町フォルティーザ


 それからの数日は、めまぐるしく過ぎていった。

 仮の滞在許可は無事に発行されたものの、ミズハの身柄は一応は支部の預かりということになっており、監視員という名目でルークがついていなければならなかった。町へ出る許可は得ても手続きは仮の状態で止まっている。
 それというのも、支部は今、まもなく入港するという大型の調査船「エレオノール号」の受け入れ準備に追われていて、大わらわだからだ。
 噂では、闇の海の向こうに存在する未知の大陸に遂にたどり着き、いくつかのサンプルを持ち帰るのだという。それが本当だとすれば、神魔戦争が終わって以来はじめて南の海の先にある別の陸地にたどり着いた船ということになる。
 そんなわけで、あれ以来ジョルジュとも会えておらず、特に連絡もないまま、のんびりとした日々が過ぎていた。

 ミズハは、ルークが預かるという形でルークの家に泊まっていた。祖母から譲り受けたルークの家は町はずれの海に近い側にあり、海沿い通りから坂道を登った先の丘の上にあった。一見して丸太を繰り抜いたような形で、内部の螺旋階段に沿って部屋が配置されている。玄関を入るとキッチンとダイニングがあり、三階まで吹き抜けの内部は、まるで塔のようだ。塔をぐるぐると回りながら上昇する階段の脇の壁はびっしりと本の詰まった本棚。海側に大きく開いた窓とテラスからは海がよく見えた。
 変わった家だが、ルークには居心地が良かった。

 調査船を引き継いでからというもの、ここに帰って過ごすことは滅多になかった。広い家の中でも使っている部屋はひとつかふたつ。あとの部屋は祖母の遺産の、本や、良くわからない標本、地図、がらくたの山などが詰まっている。
 ルークは、二階のかつて祖母の書斎だった部屋を使っていた。今ではここが彼の部屋であり、この家で過ごす時間の大部分を担う場所だった。ベランダを背に、祖母が使っていた書斎机。書架はそのままだし、飾りも手を入れていない。変えたことといえば、ベッドを部屋に運び込んだくらいだ。そうしたのは、この部屋が一番日当たりがよく、海が眺められるからだった。それに、滅多に家に帰らないので、使う部屋は少ない方がいい。広すぎる書斎にベッドを置けば、ベッドルームも兼用になって楽だと思ったのだ。
 うっすらと埃をかぶった机の半分は、祖母の使っていた時代から積み上げられたまま、ほとんど動かしていない本や資料の束に埋め尽くされている。その真ん中には、三つ折の写真立てが一つ。真ん中には、他界する直前の老齢の姿が飾られている。灰色の髪をきっちりとまとめあげ、濃い色の探検服に身を包んで、歳を感じさせないほど、しゃんと背を伸ばしている。左脇には若かりし日の祖母と未開地学者仲間たちの写真がある。右脇は、空っぽだ。

 ミズハは、ルークの部屋の向かいの部屋を使って、そこでずっと本を読んだり、標本を眺めたりして楽しんだりしている。彼女が読み書きに不自由しないのは、ハロルドが教えたからだろう。本も、ハロルドが島に持ち込んだものは読んでいたようだった。そして今は、この家に詰まっている本に興味を示している。それらは、彼女にとっては未知なる世界への扉とも言えた。おとなしくしていてくれるのは良いが、ルークにとっては拍子抜けだ。
 海鳥が窓の外を滑るように飛んでゆく。
 そういえば、この町に来てからの数日、彼女は外に出たいとも騒がない。家の中に引きこもるタイプには見えないのだが…。

 あまりに静かなので心配になって、ルークはミズハの篭っている部屋をノックしてみた。
 「ミズハ」
返事がない。
 「いま何をして…って、うわっ」
ドアを開けたとたん、ものすごい羽音がして部屋中に海鳥が舞った。開け放したテラスの窓の外、びっしりと一直線に海鳥たちが並んでいる。
 「あ、えっと」
少女は床から立ち上がり、慌てて手をふった。
 「大丈夫、怖くないよ?」
 「いや怖いとかじゃなくて。部屋に鳥を入れちゃだめだろ、汚れるし!」
 「ごめんなさい」
少女は部屋にいる鳥たちに向かって何か指図した。
 聞こえない声。
 鳥たちが従ってテラスへ出ていく。
 「これでいい?」
 「い、いいけど…。今、なにを…」」
 「お話してたの」
ミズハは、首を傾げながら言う。「この町のこと。この海のこと。もうすぐ大きな黒い船が来るって」
 「船――」
エレオノール号のことか。
 確かに近くまで来ては居るはずだが、その話はミズハには、していない。聞かれた記憶もない。ルークは、慎重に尋ねた。
 「鳥の言葉が分かるのか?」 
 「分かるよ。鳥だけじゃなくて、海の言葉――海に住む生き物の言葉なら。」
 「だから、ジャスパーとも?」
 「うん。あの子も同じ言葉で喋ってる。」
海の言葉というのがどんなものなのかルークには分からなかった。聞いたこともない。だが、少なくともミズハは現に今、それを操って海鳥たちと会話出来ているらしい。
 「その黒い大きな船、今どこにいる? もう港に入りそうなのか」
 「うーんとね」
少女が何か問いかけると、鳥たちは口々に鳴き声をあげた。十数羽の鳥たちがいっせいに喚いているのに、不思議と騒音のようには聞こえない。
 「…うん、もうすぐ着くよ、って。だけど…、あんまり良くないかもって」
 「良くない?」
 「船の周りで風が軋むって。どういう意味かは分からないけど…」
と、一羽が一声、大きく鳴いて翼を広げた。他の鳥たちも一斉に飛び立つ。
 「あ」
ミズハは、テラスに乗り出して海のほうを指さした。「あれ」
 ちょうど、水平線に黒い大きな船が姿を現したところだった。
 鳥たちは頭上を旋回し、海のほうへ舞いながら散っていく。調査船「エレオノール号」だ。岬を回り、ハーヴィ号のある裏手の桟橋ではなく、正面の港に向かっている。隠れ桟橋に横付けするには大きすぎるためだ。
 「すごい船だね」
 「うん、あれより大きい船は、大陸全体でも数えるほどにしかないはずだ。あの船で、何十人もが何年もかけて、海の向こうまで行く」
 「海の向こうって?」
 「ミズハの住んでた島よりも、ずっと向こう。まだ誰も行ったことのない場所で、人が住んでるのか、陸地があるのかも良く分かっていない」
 「へえー」
少女は目を輝かせた。「いいなあ、行ってみたい。ルークは行かないの?」
 「難しいね。”闇の海”の大部分は、海流が激しくてジャスパーには越えられない。波の穏やかなところを通れればいいんだけど…。海流も風向も未知な部分が多くて、まずは航路を開拓しないと。」
 「えっ、じゃあ、あの大きな船は誰が引っ張ってるの?」
 「引っ張ってるんじゃなく、あれは蒸気機関っていうのを使っていて、…」
何かひとつ説明しはじめるとミズハの質問は止まらない。そうしているうちに、ルークは、初めに聞くつもりだった質問を忘れてしまっていた。ミズハの言っていた、”軋む風”のことも。
 だがその時、既に予兆は始まっていた。

 事態が急変するのは、その夜、町が寝静まってからのことだった。


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