<第二章>

の国


 ミズハと合流したあと、ルークたちはバルゴスの案内で都の中心部に向かっていた。
 バルゴスは気乗りしないようで、ついてくるルークたちのほうをちらちらと見やりながら、何度も警告した。
 「いいかお前たち、無理はするなよ。危ないと思ったらすぐに逃げること。雨の後だから運が良ければ安全に近づけるかもしれんが…」
 「危ないの? どうして?」
 「…それは」
赤い火トカゲは、黒い翼をせわしなくはためかせながら口ごもる。ずっと、この調子なのだ。妙に歯切れが悪く肝心な情報は何も教えてくれない。
 「…で? その、炎の指輪っていうのは、何処にあるんだ」
 「もうじきだ。もうじき到着する。見れば分かる」
そう言いながら破壊された建物の合間を縫ってゆく。頭上には、天と地を繋ぐ柱のように突き立った大岩。建物や道は、その岩に近づくほどに原型がなくなり、溶けたようになっている。
 やがて行く手が開けた。
 そこは、柱のように聳える大岩の真下だった。天より振り下ろされた最後の一撃が、深く大地を抉り、周囲を跡形なく溶かしてすり鉢状に凹んだ場所。ほの暗い大地の奥底には、今なお、ちろちろと赤く燃える火が見えている。
 「――ここだ」
バルゴスは、振り返って二人を見た。
 「この裂け目の奥底に、炎の指輪はある。見ての通り… 下の方は灼熱の地獄だ。生身の人間では、とても降りて行けん」
 「マル君は?」
ミズハは思ったことを素直に口にする。「炎の魔神、なんでしょ。」
 「無論。マル様ならば、このくらいの熱は大した問題ではない。ただ、問題は…」
言い掛けた時、地の底から何者かが呼応するように低く唸り声を上げた。怯えたバルゴスはさっきまでの数倍もの速さで翼をはためかせながら、大慌てでルークの後ろに回りこむ。
 「ここここ、この声。奴らだ、奴らが動いている。雨の後はたいてい眠ってるのに…!」
上ずった甲高い声を上げながら、バルゴスは無闇矢鱈と汗を流している。そんな怯えた火トカゲには目もくれず、ルークは、伸び上がって地面に開いた穴の底に目を凝らした。抉れた大地の中で赤黒く炎が蠢いている。炭火が静かに熱を発するように、岩壁は、不規則な明滅を繰り返している。
 と、その中から何かが首をもたげ、こちらを見た。
 「あれは…」
ルークは、思わず息を呑んだ。岩だと思っていたものは、すべて生き物だった。いったん認識してしまうと、それが無数に、穴の底をびっしりと埋め尽くしているのが見えてきた。
 「あれって、フォルテの町で港を焼いた岩みたいな生き物、だよね?」
 「ああ、多分な」
ふいの事故によって息を吹き返し、エレオノール号を含むフォルティーザの港を炎上させた生き物。今、それらは、地の底の熱を糧に群れをなしている。
 「雨の後なら、あいつらは石に戻ってることもあるのだ」
と、バルゴスは、いつでも逃げ出せるよう羽根をフル回転させ、二人のやや頭上に浮かびながら憂鬱そうに言った。
 「あれも魔神の眷属なのか?」
 「違う! あれらは、魔界に属するものだ。かつてはマルドルゥイン様のお力によって封印されていた、まつろわぬものどもだ。それが、奴らを追いやる精霊たちが消え、封印の扉も壊れてしまい…」
声をかき消すように、地の底からさらなる咆哮が迫ってくる。ここは彼らの巣穴なのか、敵と認識されたのか、明らかにこちらに向かって敵意を向けている。穴の縁から這い出してくるものもいる。
 「あわわわ、や、やっぱり無理だ。逃げるぞっ」
 「待って」
ミズハは素早く手を帆伸ばし、はや撤退しようとしているバルゴスのしっぽをむんずと掴んで引きずり戻す。
 「指輪って何処にあるの?」
 「ど、何処って――」
バルゴスは震えながら穴の中心に視線をやる。視線を辿ったその先、岩に寄ってえぐられた地面の穴の真ん中あたりに出っ張っている岩があり、その先にきらりと光るものがあった。
 「あれだね。」
ミズハが手を離すなり、バルゴスは一目散に空へ舞い上がる。だが、彼女はお構いなしだ。
 「ルー君。ここ海からちょっと遠いから、あんまり出せないよ」
 「大丈夫、引きつけるのは、おれがやる」
そう言ったルークは、既に足元の地面を確かめていた。
 「空から狙ったほうが確実なはずだ。ミズハは指輪を」
 「うん。分かった」
少女の背中に、光に包まれた翼が生まれる。ミズハがさっと飛び上がるのとほぼ同時に、ルークの周りには、濡れた地面から全部で四体のゴーレムがのそりと立ち上がる。人間の成人より一回り大きいくらい、小さめだが、それなりに頑丈に作ったつもりだった。
 「四方に散って、できる限り引きつけろ。頼んだぞ!」
ルークが命じると、ゴーレムたちは、それぞれに穴に向かって走りだした。熱を帯びた岩の生き物たちが吠えながら飛びかかっていく。岩が走ると、土の燃える匂いがして、雨上がりの地面から水が蒸発するように、水蒸気が立ち上る。水をはね、岩たちはまるで本物の獣のように、次々とゴーレムに襲いかかっていく。
 ルークは自分も逃げながら、さらに何体かのゴーレムを生み出していった。最初の頃に比べて、力の配分が効くようになっている。無駄がなくなったぶん同時に生み出せる数が増え、イメージした通りの大きさで作ることが出来る。
 単純な思考しか持たない岩の獣たちは、ゴーレムが仮初の命とは気づかずに、倒れても何度も蘇る土人形に手を焼いていた。穴の周囲はまるで蟻の巣をつついたような騒ぎで、次から次へと湧きだしてくる岩たちで、辺りは地面も見えないほどになっている。その様子を、バルゴスは真っ赤な体に真っ青な顔で見下ろしている。ふと見れば、ミズハは宙に浮かんだまま、その様子をじっと見ていた。
 「お、おい。貴様は何もしないのか」
 「待ってるの。もうちょっと…」
ミズハの視線は、岩に引っかかった指輪に向けられている。雲が流れ、それにつれて影が地上を移動していく。光が隠れ、そして再び現れた太陽が、指輪を輝かせる――
 「きたっ」
少女は小さく一つ息を吸い込むと、手を中空に掲げる。その手のひらの上に、光に包まれて数羽の白い海鳥が姿を現す。バルゴスは、丸っこい目を大きく見開く。
 「お、おい、それは…」
 「取って来て!」
ミズハが手を振り下ろすと鳥たちは光の矢となって穴の中へ一直線に飛び込んでゆく。羽毛を散らすように、きらきらと光を残して。近くにいた岩が跳ね飛ばされ、その衝撃で浮いた指輪を、二羽目が嘴でキャッチする。
 「やった!」
小さく呟いたミズハは、自らも穴の中へ舞い降りて、戻ってくる鳥の嘴から指輪を受け取った。煤と泥とに汚れていたが、それは見事な黄金作りの指輪で、滑らかな太い輪の上には大粒の赤い宝玉が嵌めこまれている。手のひらに載せていると、不思議とじんわりと温かい。
 「ルー君!」
ミズハは、地上に向かって手を振った。「指輪、とれたよー」
 「分かった。こっちも引き上げる」
ルークは後ろを振り返り、ゴーレムたちが土に戻るよう念じた。岩の獣たちは、それまで攻撃していた相手が突然崩れ去って跡形もなくなってしまったので混乱し、吠えながら辺りを探しまわっている。逃げるなら今のうちだ。
 二人は、穴から十分に離れたところで合流した。
 「うまくいったね」
 「そうだな。あとは、その指輪を届けるだけ――」
 「その必要はない」
振り返ると、そこにマルドルゥインが立っていた。少年はうっすらと訳知り顔の笑みを浮かべ、バルゴスを従えている。
 「先ほどまでの戦いぶり、とくと見せて貰ったぞ。貴様の正体は、巨人の長だったか」
ルークは、肩をすくめた。
 「正直、その半分くらい…かな。」
 「それに、海の魔女とは。まさかと思ったが…」
翼を背に、宙に浮かんだままのミズハを見やる。
 「おれたちを試したのか」
 「さて。それもあるが」
バルゴスが、そろそろとミズハに近づいてくる。ミズハは手を開き、握りしめていた指輪をバルゴスに渡した。うやうやしく差し出されたそれを、少年は、感慨深げなため息とともに受け取った。
 「いつまでも、コイツを放っとくわけにもいかなかったからな。一石二鳥ってやつだ」
 「…不憫なことに、ご自分お一人では取りに行くだけのお力がムギュッ」
 「余計なことを言うな!」
口を滑らせた褒美にげんこつを食らった従者は、哀れにも足元の地面に伸びてしまった。
 「こほん。…とにかくだ! これで少しはマシに戦えるようになったぞ。よかろう! 取引成立だ。貴様らについていってやろう。有り難く思えよ」
 「うん。宜しくね、マル君」
 「……。」
少年は、何か言いたげな顔をしたが、敢えて何も言わない。
 「さて、それじゃ船に戻ろうか。ジャスパーの奴、退屈してなきゃいいけど。」
 「いいか、言っておくが余は、貴様らの船とやらに乗ってやるのだぞ。客人として丁重に扱え。いいな」
 「はいはい…」
話を聞き流しながら、ルークのほうはというと、早くも帰路の工程と残りの食料について思いを巡らせているのだった。


 重たく垂れ下がる雲の切れ間からさす光が大地に突き立つ岩塊を照らし、月のかけらは斜めに巨大な影を落とす。夕焼けが赤く染める灰色の廃虚は、まるで燃え上がっているようだ。
 旅の支度は特に必要ない、持っていくものは特に無い、と少年は言った。
 「何も? 服とか、食べ物とか… 今まで、そういうの、どうしてたんだ?」
 「馬鹿馬鹿しいことを聞く」少年は、ふんと鼻を鳴らした。「そんなものに煩わされるのは人間だけだ。この炎の魔神ともあろうものが、人間のように風呂に入ったり飯を食ったりするとでも?」
 「だから大きくならないんだよ」
と、すかさずミズハ。むっとしたものの、少年は何も言い返さない。てっきり「無礼だ」などと騒ぐと思っていたルークは拍子抜けする。そういえば、マルドルゥインは最初から、何故かミズハには従順だ。従順というより、控えめ、とでも言うべきか。
 「…余に必要なものは、これだけだ。今はな」
そう言って、さっきルークとミズハが取り戻してきた指輪をはめた指を掲げる。その指輪は体格のほっそりした少年には大きすぎ、ぶかぶかして、今にも抜け落ちてしまいそうだ。
 「それじゃ駄目だよ。すぐ落としちゃいそう。…そうだ」
ミズハは、荷物を探って細長い革紐を取り出す。
 「ちょっと貸して。」
怯えたように指を隠そうとする少年の手を捕まえ、その指からいとも簡単に指輪を取り上げてしまう。
 「大丈夫、すぐ返すから。ちょっと待っててね……」
手際よく指輪に紐を通し、両端を結んで輪っかにすると、少年の首にひょいとかけてやる。
 「ね。これで無くさないでしょ?」
 「あ、ああ…。」
 「ミズハに対しては、ずいぶん大人しいんだな」
ルークが突っ込むと、うろたえていた少年の瞳に、いつもの負けん気が瞬時に戻ってくる。
 「う、煩いな。余は貴様のような恐れ知らずの粗野な巨人とは違うのだ。」 
 「ふうん。ま、いいけど。」
特に深く考えず、ルークは自分の荷物を肩に掛けた。「それじゃ出発するけど、いいのか? もう日が暮れるぞ」
 「構わん。夜だろうが、明かりなら余がいくらでも生み出してやる。出発するなら早いほうがいいのだ。」 
赤毛の少年は、何故か忙しなく周囲に気を配っている。まるで、この街の何かに怯えているかのようだ。あるいは、国を出る決意が鈍ることを恐れているのかもしれない。それ以上、ルークもミズハも追求はしなかった。ゆっくりしていられないのは、ルークたちのほうも同じだからだ。
 街を出る時少年は無言のまま振り返って、巨大な岩に押しつぶされた町並みを一瞥した。一瞬足を止め、――しかしそれはほんの一瞬のことで、やがて思いを振り切るように背を向けると、足早に町の境界線を乗り越え、焼け焦げた平原へと歩き出したのだった。


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