<第三章>

ブレ


 晴れた空には白い雲が流れ、舗装もされていない砂利道の左右に広がる広々とした牧場では放牧中の牛達がのんびりと草をはんでいる。
 木立の間を、空の木樽を積んだ馬車が通りすぎてゆく。馬の蹄の音にあわせて上下する荷台の上に、四人は居た。行く手には畑に囲まれた小さな村が見えている。
 ヴェローナの村。村の周囲を取り囲むのは、見事なぶどう畑。この細い一本道だけが村に通じる唯一の道。人里離れた僻地にある、ワインづくりの小さな村だ。
 馬を御していた老人が振り返り、ルークに声をかけた。
 「もうじき着くよ、お若いの。」
 「ありがとうございます」
上着を被って眠っていたマルが目を覚まし、大きく伸びをする。
 「どうやら、妨害が入らずに来れたようだな」
 「ああ」
ここからが問題だ。この村はリブレに定期的にワインを卸している。そこに紛れ込むためには、村で情報を集めなければならない。
 「リブレっていうのは、ここから遠いの?」
ミズハが、ルークが広げようとしている地図を覗きこむ。
 「いや。かなり近いよ。ここから南東―― 数キロ先だ。ほら、多分あの丘の向こう」
三つ子の丘が、牧場の端に壁のようにそびえ立っている。古い石積みが、丘の麓に境界線を引いていた。
 「なら、もうお膝元だな」
ジャスパーは、一つ欠伸。「さすがに気づいてるだろ。天空のなんちゃらさんは」
 「たぶんね…」
ここまで無事で来れたのは、罠かもしれない。
 「手が回ってないだけかもしれないけど、あまり時間がないのは確かだ。邪魔が入る前にリブレに入れる方法を見つけないとな」
馬車は、陽気な蹄の音を響かせながら村に入っていく。発酵したブドウの酸っぱい臭い。犬の吠える声。馬車は村に一件しかない食堂を兼ねた宿の前で止まった。
 「ここだよ」
ルークは、礼を言って馬車の主に足代を渡した。
 宿は、民家を改造したような雰囲気で、そう大勢泊まれる雰囲気の場所ではない。村の他の建物と同じく、木とレンガで作られた、質素で古めかしい作りだった。この村に、観光客などめったに来ない。リブレ以外の町にもワインを卸しているため、買い付けの商人はたまにやって来るという。そうした商人を泊めるだけの場所だ。どう見ても商人には見えない一行の身分を偽るため、ルークは、「卒業旅行」という言い訳をひねり出した。出発前、ジョルジュが用意してくれた四人の身分証――偽造身分証の身分が、全員「ヴィレノーザ大学の学生」というものだったからだ。

 「学生さんに面白いものなんて何もないと思うけどね」
宿を取り仕切る女将は、四人に昼食を給餌しながらそう言った。
 「のんびりするには、いいと思うけど…ワインづくりの研究でもしてたのかい?」
 「辺境巡りってやつです」
と、ルーク。
 「にしたって、何もこんな時期に、こんな場所に来なくったって」
 「メテオラのことですか?」
 「そうよ。戦争が始まるかもしれないって言うじゃないの。嫌だわ。」
 「けど、ここはリブレのすぐ側なんだから、戦火なんて来ないだろ」
 「リブレ…?」
ジャスパーの一言に、宿の女将が怪訝そうな顔をする。ルークは、慌てて言い添える。
 「メテオラとリブレが同盟関係にあるって、ここに来るまでに新聞で読んだんです」
 「東のほうじゃ、そういうことになってるの? でもリブレは関係ないと思うよ、多分」
不穏な雰囲気だ。リブレと取引する村人たちは、リブレについてあまり語りたがらない――とは前もって聞いていたものの、ここまで警戒心が強いとは思わなかった。
 「あんたたち、リブレに興味があるの?」
 「まあ、――多少は」
 「なら言っておくけどね、牧場の外側にある石積みを越えちゃいけないよ。あそこから先はリブレの土地なんだ。都市境界を勝手に越えると即攻撃するって言われてる。去年、迷い出た子羊を追いかけて境界を越えちまった村人は、撃たれて足を無くして帰ったよ」
女将は、最後の方は声を潜めていた。
 「この村に住んでるあたしらだって、そういうもんなんだ。あんたたちもね、注意することだよ。いいね」
 「――分かりました」
女将が去っていったあと、四人は顔を見合わせた。いざとなったら、夜中にこっそり近づいてみることも考えていたが――これは、そう簡単にリブレに近づけそうもない。
 昼食後、村をぶらぶらと見まわってみた。
 小さな村だけに、興味を引くようなものは特に何もない。ワインづくりの施設は確かに楽しかったし、貯蔵庫の見学もさせてもらったが、一日もあればすっかり見終わってしまう。
 ルークは、粉ひき用の風車小屋に登って高いところからリブレの方角の様子を確かめた。牧場には、牛に加えて羊や馬もいる。それらが黒い塊となって点在しているのが、小屋の上の狭い窓から見えていた。さっき女将の言っていた石積みは、牧場の周りをぐるりと取り巻き、とくに三つ子の丘のある側は、念入りに二重に作られている。リブレの方角へ続く細い道は、丘をぐるりと巻いてその時へと消えていた。境界を越えると撃たれるということは、あの丘のどこかに見張りがいるのかもしれない。
 「ルー君」
はしごを登って来たのは、ミズハとマルだ。
 「さっき村の人から聞いたよ、このところ、飛空艇がよく村の上を通ってるって」
 「飛空艇が?」
 「うん。リブレの方に降りてる――たぶんリブレのじゃないか、って。」
既にメテオラは、かなりの数の飛空艇の建造を終えている。そのうちの幾つかは、技術提供の見返りとしてリブレ用に渡したのかもしれない。
 ルークが眺めていた、狭い窓からの風景にチラと目をやると、マルはかばんを叩いた。バルゴスが首を出す。
 「あの向こうに何か見えるか?」
 「ふーむ…。丘に穴が開いてますな、中に人が動いてますぞ」
バルゴスの目は、獣並だ。これもサラマンダーの能力なのだろうか。
 「やっぱりな。あっちは、四六時中見張られてる…ってことか。夜中にこっそりってわけにもいかなさそうだ」
 「難しいねー」
 「…って、ジャスパーは?」
その時になってようやく、ルークは、一人足りないことに気がついた。
 「ああ、さっき下で、ここの名産の飲み物とやらを勧められていたぞ。」
 「ワインを?! まさか、あいつ…」
人間の姿になっていても、海の住人だ。酒など飲めるはずがない。慌てて風車小屋を飛び出した時には既に遅し。
 ワイン蔵のあたりで大騒ぎが起こっていた。
 「おい、水! 水をもってこい」
 「ぶっ倒れたって?」
 「ああ、いきなり… 階段から落ちて…」
 「ジャスパー!」
ルークは、通りに長々と伸びているジャスパーに駆け寄った。顔にぶっかけられた水でびしょ濡れ、ワイン瓶を抱き、幸せそうな笑みを浮かべて眠りこけている。階段から落ちたせいで傷だらけだが、まったく目を覚ます気配もない。
 後から駆けつけた二人は、そんな姿を見て呆れ顔だ。
 「これはひどい」
 「ジャスパー、大丈夫なの?」
 「死にはしないだろ。宿に連れ戻そう。」
 「すいません…」
ジャスパーの側には、前掛けをした少女が泣きそうな顔になっている。「私が、試飲なんて勧めてしまったばかりに」
 「いいんです。酔っ払ったのはコイツの責任ですから。すいません、誰か手伝ってくれませんか」
ルークは、村人たちの手を借りて、ジャスパーのぐだくだに酔っ払った長身をひっぱり起こした。酒臭い息が吐出され、ジャスパーが呟いた。
 「…吐きそう」
 「え、ちょ… 待て!」
 「もうだめ」
悲鳴と、汚物から身をかわそうと飛び退る人々。一瞬のち、辺りは異臭騒ぎとなった。マルはとっくに惨劇の現場から逃げ去り、ミズハは顔を覆っていた。最悪だった。――ルークにとっては。

 なんとか宿に寝かせて、ジャスパーを落ち着かせたのが夕方。
 頭から吐瀉物をひっかけられたルークは、シャワーを借りても漂う微かな臭気をなんとか消そうと、さっきの村人の少女に借りた香水を、しきりに荷物や自らにふりかけている。
 「まったく… 何てことしてくれるんだよ…」
よほどショックを受けたらしく、ルークはさっきから小声でぶつぶつ愚痴ってばかりだ。ひっくり返された荷持はまだ床に散乱し、着替えはベッドの上に散らばっている。
 ノックとともに、部屋の扉が開いた。
 「お洗濯してきたよ」
ミズハと、さっきの少女が、二人の服を手に入ってくる。
 「ここに、掛けておきますね」
 「すいません」
 「いえ。こちらこそ本当に… なんとお詫びすればいいか」
少女はレミと名乗り、酒蔵を預かる商人の孫娘だと言った。普段、遠方から来る商人の相手をして、試飲や接客をしているのだという。酒蔵の見学に来たジャスパーに試飲のグラスを差し出したのも、そうした流れからだった。
 「まさかお酒に弱いなんて思いもしなくて。ぐいぐい飲んでたから、てっきり…」
 「君のせいじゃない。初めてなのに加減もしなかったコイツが悪い」
ルークは、泥のように眠りこけているジャスパーのほうをジロリと睨んだ。
 「でも…。あの、階段から落ちたんですよ。怪我までさせてしまって」
 「いいから、気にしないで。」
ミズハは、同い年くらいに見える少女に、にっこり微笑んでみせた。「ジャスパーは丈夫だから、階段から落ちたくらい平気だよ。今日はもう、お仕事に戻って」
 「…はい」
レミは、何度もお辞儀をしながら去っていく。少女が通りの向こうへ消えてゆくのを窓から確かめてから、マルはかばんを開けてバルゴスを外に出した。一日中かばんのなかに居た火トカゲは、うーんと翼を伸ばし、鼻から炎を吐いた。
 「ふぃー。やはりこの狭いところは慣れませんなぁ」
 「バルゴスも人間になれればいいのにね」
 「ふん、酔っ払ってぶっ倒れるために人間になるなど、ごめんですな」
バルゴスは、いびきをかいて眠りこけているジャスパーの胸の上に降り立った。「あーあー、こんな情けない姿で…」
 「これが竜王の子孫だぞ」
マルはさっきからニヤニヤしっぱなしだ。
 「海竜の巣に酒を流し込めば、余でもこやつらを制圧できそうだな。」
 「酒の波を押し返されて自分が酔っ払うんじゃなければな。それより、これじゃしばらく村から動けそうにないな。」
 「そうだね」
ミズハは、散らばった荷物を片付けている。着替えは畳んで、地図や本はテーブルの端に積み上げていく。
 「ジョルジュさんたちは、どうしてるだろうな…。」
フォルティーザを発ってから、一度も連絡はとれていない。せめて手紙くらい出したほうがいいだろうか。
 「さっき聞いたんだけど、この村ってね、郵便屋さんもあんまりこなくて、新聞も2日遅れくらいらしいの」
 「そうか…。」
つまり、外の情報はほとんど入ってこないというわけだ。エミリア・カーネイアスの城に匿われていた時のように、気づかないうちに外の世界で事件が起きている可能性だってある。
 「もし、ここでリブレに入る方法が見つからなかったら、いったんアガットまで引き返そう。おれたちだけじゃ、ここから先は進めない」
 「何だと? 折角ここまで来たのだぞ。リブレは目前ではないか」
 「どうするんだ? いきなり攻めこむのか、相手も分からずに? それはあまりにも無謀過ぎる」
 「リブレの人たちも巻き込んじゃうよ。もしかしたら関係ない人だっているかもしれないのに」
 「……。」
マルは、納得していない様子だ。むすっとした顔で立ち上がり、ドアに手をかけた。
 「外を散歩してくる」
 「遠くへは行くなよ」
 「子供扱いするな!」
乱暴に、ばたん、とドアが閉まる。バルゴスは、肩を組めるような仕草でルークのほうを見た。
 「いつもの癇癪ですな、あれは。」
 「解ってるよ」
ため息をついて、部屋の隅の椅子に腰を下ろす。
 「あいつからしたら、自分の国の仇だもんな。だけど、いきなり戦いを挑んでどうこうなる相手じゃないだろ。」
火の国で見たかつての都は、想像を絶する力で破壊されていた。空から落ちてきたという月の破片が大地に柱のように突き刺さった光景。あんなことが出来るのは、神か何かだけだ。人の力でどうこう出来るものではない。

 ――人?
 ――ここにいるのは、人なのか?

 ルークは視線を上げ、部屋の中を見回した。ミズハがいる。ベッドにはジャスパーが眠っている。窓際にいるバルゴスは、外のマルドルゥインを眺めている。
 自分も含め、「普通の人間」は一人も居ない。
 「どしたの? ルー君」
 「ああ、いや」
考えすぎだ。まるで仕組まれたようだ、などと。


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