<第三章>

の城



 夏の終わりの日差しが海に反射し、海鳥たちが舞う。今日も港町には大小様々な船が行き交い、その様子は丘の上の家からも一望できた。
 ”最果ての島”と、その先の海への航海から帰って、約半月。その大半は、得られた情報の報告と事後処理に追われた。それも、伝達手段が旧式な電話や郵便に限られるため、遠方の支部まで連絡が行き届かない、というのが実情だ。 ルークたちがフォルティーザに帰還した瞬間を狙って行われた”歓迎”は、今までの通信手段――通信機による無線通信が、北天の神王ことバージェスの支配下にあることを意味していた。フォルティーザは、鉄道で2日ほどの距離にあるヴィレノーザ本部を除けば、半孤立の状態にある。
 だが逆に言えば相手は、南海に面し、海風の届くこのフォルティーザの町と周辺の海岸部には、手出し出来ないのだった。

 ルークの手には、あの日―― 港に戻ってきた日にジョルジュから手渡された古ぼけた絵本があった。表紙をめくると、パリッと乾いた音がして、時が劣化させた茶色い紙の粉が端からこぼれ落ちる。「月のお城」。飾り文字のタイトルが、表紙に踊っている。


 むかし、むかし――

 空の上には、王様が
 海には美しい女王様が住んでいました。

 王様は、海の女王様に求婚しますが、女王様はつれない返事
 「空を泳ぐ魚はいません。空で生まれる鳥もいません。
 それに空には、暖かな波の衣もありません。空は寒くて、きらいです」

 そこで王様は 空にまあるい月を浮かベ お城をつくりました
 さあ、ここなら温かい
 わたしのしもべのウサギたちが、あなたに仕えてくれる

 ところが女王様はいいます

 あなたの白いおひげは雲のよう
 お年を召した方、
 わたしは青ざめた月になど行きたくありません
 
 どんなにさそっても 女王様は振り向きません
 月が、どんなに白く美しく輝いていても だめでした

 空の上では王様が
 つれない女王様を思って今も涙する
 うさぎたちは飛びはねる
 月のお城を慰めようと、まあるい月の夜には飛びはねる


確かに暗い話だ、とルークは思った。子供向けのお伽話では、求婚は必ず成功して、ハッピーエンドで終わるものだと思っていたが。
 色あせた表紙に記された著者名は、半分剥がれ落ちていて読み取れない。分かったところで、この絵本はジョルジュが子供時代のものだと言っていたから、著者が今も生きているとは思えない。
 (空の王様と、海の女王様…・)
北天の神王と、南海の女王。バージェスと、サラサ…。
 はじめてこの本を読んだ時、脳裏に、ミズハとともに見た”事象の水平線”と呼ばれる世界の光景が過った。
 どこまでも続く水平線、頭上には白く、荒涼とした表面を晒す月が冷たく輝いて、オーロラのような光が揺れていた。声は、そちらから降ってきた。絵本の著者は、あの世界を知っていて、これを描いたのだろうか。

 鍵を握るのは、やはり、リブレ人だ。
 空の上にいる見えない”神”を相手にしても、戦ようがない。あれを神と崇めてきたリブレ人なら、なにか知っているのは間違いない。だが、ジョルジュが集めようとしているリブレ人の情報は、遅々として集まらなかった。今や協会を中枢から動かすだけの地位に就いたジョルジュの力を持ってしても、通信手段が使えないという痛手は大きかった。

 ――だが、焦っても仕方がない。今日だけは、全て忘れて楽しもう。

 ルークは、絵本を机の上に置いて部屋を出た。吹き抜けを通じて、二階の廊下まで賑やかな声が響いてくる。ミズハと、アネット。それに、時折バルゴスの声も。
 階段を降りていくと、熱心にケーキを飾り付けていたミズハが顔を上げた。
 「あ! ルー君」
 「あらあら、待ちきれなくて主役の登場?」
アネットは、いい匂いをさせているチキンの皿を抱えている。「どう、いい色でしょ。美味しく出来たから楽しみにしててね」
 「その様子だと、バルゴスが丸コゲにすることはなかったみたいですね」
 「失礼な!」
赤い火トカゲは、鼻から炎を吹き出しながら胸を逸らした。
 「それがしが火加減を間違うことなど有り得ん! この半月、アネット殿にみっちりしこまれていたのであるからして」
そうなのだ。
 マルドルゥインとバルゴスは、今、アネットの家で暮らしている。何故、というものでもないが――マルドルゥインが一般的な人間の「作法」、すなわちフォークの持ち方とか、トイレの使い方とか、そういったものを全く知らない”悲惨な”状況にあるのに気づいたアネットが、断固として自分が預かって教育すると宣言したのだ。幼い娘を育てている最中で、いわば母性愛の暴走とでも言うべきか。そんな人間としての生活など必要ないと言いはるマルをよそに、彼女は頑として譲らなかった。”炎の魔神”も形無しだ。
 「それに」
と、彼女は言った。「両親も仲間もいないとこで、長いこと暮らしてきたんでしょう? せめて一度くらい、家庭的な環境においてあげたいの」
 最初は相当嫌がっていたマルだったが――、さすがはアネット、数日後にはあっさり手なづけてしまった。今ではバルゴスともども、ぶつぶつ文句を言いながらも家事の手伝いをしているという。
 ドアベルが鳴った。
 「はあい」
ぱたぱたと出迎えに出て行くミズハ。「あ、マル君! いらっしゃい」
 「……。」
むっつりした顔の少年が、幼い少女の手を引いて立っていた。アネットの娘、リーザだ。ざんばらだった赤い髪は後ろで一つに束ね、今風の服装に変わっている。
 「…あと、これ。頼まれてたやつ」
マルは、アネットに近付くと、手にしていた紙袋をぶっきらぼうに付き出した。どうやら調味料のようだ。
 「あらー、ありがとう! 助かるわ。あとちょっとで準備が終わるから、そのへんで待っててね。」
 「楽しみにしててね!」
テーブルの上にはケーキをはじめとするご馳走が並び、ご丁寧にも、プレゼントの箱やロウソクまで並んでいる。ルークは、苦笑しながらそれらを眺めた。まさか、こんな大事になるとは思わなかった。
 今日は、ルークの誕生日パーティー、…と、いうことになっている。
 始まりは、ミズハに「ルー君っていま幾つだっけ?」と聞かれたことからで、「そういえば、この間十八になったかな…」などと答えたことからだ。普段、誕生日などあまり気にしたことはない。船に乗っている間に誕生日はとっくに過ぎてしまっていた。実際は何の意味も持たない日付で、人間の身分で暮らしていくため、身分証に書かれる以上の意味はないのだから、それでいいはずなのだが、ミズハはどうしても祝いたいと主張した。
 「だって、誕生日なんでしょ? 何か特別なことがなきゃダメだよ!」
アネットもそれに同調し、そんなわけで、急遽、女性陣によるパーティーが執り行われることになったのだ。ちなみに、誕生日の日付という概念のないマルの歓迎パーティーも兼ねている。
 再びドアベルが鳴り、灰色の薄手のコートに身を包んだ男が入り口に姿を表した。
 「おやおや、みなさんお集まりですか」
 「ジョルジュさん、来てくれたんですね。お忙しいかと…」
 「ええ、なんとか無理やり時間を開けてきましたよ。三時間くらい、席を外したって構わないでしょう。」
後ろには、アーノルドの姿もある。
 「皆揃ったわね。じゃあ、はじめましょうか!」
アネットの号令で、一同はテーブルにつく。ご馳走を取り囲む面々を見回しながら、ルークは不思議な気分になってきた。グレイスが居た頃ですら、こんなに賑やかだったことはなかった。一年の大半を町の外で暮らし、町にいても、ほとんど一人の生活だった。いつの間にか――この一年で――、様々な出会いや変化が…。

 「どうしたの、ルー君?」

ミズハが覗きこんでいる。いつの間にか、ケーキの上にロウソクがたてられ、小さな火が揺れている。
 「一気に消すのだぞ!」
 「そうそう、一気にね!」
 「あー。えーと…」
頬をかきながら、ルークは息を吸い込んだ。火が消えたとき、ひときわ大きな歓声が上がり、クラッカーが一斉に音をたてた。


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