<第三章>

ブレ


 闇の中に足音が響き、白いヴェールが翻る。
 ローブの裾をたくしあげたユージェニーを先頭に、後ろには、頭からすっぽりとヴェールを被った二人が続く。町は静まり返り、人の姿はない。カツ、カツ、カツと三人の足音だけが響く。
 角を曲がったところで、通せんぼするように立ちふさがっているガーディアンと出くわした。だが、ユージェニーは一言、
 「緊急事態なの、通して」
とだけ言って、駆け抜ける。それきり、ガーディアンは動く気配もない。リブレ人には絶対服従と命じられているからのか。ユージェニーがヴァージニアの妹だからなのか。あるいは、この町の従順な住人は許可無く勝手な行動を取ることが決して無いからなのか。
 行く手に、門が見えてきた。城壁は、城壁というより一つの大きな建物のようだ。
 「こちらです。ついてきてください――通用口があるんです」
 「でも、許可がなければ入れないって」
 「わたくシは、ヴァージニーの妹ですから」ユージェニーは、そこで言いよどんだ。「…コードを解除できます」
銃を構えたガーディアンの脇を、誰何もなく素通りし、城壁の下にある小さな扉をくぐり抜ける。空には薄雲がかかり、いつしか夜空からは星たちが姿を消している。中庭に出たとき、ぽつっ、と雨粒がひとつ、ルークの頬を打った。
 ――雨になりそうだ。
 白黒のタイルを複雑に組み合わせて模様が描かれた中庭の先には、灯火の揺れる回廊がまっすぐに続く神殿がある。床も柱も大理石で作られ、輝きを放っている。神殿の奥には、四角い大きな建物がひとつ。
 「あそこが大神殿です。バージェス様への謁見は、いつもあそこで。兄も向かったはず――」
ユージェニーに言われるまでもなく、ルークたちも、そこに違和感を感じ取っていた。近づくことを拒もうとするような圧力。何かがそこにいる。景色が歪んで見えた。
 「ミズハ…」
 「うん」
傍らの少女は、頷いて身構える。
 「気づかれたね」
さすがに、ここまで近づいて気付かれないわけがない。神殿の奥がざわりと動き、敵意が膨れ上がるのを感じた。体が重くなるような感覚。
 「急ごう。あなたは、ここで…」
 「いいえ」
ユージェニーは首をふる。
 「”ガーディアン”は、リブレの民にシか御せません。貴方方だけでは直ぐに殺されてシまいます。――わたくシにも、見届けさせて下さい。」
 「…分かりました。だけど、危なくなったら逃げてください。」
この先は、誰かどころか自分たちの身も守れる保証が、無い。

 床には、歩いて行く三人の姿が鏡のように写っている。
 静かすぎた。侵入は既に気づかれているはずなのに、手洗い出迎えどころか人の気配すらなく、辺りは不気味なほど無音に包まれている。だが見えていないだけで、多分ここにも、”ガーディアン”たちは無数に潜んでいる。襲われずに済んでいるのはユージェニーが一緒なお陰だ。
 燭台に灯された灯が揺れる。
 かすかな香の香り、渡り廊下の左右に垂らされた薄絹の奥を埋める沈黙と底知れぬ闇。足元から伝わってくる冷気が、ルークを嫌な気分にさせた。
 ふと、ルークは足を止め、足元の床に手を当てた。
 「ルー君、どうしたの?」
 「――まずいな、この辺りの地面は、おれの力が使えないかも」
普段、ゴーレムを生み出す時、触れた手に感じる行きた土の感触が、ここには無い。今までは、岩やタイルに覆われていても、その下に土があれば反応はあったし、花壇の土のような地面から切り離されたものでも問題なかった。この下に”土”がないのか、あるいは――ここがバージェスの支配下にある土地だからかもしれない。
 ミズハは、困ったように首を傾げた。
 「ほんと? ルー君もなの?」
 「も、って…」
少女は、ついと片腕を宙に差し出した。そこに小さな鳥が一羽生まれ、羽ばたきながら舞い上がるが、天井と床の間をぐるぐると回って外へ飛んでいこうとしない。窓まで行っては押し戻される。
 「なんか見えない壁があるみたいで、風が止まっちゃうの。この建物全体」
 「罠は一重じゃなかった、ってことか」
バージェスが、ルークたち四人を本拠地の奥深くまで侵入させたのは、ここが自らにとって「有利な」土地だったから、だったとしたら。
 ルークは、ユージェニーのほうに向き直った。
 「そんなわけで、この先、あなたまで守れないかもしれません。危なくなったら逃げてください。ガーディアンたちは、あなた一人なら見逃してくれるだろうし」
 「貴方方…は」
ユージェニーは、口元に手を当て、ふるふると首を振った。
 「本当に、本当にバージェス様が仰っていた、魔女と巨人なのですか?」
 「その端くれというか―― まあ、だいたい合ってます」
 「でも、だって、あの」
困ったように、彼女は柔らかな肉球を持つ両の前足でルークとミズハの顔に触れた。
 「貴方方は、可愛くて優しい普通の人間に見えますわ。わたくシの好きな、元気な人間の子たち。人間を食う巨人にも、海を支配する魔女にも見えない」
 「人間を食べる巨人もいるけど、おれは食べませんよ。」
 「あたしは、海は好きだけど海を支配したことなんてないよ!」
 「……。」
混乱した様子のユージェニーの眉間にみるみる皺が寄り、長い耳がしょんぼりと垂れる。
 「わたくシは、一体何を信じれはよいのでシょう…」
 「多分、先へ進めば答えがありますよ。それで、ここからどっちへ行けばいいと思います?」
 「兄は、きっと謁見の間にいると思うのです。でも…あの…」ユージェニーは、口ごもった。「…わたくシは、そこまで行ったことがありません。一度か二度、兄に連れられて、ここへ来たことがあるくらいで…。わたくシは、まだ助祭ですから…」
 「道を探そう。方角は分かるよ」
と、ミズハ。頷いて、ルークも後に続く。罠だろうと、不利な状況だろうと、ここまで来て、退く訳にはいかない。

 窓のない回廊を、どれくらい歩いただろう。
 廊下を曲がったところで、三人は足を止めた。建物がすっぽりと入りそうな、広々とした空間がふいに目の前に広がったからだ。吹き抜けの空間に、灯りが照らしだす手すりのついた細い道が真っ直ぐに突っ切っている。薄ぼんやりとした暗がりの中、飛空艇の銀の船体が浮かび上がって見えた。何隻いるのか分からないが、そのうちの一つは、昼間町の上を通過していったものかもしれない。
 「こんなに…沢山」
ユージェニーは、軽くショックを受けたようだった。ルークも軽く驚いていた。これらはおそらく、リブレ専用として作られたものだ。ジョルジュの情報では、メテオラだけで既に十を越える数を所有するとあった。それに加えて、リブレに保管されているものもあるとすれば。
 道の先には、扉がった。
 「ここから先は、わたくシも初めてです…」
不安げに呟きながら、ユージェニーは扉の真ん中に埋め込まれた四角い平らな石に触れた。黒光りする表面に赤と青の光が交互に走り、音もなく2つに割れた。
 扉が静かに左右に分かれてゆく。促されて、ルークとミズハも後ろに続いた。
 足を踏み入れると、どこからともなく薬品の匂いが漂ってきた。今まで通ってきた空間とは、雰囲気ががらりと変わっている。どこからともなく、がやがやする人の声と、歩きまわる足音――。リブレの町でも、この神殿の中でも一度も感じていなかった人のいる気配、だ。
 奥の両開きのドアは、何の障害もなく開いた。二人が入っていくと途端に話し声が止み、部屋の中にいた十五人ほどの人間が、一斉に振り返る。 
 「あ… え?」
リブレ人の着ているものよりやや簡素な白いローブを身にまとった男女が、手に実験器具や書類などを持ち、ぽかんとした顔でこちらを見ている。ルークたちの後ろから追いついてきたユージェニーは、驚いた顔で口元に手を当てた。
 「まあ… まあ、なんてこと! 神殿の中に、外の人間が?!」
そう、ここにいるのは―― 全員が、リブレ人ではない、ルークたちと同じ見た目をした人間ばかりだ。
 「あなた達、此処で何を?!」
 「いえ…あの、我々は、リブレの方に招聘されて、ここで頼まれて研究をしているんですが…」
黒縁の眼鏡をかけた初老の男が、困ったような顔でぼそぼそと言った。
 「研究って?」
 「精霊の存在と、コアの関係について、と… ですかねぇ…」
ルークは、男が手にしている書類に目を留めた。はっとした。それは、何ヶ月かに一回、協会が出している季刊誌だ。各支部で行われている調査研究のうち、他支部でも共有したい情報や有意義な発展が見込めるものをまとめて載せている。一般書店では扱われておらず、各支部の関係者でなければ手に入れられないはずのもの。
 「…もしかして、セフィリーザ支部から?」
 「ええ…」
やっぱり、そうだ。ルークの語気が鋭くなる。
 「メテオラに亡命したはずのセフィリーザ支部のメンバーが、どうしてリブレにいるんですか?」
 「いや、元々、そういう約束だったんだ。門外不出のリブレの資料を開放するから…解明してもらいたいことがあると…。そういうあんた方は、一体」 
 「おれたちは、フォルティーザ支部から来たんですよ」
やり取りを見守っていた人々の間に、ざわめきが起こった。
 「フィオナから? どうやって。」
 「神殿内部に外の人間を連れ込んでいるなんて、わたくシは存じ上げませんでシた!」
ユージェニーは、大げさに腕を振った。耳の端まで紅潮して、口の周りのひげがピクピクと震えている。
 「こんなこと…こんなこと…許可されるはずがありません! ここは神聖な神殿なのに…一体誰が、貴方方をここへ?」
 「そんなこと言われても」
 「僕らをここへ連れてきたのは、ヴァージニーって人だけど…なあ。」
 「うん…」
セフィリーザの研究員たちは、顔を見合わせている。
 「またヴァージニーか…。」
だんだん話が見えて来た。ルークは、最初に口を開いた黒縁眼鏡の男のほうに向き直った。」
 「あいつがフォルティーザを訪問するときに名前を貸したのは、あんたたちなのか」
 「あ、ああ…」
 「あいつがフォルティーザまで”白い森”を見に来た理由は? あれが何なのか、あんたたちは聞かされてるのか」
男は一瞬、口を閉ざそうとしたが、ルークの後ろにいるヴァージニーの赤い瞳に凄まれて、しぶしぶ口を開いた。
 「あれは、”精霊の母体”―― らしい」
 「母体?」
 「精霊を生み出す装置なんだそうだ。精霊というのは、いわばアストラル体とエーテルの化合物であって、コアさえあれば人工的に作り出す事もできる。ただ、そのコアを成熟させる母体は、今は一体しか残っておらず、生み出せるコアもそう大きなものではないようなのだ。自然界で長い年月をかけて生成されるコアより上位のコアを作り出すことは出来るのか。それが我々に与えられた研究テーマなんだ」
 「精霊を生み出す? 一体なぜ?」
 「さあ――そこまでは」
 「……。」
ルークは、机の上に散らばっている研究資料に目をやった。
 また”コア”だ。
 ここにいる研究者たちがバージェスの目的まで知っているわけがないが、これまでに知ることの出来た事実と推測で、おおかたの予想はつく。朧気に見え始めた輪郭は、悍ましい模様を描こうとしている。
 「研究は…どこまで進んでいるんだ」
男は、むっとした様子でルークを睨んだ。
 「そんなことまで、何であんたに言う必要がある」
 「あんたたちが裏切ったせいで、外がどうなってると思ってるんだ。メテオラと国家連邦の間は一触即発だぞ」
 「知らん!」
 「それが兵器に使われる研究かもしれないとは、考えて見なかったのか? メテオラが用意した飛空艇は誰に向けられると思う? この大陸に、家族や友人は一人も居ないのかよ!」
 「……!」
一人の女性研究者がよろめいて、棚に背をぶつけた。ルークの言葉は、研究者たちの間に波紋のように広がっていく。
 「貴方方がここにいることは、リブレの中でもごく一部しかシらされていないようです」
ヴァージニーが、静かな声で言う。
 「そしてこの都市の法律では、故意に許可されたる領域を越えて都市の奥深く入り込んだには沈黙の罰を与えるべし、――と、あります。」
 「沈黙…って…」
 「都市の秘密を守るため、ここで知り得たことを漏らさぬよう舌を抜き、目を潰すのです」
淡々とした口調に、研究者たちならず、ルークたちも、ぞっとした。
 「まさか… そんな…」 
 「本当です。貴方方は、一生ここから出られないと思います。」
 「イヤアア!」
悲鳴を上げ、女性が蹲る。黒縁眼鏡の男も、見る間に顔面蒼白になってゆく。
 「そんな…こと、我々は聞いていないぞ、一言も…」
 「利用されてるんだよ、あんたたちは。分かったら、協力してくれ。それから、おれたちがここから脱出できるよう祈っててくれ」
言いながら、ルークの耳は、遠くから響いてくる鐘の音を捉えていた。間違いない、この先だ。この先に―― 何かが、待ち受けている。



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