<第二章>

竜の棲む海


 息が白く弾み、うっかりすると冷たい海風で手がかじかんで動かなくなっている。
 陸上で冬を過ごすのは何年かぶりだった。そろそろ冬至祭りが近づく頃。海にいる時は風や星座の移り変わりでしか認識できない”季節”が、丘では更に多くの情報を伴って押し寄せてくる。フォルティーザ町は祭りの準備に浮かれ、つい先日の戦いのことなどすっかり忘れているかのよう。人々の楽しそうな雰囲気と飾り付けられた町に、こちらまで楽しい気分になって来る。
 だが、今日は遊びに町に出てきたわけではない。目的は、次の調査航海のための準備だ。保存食や明かりの燃料、防寒具。目的地は、ラヴィノーザ。そう遠い場所ではなく、半ばお使いのような仕事だが、今まで一度も航海したことのない海域を通る。地図も必要だ。

 巨人との戦いから、もう半年近くになる。
 その間に町の復興は進み、”協会”の機能もある程度は戻ってきた。予想されていた”巨人の信奉者”たちの反撃は全くと言っていいほど無く、報復を警戒していたルークは、拍子抜けしたくらいだ。そんな中、中止されていた調査や、留置きになっていた依頼の中でも緊急度の高いものは既に再開されていた。
 今回ルークに回ってきた依頼も、そんなうちの一つ。
 ――結局、ルークはいぜんと同じように、フォルティーザ支部所属の未開地学者として残ることを許された。事情を知っている、ジョルジュをはじめ限られた人々は、それを無かったことのように黙殺することに決めただ。

 マフラーを直し、両手いっぱいの荷物を抱え上げようとしていたルークは、向かいからやってくる見覚えのある少女に気づいた。
 「あ」
 「あら! こんにちは、ルークさん?」
ぱっと表情を明るくして駆け寄ってくるのは、通信技師のエリザ・アーベント。いつもの制服姿とは違い、今日は、洒落たベレー帽に膝まであるブーツ、黒いタイツと短いスカート。ジョルジュの秘書アネットがいつも言っている「お洒落」な服装、というやつだ。
 「お買い物ですか?」
 「うん、航海の買い出し」
 「また海に出るんですね。そしたら、通信ではお世話になりますね。よろしくお願いします」
ハーヴィ号からの通信は、基本的にエリザが受ける。ヴィレノーザの”協会”本部が建てなおされるのはまだまだ先のこと、しばらくは通信室もフォルティーザで代行することになる。本部機能を代行するために、ヴィレノーザの職員の大半は今もこの町に留まっており、エリザも、そんな残留組の一人だった。
 二人は、並んでゆっくりと歩き出す。
 「今日は… ミズハさんは一緒じゃないんですか?」
 「ああ、船にいるよ。」
 「そう、…」
エリザは、何故か少し言葉を濁した。
 「一緒に住んでるって聞きましたけど」
 「なんか成り行きでそうなっちゃたんだよな。まあ、うちは広いし、いいんだけど」
 「気にならないです? その。他人と一緒に住んだりして」
 「うーん、まあ。家族みたいな感覚かな…不思議と、あんまり他人って感じじゃなくて」
ぱっと少女の表情が明るくなる。
 「ああ、妹さんみたいな、ってことですね?」
 「…。」
 「そっかー、ですよね。じゃないと、他所の年頃の女の子と一つ屋根の下でなんて、暮らせないですよね」
 「……。」
ルークは、何故か少し後ろめたい気分になった。確かにそれはそうなのだ。ただ、妹のような…関係かと言われると、違う気がする。違う気がするが、何なのかと言われると困る。ただ、エリザと並んで歩くときのような、落ち着かない気持ちを感じたことは、一度もない。
 行く手に、次の目的地だった薬局が見えてきた。
 「じゃ、おれはここで。」
 「あ、…はい」
エリザは、残念そうな顔をした。ルークが薬局に入っていった後もしばらく、ガラス戸の前に立っていたが、やがて諦めて別の方向へ去ってゆく。
 ルークは、なぜだかほっとした。女の子と話をするのは、どういうわけか妙に疲れる。特に、着飾った同じ年頃の普通の女の子とふたりきりというのは…。


 買い出しを終えてハーヴィ号に戻ってみると、ミズハはいなくなっていた。
 海竜のジャスパーが、退屈そうに桟橋に長い首を載せている。
 「ミズハは?」
ルークが尋ねると、首をもたげ、海鳥たちが集まって舞っている防波堤の先のほうを指した。ミズハは、”海の言葉”が分かる。また鳥たちとお喋りでもしているのだろう。
 ルークは、ため息をついて荷物を桟橋の上におろした。船で待っていて欲しかったのだが、彼女にじっと待っていろというほうが無理な相談だ。
 「ミズハ!」
防波堤に向かって叫ぶと、鳥たちがさっと飛び上がり、小柄な少女の姿が防波堤の影から立ち上がった。「船に荷物積むの手伝ってくれ。」
 「今行くー」
返事がしたかと思うと、ミズハは防波堤のでっぱりを一足飛びに飛び越えて、軽やかに駆けてくる。ミズハの履いているスカートは、アネットのお下がりそのまんま。彼女が「お洒落」という言葉の意味を理解するのは、まだまだ先のことらしい。
 「食料は食料庫に入れといて。地図とかは机の上でいいから。おれは、もう一回、買い出し行ってくる」
 「はーい」
 「あ、そうだ。あと」
上着のポケットに手を突っ込み、赤と緑のリボンで結んだ小さな布づつみを取り出す。ミズハは、きょとんとした顔で包みを両手で受け取った。
 「なあに? これ」
 「おみやげ。冬至祭りのクッキーだって。商店街で配ってた。食べていいよ」
 「冬至祭り…」
 「一年で一番、夜が長い日のこと。毎年、そのお祭りの頃になったら初雪が降るんだ。今年も寒くなってきたなー」
海際は風を遮るものがなく、一段と冷える。ルークは、真っ白な息を長々と吐き出して上着の襟を立てた。
 「じゃ、急いで行ってくる。それが終わったら、今日は早く帰ろう」
 「うん」
空はうっすらとした低い雲に覆われ、晴れてはいるものの日差しは弱い。海鳥たちも沖合に出るのをやめ、今日は港の側で漁船の投げ捨てる雑魚や、海辺のレストランが投げ捨てる魚のアラを狙っていた。
 ミズハは、桟橋にしゃがみこんで海竜に向かって話しかける。
 「お祭りだって、ジャスパー」
ジャスパーは、興味ない、という顔をしている。 
 「わあ、これ、いろんな形してるよ? 綺麗だなあ」
膝の上で布づつみを開いたミズハは、初めて見るお菓子に大喜びだ。
 「ジャスパーも食べてみる? …いらない? そっか」
傍目にはひとりごとを言っているようにしか見えないが、ちゃんと会話が成立している。ジャスパーの言葉も、彼女には判っている。
 「嬉しくないの? 久しぶりに一緒に航海に出られるのに。 …え? 帰りたくない?」
黒い頭をふるふると揺すって、海竜は桟橋から体を離した。そして、ふと空を見上げる。
 「あ」
ミズハも、クッキーを仕舞いながら立ち上がる。
 「白い…雨」
空からまるで花びらのような、小さな白いものが無数に舞い降りてくるのが見えた。掴もうとしても、それは手のひらの上ですぐに溶けて水になってしまう。
 「これが、雪…なのかな」
南の島育ちのミズハにとっては、初めて見る光景。
 冬至祭りまであと数日。けれどハーヴィ号は、祭りを楽しむこと無くフォルティーザを後にする予定だ。


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