<第二章>

果ての島へ


  雨が止み、霧が晴れたのはその日の午後遅くになってから。
 島を離れて洋上に出るとすぐ、ルークはラヴィノーザへの通信を試みた。相変わらず雑音が乗っているが、嵐の前よりはマシだ。
 「…というわけで、島の反対側からなら上陸できます。上部には十分な広さがあります」
 『了解、基地を置け…うね。ついでに調査も?』
雑音で途切れがちな声は、水平線の向こうに見えなくなった大陸から届いている。
 「ここから先は、多分もう通信が出来ないと思います。」
 『ええ、分かってるわ。基地が設置できたら、こちらから連絡する。それまで、どうか無事で』
 「はい」
通信を終え、通信機を机の引き出しに仕舞いながら、ルークは、次にミゼットたちの声を聞けるのはいつだろう、とふと思った。簡易の中継基地を設置するだけなら、二週間もあれば足りるはず。だが、中継基地を置いたところで、そこから対岸の未知の大陸まで通信が届くとは限らない。
 「二週間後か…」
壁の海図に視線をやる。これから向かう五番目の島までは、約半日。それを過ぎれば、六番目から八番目までは、ほとんど岩礁といった雰囲気の、島と呼ぶには小さすぎるものを通過していくことになる。波が高く、満潮時であれば見逃してしまうかもしれない。ニ週間後は、予定では八番目の島を通過している辺りか。

 四つめの島を過ぎてから、風が変わった。
 南の海との、西の海との違う、じっとりとした熱を帯びた強い風。海の色も、いつも見ているより白っぽくなった気がする。ジャスパーは、「海の味が変わった」という言い方をしていたが。
 デッキに出てみると、ミズハは船の屋根に腰掛けて空を眺めていた。まだ夜までは時間があるというのに、西の空に気の早い星が輝き始めている。
 ほとんど足音もたてず、隣にミズハが飛び降りてくる。
 「遠くまで来たね」
 「そうだな」
 「…知らない海。」
ミズハは、すうっと大きく息を吸い込んだ。「だけど、ここもちょっとだけ、お母さんの風のにおいがする」
 「なんだ、それ」
 「んー、風は世界をめぐってる、かな?」
くるりと踵を返して、少女は手すりに背をもたせかける。
 「この世界は丸いんだって、ルー君ちの本に書いてあったよね。お父さんもそう言ってた。」
 「うん」
 「だから風は世界を一周してくるの。」
少女は、空を見上げた。
 「海で生まれた風は、世界をめぐって、色んなものを運んで、また海へ戻ってくるの。」
 「へえ…」
ルークも、空を見上げる。
 「でも不思議だよな、昔は大地は平らで、端っこから海は流れ落ちてたっていうけど。今から向かおうとしてる場所が”最果ての島”って呼ばれてるのは、だからだし」
 「どうやって丸くしたんだろうねえ?」
 「それは丸くした人に聞かないと分からないな…」
 「月も三つあったんだよね」
 「ああ。」
 「残りの二つは、どうしたんだろう?」
 「一つはバラバラになって地上に落ちてきたらしい。もう一つは… どうなったんだろうな」
この世界は、分からないことだらけだ。誰かが答えを持っているのか、あるいは答えを探しにゆかねばならないのか。
 船は進み続けている。時折、大きな波で上下に揺れて潮が叩きつけてくる以外は平和そのもの。
 少なくとも、待っているだけでは答えは見つからない。知りたければ、未知なる領域へ進み続けるほか、ないのだ。


 ハーヴィ号は予定通り、ニ週間後には八つ目の島を通過していた。航路を見失わずに来られたのは、海が比較的穏やかだったこともある。だが、ここからが問題だ。海流の流れが変化しつつあることに、ルークは気づいていた。ジョルジュからの事前情報には無い。季節的なものか、あるいは、三十年前にジョルジュが通過した時には無かった現象なのか。
 八つ目の島を過ぎたあと、白っぽい海の中に黒っぽい流れが交じるようになっていた。それは白と真逆の方向へ、ぶつかるように流れている。お陰で、航路をまっすぐにとることが困難だ。 
 「ジャスパー、無理しなくていい。次の島は山があるらしい。多少、航路から外れても見失ったりしない」
海竜は、分かってる、というように鼻を鳴らす。 
 「…何だって?」
隣のミズハが通訳する。
 「温度差が気持ち悪い、黒いほうが暖かい、だって。」
 「…温度」
ルークは、顔をしかめた。「海水の温度?」
 行く手に島らしきものが見え始めた。
 「あ、あれ。言ってた九番目の島?」 
 「いや、違う。早すぎる…」
ルークは遠望鏡を取り出し、目に当てた。前の島からの距離も方角も、予定していた九番目の島とは違う。だが、確かにそこには島らしきものがある。しかも、上部から煙を噴いている。
 はっとして、ルークは船首に向かって叫んだ。
 「ジャスパー、海底火山!」
海竜が首をもたげる。
 「火山だ。 黒い流れは暖かいんだろ? 海底から吹き出してる火山で暖められてるんだと思う。火山は毒を出すこともあるから、その流れは避けたほうがいい」
わかった、というようにジャスパーは向きを変え、島から離れる方向へ泳ぎだす。島は、ここ最近新たに海底噴火でできたものと思われたが、ここは大陸から遠い海のど真ん中だ。たとえ大噴火があったとしても、誰も気づかない。
 生まれたばかりの、地図にない島を過ぎると、目指していた九番目の島が見え始めた。島に近づくにつれ、次第にその全容がはっきりとしてくる。ここ最近で大きな噴火があったらしく、予想されていた形とは大きく違っていた。島は、聞いていた半分ほどの高さしかない。そのかわりに、周囲の海の色が黒っぽく変化して浅瀬が出来ていた。吹き飛んだ山の上部と、流れだしたマグマとが作った新しい地形なのだ。時々海面の色が変わっているところからして、おそらく、海底ではまだ噴火が続いている。島の周囲では、今も地形が作り変えられつつある。
 火山を過ぎると、海は元どおり白っぽい色に戻ってきた。
 「ルー君、次の島は?」
 「十番目は…、十一番目と隣接してる、双子島だよ。ここまでで航路の2/3」
 「もう、そんなに来たんだ」
 「うん、予定より少し早いかな」
ただ、ここからが問題なのだ。
 十番目の島以降は、記録があいまいで、ジョルジュも、何があったかはあまり覚えていないという。深い霧に計器が狂わされ、気まぐれな海流と風に、船は何度も航路を変えざるを得なかったという。
 だが、危険だから戻ろうと提案するジョルジュに対し、グレイスは、まるで何かにとりつかれたように先へ進みたがっていた、と言っていた。最果ての島の言い伝えをヴィレノーザで聞いてから、それを発見したいとこだわっていたとも言う。三番目から四番目の島までの距離を考えると、そこで引き返していてもおかしくはなかったのに、グレイスは進み続けた。
 そしてたどり着いたのが”最果ての島”。ルークと出会った場所だ。
 ただし、そこが本当に最果てなのかは、その先まで進んでみないと分からない。エレオノール号がたどり着いた南の大陸と繋がる土地があるのかも。
 「…鳥みたいな声がする」
ふいに、少女が呟いた。
 「ミズハ?」
 「声がする、ほら」
 「鳥って…」
空のどこを見回しても、海鳥などいない。この航路をたどり始めてから、一羽も――
 いや。
 「…本当だ」
音として耳に届くものとは異なる、体のどこかで感じる声なき声。今までにも何度か、こんなことがあった。耳で”聞いて”いるのではない。どこかで”感じて”いるのだ。
 「何て言ってる?」 
 「わからない。海の言葉じゃない。言葉でもないのかも。でも…」
ミズハは、耳を澄ませている。
 「誰かを呼んでるみたいな…。」
海の果てから響く声。高く、低く、それは確かに海鳥の呼び合う声に似ているような気がした。答える相手のいない声は、どこか寂しげで、抗いがたい哀愁を帯びている。声の呼ぶ方へ船を進め、主を探し出したい気持ちもあったが、今は航路を外れるわけにはいかない。


 通信機に反応があったのは、双子島が水平線の向こうに辛うじて見え始めた日のことだった。
 船は休憩中で、ジャスパーは魚をとらえて腹ごしらえの最中だ。呼び出し音に気づいたのは、ミズハだった。
 「ルー君、何か鳴ってるよ?」
 「え…」
ぼんやりと釣り糸を垂れていたルークは、呼ばれて我に返った。奥の船室の机の中で、通信機が鳴り響いている。次に呼び出しが来た時に気づけるようにと、呼び出し音を最大にしておいたのだ。慌てて駆け戻り、箱を机の上に置いて蓋を開く。
 『もしもし? 聞こえるかい?』
 「こちらハーヴィ号、聞こえてます」 
 『ああ! よかった〜、俺、ラスだよ!』
通信機から聞こえてくる声は、ラヴィノーザの観測所にいた三人のうちの一人。
 『今、四番目の島から試しで通信してみてるんだ。しかし、ここは凄いねえ! あのドラゴンの骨』
 「ドラゴン?」
いつのまにか、隣にミズハが来ている。
 『お、ミズハちゃんも一緒か。元気そうだね。そうそう、ドラゴンさ! 神魔戦争の初期まではいたらしいけど、現物の見本が手に入ったのは初めてだね!』
ラスは興奮気味で、そのままだと自分たちの近況を語りだしそうな雰囲気だった。そこへ、もう一人が割って入った。
 『そのくらいにしとけ、ラス』
三人のうちのもうひとり、ウィルだ。
 『と、いうわけで、こっちの基地設営は進んでる。通信距離は伸ばせそうだ。そっちは今、どのへんだ?』
 「九番目と十番目、双子の島を今日中に通過します」
 『おおっ、順調だな。』
 「ミゼットさんは?」
 『所長は観測所。ま、誰か残らないといけないからな。向こうには、フォルティーザ支部からも応援がきてるよ。それから、こっちのドラゴン調査で、ラヴィノーザの船が来る』
 「復路では会えそうですね」
 『そうだな。』
 「通信が通じるうちに、写真を送ります。ここまでの航路のデータも」
 『それは助かる。じゃあ、また定時に連絡するよ。幸運を』
通信が切れた。ほっとすると同時に、少し拍子抜けもした。この百年、ほとんど誰も挑まなかった海域は、単にわざわざ挑む人がいなかっただけで、大陸から簡単に手を伸ばせる場所なのだ。だが、何があるか分からない海域に「敢えて」漕ぎだすということそのものが、冒険でもあるのかもしれない。


 デッキに戻ると、ちょうどジャスパーが水面に浮かび上がってきたところだった。ルークが放置していた釣竿のほうを見ている。
 「あれ、魚がかかってる?」
慌てて竿を引き上げると、真緑色をした奇妙な小魚が一匹。
 「……。」
そっと魚を外し、ぽいと海面に離したそれを、ジャスパーは空中で器用にキャッチして、ごんくと飲み込んでしまう。
 「うわ…。ジャスパー、それほんとに美味いのか?」
 「意外といける、って言ってるよ」
ミズハが笑う。
 「この辺りって、見たこと無い魚がいっぱいいるね」
 「そうだな。フォルティーザの生物研究班を連れてきたら大喜びしそうだけど…」
今回は、海の向こうの大陸が目的地だ。興味を引くものは沢山あるが、時間を割いているわけにはいかない。
 「じゃあ行こうか、ジャスパー」
うなづいて、海竜は再び船の下に潜り込んでゆく。ルークは釣竿を片づけながら、空を見上げた。
 海に出てニヶ月近く。
 フォルティーザを発ってからの時間も入れれば、ニヶ月半になる。最後に陸を踏んだのは、四つめの島に上陸したとき。海が怖くて泳げもしないくせに、これほど長い時間、海の上で寝泊まりしている。よくよく考えてみると不思議なものだ。
 「ルー君の島、あともう少しなんだよね」
 「え、」
 「最後の島なんでしょ? ルー君のいたところ」
そうなのだ。
 過去のルークと、グレイスが初めて出会った場所。そこだけは、上陸して確かめようとルークも思っていた。ジョルジュの話では、その島はそれほど大きくなく、岩礁の上に少しばかりの木々が生えている程度だったというが、それもはっきりとは覚えていないという。写真の一枚も、地図の見取り図もない。
 「そこに行けば、何か思い出したりするのかな…」
ルークは、デッキの端に腰を下ろした。
 この航海に出てから何度も、思い出そうと試みてみた。だが、欠片ほどの記憶も呼び出すことが出来なかった。巨人として生きていた頃は海峡の対岸にいたはずなのに、どうして離れた島に一人でいたのか。グレイスと出会った時には既に人の姿を――過去のルークの姿をしていたのか。どのようにしてグレイスたちと出会い、船に同乗したのか。
 失ってしまった過去の一部が、そこにある気がしていた。


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