<第二章>


 航海は順調に進み、船はそろそろ、霧に覆われた「世界の果て」海域を抜ける。間もなく、往路でたどった十二番目の島の辺りを通過する。そこまで出られれば霧の干渉もなく、通信機も使えるはずだ。ルークは机の引き出しを開け、しばらく使っていない通信機を取り出した。今はまだ、魔石に反応はない。四番目の島に拠点を置くミゼットたちのドラゴン調査は、どれくらい進んだだろうか。
 「いらん!」
甲高い少年の声が、キャビンのほうから響いてくる。このところ毎日繰り返されている不毛な言い争いだ。ルークは、ちょっと微笑んで席を立った。
 「こんな人間の食い物が食えるかっ」
今朝の食卓に並んでいるのは、航海用に保存食として作られた粉末ミルクとビスケットだった。
 「何度も言わせるな。余は人間の食い物など無くても生きていける」
 「そんなこと言わないで。本物の牛乳に比べたら美味しくないけど、飲むとおっきくなれるんだよ」
 「…おっきく…?」
 「アネットさんがそう言ってた。カルシウムたっぷりで骨が丈夫になるって。背を伸ばしたいなら毎日飲むんだよーって」
 「本当か?! なぜそれを早く言わんのだ。そういう事なら…って」
牛乳の入ったカップを用心深く手繰り寄せたマルドルゥインは、ルークの視線に気づいてさっと顔を赤らめた。
 「貴様、いつからそこにいた! おのれ、バカにしたような顔をしおって…」
 「いや、飯取りに来ただけだって。ま、船の保存食なんてそう美味しいもんじゃないけど、食ったほうがいいぞ。腹に何か入ってるのと入ってないのはだいぶ違う」
 「そうだよ。っていうか、こういうのじゃないとしたら、マル君はいつも何食べてるの?」
 「だから…、食べる必要など無いのだ。食ったものから栄養分を取って残りを排泄するなど、非効率すぎる。最初から必要なものだけ取り込むか、自ら生み出せばよい。むしろ貴様らは、なぜ人間の食い物など口にしておる。」
ルークとミズハは、顔を見合わせる。
 「そんなこと言われても…。おれの、この体は人間だぞ」
 「あたしだってこの姿の時は人間だもん。お腹すいたら動けなくなっちゃうよ」
 「……ふむ」
マルドルゥインは、不思議そうな顔をする。
 「わざわざ、脆弱な人間の体を使って枷をはめる意味があるのか?」
 「意味なんてないよ、元々そういうもんなんだ。お前だって、ほとんど人間なんだろ?」
 「…何が言いたい」
 「だったら人間と同じで効くかもしれないと思ってさ」ルークは、意地悪に笑みを浮かべる。「その、”大きくなれる魔法の飲み物”、牛乳。」
 「…!」
 「はは、試してみて損はないと思うぞ。じゃ、おれ奥にいるから」
自分のぶんのカップと皿を掴みとり、ビスケットを口にくわえながらルークは船室のほうへ姿を消した。相変わらずの調子だが、マルドルゥインは少しずつ、船に馴染みつつ在る。だが、ルークはいまだ、自身を「炎の魔神」と名乗るあの少年の力を計りかねていた。
 初めてミズハに会った時も、そうだった。
 ミズハと同じように、あの少年にも見た目とは裏腹に底の知れない部分がある。大地に突き刺さるあの巨大な月の破片からして、かつては魔神の名にふさわしい力を持っていたことは間違いない。その力の大半を失っているとしても、今は一体、どのくらいの力を秘めているのだろう。
 「ルー君来て!」
キャビンのほうから、ミズハの呼ぶ声がする。
 「どうした?」
 「空がおかしいの。西の空見て!」
ルークは窓の外に目をやった。西の空、進行方向の向かって左手のほうの空の一部が灰色に煙っている。嵐というわけでもない。確かにおかしい。
 デッキの上に出ると、強い風が吹きつけてきた。風に混じって、ぱらぱらと白いものが甲板の上に降り注ぐ。
 「…これは」
 「火山灰だな」
マルドルゥインは、腕組みをして空を見上げている。「大地の奥底から湧き上がる火の力を感じる。かなりの規模だ」
 「海底火山か」
往路で火山に出くわしたのは、八番目と九番目の島の間だった。今はまだ、十番目と十一番目、双子島にも到達していない。距離にしてまだ何日も先のはずだ。まさか、新しい火山がもう少し手前に姿を表したということなのか。悲鳴にも似た甲高い音を建て、風が船を通り過ぎてゆく。
 「噴火を避けたほうがいいな。けど航路は大きく変えたくない。…ジャスパー」
船首から海を覗きこむと、海竜が頭をもたげた。
 「この先で、海底火山が噴火してる。水温が変わったり、魚が大量に死んでるところがあったら教えてくれ。」
分かった、というように首を振り、海竜は再び水の中に沈んでゆく。ルークは周囲の海面に目を凝らした。白っぽい色をした海の色に異変は見られない。だがね空の様子からして、かなり大きな噴火が起きていることは間違いない。
 「ちょっと見てくるね」
ミズハは、手の上に生み出した白い鳥たちを灰色の空に向かって放った。光が尾を引きながら、輝く翼は空の彼方へと消えてゆく。
 「船の進路は、ここからまっすぐ?」
 「そのつもりだったけど、少し遠回りしたほうが安全かもしれないな。一日か二日、余分にかかるだけなら安全な航路をとりたい。――ちょっと航路図を確認してくる」
 「いってらっしゃい。」
船室のほうへ消えてゆくルークを見送ったミズハは、ふと、マルドルゥインが自分のほうを見つめていることに気づいた。
 「どしたの?」
 「不思議に思っていたのだ。何故…その、あの巨人と行動を共にする?」
少女の背に輝いている、白い海鳥の翼に視線を移す。
 「海の魔女は、”至高の存在”だ。何者にも与しない」
 「あたしは人間だって言ったでしょ」
そう言って微笑んだミズハの口調と気配が、僅かに変わる。少年は、思わず半歩あとすさる。
 「少なくともこの姿の時は。お父さんやルー君は、人として生きることを望んだ。あたし自身も」
海の方にやった淡い緑の瞳に、波の色が映る。
 「だが、貴様は海の魔女の同位体ではないか。同じ器を持つ、同格の存在。あれと入れ替わることが出来る――」
 「お母さんはお母さんだし、あたしはあたしだよ。マル君が、”先代”の炎の魔神とは別人であるように」
 「……」
 「もう分かってるんでしょ? 転生の儀式は中断された。先代から次代へ、中身を入れ替えるだけの器として作られたとしても、今の中身を満たしてるのは君自身だよ。君は君なんだよ、マル君」
マルドルゥインが何も言えずにいる間に、空に羽ばたきが戻ってきた。ミズハの放った鳥たちが旋回している。少女が手を差し出すと、鳥たちの姿は崩れて光の粒となり、その中に吸い込まれていった。
 「火山が見えたよ。ルー君に知らせてくるね」
そう言って振り返った時、ミズハはいつものミズハに戻ってきた。服の裾を翻し、軽快な足音が船の中へ去ってゆく。
 息を詰めていたバルゴスが、そろそろと主の傍らに寄ってきた。
 「やはり恐ろしい存在ですな、海の魔女とは…」
 「ああ。だが、神王と同等の力を持つ唯一の存在。それが此方側にいるというのが重要なのだ。巨人などとつるんでいる理由は、今もってよく分からんが…」
言いながら、口元に笑みが溢れる。
 「どうされました?」
 「いや。そういえば余も、つるんでいるのだったなと」
手すり越しに船首のほうには、波を蹴立てて泳ぐ海竜の黒い頭が見え隠れしている。双頭の巨人の一部、南海の女王の娘、海竜王の子孫、そして炎の魔神の成れの果て。実に稀有な取り合わせだ。かつての世界であれば有り得なかっただろう。
 「ともかく、奴らは目立つ。一緒にいれば、バージェスの奴めとも出くわしやすかろう。ついてきたことは、あながち間違いでもないやもしれんぞ」
気取った口調で言い、と少年は手すりから離れた。火山の力がどんどん強く、火の気配が濃くなりつつある。遠い海の上に居ても心地良い。火山灰の混じった風を受けながら、マルドルゥインは感じている。地中の奥深く、月の落ちて以来、火の国からは消えてしまった荒々しい灼熱の流れが、今はこの海の下を方向を変えて流れていることを。


 ザザッ、と微かな雑音とともに、通信機がほぼ一ヶ月半ぶりに輝きを取り戻す。
 『…い、…すか? もしもし? もしもし』
 「こちらハーヴィ号、ルークです。応答願います」
 『ルーク! 無事だったんですね』
通信機の向こうから、聞き覚えのあるミゼットの声が響いてくる。ほっとすると同時に、ルークは改めて気を引き締めた。
 「レムリア大陸の調査は完了しました。今、復路についています。現在位置は双子島の手前と思われますが、大規模な海底火山の噴火があって航路変更中。迂回路をとっています」
 『海底火山? それで、大丈夫なの?』
 「多分。島を離れると潮の流れが変わりますが、ジャスパーが何とかしてくれます。方角さえズレなければ、八番目の島まで迂回路でたどり着けるはず」
そうは言ったものの、確固たる自信があったわけではない。八番目から六番目までの島は、島というより岩礁だ。遠くからは見つけにくい。一旦航路を見失うと、大幅に時間をロスする可能性がある。
 通信機のノイズの向こうで、僅かな沈黙があった。
 「ミゼットさん?」
 『…悪いニュースがあるの。先日、国家連邦の中でメテオラに近い二国が連邦を離脱したわ。メテオラからの示威行為に耐えられなかったみたい』
ルークは、息を呑んだ。
 「本当ですか? 示威行為って、まさか」
 『ええ。飛空艇のうち小型のものが数艇、既に完成し、実用段階に入っている。それらが連日、近隣国の上空を我が物顔に飛び回っているの。ヴィレノーザの上空にも一度来たらしいわ』
そして、その飛空艇にはいずれ武器が換装される。今では世情に疎い者でさえ知っている。メテオラはいずれ、大陸の覇者になるだろう。そして誰も、それに対抗する手段を持たない。
 予想よりも早い。そして、戦力を仲間と言うべき同じ大陸の他の国々に向けようとするとは、予想外だった。
 「――リブレ人の指示じゃない、でしょうね。力を手にしたメテオラが独自に行なっていることだ」
 『フォルティーザの支部長も同じ意見だったわ。メテオラ上層部が独断で行なっていることだろうと。長年押し留めてきた、国家連邦の盟主になりたいという野心の表れでしょうね』
現在の国家連邦の盟主フィオナとは、事あるごとに方針の相違からぶつかってきた。フィオナの勢力下にある小国を離脱させるということは、その勢力を削ぐことを意味している。リブレ人は自らの目的のために飛空艇建造の技術を提供したが、メテオラはメテオラで、自国のためにも飛空艇を使っている。両者の利害は一致している。…まだ、今のところは。
 『そちらの収穫はいかがでした?』
 「目的はほぼ達成しています。今から情報を転送します。…それと、客人が一名…。入国許可書の発行が必要なんです。ジョルジュさんに伝えてもらえますか?」
 『分かったわ。』
幾つかの細々した伝達を済ませ、通信を切った後、ルークは一つ大きく息をついて椅子の背もたれに体を預けた。天井に、波に反射する光がゆらゆらと踊っている。窓の外はいい天気だ。ただし、雲の合間には時折光りながら不気味に渦を巻く、灰色の火山雲が広がっている。風向き次第で、遠く離れているはずの船の上にまで灰が飛んでくる。
 リブレ人がメテオラに技術提供して飛空艇を建造させたのは、海を越えるため。それは間違いないだろう。だが、ルークたちが足を踏み入れたレムリア大陸には、そこまでして攻め入らねばならない何かがあるようには思えなかった。目的はやはり「炎の魔神」だろうか? 何らかの方法で魔神が生き残っていることを知り、かつてと同じ力を持っているかもしれないと想定しての軍備だろうか。
 どうにもしっくりと来ない。リブレ人と、彼らの崇める神王バージェスは、なぜ自ら動こうとしない?
 炎の魔神を攻めたのがバージェスとして、天から月を落とすほどの人智を超えた強大な存在なら、しもべを使って飛空艇を作らせる人間の王のようなことはしないはずだ。
 「バージェスとは何者か、…だな」
呟いて、ルークは椅子から立ち上がった。謎に包まれた都市国家リブレと、そこに住む”ウサギのような”人々と――彼らの信奉する”神”。
 窓の外に視線をやる。
 精霊たちの消失、エーテルの減少、力を失った神々、火の国の破壊、…すべての出来事が繋がった一本の糸の上にあることを、ルークは確信していた。自分も無関係ではない。命を生み出すことをやめたハハヤマと、巨人たちの滅びの運命が、ハリールードを海の向こうへと向かわせた。

神魔戦争と呼ばれるものの正体は、その糸を手繰り寄せた先にある――。


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