<第二章>

竜の棲む海


 ラヴィノーザの町は、こじんまりとした静かな田舎町だ。西の国々の中でも辺境に近く、人の行き来もあまりない。”協会”支部をのぞけば、大きな建物は尖塔を持つ教会くらいのもの。それも、神という概念が存在もろとも消えて久しい今となっては、ただの変わった古い建物でしかない。
 港町として栄えているフォルティーザと違って、ここは海の近くでありながら漁港は持たなかった。海は極端に遠浅で潮の満ち引きが読みづらく、しかも気性の荒い海竜の巣が近くにあるのでは漁に向かないのだろう。代わりに、潮風にも強い品種の果実を育てている。郊外には牧場もあるという。
 ルークとミズハは、ラスの運転する車でフォルティーザよりはるかに小さな繁華街へ買い出しに来ていた。備品の車はいちおう二台ある…が、どちらも潮風で錆びたオンボロで、いつ壊れてもおかしくないくらい。動き出すときも、止まるときも、ほとんど悲鳴のような音を上げる。予算がないというのは切実な問題らしい。
 「よし、それじゃ酒の買い出しからだな。ちょっと待ってて…」
ラスは浮き浮きした足取りで酒屋に入っていく。出掛けの会話で、今回のパーティー代は必要経費で落とすという話をしていたから、そのせいだろう。
 一年でも最も寒い時期だ。車の外で舞っているだけで、息が白く凍り、じっとしていられなくなる。崖で海風が遮られているこの町でも、それは例外ではない。
 「ねえ、これ何?」
いつのまにか、ミズハが隣でカードを手にしていた。きらびやかに飾り付けられた、年越し挨拶用のカード。
 「どこから持ってきたんだ」
 「そこ」
酒屋の隣の文房具屋の入り口には、確かに、カードが沢山並んでいる。
 「それは、年賀の挨拶カードだよ。親しい人とか、お世話になった人とか、あと離れて暮らしてる家族なんかに送るんだ。あけましておめでとう、来年もよろしく、って。」
 「ふーん」
飾り付けられたカードをひっくり返し、少女は首を傾げている。「綺麗だから、家に飾るのかと思ってた」
 「せっかくだし、エミリアさんに送ってみたら? この町は大陸の西のほうだから、ここから送ればまだ年始に間に合うんじゃないかな?
 「おばあちゃんに?」
ミズハの祖母――つまりハロルドの母親は、ここからそう遠くないメテオラに住んでいる。一見、近寄りがたい雰囲気を持つ厳しい老婦人だが、慣れてくると意外に気さくな人だ。
 「じゃあ、送ってみようかな。んー、どれにしよう…」
ミズハは真剣に店先のカードを選びはじめた。孫からのメッセージカードが届いたら、エミリアはどんな顔をするだろう。
 「ねえ、ルー君は送らないの?」
 「え、おれは送る人なんて…」
 「ジョルジュさん」
振り返る。
 「――ジョルジュさんか…。」
仕事上でお世話になっている人でもあるし、親代わりのようなものでもある。だが、今まで一度も、メッセージカードどころか、何か贈り物をしようなどという発想がなかった。いきなりカードが届いたら、よっぽど面食らうだろう。支部長あての郵便物は秘書のアネットがより分けるから、きっと、アネットがおごそかにカードを差し出すことになる…。
 ルークは、その場面を想像して、思わずにやりとした。
 「いいね。やってみようか」
 「ふふ、どれにする?」
重く垂れ込めた雲が空を覆い、風は強い。
 午後にはほとんど氷まじりの雨が降り始めたが、買い出しはなんとかそれまでに終えて崖の上の観測所に戻ることが出来た。午前中にミゼットたちが頑張ったお陰で、ホコリまみれだった会議室は見違えるようにすっきりしている。
 「大掃除も完了! さあっ、今日は飲むわよ」
 「はいはい、ちょっとお待ちを。すぐに料理を作りますからー」
ラスは腕をまくり上げ、エプロンをかけて台所に向かう。ミゼットは、会議室のテーブルの上に深皿を置いて、そこに海から汲んできた水を入れる。
 「何するんですか?」
 「思いついたの。キャンドル代わりにね。昨日の石持ってる?」
ルークがポケットから石を取り出すと、ミゼットはそれを深皿にそっと沈めた。ぽっ、と青い光が灯り、部屋が照らし出される。青白いのに、どこか暖かな光だ。
 「うわあ、すごい」
 「ね。いいでしょう」
光はまるで波のように時折ゆらめき、天井に影を作る。
 「そういえば、灯り石って呼んでましたね」
 「本当の用途は良くわからないけどね。シェムスール人の住居跡からよく出てくる石で、潮水につかっている間はこんな風に輝くの。詳しい話は考古学者のレポートにあったと思うけど、極端に遺物の少ない遺跡なのよね。道具類もあんまり無くて」
 「でも、船を海竜に牽引させていたって」
 「壁画があるのよ。でも、住居から遠い陸側で見つかっているし、数も少ないから、もしかしたらシェムスール人自身が残したものじゃなくて、シェムスール人を目撃した別の種族の落書きじゃないかって説もある」
ミゼットは、両手を上げた。「つまり、よくわかってない謎の民族ってこと。彼らが本当にここで国を作っていたのか、今では疑ってる学者もいる。海洋民族で、移住を繰り返してたんじゃないかって。だとしたら、彼らの残したものが極端に少ない理由も説明がつくし」
 「この辺りが水没した千年前に、別の場所へ移住した?」 
 「そういう説もある、ってことね。その辺りは、私は専門じゃないから良くわからない。」
言ってから、ふいにミゼットは笑った。
 「あなたほんとに好奇心旺盛なのね。さすがは、グレイス・ハーヴィの孫…ってことかしら」
ルークは苦笑する。孫、といっても、血の繋がった孫というわけではない。ただ、育てられたことは間違いない。
 「祖母は、ここで長いこと務めていたんですか」
 「いいえ、立ち上げの時の数年って聞いてるわ。その後、シェムスールの痕跡を追いかけて”最果ての島”まで行ったらしいけど…」
 「最果ての島?」
 「ここのずっと沖合にある島よ。大陸棚の尽きるあたり…。そこから先は”闇の海”で、小さな船じゃとても行けないわ。言い伝えじゃあ、”神魔戦争”の前には、その島から先は海は滝になって流れ落ちていたとか」
まさに、世界の”果て”の島、というわけだ。
 話をしているうちに、台所のほうからは良い匂いが漂い始める。ラスが腕によりをかけて作ったディナーが間もなく完成する頃だ。


 窓を叩く風の音で目を覚ました。
 壁の時計を見れば、いつの間にか夜半を過ぎている。ソファの上に丸くなって眠っているのはミゼット、酒瓶を抱いたまま部屋の隅でいびきをかいているラス。青い石の輝きが部屋を朧気に照らしだしている。
 部屋の外で物音がした。
 「ああ、起こしちゃったかな」
ウィルが、現像室から出てくるところだった。
 「こんな夜中に仕事ですか?」
 「いやあ、酒が入るとどうも寝付きが悪くって。目が覚めたら、ふと、やり残しが気になってさあ」
照れたように笑う。「あ、そうそう。連れの女の子、二階のベッドを使ってもらってるよ」
 風が再び窓を叩く。崖の下の海は、昼間より荒れているように見える。
 「心配しなくても、風は明日には収まるよ。ここの海はたまにこんなふうに荒れるけど、長続きはしない」
そう言って、ウィルはうーんと大きく伸びをした。
 「さて、僕も寝るとするかな。君も、寝るなら二階のベッドをどれでも使っていいよ。」
 「ありがとうございます」
ルークはもう一度、窓の外に目をやった。暗い海。水は冷たそうだ。雲のせいで星ひとつ見えない。
 会議室に戻り、上着を羽織った。
 海側の出口を開くと、とたんに猛烈な勢いで冷たい風が押し寄せてくる。一歩外に出ると、身を切るような寒さだ。
 首をすくめながら、ルークは暗がりを桟橋へと下る階段に向かった。昼間の雨のせいで、足元の石はわずかに湿気を含んでいる。
 足元を確かめながら、ようやく辿り着いた桟橋に、ハーヴィ号は揺れながら心細げに浮かんでいた。フォルティーザと違い、ここには、港の灯りも、夜じゅう海を照らしている灯台の明かりもない。
 波は、桟橋の上まで濡らしていた。
 黒々とした海はまるでひとつの生き物のようにうねっている。
 「ジャスパー」
両手で上着をかき合わせながら、ルークは船の下の方に向かって呼んだ。返事がない。
 「ジャスパー、もう寝てるのか?」
ぷく、と泡がひとつ。やがてゆっくりと、黒い首が水面に持ち上がる。ほっとして、ルークは桟橋を近づいた。
 「なんとなく、気になって。…寒くないか」
余計なお世話だといわんばかりの顔をする。だがルークには分かっていた。ジャスパーは、内心ほっとしている。この海は、彼にとってあまり居心地のよくない海なのだ。
 「今日さ、ミゼットさんたちがパーティーを開いてくれたんだけど。そういうのあんまり出たことないから、新鮮だった」
ルークは、暗くてほとんど見えない海面に向かって話しかけている。
 「陸の上で年越しなんて、何年もないし…。グレイスはホームパーティーなんて興味なかったしな。けっこう面白いもんだな」
 「……。」
ジャスパーは、ふいにヒレで思い切り海面を叩いた。冷たい海水がはねあがって、ルークの頭の上から降ってくる。
 「うわっ、こら!」
一瞬でびしょ濡れになったルークは、髪を振るいながら怒鳴った。「何するんだよ、おい!」
 だがその時には、ジャスパーはもう、暗い、荒れる海の沖合のほうへと向かって泳ぎだしている。
 「おい、どこ行くんだよ!」
ルークは桟橋の端まで駆けた。海竜の背は大きく盛り上がったかと思うと、一気に波の下へと沈んで見えなくなる。ずぶ濡れのまま、ルークは呆然としていた。何が起きたのか、全く分からないまま。


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