<第三章>

ブレ


 見つめ合っていたのは、数秒だった。
 「あの、ごめんなさい!」
ミズハがわたわたと両手を振りながら、しどろもどろに口を開いた。「えっとね、道に迷ってっていうか! あ、怪しくないよっ」
 「ミズハ…」
ルークは、用心深く辺りを見回す。「たぶん言い訳は無駄だと思う…」
 キシ、キシと軋む音がどこからともなく聞こえてくる。人間の足音とは思えない。間もなく、ドアの影、天井裏、床のタイルの隙間から、隠れていたものが次々と姿を現した。細い金属の手足を持つ、奇妙な人形たちだ。ゴーレムのような不格好な人型とは違うが、人間の形からかけ離れているだけに、動きは機敏で何をしてくるのか検討もつかない。今まで、変形して風景の中にたくみに隠れていたものたちだ。
 竪琴を引いていたウサギが、一歩踏み出した。
 「待って」
白い袖口の鈴が、しゃらんと音をたてた。人形たちの動きが停まる。
 「おさがり」
たった一言。それだけで、現れた人工的な生き物たちは、大人しく引き下がった。元いた場所へ、ほとんど音もたてず、そろそろと戻っていく。抵抗する気だったルークもミズハも、ぽかんとしてそれを見守っている。
 「あの、どうして――」
 「あれは”ガーディアン”たちです。自立起動もシます。わたくシに、何かなさろうとは思われないことです」
ウサギのような人物――リブレ人は、やや鈍った不自然な歯切れながら、落ち着いた口調で言い、さっきまで座っていた籐椅子に腰を下ろした。
 「どうぞ、お掛けなさいな。そちらへ」
 「でも――」
 「おはなシは、座ってするものですよ。」
ミズハが先に従った。足元に敷かれた、ふかふかの絨毯が心地よい。ホールのようになったその部屋には、籐の椅子とコーヒーテーブル、観葉植物や絵画が飾られ、明かりの照らしだすドーム型の天井には不思議な天井画が彩っている。凝った刺繍飾りのついた、ゆったりとしたローブを纏ったリブレ人は、それでもやはり、ウサギ人以外の何者にも見えなかった。
 「お答えなさいな。あなたたち、どこから来たの? どうやってここに入り込んだのかシら。」
 「…搬入物資に紛れこんだんです」
ルークは、正直に答えることにした。「どうしてもリブレを見てみたかったので。」
 「それはおかシいわね? この都市に入ってくる物資は、すべて念入りに検査されるはずですよ。身分証明書を持っている人だって、滅多に城壁の中までは入りません」
 「やっぱり」
ミズハが呟く。
 「そうだと思ったんですが――何故か入り込めてしまって…。気がついたら、大騒ぎになっていて」
これは、嘘ではない。たとえ罠だったにせよ、検査もなくリブレの内部に入れてしまったのは、ルークにも誤算だった。
 ウサギの赤い目が、ぱちぱちと瞬きした。
 「わたくシの目をご覧になって。あなたたちは何処からおいでになったの?」
 「…フォルティーザの町から」
不思議な赤い輝きに魅入られるような気がしながら、ルークは答える。「そこで以前、リブレ人を見たことがある。聖職者のような格好をして、飛空艇に乗って来た。ヴァージニーって人です」
 「あら、まあ―― ええそうね。それは確かに彼だわ」
しゃらん、と袖口の鈴がなる。ウサギ人は、袖口から小さな金の鐘を取り出した。ミズハがびくっとなる。ハンドベル――以前、ヴァージニーがフォルティーザで使っていたものと同じ。ごく自然な動きで、それを上下に一度、打ち鳴らすような仕草を見せた。
 一瞬、びくっ、となったミズハだが、次の瞬間、きょとんとした顔で目をぱちぱちさせた。
 「あれ」
 「――?」
ルークは、ミズハと、鐘を相互に見比べた。今、確かに鐘は上下に振られた。…はずなのに、音は―― 聞こえなかった。ルークにも。
 「よろシい。貴方方は悪いものではなさそうだわ」
 「あの」
 「わたくし、嘘つきは分かるんですのよ。うふっ」
その仕草で、ルークははっとした。衣装だけでは分からなかったが、このウサギ人は――もしかして、
 「ごめんなさいね、試シてみたのです。わたくシはユージェニー。ヴァージニーの妹です」
 「妹?!」
 「外が何だか騒がシいのだけれど、きっとそのせいで、検査の行きちがいがあったのね。ここの町は厳しいから、見つかったら過激な人たちが騒ぎ出してシまうわ。それでは可愛そう」
ルークとミズハは、顔を見合わせた。どうやら、いい方に解釈してくれたようだ。
 「外に出してもらえるんですか?」
 「ええもちろん。落ち着いたらね。心配なさらないで、この館は今はわたくシだけしかいませんの。使用人はみんな”ガーディアン”ばかりですからね。さ、ついていらっシゃい。その格好ではいけませんわ」
二人は、ユージェニーと名乗るリブレ人の女性に連れられて、磨き上げられた廊下と部屋を幾つも通り過ぎた。まるでお城のような館だ。歩きながら、ユージェニーは楽しそうに話してくれた。実物の”外の人間”を見たことは殆ど無いということ。大抵のリブレ人は、一生町の外へ出ずに暮らすのだということ。寿命はとても長く、繁殖は法で定められた者同士が決まった時期に行うことになっていて、生まれた子供は両親や他の家族を知らずに育つのだということ。ユージェニーが兄のことを知っているのは、例外的に、双子として生まれたからだということ…。
 ゆったりとしたリブレ人の衣装に身を包み、すっぽりとヴェールで顔まで隠してしまうと、二人の姿は、一見してよそ者とはわからなくなった。
 「これでいいわ。これで、誰か来てもお友達が来てるんだって言い訳できますもの。ねえ、折角だから外のことをお話シてくださいな。わたくシ、まだ外の世界に出たことがなくて――」
 「出るのに許可がいるんですか? 旅行なんかはしないんですか」
 「危険なので、一人前になって”鐘”を扱えるようにならなければ駄目なのです。外は神魔戦争のせいで荒廃して、ほとんど人の住める土地はないそうですシ」
 「荒…廃……。あ、いや、確かに住めなくなった土地もありますが、今は町や村もけっこうありますよ、この大陸は特に。この町にだって、外からワインや絹なんかが運ばれてくるでしょう?」
 「ええ、でも、この町に比べたら今も危険な場所なんじゃありませんこと?」
ユージェニーは首をかしげてみせた。ルークは返答に窮する。ちり一つ落ちていない城のような家、わずかな住人に仕える数多くの生命なき――決して逆らわない――使用人たち。それに、窓の外に広がる、あまりにも完璧な町並み。こんなところで長い年月暮らしていると、外の世界が野蛮に写るようになるのかもしれない、という気はしてくる。
 「おれたちの町からは、海が見えるんです」
 「海? それは、潮水の大きな湖のことね」
 「湖とは違います。広くて―― 波もある。そこには色んな魚が住んでいて、どこまでも広がる水平線が…」
 「まあ」
ユージェニーは赤い目を輝かせて、話に聞き入っていた。姿こそ違えど、その表情は、好奇心旺盛な人間の若い女性と変わらない。

 小一時間ほども話していただろうか。
 「あら、そういえば、お茶も出していませんでしたわね。ごめんなさいね。ちょっと見てきますわ」
ユージェニーが席を外したのを見計らって、ミズハは席を立って窓の外を確かめた。表通りには人気はなく、兵士――といっても、それもリブレ人ではなく作られたものだと今では分かっている――が、辺りを警戒しながら哨戒しているだけ。火事のほうは収まってきたようだが、ジャスパーたちがどうなったのかまでは分からない。
 「無事だといいんだけどな」
 「うん…」
ミズハは着ている白い絹の衣装をつまみ上げ、そろそろと椅子に座り直した。そうしないと、長い裾を踏んづけてしまうからだ。
 「ね、ここって、2つ目の城壁の中だよね」
 「多分。」
ルークは、頭の中で、リブレの見取り図を思い出していた。城壁によって三重構造になった町の、ここは二層目。一層目までは外からの商人が入ることもあると、ジョルジュは言っていた。二層目はその奥、リブレ人だけが暮らすと思われていた空間だ。ミズハが城壁を飛び越えられたのは、反対側に逃げたジャスパーたちのほうが起こした騒ぎが大きかったからだろう。
 「ここまで入り込めるとは、思わなかったな…」
罠に掛けてくれたお陰、と言うべきなのだろうか。
 「二層目まで来てると思ってないから、まだここまで手が及んでないのかも」
 「ね、いちばん奥まで行けると思う? もうひとつの城壁の中」
バージェスに関わる何かがあるとすれば、都市の中心部、最も奥の城壁の向こう側だ。
 「どうだろう。…あの人を騙して連れて行かせるにしても、そもそも入り方を知ってるかどうか」
 「でも、前に町に来た偉そうな子の妹なんでしょ?」
 「あっちが帰宅したところを捕まえるとか出来ればいいのかもしれないが…」
この家も町も、”ガーディアン”だらけだ。そう簡単には行かないだろう。あれに見つからずに済む方法があればいいのだが… そもそも、あれは一体何なのだろう。生物でないことは明らかだ。あれも、飛空艇と同じ様に、神魔戦争以前の時代の失われた技術で作られた何か、なのだろうか。
 衣擦れと足音が近づいてくる。二人は口を閉ざし、ユージェニーが姿をあらわすのを待った。
 「お待たせシましたわね。外の様子を確かめてきたのだけれど」
伴ってきた”ガーディアン”が、銀色の細い腕で器用に盆を捧げ持っている。女主人が席につくと同時に、それは、コーヒーテーブルの上に、ティーカップやお茶うけの皿を並べていった。
 「なんだか、町に入り込んだ危険分子がまだ見つからなくて、外出も禁止なのですって。大変なことだわ」
 「危険分子…って」
 「あら、あなた達のことではないわよ。人間ではないの。なんでも、外の世界から攻めてきた魔神や魔女と、その下僕なのですって。恐れ多いことねえ」
 「……。」
ルークとミズハは、無言で下を向く。
 間違いなく、自分たちのことだ。
 「外の世界って本当に危険で恐ろしいところだわ。わたくしたちは、神様に選ばれた民であることを感謝シなくっては」
 「選ばれた民?」
 「ええそうよ。リブレは天空の神バージェス様の契約の民なんです。そシてここは、バージェス様に守られた神聖な都市なのですよ」
そう語った時のユージェニーは、恍惚とした表情をしているように見えた。
 「外の世界にも、魔神や魔女はもうあまりいませんよ」
ルークは、平静を装いながら話をあわせる。「神魔戦争で、ほとんどが消えてしまったそうです。」
 「でも、まだ攻めてきたりするのでシょう? 恐ろしいわ。あなたたちは神様の加護もなシに、どうやって町を守っているの? 」
 「苦労は、してます…。」
お茶に視線を落とす。いい香りがするが、とても手を付ける気になれない。
 「バージェスって、月に住んでるんだよね?」
ミズハが、沈黙の後を引き継いだ。
 「そうです。月のお城に、その周りには楽園があって――きちんとお仕えすれば、わたくシたちは死後、そこへ行けるんです」
情報にあった古文書の通りだ。ただ、それがどの月かまでは書かれていなかった。
 「今も、まだいるんだよね。神魔戦争のあとも、ずっとそこに」
 「もちろんですわ。でなければ、今もこの町が守られているはずはありません。特別なお祭りの日には、わたくシたち、神殿へ出かけてご神託を聴くのです」
 「ご神託?」
 「歌をうたってお迎えするのです。そのお祭りのために、さきほど曲を練習シていたのですわ」
最初に出会った時に竪琴で引いていた、不思議な曲のことだ。
 「神様だから、やっぱり神殿があるんだね」
と、ミズハ。「その神殿って、町の中にあるの?」
 「大神殿は、町の中心にあります。けれどそこは、司祭以上の聖職者シか入れませんの。わたくシたちはいつも、町の小神殿でお祈りを捧げていますわ。聞かせて差し上げましょうか? とてもいい曲で――」
ユージェニーが傍らの楽器に手をかけようとしてた、そのときだ。ゴウン、ゴウン、と低い音が聞こえてきた。頭上からだ。三人は天井を見上げ、次いで、窓の外に視線を移した。大きな影が、城壁の向こうから近づいてくる。
 「飛空艇…」
 「また、あれだわ」
ユージェニーは、眉間に軽く皺を寄せた。
 「ご存知ですか? このリブレの支援でメテオラという国が、あれを多数製造していることは」
 「ええ、外の世界にはびこる魔神や災いを滅ぼすためだとか。でも――」彼女は、声を低くした。「不格好で、あまり好きになれそうにないわ。」
 「あたしも好きじゃないな。鳥のほうが綺麗だよ」
 「そうよね」
不安に揺れる声。一般市民には、本当の目的は知らされていないのだと察した。外の世界についての情報も歪められ、町の外に出ることすら許されていない。ここに暮らすリブレ人の多くは、バージェスのため生きることを義務付けられ、何も知らないまま一生を終えてゆく。

 どうすればいいのだろう。
 ユージェニーに通された寝室で、ベッドに横になりながら、ルークは考え続けていた。彼女にここに来た目的を話して、協力してもらうべきか。だが、外の世界について何も知らないユージェニーに、どう説明すればいいのだろう。それをどうやって信じてもらう?
 それに、ジャスパーたちのことも心配だ。
 「…鳥が飛ばせればなあ」
カーテンで仕切られた部屋の反対側から、ミズハの声がする。
 「ジャスパーとマル君、この辺りにはいないみたい」
 「分かるのか?」
ルークは、ベッドの上に跳ね起きた。
 「ちょっとだけ気配がするの。でも、遠くてよくわかんない。」
 「…そうか」
無事に逃げてくれているのなら、それでいい。「けど、それってバージェスにも、おれたちの気配が分かるってことじゃないのか?」
 「マル君とバルゴスが目立つから、向こうはきっとそう。でも、あたしたちはばれないと思う」
 「どうして?」
 「ばれてたら、こんなにのんびりしていられないでしょ?」
それも、そうだ。
 ルークは、自分の手を見やった。この姿の時の自分は、ただの人間。ミズハも同じ。バージェスは、この状態の自分たちを見失っているのかもしれない。だとすれば、今がチャンスだ。
 廊下のほうで、話し声が聞こえた。何か言い争うような声だ。
 口に人差し指を当てながら、ルークはそろそろと窓際に近付く。明かりが揺れて、2つの影を映し出す。ユージェニーと、別の誰か。声は中庭のほうへ流れてゆく。ルークは上着を羽織り、ミズハに目で合図した。
 「何を言っているのですか!? 門へなど行けるわけがないでしょう、買い物ならまたにシなさい」
 「でも…明日には収まるのでしょう? 約束したものがあって、どうしても… ほんのすこしだけですから」
 「駄目です!」
言い争うのは、二人のリブレ人だ。
 「いいですか、いまこの町に潜伏している奴は、”海の魔女”と”双頭の巨人”! つい先だって外の世界で都をひとつ壊滅させた、とんでもない連中ですよ!」
怒鳴り声を上げているのは、男のリブレ人。ユージェニーは、しゅんとなって耳を垂れている。聞き覚えのある声だ。ここからでは顔まで見えないが、多分あれはヴァージニーだろう。
 ヴァージニーは、乱暴にグラスを取り上げ、中の赤い液体をぐいっと一気に流し込んだ。
 「私はこれから、神のもとへ申開きにゆく。ご機嫌シだいでは、無事に帰れぬかもシれん」
 「そんな…!」
ユージェニーは口元に手を当て、小刻みに震えている。一言、二言、言葉を交わし、遠ざかってゆく足音、
 「ヴァージニー!」
悲鳴にも似た声と、嗚咽。ルークたちが見たのは、床に崩折れて泣きじゃくるユージェニーの姿だった。
 気配に気づいて振り返った彼女は、はっとして涙を拭った。ハシバミ色のつややかな毛並みが涙でべったりとなっている。
 「ご、ごめんなさい。取り乱シてシまって。ごめんなさいね、あなたたちを外に出してあげるために、外出許可をいただこうとシたのだけれど、今はまだ、外に出られる時ではないと――」
 「その必要はないんです」
 「ごめんなさい…」
 「え?」
 「おれたちが、」ルークはもう、隠す気を失っていた。「たぶん、あの人の探してるものだから」
 「そんな、冗談はおやめになって」
テーブルの端で体を支えながら、長いローブの裾を引きずって、ユージェニーはよろよろと立ち上がる。
 「冗談ではないですよ。都を一つ壊滅させたとかいうのは間違いだけど、おれたちは、手違いで紛れ込んだわけじゃない。自分たちの意思で、バージェスのことを調べるために来たんです。――ここへ」
大きな赤い瞳が、一瞬、さらに大きく見開かれる。瞳を見つめて話す。嘘かどうかは、すぐに分かると言っていた…
 「ほんとのことを教えられていないの、ここの人たちはみんな。バージェスは神様だけど、いい神様なんかじゃないよ。あの飛空艇は戦争に使われるかもしれないの。そのせいで、みんな怖がってる」
 「メテオラは、飛空艇を揃えて大陸の勢力図を書き換えようとしています。脅しを掛けて。バージェスもそうだ。外の世界が危険なんじゃない。今、危険な存在になろうとしているのは、このリブレと、あなた方のほうなんです」
 「そん、な。そんなこと、急に言われても…」
 「信じてほしいの! あたしたちは、誰かと戦いたいんじゃなくて、何が起きてるのか知りたいだけなの。あたしたちが出て行けば、あなたのお兄さん、叱られずに済むんでしょ? だったら――」
困惑する赤い瞳が、交互に二人を見る。
 「…何をすれば、よろしいの?」
震えるユージェニーを説き伏せて、ルークが願ったこと、それは、大神殿のある町の奥へ続く道を案内することだった。


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