<第三章>

ブレ


 予想はしていたが、翌日、ジャスパーはひどい二日酔いに見舞われていた。朝からずっと、青い顔をして頭を抱えている。
 「ほら、水」
 「…ムリ。飲んだら吐く。ていうか海に帰りたい」
酔っ払って階段から落ちた傷よりも、二日酔いの頭痛と吐き気のほうが酷いようだった。
 「あの…」
昨日のレミが、お見舞いにやってきた。手に、小瓶をいくつか持っている。
 「これ、二日酔いの薬持ってきました…。」
 「効くといいんだけどな」
人間の姿になっている海竜に、人間の薬が効くのかどうかは不明だ。
 「ジャスパー、薬だって」
 「ううう」
無理して薬を飲み込んでしまうと、ジャスパーは胸のあたりを抑えて再び毛布の下に潜り込んでしまった。これは、今日一日は動けそうにない。ルークは、今日何度目か分からない溜め息をついた。
 「こんなことで足止め食うと思わなかったな…」
 「まだ旅行を続けるつもりなんですか?」
と、レミ。「今度はどちらへ?」
 「この先までは行けそうもないし、いったんアガットへ戻ろうかどうか考えてたところなんだ」
 「そうですか…」
話題を変えようと、レミは周囲を見回し、窓際にハンガーにかけて吊るされている昨日洗濯した服に目を留めた。
 「もう乾いたみたいですね、よかった。…あら」
側の小卓の上に目を留める。「これ…」
 「あ」
しまった、とルークは思った。小卓にはもミズハが無造作に積み上げていった荷物がそのまま置かれている。地図や本はともかく、そこには、国家連邦のマークいりの封筒や、出る前にジョルジュから受け取ったリブレの資料なども混じっていた。しかしレミはそれらには気づかずに、一番上に置いてあった、古びた絵本を持ち上げた。
 「懐かしいですね、これ。どこで手に入れられたんですか?」
”月のお城”の絵本。なんとなく荷物の中に入れて、そのまま持ってきてしまっていた。著者の名前もわからず、何の手がかりもないと思っていたものなのに――
 「知ってるんですか? それを」
 「ええ、私の曽祖父が書いたものですよ。前は村に来られるお客さまにお渡ししていたらしいですけれど」
胸が高鳴るのを覚えた。この村で書かれた?  だが、ルークはできるだけ興奮を抑えてさりげない口調を装った。
 「古い知人に貰ったものなんです。それで、リブレに興味を持ってて――。家族の誰かが、リブレに行ったことがあるんですか」
 「今も祖父が行ってますよ、うちは定期的にリブレにワインを卸してますから」
手がかりを見つけた。
 「でも、――あそこは、その、観光で行けるような場所じゃないし、私は見たこともないです。入るのは厳しく制限されてて、通行手形を持ってる人しか通してもらえないんですよ」
 「家族がついていくのもだめなのか」
 「そうなんです。」
ルークの脳裏に、古典的な方法が思い浮かんだ。まさか、旨くいくとも思えないが… 万に一つも成功するのなら…。
 「リブレ人はワインをけっこう飲むんですか」
 「さあ…。卸してるのは一回に馬車1台分くらいだから、そんなに多くはないんじゃないかしら。それも半月に一回くらいだし」
 「成る程ね」
ルークは、傍らで毛布を被っているジャスパーのほうに目をやった。これは幸運かもしれない。ジャスパーの体調を言い訳にすれば、あと何日か村に滞在しても誰にも怪しまれない。そして、その間にレミの祖父がリブレへ向かう時期を聞き出せれば。
 これは、考えた以上に旨くいった。狙いすましたように数日後、レミの祖父がワインを届けるという話。ジャスパーの体調も戻りつつあり、他に誰も良い方法も思いつかなかったことから、ダメ元で試してみようということになった。決行の日は、迫っていた。

 「…確かに古典的な方法だな」
と、樽に詰められる前、マルドルゥインは皮肉めいた顔をして言った。「これが成功するとしたら、余はリブレのザル警備を思う様あざけってやる」
 「人間、意外と単純な所が盲点なんだよ。」
そう言いながらルーク自身、うまくいく気がしなかった。ワインを届ける幌馬車の中に紛れ込んでいこうなど。いくら馬車にぎっしり積まれた樽だとしても、その中で何樽も偽物が紛れていたら、気づかないほうがおかしい。たとえ、バルゴスは馬車の底に張り付くのだとしても、だ。
 「俺、ここから出たら死んでるかもしれない…」
作戦を聞いた時から難色を示していたジャスパーは、ワイン樽の匂いで既に頭痛を覚え始めているようだった。
 「頑張ってくれ。長くても半時間くらいの距離だから。…ミズハは?」
納屋の外の様子を伺っていた少女が、振り返って小声で囁いた。
 「ここ。まだ、誰も来てないみたい。」
宿は昨日のうちにチェックアウトして、夜中にこっそり戻ってきたのだ。ジャスパーとルークは樽の中、体の小さいマルやミズハは幌馬車の奥に掛けられた毛布と、車輪が壊れたときに修理する道具の詰まった木箱の影。木箱夜明け前、家畜たちは目を覚まし、朝の早い村人はそろそろ竈に火を入れはじめている。

 どのくらい、待っただろう。
 ガタン、と納屋の扉が開く音。緊張で体を固くするルークたちの側を、足音がいくつも通りすぎてゆく。馬車が納屋から引き出され、明るい日差しが差し込んでくる。続いて、重たい音と衝撃。馬車が上下に揺れる。樽を積み込んでいるのだ。隠れている者がいるなど思いもせず、村人たちは次々とワインの樽を荷台に押し込んでいった。ルークとジャスパーの樽も混じっている。
 ごとん、と入り口の留め金がかけられる音。話し声がして、馬車がゆっくりと走りだした。樽が揺れ、中につめ込まれているルークは頭を縁にぶつけた。近くで小さなうめき声がする。ジャスパーも同じような状態らしい。
 (ミズハ、聞こえるか)
 (うん)
 (リブレに近づいたら教えてくれ。そこからなら見えるか?)
もぞもぞと動く音。(――駄目、よく見えない。でも今、丘の横を通り抜けてる)
 (了解)
狭い空間で、なんとか体制を立て直す。せめて見つかった時は、うまく逃げ出すつもりでいたい。
 走っているうち、馬車の揺れは、次第に小さくなってきた。
 舗装道路に入ったようだ。蹄鉄のたてる、カッポ、カッポという音が高くはっきり響いているところからして、下は石畳だろうか。速度が落ちてきた。一旦停止。
 (ついたみたい)
ミズハの囁きと、沈黙。ルークは、近くにいるだろうジャスパーの気配を探った。無事だといいのだが。
 再び、馬車が動き出す。樽の口をそっと開けて、ルークは外の様子を伺った。微かに音楽のようなものが聞こえる。馬車は走り続けている。
 暗がりに入った。
 狭い空間に蹄の音が反響している。トンネル――いや、地下へ向かっている? 馬車は曲がりくねった通路を進んでいる。リブレは地下都市だったのだろうか。――いや、それはありえない。ヴィレノーザで国家連邦のエージェントから渡された写真には、地上らしい町の風景が写っていた。馬車は進み続ける。ルークは不安になってきた。
 (ミズハ、今どうなってる?)
 (……)
 (ミズハ?)
唐突に、馬車が停まった。馬が外される音。人の気配が去ってゆく。何かがおかしい。樽を開け、中から這い出して外の様子を伺おうと幌を捲った時、待ち構えていたように、眩い光が視界を奪った。
 「な…」
そこは、予期していたような倉庫や佐倉ではなかった。高い天井、閉されて出口のない、石牢のような円筒の空間。頭上からの強烈なライトが馬車を照らし、周囲の城壁の上に銃を構えた一群が待ち構えているのが見えた。
 罠だ。
 叫ぶより早く、けたたましい銃声が耳をつんざいた。ルークは馬車の影に飛び込んだ。
 「皆、逃げろ!」
ワイン樽が次々と撃ちぬかれ、真っ赤な液体が血のように馬車の周囲に広がっていく。幌が破れ飛び、車軸が折れ、馬車は横倒しになった。銃声が止む。縦断が抉った床石の石ぼこりと舞い散る木くずの中、――しかし、四人はかすり傷ひとつ追わずにそこに居た。白く輝く翼が目の前にある。両手を広げたミズハが、仲間たちの前に立ちふさがっている。
 不可侵領域。彼女の周囲1.5メルテに存在するそれは、どんな攻撃も通すことはない。
 「ルー君、出口は?!」
 「分からない」
入ってきた方向は、頑丈そうな鉄の扉で閉ざされている。四人をここまで連れ込んだということは、足止めできる場所だからだ。おそらく扉は何重にもなっている。そこを狙うのはかえって賢くない。
 「バルゴス!」
マルドゥルゥインが苛立った調子で叫ぶ。バルゴスが鼻から炎を吹き出すと、むくむくと体をふくらませた。炎を纏い、口から火炎を吐きつけながら力強く羽ばたく。
 「あいつらを叩きのめせ!」
銃を構えていた一団は、火トカゲが上昇してくるのに気づいても慌てた様子もない。頭上で、扉が開くような音がした。と、次の瞬間、四方から冷たい水が勢い良く、滝のように落ちてくる。翼に水をモロに受けて、バルゴスはきりもみしながら墜落した。地響きと、水蒸気の湯気。
 「バルゴス!」
マルが赤い髪を振り乱して駆け寄る。水は、既に足首まで来ていた。
 「…こっちの戦力はお見通し、ってわけか」
空は見えず、風は吹かない。足元は固い岩で、土ではない。頭上からの大量の水で、バルゴスも飛べない。
 「あ゛ー… まだ頭クラクラすんのに」
酒気に当てられてよろめきながら、ジャスパーがざぶざぶ水を蹴り分けて近付いてくる。
 「で? どうすんだよルーク。逃げるのか? 戦うのか?」
 「あたしは嫌だよ、ここまで来て逃げたくない」
ミズハは、きっぱりと言う。
 彼は、頭上を見上げた。高い天井、固く閉ざされた周囲の壁。まるで、地下の奥深くに閉じ込められたなうな感覚。
 けれど、それらはまやかしだ。門を入ってから、ここに来るまでの感覚を思い出していく。地下へ入って、何度も螺旋を描きながら奥深くへ入っていった。距離があるように思えたのは、そのせいだ。見かけほど地下の奥深くであるはずがない。だとしたら。
 「――進もう。でもムリはするな」
 「ああ」
にやりと笑って、ジャスパーは、湯気を立てながら炎を吐いて暴れているバルゴスのほうに親指を向けた。「あっちは任せとけ」
 頷いて、ルークはミズハの方に向き直った。
 「飛んでくれるか?」
 「もちろん」
ミズハは、ひとつ息を吸い込むと、両手をかざした。風が沸き起こり、輝く白い海鳥たちが生まれる。
 「同時に狙うんだ。体当たりでいい」
 「了解!」
ミズハに腕を預けると同時に、ルークの意識は体を離れた。自分の体が崩れ落ちるのを眼下に見下ろしながら、影の巨人は静かに円筒の中に膨れ上がってゆく。耳元のあたりで、さっき銃撃してきた兵が「退却!」と叫ぶのを聞いた。パン、と乾いた銃声が一発、しかしもちろんそんな物理的な手段では影の巨人は止められない。
 ルークは拳を振り上げる。
 ミズハが片手をかざす。
 二人が腕を振り下ろすのは、同時。岩壁がミシッ、と音を立て、ヒビが入る。どんなに強固な壁だとしても、二人がかりの全力を前にしてはひとたまりもない。
 頭上から落ちてくる岩を背に受けながら、ルークはさらに数発を割れ目に叩き込んだ。ヒビがどんどん大きくなり、壁が崩壊していく。割れた壁の隙間から、空が見えている。いまだ。
 「ミズハ、翔べ!」
ルークの体を抱えたまま、少女は一直線に空を目指す。ジャスパーは、周囲に水の壁を作りながらマルとバルゴスを抱えていた。ルークはそれもつまみ上げ、壁の縁に載せた。
 影がゆらめく。
 体に戻る前のほんの瞬間、ルークは、空の上から町を見下ろしていた。
 丸い城壁に囲まれ、暖色の光に輝く均整のとれた美しい町。不自然なまでに整えられた放射状の道に沿った町並み…。
 世界が暗転し、意識は一度、闇の中へと沈んでいった。


 再び目を開けた時、目の前には夕焼けにも似た赤く染まる空があった。ミズハが覗きこんでいる。
 「気がついた?」
 「…あいつらは」
ジャスパーとマルの姿がない。ミズハは首を振り、空を指さした。夕焼けだと思ったものは、火だった。感覚が戻ってくるとともに、緊迫した警鐘と、人の叫び声が聞こえてきた。今いるのは、どこかの民家の庭らしい。石壁に囲まれ、よく手入れされた庭木が茂る中に隠れている格好だ。どこかで、水の流れ落ちる音がする。
 「たぶん、マル君かバルゴスだと思う。あっちが大騒ぎだから、うまく逃げられたの。」
 「そうか…合流できるといいんだけど」
辺りは静けさに包まれ、人の気配はない。ここは何処なのだろう。逃げ出すときに見えた光景からして、リブレの中にいるのは確実だ。ということは、ここにはリブレ人しかいないことになる。見つかったら、もう言い訳できない。
 「待ち伏せ…されてたね」
ミズハが、ぽつりと言う。
 「だな。けど、あんなチャチな罠じゃ止められないことくらい分かってたはずなのに。時間稼ぎか――」
 「それだけなら、いいんだけど」
膝を払って立ち上がろうとしたミズハは、ふいに動きを止めた。
 「どうした?」
 「…音が聞こえる」
 「音?」
ルークも、耳を澄ませた。本当だ。水の流れ落ちる音にまじって、微かな快い音楽が流れてくる。聞いたことのない音だ。
 「誰かいるのかな」
 「行ってみるか」
用心深く中庭を横切り、植え込みに身を隠しながら駆け抜ける。奇妙なことに、ここには見張りらしき人影はおろか、住人も、いや、そもそも人気配というものが全く無い。廃墟ではない。逆に、誰かいることははっきりしているのに、不自然なほど完璧すぎるのだ。庭の植木には枯れ葉ひとつなく、廊下はチリひとつ落ちていないほど磨き上げられ、自分の姿が反射して映り込むほど。
 「靴は脱いだほうがいいのかもな」
と、ルーク。汚れをつければ、誰かが入り込んだことがバレてしまう。
 足音をしのばせ、部屋から部屋へ。と、音がひときわ大きくなった。微かな香の香りと風、薄いカーテンが揺れている。そっと奥を覗きこむと、こちらに背を向けて無心に竪琴に指を走らせている人影が見えた。長いヴェールを垂らし、白い袖口から伸びた毛深い腕が器用に弦を撫でる。その頭は…
 二人が思わず息を呑んだ音で、その人物は、弾かれたように立ち上がった。
 「誰?!」
振り返った顔もやはり毛むくじゃらで、大きな赤い2つの目が開いている。
 長い耳。人ではない顔。
 まさしくウサギだ、とルークは思った。月のお城を崇めるウサギ。あの絵本の通りだと――。


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