<第二章>

人の国


 近づくにつれ、山の全貌が明らかになってきた。
 その山は、全体的に赤茶けていて、山の一方だけが大きくえぐれている。木の一本も生えていない荒れ果てた斜面は、異様に急で登れそうもない。
 森が開けた。
 山の麓についたのだ。森の途切れる場所から先は、大きな岩がご転がっているだけの赤茶けた荒野になっていた。錆色をした大地には、草が少し生えているだけ。今までの鬱蒼とした森とは全くの別世界だ。
 「さて。巨人ルー・ラー・ガっていうのは、どこにいるんだろう…」
ルークが周囲を見回していた時、山の方から、低い声が響いてきた。何かの吠える声のようだ。地の奥底から湧き上がるようなその声は、周囲一体に反響している。
 「なんだろう、この声」
 「…山のほうだな。この声がそうかもしれない」
森の影を離れて、声のするほうに向かって歩き出す。土を踏むと、足元で塊が砕け、ぼろぼろと崩れてゆく。近づくにつれ、その山は思っていたよりずっと大きいことに気がついた。周囲に比較するものが何もないから、大した高さでもないように思っていた。
 目的の巨人は、探すまでもなかった。山の麓の少し高くなっている場所に、それは、胡座をかいてずっしりと腰を下ろしていたからだ。ルークもミズハも、ぽかんとしてそれを見上げた。大きさは小山ほどもあり。高さはおそらく、フォルティーザで一番高い教会堂と同じくらいはある。褐色というより黒に近いような濃い色の肌に、真っ白な髪と髭が膝まで垂れている。肩先には草がそよぎ、あぐらをかいた足は、もうほとんど岩と化している。
 「どうした。何を驚いている。」
巨人は、目だけを動かし、二人を見下ろした。
 「いや、大きいなと…」
ルークが素直に答えると、老巨人は口の端をわずかに釣り上げた。
 「何を言っとるか。わしはルー・ルー・ドよりは小さかったぞ。まァ、よく来たな、ルー・ルー・ドの左側の首」
 「左側って…」
 「二つの頭の、お前は左側だった。察するに右の首は死んだ、そうだな?」
何故分かったのかは分からないが、どうやら、この巨人は他の巨人たちとは違うらしい。ルークが頷くと、巨人は片方の手を差し出した。乗れ、ということだ。
 二人が手のひらに乗ると、巨人はその手を持ち上げ、自分の顔と同じ高さの岩の上に下ろした。
 「さて、これで話しやすかろ。お前は、ゆんべこっちに戻ってきたな」
 「どうしてそれを?」
 「夜にあんなに叫べば嫌でも聞こえるわ。どうせ会いに来るだろうと待っとったンだぞ」
ルー・ラー・ガの口調は穏やかで、さっき出会った巨人たちのような乱暴さは微塵も感じさせない。それにしても、間近に見る巨人の顔は圧倒的だ。鼻の穴だけでも中に潜り込めそうなくらいの大きさがある。
 「で、左側の首よ。なんでまた、そんなに縮んじまったんだね。そんななりでは、まるでヒトじゃないか」
 「今の名前は”ルーク”です。色々あって…。ヒトみたい、っていうより、今は人間として暮らしていて…。ここのことは…あまり覚えていないんです。」
 「ふむ」
巨人は、片方の手で髭をしごいた。
 「確かに、お前は昔の左側の首とは、少し違うな。あいつも巨人にしちゃぁ人間くさいところのある変わった奴だったが――」
ちらちらと二人を見やり、何かを思案している。
 「細かいことはいいんです。こっちの大陸が今どうなっているのか、人間がまだ残っているか、教えてもらえますか。海の向こうの大陸に住む人間たちが、そのうちこっちにやって来るかもしれない。ヘタしたら攻め入ってくるかも」
 「ほう、そりゃまた。見ての通り、何も楽しいもんはないところだが」
小さく笑い、巨人は言う。
 「まァ、なら心配はいらん。ある意味な。こっちには人間はもう居ない。バカどもが食っちまった。残りは逃げてしまったよ。生き残っとるのはロクでもない連中ばかり――もっとも、向こう側の”火の国”がどうなっとるのかは、わしも知らんが」
 「火の国?」
それは、ルー・ロー・グは言わなかった情報だ。
 「そうだ。こっち側が巨人の国、あっち側が火の国。あっち側のほうが大きいし、人間も多かった。ただ、月が落ちてからどうなったことか。最後にここから動いたのは、かれこれ二百年ほど前でな。そん時は月が落ちる前だったし」
 「ちょっと待って」
ミズハが話を静止した。「月が落ちたの? その時のこと知ってるの?」
 「あァ、勿論だとも。左側の…じゃない、ルーク、だったか? 人間の名前は奇妙だな。お前も知っとっただろうに」
 「……。」
ルークは押し黙ったまま。それは、記憶から完全に抜け落ちてしまったものの一つだ。
 「三つの月のうち、第三の”緑の月”が落ちたンだ。火の玉みたいになってな。ありゃあ、百と…五十年とちょっとくらい前だったか。そんでヒトが沢山死んでな、ここの、ほれ。ハハヤマもそん時から、うんともすんとも言わなくなって」
 「ハハヤマ?」
 「母なる山、わしら巨人の生まれてくる場所だ。今おる巨人どもが最後の世代じゃい。月が落ちて、ハハヤマが巨人を産まなくなって――。そん時から、ルー・ルー・ドの様子がおかしくなった。巨人にゃメスはおらん。ヒトのように自分たちで子を作ったりせん。このまんまじゃあ巨人は全滅。わしはそれでもいいと思ったが、奴は我慢ならんかったんだろうな。…それも、覚えとらんのか」
ルークは、小さく頷いた。
 「ふーむ。そうなのか…」
ルー・ラー・ガは残念そうな顔をした。「久しぶりに昔話でも出来るかと思ったんだがなあ…」
 その表情を見ていると、すぐにも教えられた”火の国”に発つつもりだったルークの心が揺らいだ。ここに二百年も座りっぱなしで、近くにいる巨人たちがあの調子では、長年、話し相手もいなかったのに違いない。
 「ねえ、ルー君」
ミズハがルークの袖を引っ張る
 「あたし、この山ちょっと見てみたいな。巨人が生まれるところだって言ってたよね」
 「側面に裂け目がある。そこから中に入ってみればいい」
と、ルー・ラー・ガ。「中は空洞だ。昔は、底のほうから熱い蒸気が吹き出しとった。そこが巨人の生まれる場所だ。今は枯れちまっとるが」
 「行ってみるか」
 「うん」
 「すぐそこまで、運んでやろう」
巨人が手のひらを差し出す。だが、巨人の腕の長さの”すぐそこ”は、山の側面に出来た裂け目の中腹付近だ。降ろされた場所からは、山の中の空洞が一望できた。海からの風が吹き込んで、山の内部に沿って吹き上がってくる。太陽は天頂を過ぎ、傾き始めている。海の流れが逆転し始める時刻だ。
 崖から降りられるところを探していたミズハは、裂け目を見下ろすルークが固まったように動かないのに気づいて振り返った。
 「どうしたの?」
 「…ここだ、あの夢の場所」
 吹きあげてくる風に銀灰色の髪が逆立つ。足元から血の気が引いていくような感覚とともに、一瞬にして記憶が戻ってくる。
 「夢って、”逆さ大樹の谷”に行く時に言ってた?」
 「うん」
 ―― 何度も夢に見た、灰色の谷。ハリールードに追われて逃げ出した時、ここは夥しい死と赤に染まり、そして雨が降っていた。
 赤茶けた山の外面とは裏腹に、この裂け目だけは灰色のゴツゴツした岩に覆われている。裂け目は海まで続くはずだ。知っている、かつてここを、海まで辿った。そして――。
 靄が晴れるように道が繋がった。
 そうだ、あの時見たのは、この風景だ。
 多くの巨人や人間を巻き込んだ惨劇、あの悪夢のような灰色の谷に戻ってきたのだ。大地の赤土が雨に溶けて流れ落ち、辺り一面は血の海のように。
 巨人たちの争いは、その誕生の地でもあるこの山の中で起きた。そして、もぎ離された首はここを辿って海へ、海からその先の島へと渡って行った。その過程で、彼は目立たぬよう体を人の姿に似せて再生したのだ。ある意味、ここは、”人間”としての今の姿の生まれた場所でもある。
 そんなことも忘れていた。
 いや、故意に思い出さないようにしていたのかもしれない。――


 ルー・ラー・ガの言った通り、山の中は空洞になっていた。
 穴の底には大小様々な丸い石が転がり、かつて蒸気を吹きあげていたと思われる地の割れ目は黒ずんだまま沈黙している。見上げれば、遠い空がぽっかりと口を開けている。元は火山で、火口が陥没して残ったのだ。ルー・ラー・ガの言うことが本当なら、巨人たちは、ここで、地中から吹き上がる熱と蒸気と、ドロドロに溶けた岩の中から生まれてきたことになる。つまり、この山自身が生命を作り出す力を持った、すべての巨人の母だった。かつて山が力を失っていなかった時代であれば、足元の物言わぬ土くれも、巨人になってたかもしれない。
 だが今、この山は完全に沈黙している。何者かの形を取りかけたまま力尽き、冷めていった岩の塊がそこかしこに埋もれ、半ば崩れかけている。
 巨人は土から生まれて、土へ還る。 
 それは、単なる比喩以上の意味を持っていた。ルークが生み出すゴーレムと同じだ。巨人たちは人間よりは長いものの人間と同じように寿命を持ち、時間が来るか、ハリールードのようにコアを失えば、死を迎える。生命の生まれなくなったこの場所で、ハリールードは自分たちの種族に絶望したのかもしれなかった。
 「ねえ、ルー君」
ミズハは火口から見える空を見上げている。
 「ここって、似てない?」
 「似てるって」
 「フォルティーザのおうちだよ。雰囲気とか」
ルークも頭上を見上げる。言われてみれば、そうかもしれない。リビングから吹き抜けで三階まで続く階段。てっぺんにある明かり取り窓と屋上。言われてみれば確かに、中が空洞になっている、大木の切り株りような形をしたこの山に似ているかもしれない。
 あの家が奇妙に落ち着く気がしたのは、巨人時代の遠い記憶がそう思わせたからだったのか。巨人だった頃の記憶をすべて失っていたはずの頃でさえ、無意識のうちでは過去を認識して、懐かしんでいたのだろうか。

 歩きまわっているうちに、いつしか火口から見える空が澄んだ青から紺碧へと変わり、灰色の谷に落ちる影が暗くなり始めていた。
 「今日、船まで戻る?」
 「いや。ルー・ラー・ガともう少し話してみたいし、今夜はここで泊まろうかと思ってる」
 「そっか。」
 「ミズハだけ戻っててもいいけど…」
 「ううん、一緒にいるよ」
ミズハの背中に、白い輝きに包まれた翼が生まれる。少女は手を差し出した。
 「じゃあ、戻ろうか」
ルークは、頷いてその手を取る。徒歩で谷をよじ登るのは一苦労だが、空が飛べれば一瞬だ。
 夕刻を迎え、海の向こうの霧は薄れていた。夜の帳が降りる直前、海の向こうにはうっすらと十三番目の”最果ての島”が影のように見えている。こうして上空から見下ろせば、巨人たちの国から島までの距離はすぐ近くに感じられる。だが実際は、流れ落ちる海と深い霧に阻まれた、距離以上に遠い場所でもある。


 日が完全に暮れると、昼間とは打って変わって辺りには冷気が漂い始める。
 かつては熱を帯びた火山だったはずのハハヤマは今は完全に沈黙し、夜気を温めるものは小さなキャンプ用のランプだけ。船から持ってきた毛布を羽織っていれば寒さは感じないが、それでも時折海から吹いてくる風の冷たさだけはわかる。
 ルー・ラー・ガは、海の向こうの大陸のこと、ルークの今の暮らしについて聞きたがった。些細なことでも面白がり、話は弾んだ。話しているうちに、いつしか星は空を巡り、夜も更けている。気がつくと、ミズハはルークにもたれかかるようにして、そのまま寝入ってしまっている。
 少女を横たえ、毛布をかけてやっているのを、巨人はじっと眺めていた。
 「…その娘は大事なものか」
 「ああ」
 「本当にいいのかね」
 「何が?」
 「土から生まれるわしらにとって、海は異質であり、異界であり、そこを統べる魔女の存在は――まァ、言ってみれば天敵のようなものだ。よりにもよって…」
 「そういうのは、あまり考えたことがないな。」
自分も毛布を体に巻きつけながら、ルークは言った。
 「ミズハの母親のことは、魔女って言われても納得できる。でも、この子は普段はただの人間だよ。おれも、普段はただの人間だし。」
 「変わっているな。だが変わっていたのはもともとか。お前は海を渡ってきた。わしら巨人は生来、海が嫌いなもんだ。なにしろ元が土くれだからな。海をこえて、また戻ってきたのはお前が初めてだろうよ」
なるほど、ルークの泳げないのは生まれつきだったというわけか。それに、無性に海が怖かったのも。
 「――海は苦手だし、怖いこともある。でも、おれは海が好きだ。世界は広い。水平線の向こうにしか無いものが沢山ある。それに今は、一緒に旅をする仲間もいるから」
巨人は、薄っすらと唇の端を釣り上げて、笑うような表情を作った。
 「ヒトは好奇心旺盛な生き物だったな、そういえば。」
ランプの明かりが揺れた。巨人の息が、周囲の空気を揺らしたせいで。
 「お前は、巨人の中でも異質な存在<もの>だ。唯一と言ってもいい。だがそれは、海を越えられるからでも、ヒトに混じって暮らしてるからでもない。お前だけが、”生命を生み出せる”からだ。」
明かりに照らされた汚れた白い長い髭は、一本一本が太く、まるで枯れ草が枝垂れ落ちているようだ。
 「”再生と思考の首”なんてのは、何も分かっとらん連中のつけた名前だ。巨人は元からバカみたいに生命力がある。腕の一本がもげたくらいなら時が経てば生やしてしまう。思考はな、ものを考えん連中が多い中じゃ思考なんてものが出来るのは珍しいが、その程度なら、わしでも出来るし、昔は、多かれ少なかれ考える頭持っとった奴はいた。お前を体からもぎ取ったあと、片頭のルー・ルー・ドが真っ先にブチ殺したのも、そういう連中だった。」
ゆっくりと、ルー・ラー・ガは視線だけをルークの方に向けた。低い声は、ミズハを目覚めさせないよう、今は囁くように絞られている。
 「いいか、ただの土くれに生命を吹き込んで新たな生き物を作り出すなんてのはな、巨人族のほかの誰も、そんなことは出来ん。お前だけだ。――お前と、今はもうその力を失ってしまった、このハハヤマだけだ。月が落ちて以来、世界は変わってしまった。多くの生き物が消えて、大地も形を変えた。ハハヤマはその力を失ったが、お前は失わなかった。」
ルークは、黙っていた。ルー・ラー・ガが何を言おうとしているのかが分からなかったからだ。
 大きくひとつ息をつき、巨人は、瞼を閉じた。
 「巨人族は滅びるだろう。…だが、お前だけは生き残る。新しい巨人族の始祖としてな」
 「それは、どういう意味…」
 「なに。いつかその時がくれば、分かる。」
謎をかけるように笑って、ルー・ラー・ガは瞳を閉じたまま呟くように言った。
 「わしはもう長く生きた。じきに土くれに戻るだろう。…その前に会えてよかった」
そして、沈黙が落ちた。巨人は眠ったようだった。微動だにしない横顔は、まるで岩山に顔が彫り込まれたよう。ルークも、ランプを消して横になる。冷たい岩の感触と、頭上を覆う満天の星。隣でミズハは静かな寝息をたてている。いつしかルークも眠りに落ちていった。


 眠っているはずなのに光が見える。
 そう気がついたとき、目の前には無限に広がる水平線があった。巨大な、無表情の月があばた顔で見下ろしている。赤く燃えるような輝きが照らす高い夜空には、無数の星々が静かに瞬き、音は何も聞こえない。
 夢――にしては、ずいぶん現実味がある。そう、ここには、かつて来たことがある。ミズハが寝込んでいた、あの夜だ。
 両手を持ち上げ、手のひらを見つめる。それは、いつか見たあの無骨な巨人の手ではなく、見慣れた、ごく普通の人間の手だ。ルークは、足元に目をやった。足元を取り巻くように、光がちらちらと揺れている。足は足首まで水に浸かっている。何故か動くことが出来ないが、体が沈むような気配はない。
 ルークは、空に浮かぶ白い翼に気がついた。淡い輝きに包まれたそれは、以前もここで見た姿だ。ルークにとっての巨人の姿がそうであるように、彼女にとっての、人とは異なる性質を持つ存在としての姿。
 空を眺めていた少女は、ルークの視線に気づいて、すぐ傍らに降下してきた。音もなく舞い降りた、その足元に水紋が広がる。髪がふわりと広がり、静かに肩先に落ちる。
 「ミズハ…、ここは…どこなんだ?」
夢の中でも、現実の世界でもない。
 「"事象の水平線"、だよ。命が生まれて還ってゆく場所。ほら、あれ」
少女は、さっき眺めていた空の先を指差す。そこには赤く輝きながら、今にも破裂しそうな星が小さく輝いている。
 「あれが、あの巨人のおじいさん。あの光は、もうすぐ破裂して、消えてしまうの」
ルークは、驚いてミズハのほうを見た。確かにルー・ラー・ガは、自身がもうすぐ死ぬと言っていた。けれどミズハは、その話を聞いていなかったはずだ。
 「見えてる星みたいなのはね、全部、命の輝き。ここからは、この世界に生きるすべての命が見える。人も、巨人も、人ではないいろんな存在も。」
そう言って、少女は少し大人びた顔をした。瞳の色は、濃い青。真っ白な肌と髪のせいで、母親のサラサをそのまま幼くしたような姿に見える。 足元で光が揺れた。足元を照らす光は、”霧の巣”の真下にある島の内海でサラサに導かれた時に海面に現れたものと同じ。以前のように体が沈んでしまわないのは、どうしてなのだろう。
 「交換したの」
ルークの視線と疑問に気づいたのか、ミズハがそう言った。
 「その光はあたしの力。あたしは、ルー君のおかげで、あれが見えるようになった」
少女は足元を見下ろす。空と同じように星々が輝いている。だがそれは、水面に映る空とは違う。暗い水の奥に沈んでいる、別の星空が、そこにはあった。
 「あれは今から生まれる命。あなたは生命を生み出すもので、本来はこの水平線の下にいる存在<もの>。あたしは生と死を見守るもの、この空にある存在<もの>。交換したから、ちょっとだけお互いの力が使えるんだよ。――うまく言えないけど、そのうち分かるよ。」
ルークも、水平線の上と下に広がる無数の星々の輝きに目をやった。大きなもの、小さなもの。生まれて間もなく若い輝きもあれば、年老いて消えてゆこうとしている輝きもある。色とりどりの、様々に輝く光は、そのどれもが確かに生きていると感じられる。
 「前にミズハが熱出した時、ここに来たことがあるんだ。」
 「覚えてるよ」
頷いて、後ろ手に背中に腕を回しながら、少女はルークを見る。「ここにいるときは、半分寝てる感じなの。だから起きてる時はあんまり思い出せない…。でも今は分かるよ。」
 「あの時、声が聞こえたよな。あれと良く似た声を、現実でも聞いた。あの声は、何だったんだ? リブレ人の鐘の音みたいなのが聞こえてた。それに、空に光みたいなのが見えてただろ。」
 「あれは、――」空を振りあおいだ少女の表情が曇る。「天に住むもの…。命を奪うもの」
 「天に住むもの…?」
 「生命の母なる海と同格にあるもの。かつて海に求婚し、拒絶されたもの。あたしは海の女王の同位体だから、あれに欲されていた――」
 「同位体…?」
ルークは、額に手を当てた。確かに以前、あのリブレ人も同じ言葉を口にしていたが。
 「同位体っていうのは、簡単に言うと同じ性質の力を持つということ。あたしはお母さんの完全な同位体。力の継承という意味では分身。ルー君は、巨人の母体であるハハヤマの不完全な同位体。生命の創造を限定的な範囲で行うことが出来る」
言ってから、ミズハはルークの戸惑った表情に気づいて、くすっといたずらっぽく笑った。
 「いま、カーリーさんみたいだって思ったでしょ」
 「あ、いや…」
表情やしぐさは、ほぼ同じ。声も、口調も。なのに、この世界のミズハは、現実世界の人間としてのミズハとほんの少し違っている。それが、ルークには少し面白かった。
 頭上を巡る不思議な色をした遠い空に星が流れる。空に光がちらつき、ふと心配になった。
 「ここにいて、またあいつが来たりしないのか?」
 「ううん、もう来ないと思う。それに、来てももう大丈夫だよ。あれに引っ張られることは、もうないから」
 「どうして?」
ミズハはルークのほうに向き直り、白い腕を伸ばしてルークの胸の真ん中あたりに指を当てた。
 「交換したっていったでしょ。あたしの一部は今、ルー君の中にある。だから遠くには行けない。別のものにもなれない。」
歌うように、少女の声が響く。
 「あたしは、母なる海を司る女王とハロルド・カーネイアスの娘。生命を見守るもの、――そして、あなたと”共にあるもの”。どちらかが滅びる時まで、この存在はそう規定された。」
水面がさざめく。
 「おれも…君と”共にあるもの”ってことか。」
ハロルドの声が、記憶の中で響く。

 ”私が生きている限り、彼女は人とともに生きる存在であり続ける”

この世界でいう、互いの存在を規定するということ。それは人間の婚姻の儀式と同じように、存在の一部を共有し、一部を交換しあうことを意味している。人が他者と触れ合うことで少しずつ変わってゆくように、――この世界の住人もまた。
 「ねえ、綺麗でしょ」
ミズハは、天の星を振り仰ぐ。色とりどりに大小さまざまな、近くも遠くも感じられる無数の星々が、不思議な輝きに彩られた夜空にちりばめられている。強い輝きを放つもの、今にも消えてしまいそうなもの。
 「そうだな。まさに生命の輝きだ」
 「ずっと見ているだけだったの。でもね、外の世界に出て、あのひとつずつに名前や姿があって、いろんなこと考えて、…生きてるってどういうことなのか、わかったんだ。ルー君のおかげだね」
 「……。」
 「あたしは、ただ見てるだけじゃなくなった。だからきっと、もう――”見守るもの”じゃなくなりかけてるのかもしれない…」

 ここは、生命が生まれて消える場所。
 生と死をわかつ水平線に、彼らは立っている。


 目を開けたとき、目の前には本物の夜空があり、静かに夜が開け始めていた。
 体を起こそうとしたとき、胸の上に乗っているミズハの腕に気がついた。寝返りをうったとき、腕がこっちに投げ出されたらしい。それで、あんな夢を見たのか。
 荒野の向こうを海まで続く森は暗く静まり返り、白み始めた海の向こうでは、霧のカーテンが世界を閉ざしつつある。岩のような巨人は、低い鼾をかきながら、微動だにしない。ルークは、今にも燃え尽きそうに見えた赤く輝く大きな星のことを思い出していた。ルー・ラー・ガの命が燃え尽きるとは、あの星もまた燃え尽きて、海に落ちてゆくのだろう。
 「んー…」
目をこすりながら、ミズハが起き上がる。
 「あれ、おはよう」
 「ああ、おはよう。眠れた?」
少女は、小さく頷いてルークを見上げた。瞳の色は、いつもと同じ淡い緑だ。姿形はほとんど変わっていないのに、”事象の水平線”の世界で見た姿と今では、全く雰囲気が違っている。ルークがじっと見つめているのに気づいて、ミズハは不思議そうに首を傾げる。
 「どうか、した?」
 「あ、いや。何でもない。…」
慌てて、視線をそらす。今のミズハは、きっと何も覚えていないだろう。
 岩壁がメリメリと音を立てて身じろぎした。
 「ううむ。…もう、行くのか?」
軋むような音を立てながら、ルー・ラー・ガの首が動き、ふたりのほうを見る。
 「ゆっくりしている時間は、あんまり無いんだ。”火の国”のほうにも行ってみたくて。」
 「忙しないな。――だが、まァ人間はそういうもんだったな」
視線を正面に戻し、巨人はひとつ息をついた。
 「火の国に行くのなら、”炎の魔神”には気をつけることだ。」
 「魔神?」
 「かつて、精霊の上位にあった存在だ。人間どもを信徒につけ、守ってやる見返りに貢ぎ物を受け取る暮らしをしていた。もっとも、配下の精霊たちはもう皆、消えてしまったようだがな。」
魔法使いの町ロカッティオで同じような話を聞いた。神魔戦争の時代を境にして、精霊たちは皆、いなくなってしまったのだと。
 夜の冷気が静かに引いてゆき、朝日とともに昼の熱が戻ってくる。鬱蒼とした森を覆う闇が去ってゆくとともに、巨人たちが動き出す。
 船は、塔のふもとに何事もなく停泊していた。ルークたちが戻ってきたのを見て、飛び跳ねる魚を追いかけていたジャスパーが岸辺に近づいてくる。
 「おはよう、昨夜は何もなかった?」
何も、というように首をもたげ、ジャスパーは、横目にちらと、まだ飛び跳ねている魚のほうに目をやった。潮の中に太い根っこの間に、色鮮やかな魚の尾びれが見えている。この辺りは魚が豊富なのだろう。
 「いいよ、出発するのは腹いっぱい食ってからで。おれたちも朝飯まだなんだ」
うなづいて、海竜は魚を追う作業に戻ってゆく。ルークは、奥の船室に戻って方位磁石と航海記録を取り出す。ルー・ラー・ガの言う”火の国”は、今いる場所から、ジャスパーが魚をとっている川のような海峡のような場所を隔てた反対側。つまり東側。エレオノール号が上陸した場所に近い側だ。
 「あさごはん出来たよー」
キャビンのほうからミズハの声がする。
 「今行く。」
フォルティーザを出る時に持ってきた、エレオノール号の報告書のコピーを手に、キャビンに戻る。今朝の朝食は炒めたベーコンとチーズ、それに”最果ての島”で収穫してきた果実とビスケット。
 「あっち側ってさ、”火の国”っていうからには、熱いのかな」
 「どうだろう。エレオノール号が上陸した場所が、その”火の国”の一部だとしたら、データからして気温はこっちと大して変わらない。ただ、あの岩みたいな厄介な生き物もいる。焚き火には気をつけないとな」
 「火の中に入れると暴れだすやつだよね」
その岩のせいで、エレオノール号は全焼。モーリスの元へ残りの岩を探しに行った時には、ルーク自身あやうく大やけどを負うところだった。
 「気になるのは、”月が落ちた”って話…」
報告書をめくり、ビスケットを一つ取り上げる。
 「三つあったうちの一つが、って言ってたね」
 「そう。けど、月なんて大きなものがそのまま落ちたら、地上は無事では済まされない。大きなものが地面に衝突するってことは、周りが壊滅的になるってことだ。これだけ近いのに、巨人たちの側に影響がなさ過ぎる気がしてる」
以前、アーノルドに隕石として落ちてくる岩の話を聞いたことがある。高い空から落ちてくる岩は、大気とこすれた摩擦で高温をまとう。わずか数メルテの大きさしかなくても、周囲の何百ケルテもの範囲を吹き飛ばし、巨大な穴を作り、熱で全てを溶かしてしまうことも珍しくないという。
 「行ってみないとわからないんだよね」
 「そうだな。内陸のほうに落ちたのかもしれないし、バラバラになって落ちてきたのかもしれないし。…そういえば」
ルークは隣のミズハのほうを見た。
 「ミズハの島にも岩が浮かんでたな…」
まさか、”火の国”にも岩が浮いているとは思えないが…。


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