<第二章>

より来たりしもの


 ばたばたと、騒々しい音で目が覚めた。机の上の時計は、朝の良い時間を指している。椅子の上で体を伸ばし、ひとつ、あくび。昨夜はグレイスの残した海竜の生態研究レポートを読んでいるうちに眠ってしまったらしい。
 カーテンを開くと、外は薄雲のかかった天気。雲の合間から斜めに日差しが挿して、海を斑に照らしだしている。
 「あ、おはようー」
廊下に出ると、丁度ミズハが階段を駆け上がってくるところだった。
 「何してるんだ?」
 「お洗濯! 船のやつ全部片付けといたよ。」
見れば、ベランダに航海中に溜まった洗い物などが並んではためいていた。空は今は薄曇りだが、ミズハが洗濯をはじめる時は、決まって天気が良くなる。
 ルークは、吹き抜けの下、一階のリビングに目をやった。カーリーが、ティーカップを手にソファに腰掛けて何か調査報告書のようなものに目を通している。
 「おはようございます。何を読んでるんですか?」
 「え? ああ――これね。ここ数カ月分の”白い森”の調査報告書。」
そういえば、あれから一度も白い森を落ち着いて訪ねていなかった。
 元あった場所から突然姿を消し、フォルティーザの町のはずれに突如として姿を現したそれは、”協会”の慎重な調査の結果、当面は無害と判定され、――今では町の新名所と化している。進入禁止の柵も、しばらく前に撤去され、今では誰でも自由に近づける状態のはずだ。
 「あれって結局、今もあそこにいるんですか」
 「みたいよ? 晴れた日とか雨の日とかで、たまーに伸び縮みしてるらしいわ。休眠状態に戻る気はなさそう」
 「森が完全に目覚めた、ってことですか」
 「正確には”森っぽく見える何か”ね。木みたいに見える部分が全部まとまって一つの生き物なのは間違いないけど、なぜ森に擬態しているのか、どういう生き物なのか、今でもサッパリ。」
 「少なくとも、あの木の部分が触手みたいに動くものだってことは、分かりましたけどね」
ルークは、ハリールードとの戦いの時に、あの不可解な生き物が加勢してくれたことを思い出していた。
 この町の郊外で、巨人同士の戦いが繰り広げられてから、まだ半年。白い森とともに、砕かれた崖と、巨人たちの残した抉れた大地や足あとは、あの長い夜の記憶を今も鮮明に呼び覚ます。ルークとミズハは、その当事者だ。そしてカーリーは、白い森を”発見”し、報告したという意味での当事者。
 「やっぱり、気になるんですか」
 「そりゃあね。テコでも目覚めそうになかったんだもの。全部まとめて生き物だ、って結論を出した時だって、まだ半信半疑だったのよー?」
報告書をめくりながら、カーリーは言う。報告書には、毎日の天候や気温、観測された森の動きなどが事細かに記されている。中には何枚かの写真も添えられていた。そのうちの一枚が、ルークの目を引いた。
 「これは?」
森の一部が明るく輝いている、夜の写真だ。色とりどりの、光の球のようなものが、まるで花の咲いたように枝に灯っている。
 「さあ…。雪の降った次の日に観測されたらしいけど、それもよく分からない現象ね。」
その写真を見ていると、過去にも同じようなものを見たことがあるような気がしてくる。白い森自体には特に何も感じなかったのに、何故だろう。
 食い入るように写真を見つめているルークに気づいて、カーリーは、にやりと笑った。
 「行ってみる?」
 「えっ」
 「これから、現地見学に行くつもりだったのよー。一緒にどう?」
 「でも…」
ルークは、二階に目をやった。ミズハは、まだベランダと廊下を往復している。
 「ミズハ、あとどのくらいで終わる?」
 「まだ船のお片づけもあるから…。お出かけなら、気にしなくてもいいよ」
 「…そうか」
少し調子抜けする返事だった。いつ頃からだろう、前はべったりくっついて来ていたミズハと、別行動することが多くなった。ルークも、最初ほどミズハの行動に気をかけることがなくなっていた。それだけミズハが町の生活に馴染んできて、突拍子もない行動を取ることがなくなり、何かするのにルークに尋ねなくてもよくなった、ということなのだが。


 相変わらず息は白いが、今日は風もなく、日差しがあるお陰で気分的にそれほど寒くもない。
 ルークとカーリーは、並んで海岸通りを歩いていた。カーリーとの組み合わせで出かけるということ自体、今回が初めてだ。
 「カーリーさん、この近くの出身って言ってましたよね」
 「ええ。ハロルド君やジョルジュ君とはヴィレノーザの大学で知り合った感じね。」
 「どうして、未開地学者なんかに?」
 「うーん」
ポケットに手をつっこみながら、カーリーは首を傾げる。
 「父が…冒険好きだったからかなー。漁師なんだけどねえ、冒険好きの漁師っていうか。いつか海の向こうに行ってみたいとかわりと夢見がちな人でね。」
口元に笑みを浮かべる。
 「嵐の日に船ひっくりかえって、そのまま。まあ漁師にはよくあること。母もそのあと亡くなったし、わたしは海が好きな方じゃなかったから、未開地学者にはなったけど、内陸にばっかり向かっちゃってねえ。」
坂道に頑固に残っていた最後の雪の塊が、光に照らされて溶けて流れ落ちてゆく。例年どおりなら、春の訪れまでに、まだあと何度かは雪が降るはずだ。
 ふいに、カーリーはルークの先に回りこんでくるりと踵を返した。ルークの顔を覗き込む。
 「ねえ。ルーク君、最近ミズハちゃんが前に比べて冷たいなぁとか思ってる?」
 「え…」
 「ふふん、おねーさんは鋭いのだ。ズバリそうでしょ」
ルークは、少しむっとしてカーリーを追い越していく。
 「いいことだと思います。ずっと一緒についてこられても、困ることだってあるし…」
 「あらあら。強がっちゃって」
 「別に…」
 「谷で初めて会った時はね。ミズハちゃん言ってたのよ、”ルー君は誰か一緒にいてあげないとだめな感じだから”って。」
ルークは、足を止めた。カーリーの声が後ろから追いついてくる。
 「怒らないでね。その時はねえ、意味が分からなかったんだけど。あのあと、キミが不安定な状態になった時に、ようやく分かったのよね。ああ、彼女、自分しか止められないことを知ってたんだなあ、って…」
 「ミズハは、おれが、いつかああなるって最初から知ってたってことですか?」
 「たぶんね。予想はしていたんだと思う。ルーク君のアストラル体がアンバランスなことは、私でもすぐに分かったくらいだしね。」
再び歩き出すルークの後ろから、声が追いかけてくる。
 「キミはもう、女の子に守られなくっても大丈夫ってことよ。」
 「…分かってます」
そう、分かっていた。ミズハはずっと、意識して側に居てくれた。
 暴走するかもしれない不安と、誰かを傷つけてしまうかもしれない恐怖に囚われていた頃、ミズハが側にいてくれることだけが救いだった。唯一、自分を止められる存在。彼女は誰よりも強い。だが、過去の自分を思い出し、コアも取り戻した今、以前のように自分の意志に反してアストラル体が抜け出すことはなくなった。
 「おれも、ミズハに頼ってた。でも、もう…」
誰にも聞こえないつぶやきを、ルークは、白い吐息とともにマフラーの中に吐き出した。
 そう、いつまでも、頼っていられない。
 彼女は彼女の意志で生きている。今は一緒にいるが、行きたいと思えば、本当はどこへだって行ける。ルークに付き合わなくても、この大陸上の行きたい場所は大抵どこでも自由に訪ねられるし、祖母のエミリアのところへ行くことだって出来る。だとすれば、あの奔放な鳥をここに繋ぎ止めているものは、いったい何なのか。
 吐き出す息が白く、ポケットに突っ込む手は冷たい。
 どうして、こんなに不安な気持ちになるのだろう。どうして――。


 二人は町を通り抜け、町外れの崖に差し掛かっていた。
 ここへ来るのも久しぶりだ。夏の終わり頃にここで起きた出来事は、今もまだ、鮮明に思い出せる。ヴィレノーザが壊滅し、フォルティーザで迎え撃った決戦の夜…。
 年は明けたばかりだというのに、寒空の下、柵で囲まれた白い森の周囲には、意外に人がいた。単純に観光に来ている町の人々もいれば、フォルテの調査部もいる。森の手前に陣取っている一団の揃いのジャケットには、カーリーの着ているものと同じ”協会”の紋章。簡易テントとともに、測量機器や撮影機といった道具が並べられている。その向こうで、森は平然と森のふりをしている。
 「あれ、バークレイ博士?」
簡易テントに陣取っていたフォルティーザの調査員の一人が、カーリーを見とめた。
 「やっぱり、バークレイ博士! いつこちらに?」
 「ちょっと前よー。発見者の一人だし、昔なじみの森が見たくてねー。」
カーリーは、調査員たちと握手などしている。こう見えて、カーリーも業界では有名人の一人だ。
 「中に入って確かめることは、できる? 昔と何か変わってないか、確かめてみたいんだけどー」
 「ええ、いいですよ。どうぞ」
振り返って、カーリーはルークに目配せしてみせる。なるほど、上手く話を持っていくものだ。
 そんなわけで、二人は「関係者以外立入禁止」の柵を乗り越えて、中に入ることを許された。木の枝のように見えている白い腕は、今はぴくりともせず、素早く動いたあの夜のことが幻だったように思えてくる。触れてみると樹皮にしては表面はなめらかで、触ってみても硬くて曲げることも出来ない。葉っぱに当たる部分もなく、一見すれば枯れた木が立ち並んでいるようだ。しかしよく見ると、地面の下に白い体の本体が見えていて、根っこにあたる部分がない。木のような腕の間は、普通の森のように、ある程度間隔が開いていて、中に入っていくことも出来る。
 「イソギンチャクみたいに、小動物を誘い込んで絡めとったりしないんですか? これ」
 「今のところ、そういう行動は取ってないみたいですよ。この生き物が何を食べているのかも、良くわかってませんね。」
と、同行の調査員。
 「それどころか、知的生命なのかどうかすら分からないんですが…。」
厳密に言えば、敵か味方かということも定かではない。確かなことは、ハリールードとの戦いに加勢してくれた、ということだけ。だが、それだけで十分だった。
 ルークは、腕の一本に触れ、声に出さずに心のなかで呟いた。
 (ありがとう)
ゆらっ、とその腕が揺れた。偶然かもしれないが、気持ちは伝わったのだと思っておきたかった。

 森の訪問は、そう時間を取らなかった。見るべきものは、ほとんどない。というより、見ているだけでは何も分からない、というのが正解だ。かと言って、刺激を与えるのも得策ではない。今のところ、こうして監視しているほかないということだ。
 それにしても、大きい。森と呼ぶには少し狭いかもしれないが、軽く運動場くらいの大きさはある。これだけの面積が一つの生物の体の表面だとしたら、相当巨大な生物ということになる。こんなものが地中を移動してきたいうこと自体、信じがたかった。
 「そういえば、セフィリーザの話は聞きましたか?」
引き上げようとした時、調査員がふと、そんなことを言った。
 「セフィリーザ? セフィリーザ支部のこと?」
 「ついさっき連絡があったばかりで。何かお偉いさん連れてくるから準備が必要だとか何とか…。」
ルークとカーリーは顔を見合わせた。そんな話は、ジョルジュからも聞いていない。
 「最北の”協会”支部、でしたっけ」
 「そうそう。メテオラの北にあるんだけど、独立で動くことの多い特殊な支部でね。ああ、そうか”白い森”ってもともと、西の国にあったんだっけ。セフィリーザの管轄だわね、確かに」
 「管轄内から移動した件で調査でしょうか?」
 「たぶんね、そういうことじゃない?」
二人の会話を聞いて、調査員は納得したという顔になった。
 「そういうことなのかな。兎に角、お偉いさんとしか聞いてないんですよ。視察がくる日の前後は、ぼくら調査員もいったん引き上げ。で、関係者以外立入禁止にしておけって、お達しで。」
 「あらら…。」
ただの視察にしては、ずいぶん指定が細かい。どういうことなのだろう。詳しい話は、あとでジョルジュに聞いてみるしかなさそうだ。
 話は、そこで終わった。ちょうど昼を告げる鐘が鳴り響き、調査団も休憩時間に入ったからだ。こちらも、そろそろ引き上げて昼食の時間だ。いつしか雲が引き、空は晴れ渡っている。絶好の洗濯日和、気持ちのよい午後になりそうだ。


 その気持ちのよい午後に、ジョルジュは、あまり気持ちの良くないない知らせを受け取っていた。
 「…というわけで、一週間後には到着予定らしいです。」
 「参りましたねぇ」
秘書のアネットからの報告を、ジョルジュはため息まじりに受けていた。
 件の、セフィリーザからの視察の件だった。
 ”白い森”はもともと、メテオラの北にある小さな国々の合間を走る黒い山脈の合間にあった。標高は8千メルテを越す呆れるほど険しい岩山で、とても人の足で越えられるような山ではない。その向こう側には大地の裂け目もあり、徹底的に人を拒む地域だ。今回、メテオラの飛空艇が調査した地域にもあたる。
 もう何年も、セフィリーザ支部は白い森の監視を続けてきた。その関係で事の顛末を直接確かめたいというだけなら理解できる。
 ところが、今回は特別な客人も同伴したいという。
 「まさか、リブレ人を連れてくる、とは…。」
呟いて、ジョルジュは溜め息を付いた。
 リブレには、国家連邦と正式な国交はない。ために、身元保証人や渡航許可証といった手続きが必要なのだが、それらを特例で簡易化出来ないか、と言ってきているのだ。セフィリーザ支部自体、独立して動くことが多く活動内容には不明な点も多い。本部での会議で支部長と顔を合わせたこともなく、ジョルジュからすれば、あまり信用していない支部の一つだった。
 「どうします?」
 「断りたいところですが、ここで断ると背後のメテオラが出張ってくるでしょうね」
メテオラとリブレ人は、いつのまにか技術提携を行う仲になっている。メテオラのすぐ北にあるセフィリーザ支部がリブレ人を連れて来たいというのも、無関係ではあるまい。狙いの分からない以上、警戒してかかるのは当然だ。だが、考えようによっては、謎の多いリブレ人が向こうから接触してきてくれるのだから、情報を引き出せる可能性もある。
 「気が進みませんが…、先方の希望する手続きを行なってください。ただし、行動範囲は事前に許可した場所のみ。監視をつけさせていただく条件で呑んでいただくしかありません」
 「ですが、彼らの要求には、目撃者の同伴も求めると…。」
目撃者、つまり地中から白い森が突然現れた時に現場に居合わせ、森が動くのをその目で確認した者。具体的な名前は上げていないが、ルークとミズハを名指ししていると考えてよいだろう。
 「――断る明確な理由は、ありません。彼らはこのフォルティーザ支部所属の調査員、という扱いになっているのですから」
 「はい…」
 「心配しなくても、彼らなら大丈夫でしょう。」
一例し、アネットは小脇に抱えたバインダーの中から何かを取り出した。
 「支部長。それから」
 「何です?」
 「こちらが届いていましたよ。」
彼女がおごそかに差し出したのは、年賀カードだ。ジョルジュは怪訝そうな顔をして受け取り、裏を見てぽかんとした顔になった。アネットは笑いをこらえている。 
 「ラヴィノーザから送ったんで、届くのが遅れたみたいですね。ルークさんがこんなの送ってくるなんて、初めてじゃないですか?」
 「……ええ、そうですね。」
ジョルジュは、至極真面目な顔をしてカードをそっと机の中にしまいこんだ。
 「本日は以上ですか」
 「ええ。――では、失礼します」
 「ご苦労様でした。」
ドアが締まったあと、ジョルジュは一つ呼吸をしてから、再び机の引き出しを開いた。まったく、私的な用事で年賀カードを貰うなど何年ぶりだろう。しかも花柄にピンクのリボンとは…。


表紙 ┃ 戻る ┃ 次へ