<第二章>

竜の棲む海


 期待を込めて予想したとおり、、ミゼットたちは何も気づいていなかった。昨夜の片づけと、二日酔いの後始末に手いっぱいだったからだ。
 帰った時も、ミゼットとラスは二階で寝込んでおり、話ができたのはウィルだけだ。そのウィルは。ルークが海水でびしょ濡れになって戻ってきたことに驚いていた。
 「何? 海竜の化石を持ち帰らなかったか、だって?」
 「そうなんです。海竜たちは化石が壊されたと、ひどく怒っているようで。その… うちの海竜が今朝、襲われかけたんです」
 「ふうむ」
ウィルは、覚えがないというように顔をしかめている。「付近の、貝や魚の化石が混じってる石はいくつか持ち帰ったがなあ…。それも彼らからしたら巣が荒らされた気分がして嫌だったのか?」
 「かもしれません」
 「やれやれ、ちょっと探してみるか」
ウィルは、塩抜きのため水に化石を漬けこんでいる器を並べているテラスに二人を連れて行った。
 「持ち帰ったのは、これで全部だが」
 「ほんとに、貝や魚ばっかりですね」
はがれおちた岩盤の大小さまざまな欠片が、器の中に沈められている。ルークが石をためすがえすしている横から、ミズハは、しゃがみこんで一つの小石をさっと取り上げた。
 「これだ!」
 「え、どれどれ」
石をひっくりかえすと、そこに樹皮のような模様が刻まれている。
 「ウロコ!」
 「あー…」
 「おお」
ウィルは石を覗き込み、目を大きく見開いた。「良く見つけたなあー。そうか、これも遺骨の一部ということか…」
 「返してきてもいい?」
 「そうだなあ」
二階をちらと見やる。
 「ま、いいだろ。海竜たちとの仲がこじれると、この海域の調査もやりづらくなる。頼むよ」
 「はーい」
ウィルが建物の中へ去っていくのを待ってから、ルークはミズハに尋ねた。
 「許してもらえるかな? あの竜王、あんまり交渉に応じてくれそうな感じじゃなかったけど」
 「うーん、たぶん、大丈夫。ちゃんとお願いするから」
ミズハは石を手に崖の階段のほうへ歩き始めている。ルークも後を追った。
 「お願いっていうか、脅しじゃないのか? 何でだか、ずいぶんミズハのことを怖がってるみたいだっだけど…」
 「お母さんのことが怖いみたいだよ。むかし、いろいろあったんだって」
 「いろいろ?」
 「よく、わかんない。」
 「……そうか。」
桟橋には、ジャスパーが文字通り首を長くして待っていた。
 「お待たせ!」
ジャスパーは、待ちかねたというような仕草をする。
 「…あれ」
言葉が通じない。
 ルークは、ポケットから石を取り出してみた。いつのまにか、海水が乾いて、光を失っている。
 「これ光ってないと言葉を通訳してくれないのか、ちょっと不便だな」
海水をかけると、石は青白い輝きを取り戻し、ジャスパーの言葉が聞こえてくる。
 「…で、姫っちがサクっと返して来れば、なんも言わないと思う」
 「わかった。じゃあ、行ってくるからここで待ってて。」
翼を広げて浮かび上がると、ミズハはあっというまに"青の洞窟"のほうへ消えてゆく。 
 「いいのか? 一人で行かせて」
 「俺いないほうが話早いだろうし。ていうか、あいつら会いたくないマジで」
桟橋に首を載せて、言う。
 「まあー、あの思い上がった尊大野郎のおつむでも、姫っちに手ェ出したらどうなるかくらい、分かってるだろ。」
 「その、姫っちって…ミズハのことだよな?」
 「そうだよ。女王の娘だから、姫じゃん」
 「ああ、まあ、そうなるのか」
ルークも、桟橋に腰を下ろす。
 「ヴェリザンドは何でサラサさん…、ミズハのお母さんを恐れてるんだ? 昔、いろいろあった、ってどういうことだろう」
 「俺も聞いただけの話なんだけどさ。とおーいご先祖のヴェリサリウスって偉いクソ王様が、南海の女王よりワシのほうが偉い! とか調子こいて、ボコボコにされて、国が沈んだらしいぜ。」
 「…ふ、ふーん」
ジャスパーの口調は、あまりに軽い。まるでタチの悪い冗談のようだ。
 「で、その沈んだ国の遺産が、ソレ」
ルークの手元の石を指す。
 「てっきり人間から交渉持ち込まれた時にもらったものかと思ってたんだけどな。こっちから交渉に行ってたんだなー、まぁ今のあの連中からすりゃ黒歴史なんだろうけど。」
 「ん…?」
ふと、ルークはあることに気がついた。沈んだ国…失われた国…、いまだ見つかっていない、その国の住人たち…。
 「ちょっとまて。昔、ここの沖合にあった国って、お前たちの国なのか? そこの住人は海竜?」
 「そうだよ」
ジャスパーはなぜそんな当たり前のことを聞くんだ、と言わんばかり、面倒くさそうな顔をしている。
 「じゃあシェムスール人っていうのは、黒い海竜のことなのか…?」
 「人間のつけた名前なんて知らない。お前時々、どうでもいいことにこだわるよな」
 「いや、…そのどうでもいいことを今、学者たちが必死で調べてるんだが。」
 「ふーん。聞けばいいのに、って…ま、あいつら無駄に気位高いから、人間と話しようなんて思わないよな。今はもう国もないし」
ひとつ、あくび。
 それが本当だとしたら、シェムスール人の遺骨は見つからなくて当たり前だ。それはすべて、ごく普通の海竜の骨として処理されてしまっている。遺跡がないのも当然だ。
 「でも…、海竜がシェムスール人の船を牽引している図が残っているって聞いたぞ。お前たちがシェムスール人なら、誰が船を牽引していたんだ?」
 「船を引くのは、奴隷階級の仕事だよ」
とたんに、ジャスパーの声が不機嫌になった。面白くない話題に触れてしまったらしい。「言ってたろ、あのクソ王が"奴隷の子"とか」
 「ああ…」
 「あいつら未だに階級縛りキツいんだよな、面倒くさい。船をひっぱるのは、奴隷の役目。俺の母親はどうも、その奴隷階級出身だったらしくて。ま、だからなのかなー俺、船ひっぱるの嫌いじゃないんだよね」
 「……ごめん」
 「お前が謝ることじゃないだろ。いまだに王だの貴族だの奴隷だの言ってる、あいつらがバカなだけさ」
つまり、船を牽引していたのは黒い海竜。ただし消えた幻のシェムスール人も海竜。同じ種族の、身分の上下の差だったということか。だが、情報元がジャスパーでは、論文として発表するわけにもいかない。この話は、そっと胸にしまっておくのがよさそうだ。
 しばらく止まっていた風が、再び吹きはじめた。
 「なあルーク、いつ帰る? いい加減、この海離れたいんだけど」
 「わかったよ。あとでミゼットさんたちに話をしてみる。」
風で潮水が乾き、石が輝きを失いはじめている。ジャスパーは水をぱしゃん、とはねあげ、いつものようにハーヴィ号の下に沈んでゆく。最後の言葉は言葉としては聞こえなかったが、何を言っているのかは、だいたいわかる。
 ミズハが戻ってくる。
 「あのウロコは?」
 「返してきたよ。ごめんね、って謝っておいた」
 「…そか。」
海竜たちの王は、どんな顔をしてそれを受け入れたのだろうか。
 「ジャスパーが帰りたがってるんで、出発準備を始めよう。明日の朝には出る」
ミゼットたちに挨拶にも行かなくてはならない。それからフォルティーザに、帰還開始の連絡も。予定より数日早い出港、このぶんだと年明け頃にはフォルティーザに帰り着く。もしかしたら、昨日送った年賀カードと同じくらいに帰り着いてしまうかもしれない。

 冬の海の天気は気まぐれに、風が吹きすさび、雲を吹き流してゆく。
 春はまだ、遠い。


表紙 ┃ 戻る ┃ 次へ