<第二章>


 ”仮初の同盟の時を経て、今、世界は「失われた時代」以前へと揺り戻される。”

 その日の朝刊の見出しには、そんな言葉が踊っていた。
 神魔戦争時代は、人が全滅の危機にあったからこそ、生き残った国々の同盟関係が他に選択肢のない結果として成立していた。千年にも及ぶ混迷の時代の以前、外敵のいなかった頃、人は、人同士で争ってきた。メテオラの独立宣言は、そんな過去を思い起こさせるものだった。
 一般の人々にとっては青天の霹靂の、このところの動きを知っていた一部の人々にとっては予想より早かったという程度の。その知らせは、大陸の国々じゅうを瞬く間に駆け巡った。

 「メテオラが国家連邦を抜けて独立するらしい」
 「”協会”への出資も取りやめるとか」

 予兆はあったのだ。
 大陸縦断鉄道の駅は、メテオラまで届いていない。メテオラ国内へ入るには、手前の駅でいったん降りて検問を通過しなければならない。この大陸内では”協会”本部のあるフィオナと同等の大国でありながら、支部は一つもない。常に距離を置いてきた政策は、いつか袂を分かつこの日のためだったのかもしれなかった。
 そして今、”協会”の仮本部が設置されているフォルティーザ支部の大会議室には、招集に応じることの出来た関係者が顔を突き合わせていた。議長席にはジョルジュがいる。集まっているのは、フォルティーザの主だった研究者たちと、ヴィレノーザでかつて委員会に所属していた人々。それに、ルークが”霧の巣”から戻って最初に査問会で聞き取りをされた四人の老学者たちもいる。ヴィレノーザ大学の学長は、ルークを見つけると軽く視線で頷いて見せた。直接の接触はなかったが、これまでのことは知っている、という意味だろう。
 「お忙しいところ、お集まりいただきありがとうございます。申し訳ありませんが、何名かは遠距離での参加となります」
卓上には、回線を開かれた状態で通信機が置かれている。
 「皆様お聞き及びのとおり、メテオラの件です。本日付けで、正式に通達がありました。国家連邦からの脱退、及び”協会”との相互援助関係の解消。そして―― セフィリーザ支部が失われます」
小さなどよめきが上がった。最後のニュースについては、この場に来て初めて知ったのだ。
 「どういうことだ」
 「正確には、セフィリーザ支部の放棄。スタッフと機材、研究結果はごっそりメテオラに移動するということです。もともと地元との繋がりは薄く、建物自体は国境線上。スタッフは亡命扱いになるものかと」
今度は、ため息にも似た声がほうぼうから上がる。
 「国家連邦本部からは、何も?」
元評議会メンバーの一人が問う。”協会”本部とともにダメージを受けた国家連邦本部だが、火災などに遭ったわけでもなく、幸い建物の損傷が軽微だったこともあり、その後の修復も早かった。今は、一足先にヴィレノーザに本部機能を戻している。
 「…交渉中、とは聞いていますが。再考を求めたところで、メテオラが決断を翻すと思いますか?」
 「それは…。」
神魔戦争以後も軍事力を拡大し続けてきたメテオラは、今では大陸随一の軍事国家となっている。国家連邦の他の国々すべてを合わせたよりも兵を持ち、他の国々はお荷物扱いだった。かねてより、”協会”のやり方にも反発してきた。
 「向こうが何のメリットもない、と判断したのだろう。我々のほうが見捨てられたに近い」
そう言ったのは、ヴィレノーザ大学の学長だ。ジョルジュは小さく頷き、傍らにいる秘書のアネットに合図した。
 「その件について、皆さんに内密でお伝えしておきたい情報があります。」
アネットが控え室から誰かを連れてきた。
 「あ…」
ルークとミズハは、同時に反応した。黒いぴったりとしたスーツに身を包み、背をぴんと伸ばして落ち着いた様子で現れた男は、二人に向かって軽く会釈して、ジョルジュの傍らに立った。
 ラザロの町で路頭に迷っていた二人をメテオラへ誘った、エミリア・カーネイアスの使用人。確か、イヴァンといった。エミリアの信頼厚い人物だという話だったが。
 「メテオラからの信頼出来る筋からの使者です。彼の証言によれば、メテオラは近々、リブレと同盟を結ぶつもりだと」
息を呑むような沈黙。
 イヴァンは、淡々とした口調で語る。
 「我が国の首脳陣は、リブレから技術提供を受け、飛空艇を始めとする旧時代の兵器の再現に乗り出しました。すでに一部は実用化に入っている。皆様御存知のとおりだ。来年には空中艦隊が結成される」
 「飛空艇がもっと沢山作られるってことですか」
男は、ルークのほうを見て頷いた。
 「海を越えるつもりでしょう、おそらく」
 「実力行使、強硬手段か。」
学者の一人が机を叩く。
 「それは侵略行為だ!」
 「海の向こうの大陸に人がいるならば、そうですね…」
ジョルジュは、中指で軽く眼鏡を押し上げた。
 「そう、我々は今まで、未知なるものとの接触には細心の注意を払い、穏便にコトを済ませようとしてきた。しかし、メテオラはそのやり方に常に反発してきました。――お互いがお互いを必要としていた時代には、方針が違っても話し合う余地があったのです。ですが今、彼らは我々とは手を切り、別の相手の手をとった。今後、歩み寄りは難しいでしょうね」
 「ただし、メテオラのすべてがそれを望むわけではない」
イヴァンは、後ろに手を回しながら一同を見回した。
 「我が主人は、征服という荒っぽい方法を望まれておりません。ですから、これまでメテオラが負担してきた出資については、当家がある程度、個人的に賄うという方法で支援させていただきたいのです。」
小さなざわめき。この場にいる大半にとっては、この男が何者であるか見当がついていないだろう。だが、情報に通じた聡い者なら、この男が室内に入ってきてすぐ視線をやった方向に気づいていたはずだ。メテオラは歴史ある大国で、名家と呼ばれる資産家も多くあるが、その中で”協会”に特別な関心を払いそうな家は、いくつもない。ましてや、メテオラという一国で負担していた額をぽんと出せそうな規模の資産家となれば。
 ざわめきを鎮めようと、ジョルジュが手を叩く。
 「ご静粛に。その件について受け入れ可否についての採択と、そしてもうひとつ、皆様方に審議いただきたいことがあるのです。これは、私個人の思いでもあるのですが。」
波がひくように、静けさが戻ってくる。
 「先日発表された、新板の世界地図はご覧になったことと思います。”最果ての島”から続くレムリア大陸への新航路については、もうご存知のことと思いますが――」
彼は、一つ息をついだ。
 「我々はただ手をこまねいて見ている場合ではなくなりました。メテオラが仕掛ける前に、先手を打ってレムリアへの調査隊を送り込みたいのです」
 「何と…」
どよめき。許可無くして闇の海に挑むことなかれ、との協定が結ばれたのは、つい半年前のことだ。
 「分かっています、危険があるかもしれない。しかし、それ以上の危険がこの先にあるかもしれないのです。歩みを止める止めるべきではない」
 「焦って手を出して、また火傷することにはならないのかね」
古参の老学者がひげをしごきながら落ち着いた声で言う。ジョルジュは、抑えた声で慎重に答える。
 「あくまで、メテオラが仕掛けるかもしれない侵略戦争への回避を優先します。今回の調査の目的は、闇の海の向こう側に知的生命体が存在するか否か。もしも我々と同様の人間が住んでいるのなら、先回りして同盟関係を結ぶことができるかもしれません。もし異なる価値観を持つ生物が住んでいるのなら、あるいは危険な勢力が控えているのなら、メテオラに警告して計画をとりやめさせることができる。いずれにしても、かの大陸に何があるのかを知らねば始まらないことです」
騒音のような論争が始まった。学者たちは、各自一気に口を開き喧々囂々となる。
 だが、それは長くは続かなかった。
 皆最初から分かっている。どれほどリスクがあろうとも、何もせぬまま座して待った場合のほうが、あるかに大きなリスクとなることを。
 「レムリアから海を越えての通信は距離的に不可能だ」
 「――点在する島に通信の中継地点を設置していきます。ラヴィノーザ支部のお力を借りられれば可能なはずです」
 「島づたいに行くにしても、距離がある。しかも岩礁地帯だ、小舟では…」
 「エレオノール号の修復を待って、前回同様の長距離航路で行くべきではないのか?」
 「それでは、あと半年もかかってしまう。」
 「小回りの効く調査船を母船から送り出す方法で…」
 「いや、やはり危険だ。調査員を見殺しにすることに…」
ジョルジュは、ひとつ咳払いをした。
 「この調査には、我がフォルティーザ支部の抱える調査船、ハーヴィ号に出ていただくつもりです。」
一瞬、大きなざわめきが起こったが、それもすぐに潮が引くように収まっていく。大きな驚きは無かった。ジョルジュが、そう話を持っていくだろうことは、皆、うっすらと予感していたのだ。
 ジョルジュは、ルークのほうを振り返った。
 「構いませんか、ルーク」
 「逆に、いいんですか?」
男は、小さく笑う。
 「止められてでも、いつか行くつもりだったんじゃないですか。」
 「……。」
ルークは、隣のミズハを見た、少女も頷く。席を立ち、ルークは会議室を見回した。
 「もう既にご存知だと思いますが、…おれは昔、あの大陸に住んでいたことがあります。…その頃のことはほとんど覚えていませんが、間接的に、大勢に人が住んでいたことは分かっています」
沈黙が支配する。誰も口を開かず、その場にいる全員の視線が、ルークに注がれている。
 「確かめさせてください。巨人の故郷が今、どうなっているのか。…かつて巨人たちと暮らしていたはずの人々が、どうなったのか」
 「異論のある方は、いらっしゃいますか」
ジョルジュのおごそかな問いかけに、声を上げる者はいない。

 それで決まりだった。

 各支部とも、レムリアへの第二次調査に向けての準備を開始する。主導権を取るのは海洋調査を得意とするフォルティーザ支部。それ以外の支部は、フォルティーザの送り出す調査船を全力でバックアップすること。必要な資金のうち、メテオラの抜けた分は匿名の財閥から供給される。ただし、この部分については、世間に伏せておくこと。
 出発は、冬の寒さの緩む二ヶ月後と定められた。
 それは、神魔戦争以降の協調路線が失われ、大陸の国々が新たな時代に入ろうとしていることを意味していた。


 「さて…、会合の儀式はこれで終わりです」
何時間にも及んだ会議の後、ルークたちは、ジョルジュ、イヴァンとともに海側のラウンジに来ていた。普段は休憩中の職員でいつもごった返している場所だが、今は人気もまばらだ。
 海側の窓からは、静かに白波を立てる海が一面に見えていた。テーブルの上には、アネットが準備してくれたお茶が、白い湯気を立てている。
 「後から異議を唱えそうな関係者には、これですべて同意をとったことになります。後は実行するだけ…あなたに、厄介事をすべて押し付けたような形になってしまいましたが…。」
 「いえ、逆に助かります。」
ルークは、ティーカップを取り上げた。”協会”のお墨付きで闇の海を越えられる日が来るとは、思ってもみなかった。
 ミズハは、向かいのイヴァンに話しかけている。
 「おばあちゃん、元気?」
 「ええ。お嬢様からのカードを大変お喜びでしたよ」
 「良かったー」
 「しかし、良かったのですか? ミズハを航海に同行させるということは、危険な目に遭わせることにも…」
と、ジョルジュ。
 「奥様は気にしておいでではありません。自分で選んだ道、しっかり努めて来るように。とのことです」
 「…さすがですね。」
 「むしろ問題は我が国のほうかと」
イヴァンは、それとなく周囲に視線を配った。声に聞こえる範囲に、人はいない。
 「あなた方も接触されたリブレ人については、メテオラ上層部も手放しで信用しているわけではないのです。利用するだけはしてやろう、という魂胆のようですが…」
 「技術提供を受けて、ある程度知識が溜まったら手を切るつもりだとか? …逆に利用されるのがオチでしょうね」
 「わが主も、そうお考えです。そう簡単に行くはずもない。相手は未知数です。メテオラ国内にも疑問の声はある」
男は、膝の上に握りこぶしを置いた。
 「しかし、リブレとの同盟関係は、逆に言えば、だからこそなのです。我が国には確かに兵力がありますが、人ならざるものを前にしてそれは無力であることは、先日思い知らされました。逆に、リブレには巨人をも倒せるだけの、旧世界の知識と技術という対抗手段がありますが、それを作れるだけの人手と資源がない」
 「お互い足りないものを持ちあわせているから…ですか。成る程」
ジョルジュは、お茶を一口すすった。
 「この同盟関係は、リブレから持ちかけたものですね?」
 「そう聞いています」
 「とすれば、彼らには将来の敵の”当て”であることになりますね。」
ぴく、とルークの手が動く。
 「でも、もう巨人は…。ハリールードは滅びましたし」
 「この大陸には居ない。とすれば、やはりレムリア…」
 「向こうの大陸に何かいるの、知ってるかもってこと?」
ミズハは眉を寄せた。「また攻めてくるのかな」
 「わかりません。そのために、あなた方に調査をお願いするのです。しかし――」
ジョルジュの表情がわずかに曇った。
 さきほどの会議では誰も指摘はしなかったが、”協会”支部がすべて支援に回ると言っても、この件に関して、実際に動ける支部は実は数支部しかないのだ。
 本部を除けば、”協会”支部は大陸中に八つ。そのうちセフィリーザが解体、半年前の”巨人の信奉者”によって破壊されたまま再建中のもの二つ、機能停止に陥ったまま今も再建目処の立たないものが一つ。残る四つのうち、ヴィレノーザより北の内陸部にあり海洋調査とは無縁のアルティーサ、ロマナーサの二つは、ほとんど人員と物資の提供くらいしか出来ない。残りは、このフォルティーザ、そして西の海辺にある研究主体の協会、ラヴィノーザ。ヴィレノーザ本部が機能していない今となっては、あまりにも心もとない戦力だった。
 だが、未知の領域に挑むのに、当事者以外がどれほどのことができるのか。頭数ばかり多くても意味は無い。どれほどの準備を備えたところで、未知なる危機に対しては備えられないのだから。


表紙 ┃ 戻る ┃ 次へ