<第二章>

竜の棲む海


 夜には戻ってくると言ったミゼットは、結局戻ってこなかった。
 無人の観測所をそのままにしておくわけにもいかず、ミズハだけ先に船に戻して硬いソファの上で眠って夜を過ごしたルークはいささか寝不足の状態で目を覚ました。眠りを中断させたものは、かすかな車輪の音。意識が完全に戻ってくるのと同時に、玄関に、勢いの良い足音が響く。
 「あらやだ、こんなところで寝てたの? 遠慮しないで、仮眠室のベッド使ってくれても良かったのに」
ミゼットの両手には、かばんと大きな荷物。さらに荷物の幾つかは、玄関先に積み上げられている。しかも、戻ってきた時の車は、乗って行ったものとは違う。
 「色々トラブってしまって。車がエンストしてねーオンボロだから…。とりあえず器具は回収してこれたんだけれど」
 「器具?」
 「撮影機と…これが測量器具ね。一つしかないの、大学の講義で使っているものと兼用なのよ」
ルークは、苦笑する。
 「うちの船にもありますから、貸しましょうか」
 「そこまでして貰わなくてもいいのよ。せめて器具くらいは自前のを使いたいし…」
見れば、撮影機も、その他の器具も一昔前の古い型だ。予算がない、というのは言い訳ではないらしい。ルークは少し申し訳ない気分になった。ハーヴィ号の装備は、ジョルジュが工面してくれたのもあってほぼ最新式で揃っている。

 ミゼットとともに船に戻ると、ちょうどミズハも目覚めて朝食の準備をしているところだった。といっても、パンに目玉焼きとベーコンを挟んだくらいの簡単なサンドイッチなのだが… 当初、持ち前の才能で破壊的な料理を作っていた彼女も、「焼く」「切る」「載せる」くらいは、それなりに出来るようになった。
 「あ、ルー君」
 「おはよう。ジャスパーは?」
 「魚を取りに行ってるよ」
と、ミズハは窓の外を指した。海は穏やかだが、すっきりとしない曇り空の下だ。ジャスパーの食物は主に魚。波間に首が出たり入ったりして、時折、キラキラ輝く生きの良い魚をくわえては飲み込む姿が見られる。
 「あれが、あなたたちの海竜? 元気そうね。」
ミゼットは両手の指をかざし、遠目に大きさを測っている。
 「全長十五メルテってとこかしら。記録だと生まれて三十年よね? 人間年齢でいえば二十歳前後のお年ごろだわ」
 「え、そうなんですか?」
ルークは驚いた。海竜が長生きすることは知っていたが、ジャスパーの年齢など考えたこともない。ただ、確かに自分と大差ない年齢の兄弟のような感覚ではいた。
 ミゼットは、ハーヴィ号の甲板の上に上がった。
 「この船を、あの海竜で動かすのよね。何かトラブルは? 言うことを聞かないとか」
 「そういうのは無いです。機嫌が悪いこともあるけど、海に出るのは好きみたいだし」
 「ふうん。うまくやってるのね?」
 「おかげ様で。」
ミズハがいれたコーヒーの香りが、キャビンに広がる。
 「一緒にどうですか。こちらも、腹ごしらえしてから出かけましょう」
 「あら、ありがと。じゃあ、そうするわ」
ミズハが、今日はまともな料理を作ってくれてよかった、と内心思うルークだった。


 腹ごしらえのあと、ハーヴィ号は”青の洞窟”へ向かうことになった。
 といっても、まずジャスパーを説得するのが一仕事だった。一緒に行くから、と最後はミズハに説得を頼む始末。ようやく船は動き出したが、その動きはぎこちない。
 入り口に達する前から、歓迎されていないことは明らかになった。まず、入り口の岩の上にいた黒い海竜たちが警戒するような甲高い声を次々に上げた。こちらに向かって潮を吹いて威嚇するもの。ヒレで岩を叩くもの。大人の海竜たちが、子供と思われる小さな海竜たちを追い立ててゆく。
 ジャスパーは、困り切ったように首をもたげ、甲板のほうを見上げた。
 「何て言ってる?」
 「ううんと…、うーん」
ミズハも眉をひそめている。
 「よく分からないなあ。帰れ、今さら何しにきた、って言ってるのは分かるんだけど、王…? 知らせる…?」
 「へえー、すごいなあ。海竜の言葉が分かるんだ。」
女性学者は、平然とした顔で撮影機を調整している。「長年一緒に暮らさないとそういうの身につかないわよね」
 「はあ…、まあ…。」
ミゼットは、あまりハーヴィ号の乗員についての詳しい情報を持っていないようだ。いきなりミズハの正体を報せないほうがいいかもしれない。
 「ジャスパーを敵だと認識してるのかな」
 「たぶんそう。でも、どうしてなんだろう。下僕に成り下がって…とか言ってるけど…あ、待って」
ミズハは、耳を澄ませた。
 「あの中に王様がいるって言ってる。」
 「王様?」
 「ああ、海竜の王ね。いるわよ、でっかいの」
そう言って、ミゼットは持ち込んだ資料の中から一枚の写真を取り出した。
 「ブルーキング、って私たちは呼んでる。首の辺りに青い鱗があるでしょ。」
そこには、一際大きな堂々とした体格の海竜が、水面から一段高い岩の上にゆったりと横たわっている姿が映し出されている。周囲には、付き従うかのように何頭かのやや小さな海竜たちが取り囲んでいる。真中の海竜のもたげた首には、確かに、青いウロコが数枚あった。
 「そのウロコのある海竜は、群れの中で偉いみたいでね。何かの印なのかなあって思ってるんだけど」
 「あれ、…これ」
ルークとミズハは、顔を見合わせた。
 「ジャスパー?」
海竜が振り返る。
 「ちょっと、こっちこっち」
船べりまで首をもたげた海竜の黒い首には、左右に一枚だけ、青く輝くウロコがある。
 「ほら、やっぱり」
 「あらあら、この海竜にもあるの? ウロコ」
写真に目をやり、ジャスパーは何故か嫌そうな顔をした。そして、首を隠すように水面まで下がってしまう。
 「昔は無かったんだけどな。いつの間にか一枚だけ青いのが生えてて」
 「ふーん。成長すると生えるのね。成人の証みたいな感じかしら。」
ジャスパーが一声、ふてくされたような声を出す。ミズハがそれを聞きとがめた。
 「”こんなのいらない”…?」
どういう意味なのだろう。
 「さて。どうしようかしらねえ」
ミゼットはため息をついた。海竜を連れてきても、警戒されてかえって洞窟内部には入れない。
 「せめて、正確な測量だけでも出来たらいいんだけど…」
 「ジャスパーはここに置いて、おれたちだけで入れば大丈夫かも。船の後ろに簡易ボートがありますよ」
幸い、波は穏やかだ。洞窟まではあと数百メルテ、手漕ぎボートでも何とかなる。
 「機材が濡れるのはちょっとなー。」
 「じゃあ、ここで待っててもらえますか? ジャスパーと一緒に」
ルークは、甲板から水面を覗きこんだ。
 「ジャスパー、ちょっと話聞いてくる。嫌だったら先に戻っててもいいから。」
水面に泡がぷくぷくと上がってくるだけで、反応はない。だが、聞こえてはいるはずだ。
 船尾に格納されている緊急用の小舟は、つい最近、船を改修した時に船大工のモーリス爺さんがおまけでつけてくれたものだ。船底の牽引部を大きくしたことで、以前より潜水部が深くなっているため、水深の浅い場所に行く時のためにと設置された。使うのは今回が初めてだ。
 ボートは二人乗り。少し無理をすれば三人は乗れるくらいの大きさだ。説明書き通り縄をゆるめ、ボートをそろそろと水面に降ろしていく。
 「じゃ、行ってきます。」
 「気をつけてね」
ミゼットが手を振っている。手漕ぎボートも何回目だろう、少しは慣れてきた。
 船が遠ざかり、洞窟が近づいてくるにつれ、ルークたちは、その意外な大きさに驚いた。真下から見上げると、まるで宮殿の入口だ。水面から岩盤までの高さは、ゆうに数十メルテはある。そして、岩は青くないのに、”青の洞窟”と呼ばれている理由も知った。海底の真っ白な砂に光が反射して、澄んだ海水の青い色を岩壁に映し出しているのだ。

 入り口の海竜たちは不審そうな顔つきだが、軽く威圧するような声を立てるだけで、特に何もしてはこない。だが、両脇から十メルテを超える巨大な生き物に見下されているのは、落ち着かない気分だ。海竜たちの力強い尾の一振りは、岩も砕く。縄張り意識も強く、人間には決して慣れないと言われている。ジャスパーのように気安く体を触らせてくれるのは、例外だ。
 入り口を入ったところで、ボートが止まった。何か障害物のようなものがある。
 と、水面に黒い影が浮上してきた。勢い良く、長い首がもたげられた。
 「うわっ」
ルークは思わず声を上げた。頭上から滝のように海水が降ってくる。ミズハはきょとんとしている。ボートは、水面近くにいた海竜の背中に乗り上げているのだ。
 「すいません」
思わず、ルークは謝った。首は、むっつりとした顔で二人を見比べ、小さく一声。
 「…王様に会いたいのか、って」
 「王様?」
 「そう。…うん、もしお話出来るなら会ってみたいな。いいよね、ルーク」
 「ああ、取り敢えずそのほうが話が早そうだし」
ミズハは、そう伝えたようだった。海竜は小さく頷いて、ボートを背中に引っ掛けたまま、ゆっくりと水面近くを泳いでいく。周囲は海竜で一杯だ。青くゆらめく海水が反射する岩壁のそこかしこに、数百頭の黒い群れ。海竜は常に群れで過ごすというが、これだけ集まっていると圧巻だ。
 洞窟の奥の天井は、崩れてあちこちに穴が開いていた。そこから地上の光が斜めに降り注いでいる。
 海側の入り口から奥へ数百メルテも進んだだろうか。ミゼットの写真にあった玉座のような岩は、一番奥にあった。そこには、写真と同じように、周囲に他の海竜たちを侍らせた、ひときわ巨大な黒い海竜がどっしりと腰を据えて、近づいてくる小さなボートを不機嫌そうに眺めている。
 案内の海竜が止まった。
 ボートを海面に降ろし、そのまま沈んで見えなくなる。
 ミズハは、ボートの上に立ちがって尋ねた。
 「あなたが王様?」
その声は、もう一つの聞こえない声として、ミズハの言う”海の言葉”として、海竜たちに届いている。
 おもむろに海竜は、慇懃な態度で首をもたげ、低く唸った。ミズハを見下ろす視線は、彼女と会話している。
 「海竜王ヴェリザンドさんだって。ジャスパーをここへ連れてきたことを怒ってる。」
 「ジャスパーを? なんで?」
 「うんとね」
しばしの間。
 「…弟なんだって」
 「え?」
 「あれは腹違いの弟だから、生きていないほうが良かったって。王位を狙ってきたのか、って。」
ルークは、思わず洞窟の入口のほうを振り返った。さっきの異常なまでの敵意と警戒は――そういう意味だったのか。
 「ジャスパーはそんなことしないよね。お仕事で来ただけだもん」
 「もちろん。おれたちは、ただ、その――」
ルークは、周囲の壁を見渡す。目的の化石は、どこにあるのだろう。この広い空間でないことだけは確かだ。
 「…あの化石って、どこにあるんだろう」
ミズハがヴィリザンドに尋ねている。
 「あっちみたい。」
指さした方向には、壁にいかにも最近出来たような不安定な亀裂が走っている
 「ここにあるものは、自分たちのものだから持ち出すな、って言ってる。人間が好き勝手弄るのはごめんだって。だけど…」
少女は、ちょっと首を傾げる。
 「どうしてもっていうなら、調べるのはいい、って。」
青い鱗をきらめかせた海竜は、しぶしぶといった様子で首をふり、視線をそむける。なぜかヴェリザンドは、微かにミズハを恐れるようなそぶりをしている。
 「分かった。じゃあ、そうするから調べさせてほしいってお願いしてもらえるかな。そうしたら、ミゼットさんのところに一端戻ろう」
 「うん」
ミズハは、ヴェリザンドと話をしている。その間ルークは、周囲の海竜たちの反応を伺っていた。ぴりびりした雰囲気は最初ほどでは無くなっているが、まだ完全に警戒を解いたわけではない。まるで人間だな、と彼は思った。群れをなして暮らすこと、人間の国と同じような階級や血族思想。ジャスパーが時折人間のような行動をとるのは、ずっと人間と一緒に暮らしてきたからではなく、元々そういう種族だったからのようだ。
 話し終えたミズハが振り返った。
 「お話、わかってもらえたよ。一回戻る?」
 「そうしようか」
言い終わるか、終わらないかのうちに、ボートが海面から押し上げられる。沈んでいた海竜が浮かび上がってきて、再びボートを背中に引っ掛けたのだ。
 振り返ると、海竜の王はまだじっと、落ち着かなさそうな視線をじっとこちらに投げつけていた。 


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