<第二章>

の国


 雨が止んだのは、夜も遅くなってからだった。次の日も空はぐずっていたが、晴れるのを待っているわけにもいかない。
 二人は街道に沿って進み続けた。海を離れ、内陸への旅だ。とはいっても、地図からして、目指す大陸の中心部までは何週間もかかる距離ではないはずだった。火山灰は次第に深くなり、かつて街道だったらしき場所の石畳さえ見つけるのに一苦労だった。しまいに二人は、道を辿ることを諦めた。どこまでも続く真っ白で平らな平原には、道があろうとなかろうと、大した意味があるとは思えなかったのだ。
 そうして、何日かが過ぎた。
 たどり着いた、都らしき場所にあったものは――前日から、既に予感はあったのだが、実際に目の当たりにしたそれは、あまりに衝撃的で、信じがたい光景だった。
 「――何だ、これは…」
丘の上から見下ろす風景に、ルークは絶句した。
 ミズハが見たという、奇妙な山の正体。それは、地面に突き立つ、天を貫くような巨大な岩の破片だったのだ。
 岩の背後にそびえ立つ三つ子の火山は、奇妙なほどに沈黙し、白く燃え尽きている。川だったと思しき場所は僅かな窪みを残して、黒々とした冷えたマグマに覆われ、その流れは城壁跡の中へ続いていた。山から溢れだした火の粉が焼いた平原は白と黒のまだらになり、破壊の激しさを物語っていた。
 辛うじて形を残す都、だがそこに、人はもう住んではいない。と、いうより、…住めるはずがない。生き残った者も居ない。あらゆる命あるものは、岩に潰されるか、火山の吹き出した業火の流れによって一瞬にして焼き尽くされてしまったはずだ。
 「ルー君」
ミズハの声で、彼ははっと我に返った。
 「…うん、わかってる。人がいるとは期待してなかったんだ。ただ、月が落ちたとしか聞いていなかったから、その…。」
その「落ちた月」と思われる岩も、一つではなかった。
 まるで世界が大地に爪を立てたかのように、割れた鋭い岩は、都市の周囲に何本も斜めに突き刺さっている。爆風で吹き飛ばされた大地は大きくえぐれ、周囲にマグマの残骸が絡みついている。都市の形が辛うじてでも残っているのが不思議なくらいだ。
 「”霧の巣”に浮いてる島もこんな感じだったけど、…あれよりもっと大きいな。いや、あの岩も元はこのくらいあったのか。こんなの…まともに落とされたら…」
 「狙って落とした感じだよね」
ミズハが鋭い指摘をする。「周りに刺さってるのはたぶん、誰かが逸らしたんだと思うんだよ。一本だけ、町の真ん中に刺さってる。たぶん、あれが最後」
 そう言って指差した一番大きな一本は、確かに、城壁の真ん中に真っ直ぐ突き刺さり、トドメを刺したようにも見えなくなかった。
 「あれが月の欠片だとして、誰かが狙って落とした? 何のために…。そんなことが出来る奴がいるのも信じられないけど、町を滅ぼすだけなら、そんなことしなくたって」
ふわりとミズハの髪が揺れた。
 「たぶん、いたんだよ。そこまでしなきゃ倒せない何か、あそこに…」
背に、白く輝く翼が現れる。少女は、ルークに手を差し出した。
 「つかまって。あそこまで飛ぶよ」
手を握ると、ミズハは風を受けて一気に舞い上がった。丘を離れ、大地が一瞬で眼下になる。干上がった川を越え、巨大な岩が目の前に迫ってくる。そのてっぺんは低く垂れこめた雨雲の中まで続き、地上を遥か離れた上空から見ても上が見えない。
 ミズハが降下をはじめた。ルークは、地上に視線を戻す。岩の刺さっている辺りは跡形もなく溶けてしまっているが、周囲には、辛うじて町並みが残っているのが見えた。そのまま岩が落ちていれば、建物が残っているはずもない。やはり何者かが、岩の落下の衝撃を弱めたか、受け止めようと試みたのだろうか。
 降り立ったのは、岩のふもと、かつては広場だったと思しき場所だった。すぐ頭上は傾きかけた岩。目の前には、深々と大地に刺さった岩の底。まるで、壁のようだ。
 「…静かだな」
人の死体が転がっている地獄をも予想していたが、時は、すべての惨劇の跡を拭い去った後だった。灰と地理に埋もれた都市は、不気味なほど静まり返っている。
 かさ、と物音がした。
 はっとしてルークは振り返った。
「何かいたよ」
ミズハも同じ方向を見ている。
 「また精霊か?」
 「わかんない。でも、ちょっと違う気がする。これは――」
そのとき、ルークはさっき物音がした方向の地面に、小さな足跡が残っていることに気がついた。
 風は足あとを残さない。
 そして、足あとが残っているということは、ついさっきまで、――少なくとも、雨が降った後に、そこに誰かが立っていたということ。
 「あっちだ!」
ルークは駆け出した。ようやく、この国の住人の生き残りに会えるかもしれないのだ。もう、沈黙の世界はうんざりだ。
 まもなく行く手に、逃げてゆく何者かの背中が見え始めた。複雑に入り組んだ路地を、影は慣れた様子で駆け抜けてゆく。崩れた柱の下をくぐり、壊れた橋を飛び越え、…追いつけないが、ルークにももう、相手がはっきりと見えている。たぶん子供。それも、人間の姿をしている。
 先回りしようと路地を回りこんだ時、何かがルークの目の前に降ってきた。えっ、と思う瞬間、それは、いきなり炎を上げた。
 「うわっ」
とっさに顔を庇うため翳した右腕に、炎が絡みつく。服と、肉の焦げる匂い。そして猛烈な痛み。普通なら仰天して悲鳴をあげて逃げ惑うところだが、ルークは落ち着いていた。奥歯を噛み締め、悲鳴を飲み込む。痛みを堪えながら上着の下に腕を突っ込んで、なんとか炎を収める。そして、目の前に浮かんでいるものを睨みつけた。驚いた目をして、ぽかんとこちらを見ている、思いのほか小さな襲撃者を。
 それは、意外なものだった。赤っぽい色をした、翼の生えた、トカゲ…のようなもの。口元には、次の一撃を繰り出すつもりだったのだろうか、まだ炎がちろちろと燃えている。
 「ルー君!」
空から声が降ってくる。ミズハだ。ルークの側に降り立つと、上着の焦げ目と匂いに気がついた。
 「どうしたの?! 怪我、したの?」
 「ああ、でも問題ない。」
 「あなたがやったの!」
ミズハにキッと睨みつけられて、襲撃者はたじたじとなる。
 「ごめんなさい、は?!」
 「大丈夫だよ、ミズハ。もう治ったから、ほら」
その言葉通り、上着の下から取り出したルークの腕は、焼け焦げた皮膚も肉も、もうすっかり元に戻っている。隠していたのは火を消すためだけではなく、酷い有様をミズハに見せないためでもあった。
 驚いたのは、トカゲのような生き物だ。
 「な、ど、どうして…」
 「喋った!」
ルークとミズハは、同時に驚いた。
 「マル様に知らせなければ…」
呟いて、それはくるりと向きを変え、小さな羽根を忙しげに羽ばたかせながら路地裏に消えていく。
 「あ、こらー!」
 「待て、ミズハ。行かせるんだ」
 「でも」
 「…今、マル様って言った」
ルークは、謎の生き物が消えた路地のほうに視線を向けた。「誰か他にいるんだ。行かせて、あとをつけてみよう」
 「そっか!」
少女は手を打った。「案内させるってことだね。わかった、みつかんないように追いかけてみる」
 「ああ。もしかしたら、さっきの子供もそこにいるのかもしれないし」
路地裏を覗きこむと、謎のトカゲは二人に尾行されているとも思っていないのか、小さな羽根をせっせと動かしながら、まだそこにいた。というより、本人は精一杯急いでいるつもりかもしれないが、あまりにも羽根が小さく、胴体がずんぐりむっくりしすぎていて、早く飛べないのだった。その滑稽とも思える姿を見ていると、さっき腕を一本燃やされたことも忘れて、つい同情してしまいたくなる。
 「しかし、あいつ一体何なんだろうな。かつてこの国にいたっていう、炎の魔神の関係者かな?」
 「かもね。火を吐いてたし、火の精霊の生き残りなのかも」
傾いた建物、砕けた石畳の窪みに溜まった雨水。飛ぶトカゲは螺旋状になった階段の真ん中の空間を降りて、その底から繋がる石づくりのトンネルの向こうへと消えた。ミズハたちも階段を降り、水滴の滴り落ちるトンネルの奥の暗がりに目を凝らす。奥からは風が吹いてくるのを感じた。
 「…様、マルドルゥイン様〜」
声が反響している。さっきの、トカゲの声のようだ。この先に、呼びかけている相手がいるのだろうか。近づくにつれ、声ははっきりと、話し声として耳に届くようになる。
 「…から、声が大きいぞ。どうだった」
 「それが〜、あいつらただの人間じゃないようでして…。」
 「そんなの、見ればわかる!追い払えなかったのかと聞いてるんだ」
 「いやしかし…」
 「誰を追い払うんだって?」
ぎょっとして、話し合っていた二人が振り返った。片方はここまで追ってきた、空飛ぶ赤いトカゲ。そしてもう一方は、…多分、さっきの子供だ。
 目深に被る帽子の下から覗くのは鮮やかな真っ赤な長い髪。まとっている奇妙なローブのような服の裾から、細い手足が覗く。
 それは、少女のような顔をした幼い少年だった。見た目の年は十歳程度。零れ落ちそうに大きく見開かれた瞳もまた、灼熱の赤。しかし驚いた表情を見せていたのはほんの一瞬のこと、その顔は、瞬時にして固く取り繕われた。片手を腰に当て、もう片方の手を大げさなくらい振り回しながら、少年は精一杯声を張り上げた。
 「ええい無礼者! 余を誰と心得る。誰の断りを得て、この神殿に入り込んだのだ!」
 「神殿…?」
声がかすかに反響している。見あげれば、半分崩れ落ちた高い天井はドーム型に造られ、崩れ落ちたがれきに埋もれた床は、かつて磨き上げられていたのだろう青白い大理石が敷き詰められている。少年が立っている一段高い玉座のような場所は太い柱に囲まれ、台座には、厳かな彫刻の名残がある。
 「そう、我が神殿だ! 貴様ら外者が気安く踏み込んでいい場所ではないぞっ」
 「ごめんね」
と、ミズハ。思いがけない言葉に、少年はたじろいた。
 「君ん家だって知らなくて。でも、君は誰なの? ここに一人で住んでる?」
 「ぶ、…無礼者めが。余を知らんというのか! 余は…」
 「この御方は」トカゲがずいと前に進み出て、勝手に言葉を重ねる。「炎の魔神、マルドルゥイン様だッ!」
ルークは、肩透かしをくらった気がした。
 「魔神…? その子供が…?」
 「子供とは何だ、子供とは! 確かに見てくれはこうだし側仕えする精霊も居ないし従者はそれがしひとりだし、国は滅びてるし、転生の儀式の前に放り出されたせいでただの人間と大差な…もぎゅっ」
 「余計なことを言うなこの馬鹿がああ!」
お喋りな従者を力いっぱい床に叩きつけ、少年は深い溜息をついた。
 「…笑うがいい。惨めなものだ、炎の魔神ともあろうものが…」
 「笑わないよ。けど、君が魔神っていうのは、ほんとなのか? どう見ても人間だけど…」
 「無論だ」
むっとして、少年は中に手を翳した。とたんに、周囲がざっと明るくなった。空間を取り囲む壁の窪みに隠されていた台座に次々と炎が点ってゆく。玉座をぐるりと取り囲むようにして輝く明かりが幾重にも照らし出し、辺りはまるで昼間のよう。その輝きの中心にいるのは、輝くような赤毛の小柄な少年だ。
 「余はまぎれもなく、炎の魔神、マルドルゥイン。この足元に転がっているヘタレは、我が眷属サラマンダーで、名をバルゴスという。これでも我が守り手、炎の聖獣なのだぞ。」
腕組みをし、精一杯の威厳を保ちながら、少年は二人を見下ろした。
 「それで? 貴様らは何者だ。余の聖域に土足で入り込みおって。たとえ力弱まろうとも、ここは余の聖域。返答次第ではただでは返さぬ」
 「べつにケンカしにきたわけじゃないよ。」
ミズハが喋ると、少年の表情は奇妙に戸惑う。
 「あたしはミズハ、こっちはルー君。この国に、まだ人がいるかなって探しに来ただけなの。海の向こうから来たんだよ」
 「海の向こう…だと? あの、霧の壁を超えてきたというのか」
 「うん。ジャスパーと、三人でね。ジャスパーは船で待ってるの。」
 「ご用心めされよ、マル様」
床の上に長々と伸びていたバルゴスが、よろよろと起き上がる。
 「その男はそれがしの炎で焼いても瞬時に傷を治し…、そこの娘は空を飛んでいました。人間ではありませんぞ」
 「そうだな。だが”敵”の尖兵ではないようだ」
 「敵?」
少年の表情が僅かに歪む。
 「そう、”敵”だ。この地に月を降らせ、破壊し、先代を消し去った―― 神王バージェス!」
 「神王…?」
 「バージェス… どこかで聞いたことが…あっ」
記憶を辿っていたルークは、はたと思い当たった。「リブレ人の神か!」
 「えっ、リブレって…あの時の?」
 「そうだよ。リブレ人は独自の神を崇めてる。それが天空王―― ”北天の神王”だよ」
 「あの、嫌な鐘の音…。」
 「ほほう、どうやらそちらも因縁浅からぬ相手のようだな。」
にやりと笑い、少年は壇上から降りてくる。慌ててバルゴスも小さな羽根を懸命に動かし、そのすぐ後ろにぴったりと付き従う。
 「聞かせろ。そいつは、どんな姿をしている? どこにいる。」
 「直接見たことはない。リブレ人に聞けばわかるのかもしれないが、教えてくれるような相手じゃない。それに、そんなこと聞いてどうする?」
 「しれたこと」
二人の前でぴたりと足を止め、少年は威勢よく胸を張った。「この国の仇を取る!」
 「むりだとおもう」
あっさりとそう言ったのは、ミズハ。首を振り、淡い緑の瞳を少年に向けた。
 「よくわかんないけど…、それって、君の敵う相手じゃないよ。あたしも、ルー君も。それに、多分―― マル君って、今の姿がほんとの姿じゃないんだよね」
 「なっ」
 「なんとなくわかるの。うまく言えないけど、何て言うか…育ちきってないみたいな…」
 「いや、言わずともよい。」
手をかざし、マルドルゥインは視線を落とした。
 「…その通りだ。余もこやつも、不完全なままだ。忌々しいことに、力の大半を奪われてしまったのでな。従わせるべき精霊たちもなく、聖獣たちも皆殺された。だがそれでも、余は炎の魔神なのだ!」
きっと強く唇をかみしめ、少年は背を向けた。
 「この町には、…この国には、もはや人はおらぬ。用が済んだなら、とく帰られよ。さらばだ!」
言うなり片手を上げた。それを合図に、灯された無数の灯が次々と消えてゆく。明るさに慣れた視界は瞬時にして闇に包まれ、光を失った空間は重たい暗い帳が降ろされた。その闇の向こうに、少年の気配は溶けるようにして消えていた。


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