<第二章>

章へ〜 宣戦布告


 翼の先の黒い海鳥たちが騒々しく鳴き合いながら空を舞い、大小様々な船が行き交う海。見慣れた灯台と、馴染みのある風の匂い。空は青く晴れ渡り、海は夏の日差しにきらめいている。
 長い旅の終わり、波の上を滑るハーヴィ号の行く手には、フォルティーザの町並みが見えていた。


 「うーん、いい風!」
ミズハは、デッキの上で大きく伸びをした。近づいてくる海鳥たちが、彼女に何か声をかけながら、弧を描いて飛び去っていく。
 「久しぶりのお家だね。」
 「そうだな」
間もなく到着することは、ジョルジョに告げてある。協会専用の裏の桟橋に迎えが来ているはずだ。報告することは山ほどある。それに、新しい仲間のことも紹介しなくてはならない。
 「町中では暴れるなよ、マル」
 「心配は無用だ。他国とはいえ、余は人間の町で火を放つほど愚かではない」
少年は、何故か胸を張る。「とはいえ、思っていたより小さいな。お前たちの国というのは」
 「港町の一つだよ。首都は、もっと内陸のほうにある。」
 「ほう」
ジャスパーが速度を上げた。彼も、帰ってきたことにほっとしているのだ。慣れた様子で港を出入りする漁船や貨物船の合間を縫い、桟橋へ近づいていく。いい天気だ。防波堤の上には釣り人や、釣り人に群がる海鳥たち。ボートで海に漕ぎ出している町の住人もいる。海竜に引かれた船が入江の奥に消えてゆくのを横目に眺めながら、夏の日差しを楽しんでいる。
 「おーい、ルーク!」
桟橋の上で、誰かが手を降っている。
 「あれは…」
 「アル君だ! おーい」
ミズハは、勢い良く手を振り返す。アーノルドの後ろには、ジョルジュとアネット。ジョルジュはこの夏の日差しでも相変わらず、灰色のくすんだ薄手のコートを着込んでいる。アネットのほうは鍔の広い帽子に白いワンピース。
 「お帰り! 無事でよかったよ」
 「やあ、アル。久しぶりだな」
 「二人とも元気そうでよかった!」
ジャスパーが、海面から黒い首をもたげる。
 「おっと、いけない。ジャスパー君もね」
アネットは、にっこりと笑ってジャスパーの黒い鼻面を撫でた。心なしか、ジャスパーも照れくさそうだ。
 ルークたちが全員、桟橋に降り立つと、ジョルジュは小さく咳払いして全員の顔を見回した。
 「お帰りなさい、ルーク、ミズハさん。それに、ようこそマルドルゥイン君。任務完遂、お疲れ様でした。長旅でしたが、無事に終えられたことを喜ばしく思います」
ルークは苦笑した。
 「相変わらずですね、ジョルジュさんは。」
この陽気な日差しでも、陰気な灰色のローブだけは変わらない。
 「支部長から審理委員会議長に出世なさったんですよ」
と、アネット。ルークは、少なからず驚いた。それは、かつてハリールードが占めていた席だ。
 「協会の…審理委員会、復活したんですか」
 「ええ、一応はね。」
ジョルジュは、何故か渋い顔だ。
 「人材不足が深刻です。お陰で、期間限定とはいえ支部長と委員会を兼ねることになってしまい、ひどい忙しさですよ。」
審理委員会は、”協会”の頭脳というべき機関だ。調査、冒険の可否など末端の方針を最終決定し、未知なる事象や想定外の出来事に直面した際の対応を行う――確かに、この男には、ここのところ”協会”を襲った想定外の事件を、何とかおさめてきた実績がある。
 「ヴィレノーザは復旧したんですね」
 「ええ。大陸縦断鉄道も。ただ、メテオラの件があり、西の方は途中から通行止めです。」
並んで桟橋を歩き出しながら、ルークはジョルジュを見上げた。
 「それで、調べて欲しいと依頼した件、何か分かりましたか?」
 「いえ。さすがに、そうすぐに何か出てくる相手ではありませんでした」
ジョルジュは、首を振った。ルークが依頼したのは、リブレについての情報だった。ラヴィノーザでの「冥王フェーブル」との戦いの後、ことの顛末を報告すると同時に依頼したのだ。
 「ただ、一つだけ。これは私個人の思いつきに過ぎないのですが――」
そう言ってジョルジュが差し出したのは、古い絵本のようなものだった。タイトルは「月のお城」。茶色く変色しかけた表紙には、おぼろげな丸い月と、服を着たウサギたちが描かれている。表紙に触れたとき、潮風が手元に触れた。
 「その絵本は、昔、私の祖母がどこかから持ってきたものです。子供向けにしてはいやに内容が暗くて、それで覚えていたのです。リブレ人がうさぎのようだという話を聞いてから気になっていました。ただのお伽話だとは思いますが、もしかしたら――。」
 「…あとで読んでみます」
港町を舞っていた鳥達の群れが、ふいに乱れた。
 ミズハが、何かに気づいたように空を振り仰ぎ、ジャスパーが水の中から長い首をもたげた。少し遅れて、マルドゥルィウンとバルゴスも。ルークも足を止めた。
 その「声ならざる声」は、こう繰り返していたのだ。はじめは小さく、だがそれは次第に大きくなっていく。

 <聞け…。>

 「?!」
頭が割れるかと思うほどの大音声。思わず手で耳を塞いで桟橋の上に蹲った時、けたたましい音が、港のある湾じゅうに響き渡った。
 「な、何? この音!」
 「船から…」
音の発信源のひとつは、たった今降りてきたハーヴィ号だ。アーノルドは、耳を抑えながら船の中に飛び込み、ルークが通信機を入れていた引き出しを開けた。通信機は、今まで聞いたこともない共鳴音を響かせ続けている。全方位に向けて発される救難信号にも似ているが、何かが違う。
 「何だ、これ…」
通信機の故障か混線なのか。ノイズまじりの音は次第に収まり、やがて、声に変わってゆく。
 しばし呆然としていたアーノルドはは、誰も船室に入ってこないのに気がついて、通信機を手にデッキに戻った。そして、誰も船に上がって来なかった理由を知った。

 ――さっきまで雲ひとつなく晴れ渡っていた空に、それは、生まれていた。

 渦を巻く巨大な雲の塊。見ている前で、それは次第に人の顔のような形を作っていく。雲の作る陰影がくっきりとした目鼻立ちを空に浮かび上がらせ、見る間に、ひげと長い髪を持つ威厳ある老人の顔を作り出していく。誰もが口を利けなかった。いつもは騒々しいマルドルゥインでさえも。
 『今一度伝えよう。その脳裏に刻むがよい、愚かなる人間どもよ…』
聞き覚えがある、と言えば語弊がある。しかしルークは、確かにその声を知っていた。事象の水平線でミズハを招いていたもの。あの世界では光のカーテンのように遠くゆらめていた存在。
 「…あれが、バージェス?」
ルークは、体の奥底で何かがこわばるのを感じた。通信機から漏れだすのと同じ声が、手の届かない高い空から、その下にあるすべての国と町に向かって投げかけられている。
 『我は絶対にして唯一の神、天空を統べる者。我にひれ伏し、そして崇めよ。愚かなる者どもが、汚れし異界の力をこの世界に呼び込んだ。そは破壊を齎すもの、我に逆らいし悪しき存在。汝ら、とくと心得よ。異界の魔を止めし町は、我が怒りに触れるだろう。何人たりとも、かの者たちの手を握ることは許されぬ。その身に刻み、決して忘却することなきよう。我が意に背かんとする者あれば、その時は…』
雲が崩れ、眉のあたりがつり上がったかと思うと、老人の顔が険しくなる。灰色だった雲がどす黒く染まり、にわかに薄雲が広がり始めた。
 「…!」
ミズハは、一歩あとすさる。空が割れ、雷が空を駆け巡った。悲鳴を上げ、少女は頭を抱えてその場にしゃがみこんだ。
 『…戒めのいかづちが打つであろう。とく心得よ。我は絶対にして唯一の神、天空を統べる者…』
顔が崩れ、声が遠ざかってゆく。残された黒雲は、まだ空の一角に雷光を閃かせ続けている。ルークは通信機の蓋を閉ざし、静かに船を降りた。
 「…先手を打たれたな」
ルークは呟く。
 「これはまた、ずいぶんな出迎えではないか」
赤髪の少年は、腕組みをして嬉しそうに笑いながら空を見上げているが、かすかに足が震えている。
 「でも、あいつ、なんで脅しだけで手を出してこないんだ? フェーブルの時みたいに、直接攻撃してきてもおかしくないはずなのに…」
 「ふん、今は戦いたくない、ということだろうよ。わざわざ姿をさらして脅すくらいだからな。有り得る話だ。…だが、人間どもを人質に取られたのには違いないな」
 「人質って…。」
アーノルドは、鳴りをやめた通信機を手にしたまま青ざめている。
 「あんなの…あんな怪物と戦えないよ…」
 「――そうか。もしかしたら…。ジャスパー」
呼ばれて、空を睨みつけていた海竜が振り返る。
 「ヴェリザンドの言ってたことを覚えてるか? バージェスは海の魔女だけは何故か苦手だって。それに、ジョルジュさん。通信障害は、海沿いの地域では殆ど無い―― そうでしたよね?」
 「ええ。特に南の海に面している地方では…」はっとして。ジョルジュは眼鏡を押し上げた。「…南海の女王の領域だからですか?」
 「おそらくは。」
南海の女王――ミズハの母親――神魔戦争を経て唯一、力を失っていない存在が支配する海。バージェスが、サラサを知っていないはずはない。知っているからこそ、敢えて手を出していないのだとしたら。
 「奴は、この町には直接手出し出来ないのかもしれない」
 冥王フェーブルの手下の鮫男をけしかけさせたのも、この町には直接手出しが出来ないからかもしれない。
 「一体、何が始まるっていうの…?」
アネットは、わけがわからないという顔をしている。
 「始まるんじゃない。もうずっと前から、起きていたんです」
薄っすらと笑みを浮かべ、ジョルジュは、再び空を振り仰いだ。そう、終わってなどいなかった。この百年間の平和は、ただの休息に過ぎなかったのだ。
 そして再び、この宣戦布告から始まる。
 世界を変えようとする者たちの戦いが――。



<<三章へ続く>>


表紙 ┃ 戻る ┃ 第三章へ