<第二章>

より来たりしもの


 日は淡々と過ぎていった。
 一週間が経ち、予定では、今日の午後にはセフィリーザ支部の調査員がリブレ人を連れてくる、という。だが、そのことを知らされているのは”協会”の中でもごく一部だけで、大半は、セフィリーザからお偉いさんが来る、としか聞かされていない。”白い森”のある丘の上には前日から立入禁止の柵が設けられ、一般人の立ち入りは制限されているが、町の住人たちは、いつもの調査くらいにしか思っていなかった。
 朝から、打ち合わせと準備のためカーリーは先に出かけている。ジョルジュと現地で落ち合うのだという。ルークたちは、先方が到着してからアネットが車で迎えに来ることになっている。
 「リブレ人、か…。どんな人たちなんだろうな」
ルークは、灯台の向こうに僅かに見えている森のほうに視線を向ける。リブレ人についても、リブレの町についても、資料と呼べる資料はほとんど出回っていない。”神魔戦争”が終わっていらい、外部から人を受け入れたことはなく、国家連邦に所属してもいないため、”協会”の調査も及ばない存在なのだ。
 「…ミズハ?」
 「え?」
はっとして、少女が顔を上げる。返事がないと思ったら、ソファの前で、ぼんやり立ち尽くしていたのだ。
 「どうしたんだ? 最近、ぼーっとしてるけど…」
 「音が…」
 「音?」
 「…ううん。なんでもない。今日のお出かけのことは、分かってるから」
そう言ってミズハは笑顔を作るものの、やはりいつもと違って元気が無い。もともと家にいる時はおとなしく本を読んでいることも多かったから気がつかなかったのだが、それだけではなさそうだ。
 「体調悪いんだったら、おれ一人で行ってくるよ。」
 「大丈夫。平気」
そう言って踵を返し、少女はルークが熱を測るため額に手を当てる前に台所のほうへ消えていく。宙に浮いた手は、黙って降ろすしか無かった。


 ずずずっ、と空気の震える感じがした。
 「何だ?」
ルークは、玄関のドアを開けて外に出る。振動は頭上から降ってくる。西の方から迫ってくるのは、巨大な銀色に輝く船体。同じように外に出てきた町の人々、通りをゆく人々も、ぽかんとして見上げている。
 「メテオラの…飛空艇?」
見るのは初めてではない。半年ほど前のヴィレノーザ壊滅の後にも、飛空艇は一度、この町を訪れている。だが。あのときに見たものより、今回のものは二回りほども大きい。
 「新しいの、作ったんだね」
いつのまにか、隣ミズハが出てきていた。手を翳し、低く垂れ込める冬雲と、地上との間を進んでくる飛空艇を眺める。
 「今日のお客さん、あれに乗ってきたのかな?」
 「たぶんね。…まさか、あんな目立つもので来るとは思ってもみなかったけど」
おそらくジョルジュも知らされていなかったに違いない。前回、お披露目となるはずのヴィレノーザでは全く見せ場もなく、あまり威力を発揮できなかった代わり、といったところか。確かに、常時であれば国威を見せつけるのにこれほどインパクトのある装置もない。実戦に向くかどうかはともかくとして、示威行為には十分すぎる代物だ。

 町外れの崖の上、”白い森”の前で来客の打ち合わせをしていたジョルジュは、近づいてくる飛空艇を見上げて苦笑していた。
 「これはこれは、また派手にやってくれるものですね」
 「メテオラって、あーいうの好きよねぇー」
カーリーも呆れ顔だ。メテオラがリブレの技術支援を受けていることは、既に周知になっている。その繋がりを、ここぞとばかりに強調してくるとは。そればかりか、これではメテオラに近い”協会”セフィリーザ支部も、その一味ということになる。 
 「セフィリーザの支部長って今、いるんだっけ? ジョルジュ君」 
 「いえ。先代ルフェーブル博士が亡くなってから、ここ二年、後任者はいないはずですよ。次の評議会の議題は、その件になるはずだったのですが――」
 「なるほどね。」
評議会メンバー内から巨人に内通する裏切り者が出て、評議会はなかば解散状態。本部のあるヴィレノーザも再建中というゴタゴタの中、代表者が空席の状態で独自に取引をしたのか。
 「ともあれ、これは向こうさんも本気ですね。」
眼鏡を押し上げ、ジョルジュは、いつもの灰色のコートの襟を整えた。アネットは既に迎えにやっている。目論見としては、なるべく前座で時間を稼いでおきたい。
 船体を浮かせるための風船のようになっている部分の前後につけられたプロペラの回転が巻き起こす風が崖の上の枯れ草をざわめかせ、森にも吹き寄せている。風を巻き起こしながら、飛空艇はゆっくりと地面に着地する。ジョルジュは、調査員たちにその場を離れるよう指示した。前もって、そうするようにとの要求があったからだ。その場に残っているのは、ジョルジュと、カーリーだけ。
 人が去ったのを確かめてから、飛空艇の扉が開いた。
 中から階段が伸び、数人が駆け下りてくる。かと思うと、彼らは出迎えのジョルジュたちに目もくれず、いきなり、手にした巻き絨毯を敷き始めた。
 「…ほう」
ジョルジュは苦笑いだ。「まるで王侯貴族の登場じゃありませんか」
 だが、降りてきたのは王様というより、聖職者のほうだった。
 前後をスーツ姿の人物に付き添われながら、中から姿を現したのは、全身を超俗的なローブとヴェールで覆った、小柄な人物だった。目深にすっぽりとかぶった白いヴェールの縁取りは見慣れぬ紋様、赤い袖なしの上着には金糸の縫い取り。手には光沢のある白い手袋をはめている。
 しずしずと歩んできたその人物は、ジョルジュたちの前まで来て足を止めた。
 「はじめまシて、わたくシはリブレより参りシた、査問官のヴァージニーと申シます。」
奇妙に甲高い、かすれたような声。身長は大人の半分ほどしかない。顔まですっぽりと覆い隠すヴェールは、相手の表情を完全に覆い隠している。
 「私はジョルジュ・アミテージ。フォルティーザ支部の支部長、今は暫定的に、ヴィレノーザ本部の纏め役も一部兼任しています。こちらは、カーリー・バークレイ博士。”白い森”の、元の場所での発見者」
小さく頷き、ヴァージニーは周囲を見回した。 
 「それで? 残りの方々は」
 「いま、迎えにやらせています。そう時間はかかりません、到着まで森をご覧になりますか」
ジョルジュが促すが、リブレ人は首を振った。
 「ここで十分です。」
ヴェールを通して見ているのだろうか。ここから森までは、まだずいぶんと距離があるというのに、近づこうともしないとは。ジョルジュは、この相手が予想していた以上に扱いづらいことに早くも気がついていた。
 「セフィリーザ支部の方は? 来られると聞いていましたが」
 「あれは、嘘です」
あっさりと、彼ないし彼女は言った。
 「名前を貸していただきました。あなた方は、身内には弱い。こうでもしないと、付き合ってくれなさそうでしたからね。」
 「…リブレ人が、何故この森にそこまでの関心を? この森が、かつて”黒い山”のふもとにあった時には、特に気にされていなかったようですが」
 「ええ。あそこにあることは問題なかった。移動シたこと――それが、この場所だったことが問題なのです。」
 「問題とは?」
 「それはまだ、はっきりとシていません。ですが、いずれすぐに分かるでシょう」
リブレ人は、ちらと町の方に目をやった。迎えに行っていたアネットの車が戻ってきた。車は、立ち話をしている人々から少し離れたところに止まる。
 「私の秘書です。失礼」
ジョルジュは、アネットに手を振り、二人を残して、この場を離れるように指示した。車から降りてきたルークとミズハは、飛空艇のほうに視線をやり、何か話しながらこちらに近づいてくる。
 「お待たせしました」
 「わざわざ呼び出してすいません。こちらが――」
 「リブレのヴァージニーと申します」
ジョルジュの横から口を出すと共に、リブレ人は、手袋をはめた片手を差し出した。さっきジョルジョたちには出さなかった手だ。
 戸惑いながら、ルークは、その手を握る。と同時に、はっとした。手袋の下の感触は、人間の手ではない。もっとゴツゴツした、毛むくじゃらの…。
 ルークが一瞬見せた戸惑いの表情に気づかないふりをして、ヴァージニーは話を進めた。
 「この二人が、この生き物がこの場所に現れた時の目撃者、ですね。」
 「ええ。ルークとミズハ、うちの研究員です」
 「そシて巨人撃退の秘密兵器でもあった? おっと、シつ礼」
ヴァージニーは、口元に手をやった。「お喋りはいけませんね。口は災のもとです」
 「もっと率直に聞かせてもらいたいわねぇ」
それまで黙っていたカーリーが、口を開いた。
 「あなたの目的は何? わたしたちをここに集めて、何がしたいの。」
 「たシかめたかっただけですよ、正確にね。これが――ここに移動したことの原因は、この一件に関わった、一体”何”だったのか――」
そう言って、リブレ人は袖口から何かを取り出す。金色に光る、…ハンドベルのようなもの。
 「あなた方は何もご存知ない。言葉で説明するよりも、お見せしたほうが早いでシょう」
そう言って森の方に向き直ると、ヴァージニーは、真っ直ぐにベルを振り下ろした。

 リィイ……ン。

澄んだ、超音波にも似た音。その透明な音は、波となって辺り一帯に響き渡った。あまりにも清浄であるがゆえに不快感を呼び覚ます。
 メリメリと小さな音をたてて、森が傾いだ。
 「ちょっ、動くわよ!」
カーリーが叫んだ。「どういうこと…」 
 ヴァージニーは、さらにベルを鳴らし続ける。森は身動ぎし、枝をくねらせ、もがくように宙をひっかいた。その枝の先に色とりどりの光がぽつぽつと灯り始める。
 「これは…」
ルークは、カーリーの持っていた報告書で見た写真を思い出していた。原因は分からないが、時々この森が灯すという謎の光だ。
 「苦しそうだよ、やめてあげて!」
と、ミズハ。自身も、耳をふさぎながら表情を歪めている。
 「いいえ、これで良いのです。この者は我々リブレの鎮守の森の一部でシた。本来ここにあるべきではない」
さらに激しくベルを打ち鳴らしながら、ヴァージニーは平然と言う。
 「暗黒の時代にほとんどがシに絶えてしまい、不完全体のこれだけが休眠状態で辛うじて生き残ったのです。なぜ勝手に移動したのかは分かりませんが、目覚めたのなら、本来の場所に戻り、その役目を果たシてもらわねば、困ります」
 「この森は、あなたたちの飼ってる生き物だったってこと? これがどういう生き物なのか、あなたたちリブレ人は知ってるってことなのね?」
カーリーの問いかけに、ヴァージニーは答えない。森がうごめく。抗うように波打っていた枝の動きが次第に緩慢になり、一部はぐったりと地面に落ちている。
 「さあ! あるべきところへ帰りまシょう!」
仕上げとばかり振り上げた腕はしかし、宙から降りることはなかった。少女が、その腕をしっかりと掴んだからだ。スーツの男たちは、ふいをつかれた。あわてて少女を引き離そうと駆け寄るが、ミズハの周囲に生まれた拒絶の空間が、男たちを跳ね飛ばす。
 「触らないで!」
ヴァージニーからベルを奪い、ミズハは森のほうへ数歩、飛び退った。彼女の背には、白い翼が生まれている。
 「この子、自分の意志でここに来たんだよ。帰るかどうかは、自分で决めるよ!」
 「おお、これは…」
ヴァージニーは、一瞬驚いた顔をしたように見えたが、それもほんの一瞬のことだ。
 「そう…なるほど。報告のとおりですね。原因は、やはりあなたでシたか」
もみ合いで乱れた上着の裾を整えながら、リブレ人は落ち着いた様子で言う。
 「海の魔女の同位体…ですが…海の生き物ではない”これ”は、あなたの”範疇”ではない。我らの眷属、干渉シないでいただきたい」
 「範疇って何? この町にいるんだから、関係なくないよ!」
 「ヒトと交じると、住み分けの分別も見失うものか。やれやれ、これだからヒトの成分というのは厄介だ…」
ため息をつき、ヴァージニーはミズハに近づく。だが、警戒している様子の少女に直接触れることはせず、すれ違いざま、耳元に何かを囁いただけだった。
 風が吹いた。
 ミズハはきょとんとした表情をしているだけで、何を言われたのかは、他の誰にも聞こえていない。
 ヴァージニーは、そのまま元の位置まで戻り、一緒に飛空艇を降りてきた男たちに合図した。
 「まあ、いいでしょう。今日のところは引き上げます。また来ることにしましょう。――では」
それだけ言って、さっさと引き上げてゆく。彼らの去ってゆく後ろを、絨毯係が元通り絨毯を巻きながら駆けてゆく。訪問は、あっという間だった。
 「何だったのよ、あいつら。」
 「さて…。」
ジョルジュも、首を傾げている。ルークは、まだ元の場所に立ち尽くしているミズハに近づいた。
 「ミズハ、さっき何を言われたんだ?」
 「え、…あ」
少女は、我に返った様子でルークを見上げる。
 「よく、わかんない…。」
 「疲れてるんじゃないのか。今日はもう何もないだろうし、帰ろうか」
 「うん…」
ミズハは、振り返って白い森のほうを見やる。光は消え、ぐったりしていた枝は少しずつ起き上がり始めている。
 「これが一つの生き物だっていう話、今なら信じられますよ」
と、ジョルジュ。
 「そうね。だけど、リブレ人のペットだっていうのはどうも釈然としないわね」
カーリーは、腰に手を当てた。「どう見ても嫌がってたし」
 「そうですね。しかし、この森を動かせる道具を持っていた。やはり――彼らはいろいろと情報を持っていそうですね…」
ジョルジュは、リブレ人たちが戻っていった飛空艇を見上げていた。リブレ人は、この”森”について何かを知っている。だが、それを聞き出すには骨が折れそうだ。
 「神魔戦争以前の、失われた記録もリブレにならある、という話。あながち、嘘ではないのかもしれませんね」
ふん、と鼻を鳴らし、カーリーは長い黒髪をかきあげる。
 「まぁでも、頭下げて教えてください、なんていうのは、わたしたち未開地学者にはひっくり返ってもできる話じゃないでしょ? 与えられる答えになんて意味ないし。」
 「それは、勿論。ですが、自ら苦労して調査して得る一握りの真実よりも、調理され、与えられる情報のほうを真実と信じたい人々も、世の中にはいるのですよ。」
セフィリーザ支部がリブレ人のいうがままに名前を貸し、協力しているというのは、そういうことだろう。
 飛空艇が沈黙したのを見計らって、遠くで見守っていたアネットが、迎えにやってくるのが見えた。ルークは、ぼんやりしているミズハの肩に手を掛ける。
 「じゃ、おれたち先に戻ってます」
 「ええ、ご苦労様です。」
ルークたちが去ってゆくのを見送りながら、ジョルジュはため息をついた。
 「こんな時期に、面倒なことになりそうですねえ」
 「審理委員会のほう、芳しくないの?」
 「何しろ、ハリールードの件は内部犯行でしたからね。評議会の権威が失墜するだけならともかく、協会そのものへの帰属意識が揺らいでいる。このままでは現職は総辞職ですが、そうなると後任の選定が…」
 「あーまあねー。権力争いとか面倒くさいのがあるのよねえ」
カーリーは、ぽりぽりと頭を掻いた。
 「こんな時期だからこそ、っていうのもあるんでしょうけど。せめてメテオラが大人しくしててくれたらねえ」
 「ええ…。」
飛空艇は、飛び立つ気配はない。雪が舞い降りはじめた。海のほうから、分厚い雲が押し寄せてくる。この場は、いったん引き上げたほうが良さそうだ。


 雪が激しくなりはじめたのは、アネットに家まで送り届けてもらって、帰り着いた家に戻った直後だった。 
 この辺りの冬には珍しい、海が見えないほどの吹雪だ。昼間だというのに外は夜のように真っ暗で、灯台の光が滲みながら輝いている。沖合に出ていた船たちは、急いで港に戻ってくる。急激に冷え始めたので、ルークは暖炉に薪を追加した。 町のほうでは燃料式のストーブが主流になりつつあるが、古い時代に建てられたこの家では、いまだに薪を使っている。もっとも、冬の間も常に家にいるとは限らないルークの場合、古くなった燃料をムダにしない分、そのほうが実は安上がりでもあるのだが。
 ミズハは、戻ってきてすぐ、濡れた服を着替えに部屋に戻ったきり、出てきていない。
 「ミズハ、二階の窓締まってる? 雪が入ると面倒だから…」
返事はない。
 「おい?」
階段を上がって、ミズハの部屋をノックしようとしたとき、ルークは、半分空いたままのドアの向こうに投げ出されている白い手に気がついた。
 「ミズハ!」
ミズハは、ベッドの脇にもたれかかるようにして倒れていた。慌てて抱き起こした体は、火のように熱い。ルークの腕に、くしゃくしゃになった栗色の髪が落ちた。
 「熱が…。やっぱり、具合悪かったんじゃないか」
 「だいじょうぶ…」
 「大丈夫じゃない! すぐ冷やすものもってくるから、待ってろ」
ベッドに横たえ、階段を駆け下りる。外は一寸先も見えないほどの雪、今からアネットを呼び戻すのは無理だ。
 ここのところ調子が悪そうなのには、気づいていた。出かける前に、額に手を当てるくらいしていれば。あのとき、宙に浮いた手を引っ込めてしまわなければ。
 だが、今となってはすべてが遅い。いつも元気なミズハのことだから、病気などしないのだと、無意識に思い込もうとしていたのが間違いだった。
 雪は町を埋め尽くし、何もかもを白く染め上げてゆく。すべての音をかき消して、分厚い雲が闇の中に飲み込んでゆく。ベッドに寝かせて冷やしたタオルを額に載せたはいいものの、それ以上何もすることが出来ない。
 「…そうだ、船にいけば、航海用の薬くらいは」
立ち上がりかけるルークの手に、ミズハの手が触れる。
 「行かないで…」
心臓を掴まれるような、普段からは想像もつかない弱々しい声。
 「ここにいて…」
手がすべり、力なくシーツの上に落ちる。
 「…音が…聞こえるの」
 「音?」
ルークに聞こえるのは、窓を叩く風の音と、音ならざる雪の降り積もる音だけ。
 「あたしを呼んでるの。でも、行ったらもう、戻れない…。だから…行きたくない…」

 窓に吹き付ける冷たい風の中、ルークは、熱にふるえている少女の側で成すすべなく立ち尽くしていた。


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