現実世界じゃないのに、そんな…」
 「夢だからいいんだよ。ほっぺたつねって痛かったら現実だよー、怖い夢を見たら痛みで目を覚ませってお父さんが言ってた」
 「手加減はするよ!」
仕方なく、ルークも後を追う。赤い竜が体を起こし、炎に包まれた両翼を広げた。
 「余に挑むか! この――」
体を半分水面下に沈めながら、辺りにめちゃくちゃに炎を吐きつける。ミズハは器用にそれを躱し、遊ぶように鳥たちをけしかける。ジャスパーは、後ろから次々と水をぶっかけ、沈んでいる尻尾に食らいつく。ルークは、額に手を当てた。これでは、一方的にじゃれているようにしか見えない。マルドルゥインが暴れれば暴れるほど、体は水面に沈んでゆき、身動きが取れなくなっていく。
 「やめろ! 貴様ら、余を誰だと―― 偉大なる、炎の…」
 「へっ、偉大な魔人様とやらがトマト残したりするかよ」
 「マル君、戻ったらリーザちゃんに絵本読んでもらう約束してたでしょ? 読み書き覚えないと、いつまで経っても読んでもらう側だよーお兄さんなのに」
 「何を戯言を… 余が何故、そのようなことを…」
 「マル」
ルークは、灼熱の瞳の奥を覗きこんだ。
 「おれたちと海を越えたことを忘れたのか? お前の国はもう無い。あそこは、ただの廃墟だ」
抵抗するように首が振られるが、それは最初の頃よりずっと弱々しい。翼の炎は小さくなり、竜はいまや胸のあたりまで完全に沈み込んでいる。
 「戻ってこい。おれたちは、お前が誰なのかよく解ってるよ」
ルークの手の下で、うろこが剥がれていく。燃え盛る赤い巨体が崩れて、小さな体が腕の中に伸し掛かってきた。ルークは迷わずその体を自分のほうへ引き寄せた。
 「回収成功だ!」
 「おー」
 「マル君!」
ミズハとジャスパーも集まってくる。三人は、目を閉じている少年の顔を覗きこんだ。この世界では暑くも冷たくもなく、だが、頬を叩くとうっすらと瞳を開けた。真っ赤な、炎を宿したような瞳。天に向けられたその瞳に一瞬、閃光が映り込むのを、ルークは見た。
 「あれは…」
とっさにミズハとジャスパーを引き寄せる。固まり会っている四人を見下ろすように、いつのまにか、白白とした月の姿がそこに浮かんでいた。巨大なあばたも、暗い縁も、手を伸ばせば届きそうなほどすぐ近くに浮かんでいる。
 さっきまで、月はなかった。
 暖かな太陽が照らす砂浜の風景の中には、冷たい月の浮かぶ場所は何処にもなかった。
 「…バージェス」
ルークの膝の上でマルは呻いた。赤い長い髪をかき分け、よろよろと上体を起こす。
 「あれが奴の本体だ…」
 「マル、戻ったのか?」
頷くように目配せして、少年は月の方に視線をやった。
 「今はこの世界に無い月だ。消えてしまった第三の月――あいつは今、その月にいる。」
月の白い輝きがゆらゆらと揺れた。事象の水平線にさざなみが立ち、足元の光が揺れる。無音の世界にひときわ大きく鐘の音が響き渡った。幾重にも重なる音は、しかし、ほんの微かにしか耳には届かない。
 「無駄だ」
ジャスパーが鼻を鳴らした。「もう効かねーよ」
 ひるんだように一瞬、月の輝きが弱まる。
 だが月はますます大きくなり、それと同時に、満月から半月へ、三日月へと変わりつつあった。
 闇が押し寄せてくる。闇に沈んだ朔夜の月が、水平線の上半部を覆い尽くそうとしている。天に輝いていた星たちが、次々と月の影に隠されていく。ぶつかる、と思った瞬間――


 目を開けた。
 一呼吸おいて、鳥の声が耳に届く。体の感覚が戻ってくるとともに、強烈な喉の痛みを覚えた。からからに乾いているせいだ。起き上がると、脇のあたりにじっとりと汗をかいていた。
 ミズハとジャスパーは、まだ眠っている。ルークが起き上がったのに反応して、もぞもぞと動いたのはマルだった。小さく呻いて目を開けると、覗きこんでいるルークに気づいてバツの悪そうな顔をした。
 「おはよう、マル」
 「…おう。おは…その、何だ。世話掛けたな。」
少年の赤い髪を軽くくしゃっとやってから、起き上がって部屋を出た。気だるさとともに、奇妙な達成感があった。


 リブレでの出来事や脱出してからのことを一通り聞かされたマルは、相当ショックだったらしく、髪をぐしゃぐしゃにして呻いていた。
 「あああ、余ともあろうものが敵に操られるなどと… なんたる屈辱…!」
 「不覚にもそれがし、全く覚えておりませぬ」
マルと同時に目覚めたバルゴスも、しゅんとなっている。
 「まあまあ、もうあの鐘の音に引きずられることはなくなったんだし、いいじゃないか。」
 「それなのですが」
様子を見に来たユージェニーは、首を傾げた。
 「力を失ったわけではない――のでしょう? なぜ急にそうなってシまったのでしょうか。バージェス様御自らにお声がけされて、拒否できるのは、同位以上の存在だけですわ」
 「本質が変化すれば、って言ってたでしょう。たぶん、そのせいだと思います」
ルークは、”事象の水平線”の世界での出来事を、かいつまんで話した。
 「あのときおれたちは、元の”炎の魔神”ではなく、今いるこっちのマルを呼び戻そうとした。こっちが主である限り、”炎の魔神”に対する呼びかけは、意味を成さないんだと思う」
 「こっちは、人間と大差ねぇガキだしなー」
ジャスパーがにやにや笑う。
 「んだと、この首長野郎! 燃やすぞ」
 「へん、いつでも勝負してやんよ」
二人とも、普段の調子が戻ってきたようだ。このぶんだと、ジャスパーが引っ張られなかったのも、ジャスパーの正体が分からなかったからというよりは、今のジャスパーが”海王の子孫”の範疇から大きくはずれた精神の持ち主だからかもしれない。
 「だとしても、不思議なことですわ…」
ユージェニーはまだ納得していない。
 「上位の精霊や魔神の本質とは、精神よりも深い場所にある”真質”と呼ばれる領域なのです。たとえ外見や宿る器を変えても、それだけは変わらないはず」
 「そうそう、同位体は”真質”が同じであるから、転生可能なのでありますぞ。」
と、バルゴス。「マル様が先代の炎の魔神様の同位体なのは変わっておりませぬ。というか、変えようがありませんが」
 「じゃあ、変わっていないってこと…?」
 「変わったんじゃないんだよ。交換したの」
ミズハは、テーブルに腰掛けて足を揺らしていた。
 「交換? 前にも言ってたよな、それ。何と何を交換したんだ」
 「んー、…いろいろだよ。あたしだって、ルー君に教えてもらって、町のこととか色々分かるようになったじゃない。」
 「それを交換っていうのか?」
 「何でもいいんだよ。一緒に過ごせば、それだけ、お互いの色んなもの、交換するでしょ」
絆、と言い換えればいいもかもしれない、とルークは思った。
 ミズハの言っている”交換”とは、思い出の共有のようなものだ。ともに過ごした時間が長くなるほど、互いの中で相手の存在が大きくなる。それは自分の中に、他人を抱えるということだ。人間なら当たり前のことだが、確かに、精霊や魔神には無い概念だろう。
 「ふん、何でもいい。二度とあんなものにはひっかからん。これ以上、醜態を晒せるか。次こそは、バージェスめに一泡吹かせてやる」
 「あー、そういや、それなんだけどさ」
ベッドの端に腰掛けていたジャスパーが、片手を上げる。
 「あん時、お前言ったよな? バージェスがいるのは、この世界にない第三の月、だとか…」
そうだ。”事象の水平線”の世界で、マルは確かにそう言った。
 「そうだ。余とて、ただで操られていたわけではないぞ。いいようにされている間、奴の感覚を一部共有していたからな。――奴は、どこか切り離された場所から月を通してこの世界を見ているようだった。だからこの世界には長く干渉することが出来ないのだ。リブレの連中を働かせているのは、そのためだ」
ユージェニーは口元に手を当てる。
 「どういうことですか…?」
 「飛空艇…空をとぶもの… を必要としている。が、余にもそこまでしか読めなかった」
重要な情報だった。”北天の神王”がこの世界におらず、限定的な干渉力しか持たないなら、思っていたほど恐れる必要はないのかもしれない。バージェスが直接手を出してくることはほとんど無いということ。
 だが―― なぜ、そうなってしまったのだろう。
 この世界の形を変え、一つにつなぎ合わせたのがバージェスだとしたら、なぜその張本人が、この世界から離れた場所にいるのだろう――?


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