<第二章>

より来たりしもの


 支部に行くと言うカーリーと別れ、ルークは裏の波止場への道を辿っていた。家に帰る前に、船に寄って残りの片付けを済ませるつもりだったのだ。
 だが、ハーヴィ号に着いてみると、中はきれいに片付けられており、航海中に溜まったゴミや、食料の残りなどもすっかり運びだされていた。
 ちゃぷん、と音がした。船の側から、ジャスパーが黒い首をもたげている。何となく言いたいことは分かったが、ルークは、ポケットからシェムスールの石を取り出して差し出した。ジャスパーがそこに海水を吹きかける。石が青白い輝きを取り戻すとともに、海竜の言葉が翻訳されはじめた。
 「遅かったな。さっき姫っちが来て、ぜんぶ片付けてったぞ。」
 「そうか、悪いことしちゃったな…」
こんなに早く片付けてくれなくても、特に困らなかった。ルーク一人の時は、いつも陸に戻ってから数日かけて片付けていた。
 「なあ、ジャスパー」
 「なんだよ」
 「前から聞きたかったんだけどさ。ミズハに、おれの昔のこと教えたのは、お前なんだよな」
すすっ、と首が寄ってくる。
 「そうだよ」
 「どこまで教えた?」
黒い首が、少し傾いだ。
 「何だって今さら、そんなこと聞くんだよ。」
 「いや…。」
 「今更、恥ずかしいとか言うなよ。」
 「そういうんじゃ、…」
どう言えばいいのか分からない。ジャスパーとミズハは、初めて島で会った時から意気投合していて、ルーク自身が知る以上に、ルークのことを知っていた。気にかけてくれていたのは、そのせいなのか。
 「なんだよ」
 「何でもないよ。」
石をポケットにしまうと、ジャスパーの声が消えた。海竜はまだ何か言いたそうな顔をしていたが、ルークがもう行こうとしているのを見ると、首をそむけ、静かに水の中に沈んでいく。
 ルーク自身、自分が何を戸惑っているのかがよく分からずにいた。ただ、言葉に出来ない、不安のようなものが、ずっと胸のあたりに蟠っているのだった。


 ジョルジュからの呼び出しと要請があったのは、その数日後。
 呼び出されたのはいつもの支部長室。秘書のアネットも同席している。今は、ひと通りの話を聞き終えたところだ。
 「…と、いうわけで、セフィリーザからの視察団と共にやって来るリブレ人の相手をしていただかねばならないようなのです。」
 「リブレ人…って、そんなに大変なの?」
ミズハは不思議そうな顔をしている。
 「何しろほとんど接触のない、未知に近い人々ですからね。外見だけでなく、風習や好みなども我々とは大きく違うという話を聞いています。」
 「それが、わざわざ”白い森”の視察に出てくるんですか」
 「さあて。それは口実で、あるいはあなた方が目当てなのでは…とも」
ジョルジュは、そう言って指先で眼鏡を軽く押し上げた。
 「目当て、と言われても。おれたちに何の用があるんです?」
 「これは、可能性…でしかないのですが。彼らの崇める”神”についてはご存知ですか」
 「ええ、聞いたことはあります。天空王とかなんとか…」
頷いて、ジョルジュは少し声を低くした。
 「カーリーが言っていたのです。それはロカッティオの魔法使いたちの言う”北天の神王”のことではないのか、と。」
 「北天の…?」
 「神魔戦争以前の世界で、南海の女王と双璧をなした存在…だ、そうです」
ルークは、はっとして隣のミズハを見た。だが本人は、良くわからないという顔をしている。
 「ミズハのことを知っていて?」
 「かもしれません。彼らはメテオラと通じているようです。そうであれば、彼女だけでなく、あなたのことも、半年前の事件の顛末も把握しているはず。…杞憂なら、よいのですがね。」
そう言って、ジョルジュは話をおしまいにした。なんとなく、釈然としない終わり方だった。


 丘の上の家への帰り道、空は相変わらず薄曇りの冬の空。ミズハはルークの少し前を、弾むような足取りで歩いている。
 「気にならないのか? さっきの話」
 「何が?」
そっけない返事が返ってくる。予想はしていた反応だが、物足りない。ルークはポケットに手を突っ込みながら、少し歩調を早めてミズハに追いつく。
 「前から思ってたんだけど、君のお母さん、サラサさんは、神魔戦争以前のことも全部覚えてるんだよな」
 「んー…」
少女は首を傾げている。
 「聞いてみようと思ったことは、ないのか」
 「よくわかんない。あたしはまだ生まれてなかった頃のことでしょ? そういうのがあったことも、知らなかったから」
ロカッティオの町でドン・コローネと話をした時は、まだそこまで考えが至っていなかったのだ。”神魔戦争に唯一、参加しなかった存在”――神魔戦争以前から生き続けている、人ではない存在。サラサは、おそらくすべてを知っている。なのに、その娘であるミズハは、力だけは受け継ぎながら、無知そのものだ。
 「南海の女王、って、一体、なんなんだろうな」
 「……。」
ミズハは、何も言わずに少し歩調を緩めた。それに気づかずに、ルークは歩き続けている。
 「世界の双璧を成す存在…。神魔戦争以前から存在するもの…。ジャスパーの先祖は海神だったっていうし、サラサさんはその海神を平気で退けたっていうし。でもジャスパーは、今はおれの船の牽引役だし、君は…」
 「お母さんは、お母さん。あたしは、あたしだよ」
いつもの答え。そう、ミズハは、いつだって彼女自身だった。それはルークも知っている。今までは、それだけで良かった。
 けれど、
 「最近、時々…わからなくなるんだ。君は何者なんだろう、って」
少女は、足を止めた。
 「ルー君は…」
振り返ると、ミズハは今まで見せたことのない、困惑した表情をして立っていた。僅かな沈黙。開きかけた口をまた閉ざし、少女は言いかけた言葉を飲み込んでしまう。
 「ううん、いい。ごめんね、あたし、自分のことうまく言えないの。」
それだけ言うと、ミズハは走るように歩調を速めて坂道を降って行く。
 ルークは、空を見上げた。雪になるとは、どおりで朝から寒いと思っていた。――頭を冷やすのには、ちょうどいいかもしれない。
 ゆっくりと歩き出しながら、ルークは朧気に、このところ自分の中に、かすかな苛立ちがあるのを感じていた。
 ミズハが一体どういう存在なのか、彼女の母親とあの島は一体何なのか――。自分のことで手一杯だった頃は気にもしていなかったことが、今になって疑問に思えてきた。普段はごく普通の、人間の女の子でないことは間違いない。けれど、彼女にはもうひとつの姿がある。
 考え始めると、謎はどこまでも溢れてくる。
 知りたい。なのに、ミズハは、何も答えてはくれない。
 何を聞こうとも「良くわからない」としか答えが返ってこない。だから苛立ってしまうのだ。
 だが、それは彼女が隠しているわけではなく、彼女自身も「知らない」からだ。或いは、ルークが求めているのは、言葉にすることの出来ない答えなのかもしれなかった。そこまで分かっているのに――。

 「駄目だな、…おれ。なにしてるんだろう」
見る間に町を埋めてゆく白い雪の中で、ルークは呟いた。
 離れてゆく距離。遠くなってゆく背中と、ゆっくり空から降りてくる白い雪。
 こんなことを望んでいるわけではないのに。


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