<第二章>

人の国


 窓から差し込む眩い朝の光で目を覚ました。

 ハーヴィ号の側面は、東からの光をまともに受けて白く輝いている。霧のない水平線。光の中、目の前の大地の全容も、はっきりと浮かび上がっていた。
 デッキに出てみると、風景は一変していた。元来た方角の海は既に霧に厚く覆われ、壁のようになっている。流れ落ちる海水と、霧で一歩先も見えないその光景は、容易には戻れないことを強く印象づけるものだった。一体だれが、敢えて海水の流れ落ちるその深い霧に踏み込もうと思うだろうか。逆方向から見ても、「世界の果て」は世界の果てなのだ。
 そして、これから進む方向。夜は気づかなかったが、森のはるか奥のほうには奇妙な形をした山がそびえ立っていた。横から見ると背の高い台形。巨木を根本から切り倒して、その切り株だけが残されたような形をしている。ミズハが上空から確認したところでは、浜辺はずっとまっすぐに続いているが、東の方に大きな入江があり、その奥が内陸まで繋がっているようだったという。川か、海峡か。いずれにしても、ハーヴィ号でも遡れる幅があるなら探検にはちょうどいい。
 朝食のあと、船は河口に向けてゆっくりと進み始めた。ジャスパーには、人か町が見えるようなら知らせてほしいと頼んでいる。その間に、ルークは計器の確認をしていた。霧の中では正常に動かなかった計器類も、今は機能している。気温、風向、風力、―― ルークはいつものように航海日誌に記録をつけていく。ほんの少し海峡を渡っただけなのに、わずか一日でずいぶんと気温が上がっている。それに、湿度も高い。フォルティーザは真冬だったというのに、ここは夏のようだ。船の中で少しばかり動き回っただけでもう、背中にはじっとりと汗をかいている。
 記録をつけ終わると、次に通信機に向かう。予想はしていたが、反応はない。ノイズどころか通信先へのコール音もない。距離が離れすぎているのもあるが、「世界の果て」海峡を覆う霧のせいかもしれない。
 「ルー君」
デッキのほうでミズハが呼んでいる。ぱしゃん、と水の跳ねる音。
 船の外に出ると、涼しい風が汗ばむ体を心地よく包んだ。ミズハは、風を体いっぱいに受け止めながら進行方向に指をさしている。
 「あそこ!」
陸側は鬱蒼とした森。いつしかその森は、浜辺を越えて海べりまで侵食してきていた。腕のような奇妙な太い根を水中に張り巡らせた木々。その奥に、海が鋭く切れ込んだ大地の裂け目が存在する。
 「幅は…二十ケルテくらい…かな。海峡にしか見えないけど、川かもしれないし…。ミズハ、向こう岸は見えなかったんだよな」
 「うん。この先は、あの山のほうに向かってたよ」
森の奥に見える奇妙な形の山のことだ。大地はおおむね平坦で、目立つ地形は山くらいしかない。
 「ジャスパー」
船首を覗きこむと、海竜は分かっているというような目をした。何も言わないうちから船は向きを変え、大地の切れ目を遡り始めた。
 そう、流れは、内陸側からこちらへ向かってくる。昼間は海が流れ落ちているのだから当然だ。流れをかき分けるように進むジャスパーの周りで小魚たちの群れが、驚いたように散ってゆく。見慣れぬ巨大な生物に、水辺でのんびりしていた獣たちが怪訝そうな視線を向ける。
 「あの子たち、船をジャスパーの体の一部だって勘違いしているみたい。大きな亀だ、って言ってる」
 「あの子たち?」
 「あそこにいる子たちだよ。」
そう言ってミズハが指したのは、中洲の上でこちらを眺めている、イルカのようなアザラシのような、見慣れない大型の海獣だった。ミズハには海の生き物たちの言葉が分かる。ジャスパーのような海竜の言葉も、海鳥たちの言葉も。海に住む生き物であれば、遠く離れたこの近辺の海の生き物でも言葉は通じるものらしい。
 ルークは、中洲からこちらを眺めている海獣たちを観察してみた。なるほど、確かにこちらを見ながら会話しているような気もする。
 「もし話ができるんなら、この辺に人間が住んでいないか聞けるかな」
 「やってみるよ。ジャスパー、あっちに寄せてもらえる?」
 頷いて、ジャスパーは中洲のほうに近づいていく。海獣たちは一瞬、怯えたような仕草をしたが、ジャスパーが一声鳴いて話しかけると、大人しくなった。
 ミズハは、中洲の生き物たちに何か話しかけた。鳴き声自体は南の海にもいるアシカとよく似ている。
 「どう?」
 「うんとね。人間はもう長いこと見てないけど、この先に”塔”があるって」
 「塔?」
 「人間が作った、古い建物の跡、――だって」
 「なるほど。じゃあ、そっちへ行ってみよう。ありがとう!」
ルークが手を振ると、言葉は通じないまでも言いたいことは伝わったらしく、海獣たちは一斉に声を上げた。人間でなくても、友好的に話の出来る生き物がいるだけで、ほっとする。船は中洲を離れ、教えられた方角へ向かってゆっくりと進み始めた。
 進むにつれ、人の暮らした痕跡がちらほらと伺えるようになってきた。川べりには朽ちかけた船が沈んでおり、人工的に作られた港の跡らしき場所もあった。かつては家だったかもしれない石積みや、柵のあと。しかしどれも数十年から百年は経っているようで、最近になって修復された痕跡は見当たらない。目指す「塔」は、さらに奥地の、木々の間に確かに崩れかけた姿を晒している。
 塔のふもとにたどり着くと、ジャスパーは、船を岸に寄せて止まった。
 「ちょっと辺りを見てくる。夜までに戻らなくても心配しないで」
ジャスパーは、気をつけろというように首を動かし、周囲を見回して鼻をひくつかせた。ジャスパーはジャスパーで、この辺りの海を探検してみたいのかもしれない。さっきの海獣たちのように話のできる相手がいるなら、退屈することもないだろう。
 当面必要な荷物だけを持って船を降りたルークは、まずは塔を調べにとりかかった。
 といっても、考古学者でも民俗学者でもないので、あまり細かいことは分からない。中に入ると、驚いた小動物たちが慌てて走り去ってゆく。崩れかかった階段は落ち葉や蔓草で覆われ、もう長いこと人に使われた気配はない。階段は最上階の手前で壁ごと崩れており、そこからは周囲が一望できた。森と、森の中に続く小道と。かつて人の暮らした集落があったとしても、上から見る限り、完全に木々に埋もれてしまっている。
 「ルー君」
羽ばたきが聞こえた。上空にミズハが浮かんでいる。
 「あたし、空から見てくるね。」
 「ああ、頼む。何か見つけたら知らせてくれ」
 「うん。」
ミズハは青空に向かって舞い上がり、あっという間に小さくなる。ここは海から近い。彼女の翼も調子が良さそうだ。
 ルークのほうは、塔を降りて徒歩で奥地へ向かってみることにした。特に当てがあったわけではない。ただ、道らしきものが港の跡から内陸へ向かっているように見えたからだ。
 草に埋もれた小川を越え、先へ進む…
 と、その時だった。何の前触れもなく、ふいに足が宙を切り、天地が逆転した。
 「うわっ?!」
天地が逆転する。気がついた時には、ルークは木と木の間に宙吊りになっていた。何が起きたのか、さっぱり分からない。足を見ると、縄がしっかりと絡みついている。
 木々の間で、がさがさと足音がした。
 「ああン…?」
現れたのは、全身が灰色の人間のような姿をした生き物。だが人間よりははるかに大きいし、体もゴツゴツして岩のようだ。服は腰に巻いた草を編んだ蓑のようなものだけ。
 まさか、と息を呑んだ。
 まさか、これは――
 「なァんだい、兎がかかったと思ったらヒトか…。ヒトなんざ見るのは久しぶりだァな」
ぼそぼそと頭を掻きながら、その生き物は縄ごとルークを腕にぶら下げた。
 「お前、巨人なのか?」
 「見てわかンだろ。まぁいい、ヒトは不味いが今日の飯にしよう」
 「飯って…」
巨人は、手際よくルークの手足を縛り、肩にかついでのっそりと歩き出す。見れば、腰には他にも動物や鳥が縛られてぶら下げられている。狩りの途中なのだ。罠を仕掛けたのは、この巨人だったらしい。
 (巨人って、人間も食べるのか…)
いまさらのように、ルークはそんなことに驚いていた。少なくとも自分は、というか”双頭の巨人”は食べていなかった、と思う。しかしどうやら、この巨人は人間も食べ物の一種と考えているようだ。
 巨人の歩いてゆく方向で森が開けている。洞窟があり、その前に鍋と薪が積み上げられ、小柄な巨人が火種から火をおこそうとしている真っ最中だった。夕食の支度をする家族、といったところか。夕食のおかずがルーク自身でなければ、微笑ましい光景だったのだが。
 狩りの獲物をたずさえた巨人が森から姿をあらわすのを見て、待ちかねていたように、奥の洞窟から、のそりと一家の家長らしき一際大きな巨人が姿をあらわした。こちらは青黒い肌に褐色の髭。顔つきはより人間らしいが、大きさはルークを担いでいる巨人の何倍もある。
 「おう、けえったか。どうだった、今日の首尾は?」
低い声には聞き覚えがあった。正確には、記憶が呼び起こされた――と言うべきか。
 「ヒトが罠にかかった」
 「なに? 珍しいな。どれ、みしてみろ」
縛られたまま、ルークは後から現れた巨人につまみ上げられた。ぶら下げられた時、意図せずして口をついて出た言葉は、ルーク自身が意識していないものだった。
 「お前、ルー・ロー・グだな?」
 「ん? おめぇ、なんで俺っちの名前… お…」
目の前にルークをぶらさげて、しげしげと眺めていた巨人の表情が、突然変わった。
 「ひッ」
驚いたはずみで巨人の手が滑り、ルークは地面に転がり落ちた。
 「どうしたい、兄ぃ」
ルークを担いできた巨人が振り返る。
 「まさか…、まさかこいつ、ルー・ルー・ド…?」
 「わかるのか」
逆に、そのほうが驚いた。かつてとは似ても似つかない姿をしているはずなのだが。
 巨人は、汗を滲ませながら、にたりと笑った。
 「なんでえ、海を渡ってそのまま戻ってこねぇと思ったら、生きてやがったのか。そ、それにしても…ず、ずいぶんと縮んでやがるじゃねぇか…へへ、へへ」
目を見開き、鍋の近くにあった火かき棒を取り上げる。
 「そんなチンケな格好なら、俺様でも殺れそうだな…!」
 「な、」
振り下ろされる鉄の棒。ルークは、慌てて転がって避けた。なんという乱暴さ。だが手足を縛られたままでは、うまく逃げられない。騒ぎを聞きつけた巨人たちも集まってくる。ちらりと見た感じ、四、五人か。一番大きな青黒い巨人以外は、何が起きているのか分からないという顔をしている。
 「死ねえええ!」
地響きを響かせ、目の前に巨大な足が迫る。踏み潰そうというのだ。ルークはとっさに足元の地面に意識を集中し、力を注ぎ込もうとした。ゴーレムを作り出すのが間に合えばいいのだが――
 と、その時だ。振り上げた巨人の足が、矢のような光に貫かれた。
 「ぎゃあー!」
叫び声とともに、ずしんと大きな音を響かせ、巨人は後ろ向きに尻から倒れ込む。何が起きたのか認識する前に、ふいに体を束縛していたロープが落ち、ルークは自由になった。見れば、足元で一羽の白い鳥が嘴に切れたロープの端を咥えている。見上げると、空からミズハが急降下してくるところだった。
 「こら! 何してるのっ」
ミズハはルークの前に降り立ち、腰に手を当てて巨人たちを睨みつける。巨人たちのほうはというと、初めて見る翼の生えた人間に大騒ぎだ。
 「うう、いてえ…いてえよ…」
青黒い巨人は足をおさえて呻いている。
 「手加減はしたよ。ごめんなさいは?!」
 「ううう」
 「…いや、ミズハ。もういいよ。こいつ多分、昔の知り合い」
 「え、そうなの?」
少女は、ルークを振り返る。
 ルークは、泣きそうな顔をしている巨人の顔を見上げた。
 「教えてくれ。今、こに人間はいないのか? 残ってる巨人はどのくらいいる?」
 「ヒトは…みんな海を渡っちまったよ。こっちがわに残ってた連中は、みんな俺らが食っちまった…ひっ」
ミズハの殺気を感じて、巨人は頭を抱える。
 「海の魔女が何故ここにいる! ここは陸だぞ。俺らの国だぞ」
 「…彼女は何もしない。正直に答えろ。巨人はお前たちだけなのか」
 「山にいるよ、クソ野郎の翁がよ。それ以外は殺しちまったよ。俺がここの王様だ。俺以外のでかいやつはみんな死んだ。クソ老いぼれだけは殺せなかった。あいつもじきに死ぬ、そうしたら俺様だけだ。へ、へへ」
ルークは、ため息をついた。色々と言いたいことはあるが、それは人間の思考と感情に親しんでいるせいだ。同時に、巨人とは基本的にこういう思考の持ち主だったことも思い出していた。基本的に、自分より強いか弱いかで相手を判断し、問題の解決方法は至ってシンプルに「なぐり殺す」。理解しがたかったハリールードの思考のほうが、実は巨人本来の自然な思考だったのだ。
 「で? その翁ってのは、どういう巨人なんだ。」
 「知ってンだろ。ルー・ラー・ガの爺だよ。原初の巨人だかなんだかしらねぇが、気味の悪いバカでかいヤツだ。な、なあルー・ルー・ド。あんたまさか、ここでまた俺らを支配する気じゃないだろうな? 俺様殺すのか? こ、ころさねぇでくれよ、な、な」
 「殺さないよ…。」
ため息混じりに言って、ルークは、頭をかいた。「巨人の王様やる気もない。用がすんだら帰るよ。だから、おれたちには手を出すな。邪魔だけはしないでくれ」
 「あ、ああ、わかったよ。わかったよ。約束するよ。だから殺さないでくれよォ」
情けない声を出す巨人にはもう目もくれず、ルークはミズハを連れてその場から立ち去った。森を抜け、目指す方向は船からも見えていた山のほう。ルー・ロー・グの言った、もう一人の巨人というのに会ってみるつもりだった。
 早足で歩くルークの黙りこくった背中をしばらく眺めていたミズハが、口を開いた。
 「ルー君、何か落ち込んでる?」
 「そうかもな。」
草をかき分けながら、ルークは一つ、ため息をついた。
 「薄々気づいてるつもりではあったんだけどさ。巨人ってのは…ロクでもない生き物だなあ、って。」

 ”呪われた巨人、大地を汚すもの”
 ”破壊すること、まがい物の生命を生み出すことしか出来ぬ。愚かで低俗な、神にはなれぬ存在”

いつだったか、ミズハが熱で寝込んだ夜に飛ばされた異次元で、謎の声が言っていた言葉は正解なのかもしれない。そんな存在の、自分は間違いなく一部なのだと…
 「でもルー君は、違うよ。人間食べたりしないでしょ」
 「そりゃ、まあな。その点はマシだけど、でも――」
 「あいつらとは違うよ。前に会ったマリアさんも、ルー君に言われて海を渡ったって言ってた。人と共存してた巨人もいたんだよ。そうでしょ?」
弾むような足取りで追いついてきた少女は、そう言ってルークを見上げる。栗色の髪がふわりと揺れる。
 「あの山にいくんだよね?」
そう言って、森の奥にそびえ立つ奇妙な形の山のほうを見上げる。
 「その巨人も知り合い?」
 「多分…」
名前を聞いただけでは思い出せないが、ルー・ロー・グのように、会ってみれば記憶が蘇るかもしれない。
 「ミズハ、空から見てみてどうだった? やっぱり、人はいなさそうだった?」
 「うん」
 「そうか…」
それなら、ルー・ロー・グの言うとおり、やはりこちら側の陸地には、もう人間は残っていないのだろう。
 かつて巨人たちの長としてルー・ルー・ドが支配していた頃は、巨人を信奉する人間が存在した。しかし、彼が手勢を引き連れて海を渡ってしまった後、残された巨人たちは殺し合い、人間を食べるものが生き残った。巨人の信奉者と呼ばれた人々は巨人を追って霧の彼方へと去り、それ以外の人々も、狭い海峡を渡った対岸の陸地か、あるいは別のどこかへ新天地を求めて旅立っていった。
 さっきの巨人の態度からして、巨人たちはルー・ルー・ドを恐れていたに違いない。絶対的な力を持つ巨人が存在することで、或いは、この地の秩序は守られていたのかもしれなかった。その意見ではここも、神魔戦争の後に”変わってしまった”場所の一つなのだ。


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