<第二章>

竜の棲む海


 翌日、観測所のメンバーは、まだ朝もやも消え切らないうちから動き出した。
 物音に気づいたルークたちがハーヴィ号の甲板に出てみると、どこから降ろしてきたのか、小さな燃料式のエンジンのついたボートに機材を載せ、防寒具に身を固めた三人が乗り込んでいるところだった。
 二人に気づいて、ミゼットが手を振る。
 「ああ、おはよう。ちょっと早いけど、そろそろ出ようかと思って」
白い息が弾み、風に流れる。
 「このボート、五人までなら乗れるわよ。どうする?」
 「こっちは、別で行きます」
昨日使った緊急用の小さなボートがある。
 「ジャスパー、ボート引っ張ってくれないかな」
ジャスパーは嫌そうな顔をしている。
 「楽しくないのは分かってる。でも、居て欲しいんだよ。おれたちがついてるから。だめだったら、入り口で待っててくれてもいいし…」
海竜は、渋々といった顔で頷く。ボートを降ろし、ルークとミズハが乗り込むと、ジャスパーは、昨日べつの海竜がそうしたように、船の底を背中のくぼみにひっかけた。普段ひっぱっているハーヴィ号に比べれば玩具ほど大きさしかない船だ。運ぶのは、わけない。
 「それじゃ、出発するわね」
ミゼットたちの乗ったボートのほうが先に出る。エンジン音を響かせて、青の洞窟へ。朝日は、まだ海の低いところにあって、薄い雲に阻まれている。今日も一日、こんな天気が続くのだろう。
 遅れてジャスパーが泳ぎだす。短距離では、最新式のエンジンに速度は敵わない。それに、ジャスパーが気乗りしていないこともあり、距離は開いていく。洞窟の入り口にいた海竜たちは警戒するように首をもたげたが、昨日ほどの拒絶反応は示さない。何頭かが用心深くジャスパーを睨みつけているだけだ。敵意在る視線を受けて、ジャスパーは居心地悪そうだったが、何も言わずにそのまま進み続ける。このまま、奥まで入れそうだった。

  朝の光は、まだ洞窟の奥までは届いていなかった。
 薄暗い奥の空間の、玉座のようになっている場所に、今日はヴェリザンドの姿は見えない。ミゼットたちは、既に奥の岩の裂け目の前にたどり着いて、その奥をのぞき込んでいる。
 「機材を寝かせて。そーっといくわよ。崩れ易いところに気をつけて…」
裂け目は脆くなっており、ちょっとした衝撃で頭上から岩の塊が落ちてきそうな気配だったミゼットたちのボートが通り過ぎたあと、ルークたちも続く。奥のほうは暗くなっていて、ミゼットのボートが灯すランプの光が頼りだ。
 どのくらい進んだだろう。
 狭い裂け目の奥に、ふいに空間が広がった。先行していたボートは、浅瀬に乗り上げて止まる。後から来たルークたちのボートはそれより先まで進めたが、すぐにジャスパーが砂地にひっかかってしまった。人が立てるほどの水が薄く溜まっている中に、海竜たちが動きまわったらしい溝が出来ている。
 ミゼットは長靴に履き替えて海水の中に降り立つ。水音が閉鎖された空間に反響した。
 「前に来た時より崩れてるわね。明かりが入ってくる隙間があったはずなのに…」
言いながら、明かりを天井に向ける。水の中には、最近崩れ落ちたような岩盤が散らばっている。ここの岩は、海底に溜まった泥が本のページのように積み重なって出来ている。そのせいで、ページが一枚ずつ剥がれ落ちるように、薄く崩落し続けているのだ。
 ルークは、暗がりの中に目を凝らした。
 うっすらとではあるが、壁の岩に閉じ込められた大昔の海竜の姿が見て取れる。すぐ下に崩れ落ちた岩盤がある。ページのように岩が剥がれ落ちたことで、人目に触れるように浮かび上がってきたのだろう。
 ジャスパーが、一声鳴いた。
 「昔の仲間だって言ってる」
と、ミズハ。
 「このあたりには、沢山骨が埋まってる…って。」
 「そんなこと分かるのか?」
 「うん」
その間にも、ミゼットたちは岩盤の周囲にライトを設置し、梯子をかけ、撮影機の準備を初めている。 
 「理由は分からないけど、海竜たちが居ない今がチャンスよ。サンプルを採取して。」
はしごに登ったウィルが手にピッケルを持っているのを見て、ルークは、驚いた。
 「何をするんですか?」
 「持ち出し不可、って言われても、やっぱり骨の一本くらいは欲しいじゃない」
ミゼットは平然としている。「指の骨くらいなら、バレないかなあって」
 ジャスパーが小さく声を上げる。
 「やめたほうがいい、って。ばれたら、もうここでは調査させて貰えない――」
ミズハが通訳した言葉が届くより早く、ウィルは、狙った場所に最初の杭を打ち込んでいた。カーン、という高い音が空間に響き渡った、そのとき。
 どこかで、岩の軋む音がした。
 ぱらぱらと頭上からこぼれ落ちてくる石の欠片。
 「まずい! 崩れるわ」
ルークは、崩れようとしている場所が自分のすぐ頭上なのに気がついた。側にはジャスパーもいる。
 「ジャスパー!」
慌てて避けようとしているが、焦りすぎたせいか、浅い砂にひれを取られて思うように動けない。海竜は陸上では動きが鈍いのだ。ルークはジャスパーに駆け寄って、砂の中に両手を突く。水と交じり合う砂の中に手首までうずめて意識を集中させた次の瞬間、頭上に岩盤がのしかかってきた。


 頭を抱えてボートの影に伏せていたミゼットは、崩落の収まったのに気づいて、ようやく顔を上げた。明かりの幾つかは倒れて消えてしまっている。辺りには、不気味なほどの沈黙が漂っていた。
 「ラス! ウィル!」
 「ここです、所長」 
 「っつー… 梯子から落ちて腰打ったかも」
 「無事ね」
ほっとした様子。だが、それ以上の声がない。
 「…フォルテから来た二人は?ルーク? ミズハ?」
 「あたしは、ここ」
声は上のほうからする。見上げると、どういうわけか、崩れ落ちた岩盤の上に少女が載っていた。
 「ルー君たちは、この中みたい」
 「中、って…!」
 「大丈夫、潰れてないよ。でも、閉じ込められてるみたいなの」
焦った様子もなく言いながら、ミスズハは岩の隙間をのぞき込んで声をかける。
 「ルー君、出られる?」
 「なんとかなると思う。でも、ちょっと時間がかかるかも」
小さな、くぐもった声が隙間から響いてくる。すんでのところで、足元の砂をゴーレムに変えて岩盤を受け止めさせたのだ。だが、陸の土と違って、海水をたっぷり含んだ砂のゴーレムは、あまり力が出せない。狭い空間に、ルークとジャスパーは閉じ込められてしまっていた。
 ジャスパーが身動ぎした。
 岩の奥に、いまの崩落で新たに出来た裂け目のようなものが見えている。海の水は、そちらに向かって流れている。ルークもそれに気がついた。
 「この奥に、空間があるみたいだ」
 「空間?」
 「奥に続く道…。海に出られるかもしれない。試してみる。駄目だったら戻ってくるよ」
 「分かった。」
ルークは、振り返ってジャスパーを見た。
 「そっちの道を試してみよう。風が吹いてくるし、きっと海に抜けられる」
ジャスパーは、頷いて背中に掴まれ、というような仕草をした。ルークが泳げないことは知っているからだ。ごつごつした海竜の背中にまたがるようにしてしがみつくと、ジャスパーは背中が沈んでしまわないよう気をつけながら、ゆっくり泳ぎ始めた。流れは意外に急で、斜面を滑り落ちてゆくよう。暗がりの中、ルークには何も見えない。ジャスパーだけが頼りだ。
 やがて行く手に、明るい光が見え始めた。
 海だ、と思ったのもつかの間。泳ぎ出たところは、青い光に包まれた浅い潮溜まりだ。光を発しているものは、水中に沈められた無数の透明なガラスのような石。透明な水で底まで見えているが、かなり深い。
 ルークは、ジャスパーの背に捕まったまま天井を見上げた。人工的に作られたかのような、奇妙に整った形をした空間だ。周囲の壁には幾つかのくぼみがあり、ちょうど休憩できるようになっている他、出口は見当たらない。
 「行き止まり…か」
ここから海に出られるかもしれない、という目論見は外れたわけだ。
 ジャスパーは、すいと泳いでくぼみに近づき、ルークに背中から降りるように促した。
 「どうした?」
ルークが降りると、ジャスパーは水底に沈んでゆく。輝いている石が気になったらしい。黒い影はゆらめきながら水中深くに小さくなってゆき、しばらくして、ひとつの石を咥えて帰ってきた。それは手のひらに乗るくらいの大きさで、楕円形をしている。半透明な青白い石は、行きもののような明滅する輝きを発している。 
 「卵…じゃないよな。何だろう、これ」
鉱物にはそれほど詳しくない。ここにアーノルドがいたら嬉々として鑑定してくれたかもしれないが、残念ながら彼は今頃、フォルティーザで研究室に篭っている。意味はわからないが、とりあえず持ち帰ろう。
 ジャスパーが、くいくいとルークを引っ張った。
 「何だ?」
どうやら、水中の見えないところに出口がある、と言っているようだ。
 「息を止めてろ…って?」
頷く。
 一瞬、息が持つだろうかと心配になったが…信じるしか無い。万が一溺れても、とりあえず水上に連れ出してくれれば、あとは何とかなる。ここのところ、死にそうな目に何度も遭ってきたせいで、ルークもいい加減、自分の体質には慣れてきた。
 「わかった。頼むぞ、信じてるからな」
大きく息を吸い込んで、ジャスパーの背にしっかりとしがみつく。海竜は勢い良く水中に沈み始めた。輝く青い石の敷き詰められた海底が迫ってくる。無数の石。その奥に暗がりがぽっかりと穴をあけている…。

 覚えているのは、そこまでだった。

 次に気がついたとき、ルークは、桟橋の上でびしょ濡れのまま、仰向けに寝かされていた。目の前にミズハの顔がある。
 「大丈夫?」
 「…ああ、なんとか」
頭がくらくらする。体を起こしながら見ると、すぐ側にジャスパーの顔もあった。「精一杯急いだんだ」といわんばかり。こればっかりは、ルークが泳げないのも原因なので仕方がない。
 「ミゼットさんたちは?」
 「まだ中で調査してるよ。あたしは、ジャスパーに呼ばれて先に戻ってきたの」
桟橋の脇には、ジャスパーが引っ張ってきたのだろうか、洞窟まで乗って行ったハーヴィ号の予備ボートが横付けされている。
 「まず着替えないとだね。そのままだと風邪引くよ」
 「そうだな」
濡れた上着を脱ごうとすると、ポケットから石が転がり落ちた。水中にあった時の輝きは失われ、今は暗い青い色になっている。
 「何、それ」
 「閉じ込められたところの奥で見つけたんだけど…。」
冷たく、滑らかな表面。
 「後で調べないと。預かってて」
 「うん」
ミズハの手にそれを預け、ルークは船に戻って着替えを引っ張りだした。手も足もかじかんでいて、ほとんど感覚がなくなっている。普通の人間なら、心臓が止まっているところだ。真冬の海で泳ぐのは、あまり気持ちの良いものではない。
 着替え終わって外に出てみると、ジャスパーは、ミズハと何か話し込んでいた。 
 「どうした?」 
 「あ、うん。この石ね、何かに使えるのかもしれないって」
 「何か?」
 「むかし、この辺りに住んでた…なんとか人? の残したものかも、って」
 「なんとか…」
聞いたことがあるような、無いような。ルークは首をひねった。
 「あとで、ミゼットさんたちに聞いてみるよ。あっちの調査は順調なのかな」
 「よくわかんない。測ったり、写真とったりしてた。」
 「ふうん」
ルークの祖母、グレイス・ハーヴィはその道の専門家だったが、古生物学や生物の進化といった類の話は、ルークには専門外だ。分かるのは、この辺りの地形が海によって作られたこと、この何万年も海は姿を変えながらここにあったこと。遠くの水平線まで続く浅い海は、何度かの地殻変動で地面が隆起したか、沈降したかしてきた結果作られたものだ。海に降り積もった堆積物で出来た岩は柔らかく、かつて海に住んでいた多くの生き物の残骸を閉じ込めたまま石化している。或いは、その記憶そのものも。


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