<第二章>

の国


 重く垂れこめた雨雲が流れ、最後の雨粒を地上に降り散らしていく。
 暗がりを背後に、螺旋階段の辺りまで戻ってきたところだった。ルークは空を見上げ、それから、足元の水たまりに映るかすかな青空を眺めた。
 「おい、お前たち」
周囲には、さっきからうるさく付きまとっているものがいるが、敢えて無視している。
 「これからどうする? 船に戻る?」
 「そうだな。火の国に人がもういない、っていうのは本当みたいだし。だけど気になるのは、あのちっちゃい魔神のことなんだよな…」
 「お前たち。さっきから人を無視しおって。話を訊けこら」
 「あーもう」
ミズハは、うるさく飛び回っている小さな火トカゲを、ひょいと捕まえる。
 「あっこら! やめろ! 何をする! ぎゃーーーっ」
 「ちょっと静かにしててくれない? そんなに大騒ぎしなくても大丈夫だよ、あたしたち、すぐ帰るよ。」
 「そういうことではないッ」
手を離され、落下しかけたバルゴスは大慌てて小さな両翼をフル回転させ、地面スレスレでなんとか浮上に転じる。
 「話を訊け。お前たち、海の向こうの大陸から来たと言ったな?」
 「ああ、そうだ」
ルークが答える。
 「海を超える方法があるんだな? あの霧の壁、あの海を」
 「あるには、あるけど――」
 「ならば、頼む! マル様を連れて行ってくれ! 奴が向こうにいるというのなら、どうしても、マル様は海を越えねばならんのだ。」
ルークとミズハは、顔を見合わせる。
 「それって、”神王”ってのを倒したいから…?」
 「そうだ。」
 「だから無理だってば」
ミズハはちょっと背伸びして、指先でバルゴスの額を弾いた。
 「あたッ。こら貴様、何をす――」
 「だって、ここをこんなにしちゃったやつなんでしょ? 月を落とすとか。そんなのどうやって戦うの」
 「だとしても、行かねばならんのだ。倒せなくとも、一矢報いてやらねば! でなければ、でなければ我らは…」
 「……。」
思いつめたような様子に言葉も出ないルークたちを見て、バルゴスは、小さく炎のため息をついて、俯いた。
 「これは、貴様らを見込んでそれがしの一存で話すことだ。事情を知れば、貴様らの心も変わろう。聞いてくれぬか…」
そう言ってバルゴスが話し始めたのは、かつてこの国に起きた出来事にまつわる話だった。


 ――かつて、この”火の国”は、王と神が治めていた。

 人間たちを治める人間の王と、精霊たちと聖獣を従える魔神と。魔神は国を守り、その見返りとして人間たちは魔神を崇め、神殿を建て、貢物を捧げていた。魔神が国中の火山を制御しているおかげで不意の噴火は起ころず、起こるときも、人間は前もって避難しておくことができたという。平和な時代は、長く続いた。
 だが千年ほど前、何かが変わり始めた。
 最初に異変に気づいたのは、魔神と、魔神に仕える神官たちだった。火山が異常な熱を蓄えはじめ、魔神の力を持ってしても抑えることが難しくなり、噴火が相次いだ。それと同時にマナが減り、精霊たちが次々と力を失い、魔法使いたちが糧とするエーテルも薄れ始めた。
 ”大異変”の始まりだ。
 しかし、その異変も初めのうちは何とかなった。事態がのっぴきならないところまで進行していることを知らされたのは、今から数百年前のこと。大きな火山の爆発があり、何ヶ月も空が覆い隠された後、久しぶりに現れた星空を見た人々は、驚愕する。
 ――在るはずの星空が無く、在るべきでない星々がそこにある。
 星空が変わっていたのだ。そして、空に輝く二つの月のうち片方は大きく欠け、もう片方ははるか遠くに小さくなっていた。夜明けには姿を見せるはずだった第三の月は、その日の夜明けには姿を見せることはなく、また次の日も、次の日も、夜空に戻ってくることは無かった。人間の王と神官たちは助言を求め魔神のもとを訪れたが、神殿の入り口は固く閉ざされたまま、魔神の気配は感じられなかった。
 それから何日もしてからのこと、地響きとともに神殿にかつてない色をした炎が灯された。
 神殿へと急いだ神官たちが見たものは、炎に包まれ、しぼみ、変わり果てた魔神の姿。
 「もはや限界だ。転生の時が来た」
息も絶え絶えに、魔神はそう告げたのだという。「転生」とは、五百年に一度、魔神が元の体を捨て、新たな体へと生まれ変わる儀式だった。絶大な力を誇る魔神といえど、その前後だけは力が弱まってしまう。転生体はすみやかに準備された。誰もが儀式が無事終わることを痛いほどに切なく願っていたはずだ。まだ生き残っていた僅かな精霊たちも、聖獣たちも。しかし、そうはならなかった。
 儀式の最中、魔神の力が消えかけた時を狙ったように、それは空から襲いかかってきた。
 結界は破られ、祭壇は踏みにじられ、――最後の力を振り絞った炎の魔神も、抗いきれずに…


 「まさか、月が降ってくるなどと誰が思っただろう」
そう言って、バルゴスは身を震わせた。
 「ってことは、今いる、あのマルドルゥインって子は?」
 「先代の炎の魔神の後継者となるべく生まれた”器”であらせられる。儀式は失敗し、力と記憶の継承は中断された。今お持ちなのは、元の器から引き継ぐことの出来た、ごく一部だけ」
 「同位体…か」
ルークは呟いた。バルゴスは大きく頷く。
 「その通り、あのお方は、炎の魔人の完全なる同位体である。通常であれば、転生の儀式を終えたとき、次の器にはそれまでの全ての記憶と力、人格までもが宿り、元のマルドルゥイン様と完全な同一人物として復活なされるはずだったのだ。」
 「それで、今はほとんど人間と変わらない、って言ってたんだな」
 「そう! そういうことなのだ。だから、あのお方は、あれでも正真正銘の炎の魔神様で、ただし今はほとんど何の力もなく…」
威勢の良かった表情が、みるみる陰ってゆく。
 「…不憫な。なんという惨めな状況なのだ。力がなくば成長することも叶わない。あのお方は、もう百五十年もあのような御姿のまま、たった一人で耐えてこられたのだ。守るべき国も聖域も民もないあのお方に、復讐以外にどんな存在意義があるというのだ」
そう言って、バルゴスはポタポタと大粒の涙を落とした。しゃくりあげるたび、鼻から小さな炎が吹き出して、流れ落ちる涙をシュウシュウいわせる。
 「気持ちはわかるけど、でも、死ににいくのは駄目だよ。」
ミズハが言った。「復讐のために生きるとか、そんなのつまんないと思う。一緒に行くのは構わないけど、でも、そんな理由じゃ駄目だよ」
 「おれも同感だ。理由は分かったけど、みすみす死なせるために連れて行くなんて出来ない。」
 「そう、…か」
赤いトカゲはしゅんとなり、可哀想なくらい落ち込んでしまった。
 「時間を取らせたな。忘れてくれ。さらばだ、異邦の者たち。達者でな…」
そう言い残し、うなだれたまま小さな羽音を立てて通路の奥の闇の中へと消えてゆく。ルークとミズハは、顔を見合わせた。
 「これで良かったのかな」
 「…分からない。でも、今の話が本当だとすると、”炎の魔神”っていうのは物凄く力の強い存在だったんじゃないのか?」
バルゴスの去っていった方向に視線を向けたまま、ルークは、半ば自問自答するように呟いた。
 「リブレがメテオラに建造させている飛空艇…、こっちの大陸にいる”敵”と想定された何か…。」
 「あの子が、その”敵”ってこと?」
 「リブレ人が崇めている天空王と、この国を破壊した神王とが同一のものなら、そう考えるのが自然だと思う。ああ見えて、侮りがたい力を持ってるとか、厄介な存在と思われてるのかもしれないし…」
 「…そっか」
ミズハは、足元の水たまりに目をやる。「あの子、狙われてるかもしれないんだ」
 「可能性、だけどな」
 「だったら、連れて行ってあげたほうがいいかも」
 「そうだな…」
それに、と心のなかで思いながら、ルークは螺旋階段の上を見上げた。遠い空。階段はところどころ崩れ落ち、かつて壁を飾っていたらしいモザイクの大半は剥がれ落ちて灰の下に埋もれている。
 人の気配が消え、廃虚と化した都。他には誰もいない、誰も戻ってこない、死んだ町。
 バルゴスという話し相手がいるにせよ、こんなところに百五十年もたった一人で暮らして、この先もずっと一人ぼっちというのは、あまりにも寂しい。
 ルークは踵を返し、通路の奥に体を向けた。
 「ミズハ、ちょっとだけ待っててくれるか?」
 「うん、いいよ」
何をするつもりなのかは、ミズハも察しているようだった。軽く伸びをして、空を見上げる。
 「しばらく、この辺り見て回ってるね。」
 「ああ、そうしててくれ」
ミズハと別れ、さっき辿ったトンネルの奥へ向かって歩き出す。闇の中に水滴の音が響き、どこからともなく染み出す地下水が足元を流れている。
 闇を抜けると、さっき少年とバルゴスが話していたドーム型の天井の下に出た。すべての灯りが消えている今は、天井の割れ目から差し込む薄ぼんやりとした光だけが空間を照らしている。辺りは死んだように静まり返り、柱を飾る薄緑の彫刻が、うつろな視線を虚空に向けている。足音の反響を確かめながら周囲を見回していたルークの耳に、聞き覚えのある少年の声が届いた。
 「何をしに戻ってきた?」
声のするほう、頭上を振り仰いだルークは、玉座を取り囲む太い柱の一本の上に、さっきの少年の姿を見つけた。柱に腰掛け、足をぶらぶらさせている。
 「その顔からして、何を聞いたかおおよその見当はつく。ふん、バルゴス、あのお喋りめ。」
口元を釣り上げると、少年はすっくと立ち上がる。
 「――だが! 同情などいらぬ。力を取り戻すすべとて、無いわけではないのだ。時間をかければ、マナを再構成することも出来る。何と言っても余は偉大なる炎の魔神なのだからな! しもべの精霊たちがいなくとも――」
 「…知りたいんだ」
 「何?」
 「ここに来る前に生き残りの精霊に話を聞いたんだ。過去の世界にいた精霊たちが消えたのは、月が降ってくるより前のことだった、そうだろ?」
少年は、答えない。
 「異変が起きたのは、ここだけじゃない。巨人の国では、巨人たちの生まれる場所、ハハヤマが沈黙した。滅びを待つことを拒絶した巨人たちが海を渡ったんだ。海の向こうの大陸でも、精霊たちが消え、魔法使いは魔法が使えなくなった。谷の守り神は雷に打たれて力を失い、湖の主は突然流れこんできた潮水で死に、魔王は信徒たちに別れの挨拶をして消えた…。おれたちが旅して見たもの、聞いてきたもの、全てが繋がっているんだとしたら――。神魔戦争とおれたちが呼ぶもの、この出来事の始まりを知りたくないか? おれは知りたい。この国だけじゃない、巨人の国も、向こうの大陸も…世界を変えてしまったものが何だったのか」
 「…それを知って、何になる」
赤い髪を翻し、マルドルゥインは困惑したような表情でルークを見下ろしている。
 「異変が始まったのは千年前。向こうの大陸では、”神魔戦争”と呼んでる。神と魔王が戦った…、と」
 「ほほう、、随分な名ではないか。神王と魔神の戦いか?」
 「違う」
ルークは、落ち着いた声で語りながら、少年の怪訝そうな赤く燃える瞳を覗きこむ。「今、千年前って言ったろ。この国で神王と魔神が戦ったのは百五十年前。」
 「なら何が戦ったというのだ」
 「わからないよ、今は」
 「漠然とした話だな。」
ふん、と鼻を鳴らし、少年は腕組みをした。不機嫌そうに足を踏み鳴らし、狭い柱の上を、行ったり、来たり。
 「――だが、言わんとしていることは見えてきたぞ。神王バージェスめは余の敵だが、奴がどこまで関与しているのか、奴の狙いが何なのかが分からんのだな? 真の敵は奴なのか、それとも他にもいるのか――」
足を止め、改めてルークのほうを見下ろす。
 「率直に言え。それで? 貴様は余に何を要求するのだ」
 「一緒に来て欲しい、それだけだよ。」
肩をすくめ、ルークは言った。「真実を知るために力を貸してくれないか?」
 沈黙。
 だがそれは、拒絶の沈黙ではない。
 ややあって、マルドルゥインは組んでいた腕を解き、微かな笑みを浮かべ、柱を蹴った。真っ赤な長い髪がふわりと宙に舞い、少年は、音もなく床に降り立つ。気取った大音声が、ドーム型の天井いっぱいに響き渡る。
 「大した奴だ。この炎の魔神の力を借りるのに、手ぶらで、しかも頭も下げんとはな。――よかろう! その取引を受け入れよう。力を貸してやる、だが条件がある」
 「条件?」
 「バルゴス!」
振り返って闇の中に声をかけると、どこからともなく、赤いトカゲが羽根をはためかせながら近づいてきた。物陰に隠れて二人のやり取りを聞いていたのだろう、神妙な顔つきで口を閉ざしている。
 「余のために、炎の指輪を取って参れ。」
 「なっ」
慌てたのはバルゴスだ。
 「マル様、しかしそれは…」
言いかけた言葉に重ねるように、少年は続ける。
 「場所までは、このバルゴスが案内する。それが出来たなら貴様らを信用してやろう。」
 「… 分かったよ」
 「早くしろよ。」
言うなり、少年は早く行けというようにバルゴスを追いやり、自分は背を向けてしまった。バルゴスの様子からして、それはどうやら単純な話ではなさそうだったが、事情は途中で聞けば分かるだろう。 


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