<第二章>

より来たりしもの


 冬の季節風を受けて帰り道は順調に進み、船は予定通りにフォルティーザに帰還した。

 年明け間もない港は珍しく静まり返り、やかましく騒ぐ海鳥たちですらいない。船はすべて港につながれている。その中には、炎上事件のあった黒々としたエレオノール号の巨体もまじっているが、外装の修復がほぼ終わった今では、まるで休暇のためにほんの少し港に立ち寄ったかのような姿に見える。
 フォルティーザ周辺の南の海は、西の海よりは少し暖かく、海風も少し湿気を帯びて感じられた。肌に慣れた風の感触は、どこかほっとする。
 岬を回り、ハーヴィ号はいつものように、裏の”協会”専用波止場に入っていく。こちらは、特に休暇などなく年中無休の港だから、それなりに人はいた。持ち帰ったサンプルを水揚げする船、メンテナンスをしている船。調査船も何隻か欠けている。外洋に出ているのだろう。
 「おーい」
桟橋の端で、ハーヴィ号に向かって手を振っている人物がいる。着岸の確認のため甲板に出ていたルークは、それが誰なのかにすぐ気づいた。
 「カーリーさん…?」
ジョルジュとハロルドの元仲間、”逆さ大樹の谷”に住み込みで調査しているはずの女学者、カーリー・バークレイ。
 「何故、ここに… 谷はいいんですか?」
 「獣人の村はねえ。年末年始の行事が色々あるんだけどー、よそ者がうろちょろしてるのは嫌がられるのよー。特に今年は色々あったしね。で、ついでだし、久々に故郷で年越しでもしようかなーって。」
 「この町の出身だったんですか」
 「んーまあ、正確には、ここの近くのちっちゃな漁村。って言っても、もう親も親戚もいないし、どうせなら知り合いいるフォルテのほうが賑やかかなーって。あ! ミズハちゃんもいる!」
 「カーリーさんだ! おーい」
少女は、カーリーを見つけて手を振ると、ぴょんと甲板から飛び降り、音もなく身軽に桟橋に着地した。ルークも、遅れてはしごで桟橋に降りる。
 帰港の連絡は、前もってフォルティーザの通信室に入れてある。カーリーがここへ来たということは、今回の任務の内容も、今日帰港することも全部知っていたはずだ。
 「で、どうだった。海竜の巣は」
いきなりの核心をついた質問。やっぱり、と思いながら、ルークはポケットから石を取り出した。
 「変わったものを見つけたんです。シェムスール人の遺物で、海水につけると海竜の言葉を翻訳してくれる石」
 「へえええ!」
カーリーは目を大きく見開いて、ぐっと顔を近づけてくる。
 「じゃあ、ジャスパーくんともお話を?」
 「ええ。まあ…その、想像してた以上に口が悪い奴でしたけど…」
ぱしゃん、と大きく潮水がはね、ルークの足元を濡らした。振り返ると、ジャスパーがにやりと笑い、ヒレを水面でひらひら振っている。ルークは、むっとして石をカーリーの手に押し付けた。
 「…こんな感じです。おれたち、これから報告に行かなくちゃならないんで、しばらく相手してやっててくれますか?」
 「あらあら、いいの? こんなもの預けてくれちゃって。」
今度は、ルークがにやりとする番だ。
 「研究しがいがあるんじゃないですか?」
 「ははあ、それはもちろん…」
カーリーは、石を受けとりながら言う。おしゃべりなジャスパーは、カーリーに根掘り葉掘り聞かれて、言葉が通じなければよかったと少しは反省すればいい。
 「そうそう、ジョルジュ君のところに行くなら面白いものを見せてもらえると思うわよ。まだ公式には発表されていないんだけど」
 「面白いもの?」
 「行けば分かるわ。」
カーリーがそう言うなら、よほど”面白い”ものなのだろう。
 ルークは、航海記録その他の入った荷物を背負って海岸通りへ向かって歩き出した。後ろからミズハが自分の荷物を持ってついてくる。
 「まっすぐ支部に行くつもりだけど、いいかな」
 「いいよー」
息はまだ、白い。不在の間に雪が降ったらしく、道の隅には固まって氷になりかけた白い結晶がうっすらと見えていた。


 支部に到着すると、すぐにジョルジュの部屋に呼ばれた。秘書のアネットは今日は不在だ。
 ストーブに暖められた専用室で、ジョルジュはいつものように事務机の前に座っていた。
 「お帰りなさい。カーリーには会いましたか?」
 「港で。ジャスパーを任せてきましたよ」
 「そうですか」
支部長、というフォルティーザでは最も責任ある多忙な立場にあるジョルジュだが、”過去の”姿の時の仲間であり、”現在の”ルークとしては親代わりの後見人でもある。過去のしがらみを解消した今では、以前のようなぎこちなさは感じなくなっていた。
 「”青の洞窟”の一件は、ご苦労様でした。ラヴィノーザからは一足先にお礼が来ています。化石の持ち出しは出来なかったものの、ひと通りの調査は出来たと」
 「はあ」
この分だと、そのラヴィノーザから送ったカードはまだ届いていないんだな、とルークは思った。大陸横断鉄道の中心駅ヴィレノーザが壊滅してからまだ半年も経っていない。鉄道はいまだ完全に復旧されておらず、西の国からの郵便を運ぶ鉄道にも支障をきたしているのだ。
 「報告書は、いつも通り――。そう、それからあなたたちに見せておきたいものがあったんです。カーリーからも聞いているでしょうが」
ジョルジュは、机の上に一枚の大判の紙を取り出した。地図のようだ。 
 「これは?」
 「最新の世界地図。つい数日前、連絡があったばかりなのです。メテオラの飛空艇が大陸の北端に達したと」
 「北端…。」
このフォルティーザを含む町や国家連邦のある大陸の北端、という意味だ。”神魔戦争”終結後、そこはいまだ地上から到達した者のいない場所だった。険しい山脈と凍てつく凍土、それに大きな裂け目が人を阻み続けてきた土地だ。地図には何枚かの写真も添えられているが、それらは確かに、空中から撮影したもののようだった。
 「あの飛空艇が役に立つ日がくるとは思いませんでした」
 「ええ、私も驚きです。彼らはてっきり、”闇の海”の向こう…レムリア大陸へ挑むのが本命かと思っていましたからね。もっとも、今回の成功を皮切りに、今後そちらへ向かうのかもしれませんが。」
”闇の海”の向こうは、かつて双頭の巨人ルー・ルー・ドが暮らしていた大陸がある。熱で生物に変換される不思議な石、鮫男、巨人。魔王の伝説。危険に満ちたその海への挑戦は、前年に起こった様々な事件の果てに、今のところ凍結されている。メテオラは、一応は”協会”のその方針に従ったということか。
 「ただ、気になることがあるのです」
 「気になること?」
 「今回の調査には協力者がいた。都市国家リブレ――聞いたことはありますか?」
ルークは、少し眉をひそめた。
 「確か… 国家連邦に所属しない獣人の国。北の果ての氷の海の中にある…」
 「そう。そのリブレです」
百年前の神魔戦争の終結後、この大陸で生き残っていた国々は、ほぼ全てが同盟関係を結び、「国家連邦」となった。残ったのは、国家の体を成さない辺境と、唯一連邦に参加しなかった国・リブレだけ。そのリブレは、現在ではほぼ鎖国状態にあり、外部から入り込むのは容易ではない。わかっていることは、旧世界から引き継いだ独自の技術や文化を持っていること、住人が人間とは大きく異る外見を持った独特の姿をしていること。そして、旧世界の支配者の一人、天空王バージェスなる存在を神と崇めていること。かつて崇められていた存在は千年続いた神魔戦争の中で尽く消え去ったか力を失ったと言われる中で、旧世界からの信仰がそのまま生きているというのは例外的だ。
 「リブレが、飛空艇の技術を提供したと?」
 「おそらくは。メテオラが突然、飛空艇などというものを持ちだしてきた理由がようやく分かりました。リブレには旧世界の技術が残されていますからね。それがどの程度かはわかりませんが…。」
少なくとも、旧世界に存在したという空飛ぶ船を再現できる程度には、過去の記憶を保っているということだ。
 「今まで非協力的だったリブレが、なぜ突然メテオラに門戸を開く気になったのかは不明ですがね。」
ジョルジュの口ぶりからして、いまのところ、リブレと”協会”との接触はないようだ。
 「ともかくも、これで我々は、この大陸の形を知ることが出来たわけです。…不完全ながらね」
 ルークは、地図に視線を落とした。
 その紙の上には、一般に出まわっている大陸地図には無い北の水平線が、一部切れているとはいえ書き加えられ、山脈と、大地の裂け目の端が書き加えられている。こうして見ると、国家連邦の大半の国は南の海外沿いに並んでおり、北側は、まとまった国のない状態であることが分かる。そして大陸は、細長く東西に延びる形をしていた。
 「おれたちの知る世界は、こんなに小さいのか」
ルークは、ぽつりと呟いた。数十の国々をあわせても、大陸全体の面積の半分にも満たない。
 「この世界にあといくつ大陸があるか、にもよりますがね。最低でもひとつ、南に大陸らしきものがありますが。」
隣で、ミズハが小さく声を上げた。
 「これ、お母さんの島だ!」
さっきからずっと、それを探していたらしい。大陸の南に広がる海の、”闇の海”と呼ばれる領域に入るあたりに、新しく書き加えられた小さな円がひとつ、ぽつりと染みのように落ちている。
 「こうして見ると、フォルテからあんまり遠くないね」
 「そりゃ世界地図で見ればね。」
実際は、往復するのに船で何ヶ月もかかる。
 「あと、ここが、このまえ行ったジャスパーの故郷」
と、彼女は正確に指で辿っていく。
 「あれ…」
その指が、ぴたりと止まった。
 指の先には、島の連なりがある。”青の洞窟”から沖合にかけて続く浅瀬は、かつて海面が上昇した際に沈んだ大陸の跡と言われ、その大陸の高い部分だけが島として、海の中に転々と残った。その島の先に、大陸が――
 「ここって、この一番端っこがミゼットさんの言ってた”最果ての島”なんだよね?」
 「ああ、多分。…って、あれ?」
ルークも、地図を覗きこむ。
 ジョルジュは、小さくため息をついた。
 「そこに気づいてしまいましたか。」
 「どういうことなんです?」
最果ての島と、その向こうにある大陸の間には、海峡程度の幅の海しかない。ほぼ陸伝いと言ってもいい。”闇の海”を越えるには危険な海を何ヶ月も航海しなければならず、そのために容易には調査に行く事ができないとされていた。だからこそ、エレオノール号のような大型の調査船が派遣されたのだ。だが、この地図が正しければ、小型船でも”闇の海”を越えられる場所があることになる。
 こんな情報は今までに世界で知られている世界地図には書かれていなかった――。
 「それは、ハリールードに止められて、今まで隠匿されていた情報なのです。」
 「ハリールード…」
ハリールードは、長年”協会”で重要な役職を占めていた人物で、かつてのジョルジュの直接の上司でもある。だが、その実態は、かつてこの大陸に攻め入った巨人の長、双頭の巨人の片方の頭――というより本体が人間に化身したもので、フォルティーザでの決戦で跡形もなく消え去った。ルークにとっては”かつての姿”の片割れでもある。
 「闇の海ではなく、西の海から辿る航路。――実を言えば、三十年ほど前、その島を最初に発見したのは、私とグレイスなのです。」
 「えっ?」
 「そう、ジャスパーの卵に関わる事件の後でしたか。海に沈んだシェムスール人の国の伝承に興味を持ったグレイスが、島伝いにどこまで行けるか試してみようと言い出してましてね。当時はもちろんハーヴィ号はまだ無く、前身にあたる帆船フレール号での航海でした」
彼は、ルークの表情を見て、ふっと笑みを浮かべる。
 「思い出しませんか、まだ。あなたと出会ったのは、その島なんですよ。」
 「……。」
三十年前の、”過去の”姿での出会い。当時のルークは、まだ、人としては不完全で、人の感情も、習慣も言葉も何も知らなかった。
 「その島であなたを拾ってラヴィノーザに帰るとジャスパーが孵化していたんですよ。で、一緒にフォルティーザへ戻って」
 「もしかして――あの写真は、その時の?」
ルークは、ハーヴィ号で見つけた、若い時代のグレイスが生まれたてのジャスパーを抱いて、かつてのルーク、ジョルジュとともに写っている写真を思い出していた。あれはまだ、人としての暮らしをはじめる前だったのか。どおりで、ずいぶん生気のない人間離れした表情をしていたわけだ。
 「そういうことです。で、島への航海について報告を上げたところが、ハリールードからストップがかかりましてね。当時は釈然としませんでしたが、今なら理由もわかります。私たちが見つけてしまったのは、巨人族の故郷へ至る道、だったわけですから。そのハリールードも居なくなり、事実は晴れて人々の前に」
 「どうするんです? この島伝いルートなら、小型船でも南の大陸へ行ける可能性がありますよ」
 「どうも出来ませんよ」
ジョルジュは肩をすくめた。
 「ただ、見た目以上に難易度の高い航路であることは間違いありません。岩礁だらけですし、海流の流れも早い。我々も九死に一生を得たようなところが何度もあります。海竜の船でも持っていなければ、容易には越えられないですね。」
 「……。」
 「さて。この話はこれくらいにしておきましょうか。」
そう言って、ジョルジュは意地悪に微笑んだ。「そろそろ会議に行く時間なのです。」
 なんとなく、煙に巻かれたような気分だった。


 丘の上の家にってみると、入り口でカーリーが待っていた。
 「はーい、意外と早かったわね。」
 「どうしたんですか?」
 「ちょっとキミたちの住まいを見てみたくてね。いい場所じゃない」
丘の上には、今日も潮風が吹き抜けている。庭の向こうには、海が見えている。家に戻るのも久しぶりだ。
 入ってすぐのリビングからは、三階まで吹き抜けになっている。カーリーは、高い天井と、壁を回っている階段を見上げている。
 「変わった構造ねー、なんだか大木の中の空洞に住んでるみたい」
 「昔、おれが設計したらしいんですけどね」
荷物を床に下ろしながら、ルークは苦笑した。「何でこんな設計にしたのかまでは覚えてません。」
 「ふーん。巨人の趣味?」
 「さあ。」
 「あたしお茶いれてくるねー」
ルークの先回りをして、ミズハが台所のほうへ駆けていく。さすがに彼女も、今ではコンロの上に薪を積み上げて火をつけるような真似はしなくなった。
 「ジャスパーとは、どうでした」
 「面白かったわ―。あはは、あの子なんだかほんとに人間みたいよねー。」
笑いながら、カーリーは石を取り出す。
 「聞いたわよ、シェムスール人の話。知ったら本職の学者涙目ね」
 「ええ…まあ。」
 「それに、あの子、竜王の子孫なんですって? とんだ大物じゃないー?」
荷物をほどいていたルークは、手を止めた。
 「そうなんですか?」
 「そうよ? あ、そこまでは聞いてなかったのか」
ソファの背もたれの部分に腰を掛けながら、カーリーは言う。
 「竜王ヴェサリウス、西の海を統べる者。竜王っていえば、海神だからねえ。うちのヘンタイ師匠曰く、”逆さ大樹の谷”の瑞羽日女以上の神格だったらしいわよー。」
 「ほんとに? でもミズハのお母さんにボコボコにされたとかなんとか…」
 「そりゃしょうがないでしょ、”南海の女王”のほうが格上だもの。海と空を統べる者には勝てないわ」
 「でも…」
 「きゃー!」
台所から派手に陶器の割れる音が響いてくる。
 「ごめーん、手が滑っちゃった!」
 「…その娘が、あんな感じなんですが。」
 「あははは、不器用なところはハロルド君似なのよ、多分。ちょっと大丈夫?」
カーリーが台所に駆けつけていく。ルークはため息をついて、荷物の整理に戻った。

 神魔戦争以来、世界は変わってしまった。
 双頭の巨人の残骸がここでこうして持ち帰った資料の整理をしているように、海神の子孫がホームパーティーに出られなくて拗ねたり、南海の女王の娘が手を滑らせてティーカップを割ったりしてもおかしくない。神も魔王も、妖精も精霊も、何もかも消え失せるか、力を失って別の存在になってしまったのだから。
 「おまたせー」
二人が戻ってきた。カーリーがお盆を持ち、しょんぼりしたミズハがその後ろに続いている。
 「やけどとか、してないか?」
 「うん、大丈夫」
ティーカップを並べていたカーリーが、手を止める。
 「やけど、したことあるの?」
 「え? …うん」
 「ふーん」
何故か不思議そうな顔だ。
 「怪我もしたことあるのよね」
 「当たり前だよ」
 「その時は、例の不可侵領域は発動されないのね」
カーリーの言っているのは、ミズハが命の危険に晒された時に無意識のうちに発動される力のことだ。本人から1.5メルテほどの範囲で物体の落下や衝撃を止めてしまう。本人が意識を失っていようが、危険を認識していなかろうが、その領域は有効化される。ただし、危険の少ないもの、たとえば小石をぶつけるとか、そういった時には発動されない。
 「わたしが気にしてる第三界も、何となくそのへんに関わってそうなのよねー、うーん」
 「まだ、それ研究してるんですか…」
 「当たり前よ! ここへ来たのはそれもあるんですからね」
女学者は、何故か胸を張った。
 「あなたたちだって自分のことが気になるでしょー? 物質界に属する肉体、アストラル界に属するアストラル体、あなたたちは確実に、それ以上の何か別の次元を持っているのよ。ルーク君の再生の力、ミズハちゃんの不可侵領域。もしかしたら、ジャスパー君にも何かあるかもしれない。」
 「……。」
ルークとミズハは、顔を見合わせた。
 「と、いうわけで!」
カーリーは強引にかぶせてきた。「この町にいる間、研究もかねて泊めてくれないかしらー?」
 「…えっ」
 「宿借りると高くて! ジョルジュ君に寄宿舎貸してって言ったんだけど、いまヴィレノーザから来てる人たちで一杯らしいのよー。お願いっ。納屋の端っこでもいいからっ」
 「いや、部屋は余ってるので、使ってもらって構わないんですが…」
 「ほんと?! 助かるわー! ありがとうー」
カーリーはいつまで滞在するつもりなのだろう。ともかくも、しばらくは賑やかになりそうだった。


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