<第二章>

竜の棲む海


 ミゼットたち三人が戻ってきたのは、夕方、日も暮れてからのことだった。表情を見れば、彼らの今日の調査が順調だったことは分かる。
 「お帰りなさい。無事だったみたいですね」
 「そっちもね。」
ボートが桟橋に近づくと、ミゼットは身軽に一飛びでボートとの間を飛び越えてきた。
 「今日は妙に海竜が少なかったわ。お陰でゆっくり調査できたんだけど… あら」
ミゼットは、ルークが手にしている石に気がついた。
 「閉じ込められた時に拾ったんですが、何かご存知ないかと思って。」
 「ちょっと貸してみて」
石を受け取ると、ミゼットは桟橋から手を伸ばして海水をすくいあげ、石にかけた。海水で濡れると、とたんに石が青白く輝き始める。
 「どうしたんすか所長。」
 「あれー、それってシェムスール人の灯り石じゃないですか。久しぶりに見たな」
船からラスとウィルが機材を抱えて降りてきた。
 「シェムスール?」
 「ええ、昔この辺り一帯に住んでた人たちのこと。この石と同じものは、海底でよく見つかる。」
石をルークに返しながら、ミゼットは言う。
 「彼らの国は今は大半が海に沈んでしまっていて、残ってるのは、ほら、ちょっとした島だけ」
指差す方向には、暮れかけた空の下、うっすらと島らしい影が見えている。
 「観測所に報告書もあるはずよ。興味があるなら、いらっしゃいな」
 「そうします」
ルークは、上着のポケットに石を突っ込みながら頷いた。今日の調査の成果も聞きたい。


 崖の上の観測所に帰り着くと、二人の男性研究員は早速、各自の持ち場についた。すなわち、ラスが台所へフライパンを握るため、ウィルは撮影機を片手に現像室。ミゼットは、びっしりと細かく書き込まれた測量図やスケッチを会議室のテーブルの上にぶちまけた。わずか一日でこれほどの量の調査をこなせるとは、さすがというほかない。スケッチは正確で、各部位の細かな状態まで書きこまれている。
 「これと写真があれば、ある程度は状況が再現できそうね。岩に埋まってる骨の裏側が見えれば最高なんだけど…」
言いながら、ミゼットは本棚から分厚い図鑑をとりだし、どんとテーブルに置いてめくりだした。
 「えーと。…ああ、あったあった。今まで分かってる絶滅した海竜の復元スケッチ。岩盤の年代的には――」
 「およそ一万年」
と、ルーク。ミゼットは驚いたように顔を上げたが、すぐに笑みを浮かべる。 
 「さすが未開地学者ね。どうして分かったの?」
 「スケッチに二枚貝が。この辺りの海が温暖だった頃とすれば、一万年のはずですよね」
 「そうね。この辺りの海なら、化石でおおよその年代の判別がつくから…。」
”神魔戦争”前後で世界が大きく姿を変えたとはいえど、昔から人が住んでいる場所の地層や過去の世界に生きた生物の化石にまで影響を及ぼしているわけではない。この地層の年代は一万年ほど前。その時代の海竜の骨というのは間違いないだろう。
 「そういえば、さっきのシェムスール人の話もあったわね」
本から目を上げ、ミゼットは本棚の一番下の段を指した。
 「そのへんにレポートまとめたのが置いてあるはず」
分厚い埃をかぶったバインダーの中に、「ラヴィノーザ近海における消滅民族シェムスールと海竜の共存について」という背表紙を見つけた。
 取り上げて、ルークは驚いた。表紙をめくったところに論文の著者名として複数名の学者が名を連ねているのだが、そのトップに「グレイス・ハーヴィ」の名前があったからだ。
 論文は、それぞれの学者たちの得意な分野ごとに分かれていて、今いる観測所周辺の海図から始まり、点在する島の測量地図、それぞれの島で発見された遺物、水面下にある遺跡、生物など、多岐にわたる。


 ――シェムスールは、一万年ほど前には既にこの辺りの海域に住んでいた民族である。文字を持たず、彼ら自身が何と呼称していたかは不明なため、民族名は海域から取られている。遺跡・遺物は残されているものの、肝心の人体骨格などが残っていないため外見や体格は不明。おそらく人間に近い姿だったと思われるが、確証はない。およそ千年前に海面が異常上昇した際に彼らの集落の大半が水没し、現在は山や丘だった一部だけが水面上に島となって点在している。文明練度は高く、族長ないし王と思われる存在が確認されており、現在の国家同様の社会構造を擁していたと思われる。また、海竜との共存――おそらく使役関係が確認されており…


 読みふけっていたルークの鼻孔を、食事の良い香りがくすぐった。
 顔を上げると、ちょうど、台所担当のラスがフライ返しを片手にドアを開けたところだった。
 「夕食の支度出来ましたよ!」
 「わお、ナイスタイミング。それじゃ、まずは腹ごしらえにしましょ。他の皆も呼んできて!」
台所の入り口に、折りたたみ式のテーブルが引っ張りだされ、大皿に山盛りのフライドポテト、ハンバーガー、それにザク切りにした野菜という大雑把な料理が並んでいる。椅子はない。ひっくり返したボートの上に腰掛けるか、窓際で食べるのだ。豪勢なディナーとはいかないが腹ペコの身にはこれでも十分すぎる。いつのまにか、ミズハもちゃっかり夕食に加わっている。
 「そうそう、さっきのシェムスール人の話だけど」
手にしたハンバーガーに山盛りのケチャップを載せながら、ミゼットが言う。
 「グレイスの名前がありましたね」 
 「そうね。あなたのお祖母さんも関わってた研究… この観測所の当初の目的がシェムスール人なんだけど。」
野菜をはさみ、大口で一気にかじり取る。
 「…むぐ。海竜を使役してたって言われていてね。それが、ハーヴィ号の着想の切っ掛けらしいの」
 「そうなんですか」
 「海竜が船を引いているような図柄の遺物が見つかっていてね。ただ、その海竜が白いほうなのか黒い方なのかは、今も議論されている。この近海には白い海竜は今は住んでいない。でも気性の穏やかさと御しやすさからすれば、白いほうなのよねえ」
 「所長は白い方派。俺は黒い方派だけど」
にやにやしながら、料理も担当しているラスがポテトをつまみ上げる。
 「グレイス・ハーヴィは卵から育てて海竜を馴らしたんだろ? なら、シェムスール人だって同じことをしたかもしれない。白い海竜は力が弱いんだ。ここの沖合の荒波にゃ向かないよ」
 「あらあら。議論再開? いいわよ。でも後にしましょう。要するに」
と、ミゼットは残りのハンバーガーを飲み込んでから言った。
 「白い海竜派の私としては、海面が上昇する以前は、この海にも白い海竜が住んでいたっていう証拠が欲しいわけ。今日の化石がそうだったら嬉しいなーと思ってたんだけど、残念ながら白でも黒でもなかったわ。」
 「進化の過程で消えた幻の海竜…ってやつだね。」
と、ウィル。
 「判っているだけで数十種類の亜種がいたことになってる。それが今では白と黒の二種類だけ。ほかはみんな、途中で滅びたか、混血で特徴を無くしてしまった。ちなみに僕は、シェムスール人が海竜を人工飼育して品種改良した結果じゃないかって思ってるんだけど…」
話しだすと、きりがなかった。三人とも、自分たちの研究分野をとても楽しんでいる。食事会は、そのまま賑やかな議論の場になった。
 「あ、そうだ!」
ふいにミゼットが手を叩いた。
 「そうそう。年越しパーティーの話よ。二人がいるうちにやろうって話。」
 「あー、そうそう。明日とか、どうかな」
ルークは、びっくりしてポテトを落としそうになる。
 「いきなりですか?」
 「明日は海が荒れそうなの。ちょっと今日の収穫を整理する時間も欲しいし、だから。」
 「おれは、別に構いませんけど…。ミズハは?」
 「あたしもいいよ。」
 「じゃあ決まりっ! ちょっと早いけど、ぱぱっとパーティーやって新年気分になっちゃいましょう。町に買い出しに出る組! ラスとお客様二人。会議室の片付け組、私とウィル! いいわね。」
 「了解。」
 「はーい」
話はトントン拍子に決まった。そんなわけで、翌日は調査を中止して、出かけることになったのだった。


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