町フォルティーザ


 ジャスパーのひっぱるハーヴィ号は、予定通りの日時に港のある入江に辿り着いた。

 大陸の南端に位置する港町フォルティーザ。普段、調査航海中に通信回線を繋ぐ”協会”本部のある町ヴィレノーザはここからさらに内陸だが、ここにも支部としての施設がある。特に海洋調査や闇の海に絡む事案は、このフォルテの支部が抱える専門家が対応することが多い。ルークの直属の上司であるジョルジュ・アミテージは、フォルテ支部の支部長だった。
 付き出した岬の上には見慣れた灯台。翼の先の黒い海鳥たちが、ミャウ、ミャウと声を掛けあいながら滑空する。行き交う小さな漁船の間を、海竜の長い体が、同じくらいの大きさの船を引っ張って進む。
 陸が見え始めてからというもの、ミズハは騒ぎっぱなしだった。見えるものすべてが物珍しいようで、あれは何、これは何とひっきりなしに質問してくる。おかげで、港にたどり着く前には、ルークは疲れきっていた。目立つから(そして倫理上よろしくない見栄えになることからも)いきなり飛んではいけない、ということだけは、どうにか納得してもらえて、そのお陰で少女は今も、一足飛びに陸地を見に行きたいのを我慢して船首でウズウズしているのだ。
 「勝手に船を降りないでくれよ。迷子になったら困るし」
 「えー、どうしてー」
 「ここは島じゃないんだから、一周して戻ってくるなんて出来ない。人だってすごく多いし。」
事前に連絡はしておいたので、出迎えが来ているはずだった。迎えと合流するまでは、ミズハから目を離さないように気をつけなければ。
 港はいつものように船と人でごった返しているが、船はその喧騒を通り過ぎ、少し外れた小さな別の波止場に横付けされた。ここは本部専用の港で、一般の漁船や貨物船には使われない。ジャスパーも、ここなら人目を引かずにゆっくりできるというわけだ。
 「ルーク!」
停船するか、しないかで、もう呼び声がした。桟橋の向こうで、灰色のコートの男が手を上げている。
 「支部長?!」
ルークは吃驚して船が止まるや桟橋に飛び降りた。多忙な支部長自らが出迎えに来るとは、思っても見なかったからだ。ジョルジュ・アミテージは支部長という肩書きのわりにはまだ若く、まだ壮年に達する前といった外見だ。背が高く、夏も冬も飾り気のないシンプルなコートを愛用しているおかげで、実際よりも細身に見られがちだ。
 ジョルジュは、大股にルークたちのほうに近づいてきた。後ろには秘書のアネットを従えている。
 「元気そうで何よりですね。連絡を絶ったと本部から知らせを受けた時は生きた心地がしなかったものですが…」
 「ご心配をおかけしました。おかげ様で無事です。でも、それだけですか?」
 「なに、それだけでも十分な理由ですが、内容を聞いて、これは私が出迎えるべき事案だと思ったものでね。」
男は抜け目のない視線をちらとルークの後ろに向けた。
 「こちらが、例の彼女ですか?」
 「ええ。ミズハです」
 「こんにちは」
ミズハは、少し緊張しているのか、それとも様子を伺っているのか、珍しくおとなしい。
 「はじまして、ミズハ。私はジョルジョ・アミテージ、ルークの仕事上の上司です。早速ですが、この町を含むこの大陸は国家連邦の保護下にあり、君はその外側から来ました。従って、この国での住民権を持たないあなたには、検疫と滞在許可の手続きが必要になります」
ミズハは、きょとんとしている。ルークが側から助け舟を出した。
 「…つまり、その。君が安全だってことを保証してもらわなくちゃいけないっていうか」
 「えー?!」
 「ごめん、これは規則だから。その…。外から来る人の中には、未知な病気を持っていたり、夜中になると暴れたり、危険なこともあってさ」
 「あたし病気じゃないし! 失礼しちゃう」
少女が頬を膨らますのを見て、ジョルジュは笑った。
 「まあ、まあ。というのは形式上の話であって、あなたにはまず、ちゃんとした服が必要だと思います。ここでは、その格好では少し問題がありますからね」
と、秘書のほうを指し示す。なるほど、そのために女性のアネットを連れてきたというわけか。
 「ようこそフォルテの町へ、ミズハちゃん。可愛い服、みつくろいましょうね」
何も聞かされていないらしいアネットは、普通の少女の接するように優しく語りかける。ジョルジュは秘書に向かって小さく頷き、後を任せた。ミズハはアネットに手を引かれ、町のほうへ去っていく。
 「あとはアネットがよしなにしてくれるでしょう。なかなか可愛い子じゃないですか。それに…」ジョルジュの表情が少し陰った。「ハロルドに、よく似ていますね」
支部長になる以前、まだ若かった頃のジョルジュは、ハロルドとは同僚の関係だったと聞かされていた。
 「すいません、…本人を連れ帰れなくて」
 「いいえ。君から話を聞いて、むしろ納得しましたよ。彼のことです。まだ調査したい何かがあるんでしょう。それほど魅力的ということですね、その島は」
 「…ええ」
 「本部に戻ったら、ゆっくり聞かせてもらいましょう。向こうに車を待たせてあります」
頷いて、ルークは船に荷物を取りに戻った。実を言うと、ミズハが「何もの」であるかは正確には伝えていない。ただ現地女性とのハーフであるため、多少変わった特性を持っていること、海竜のジャスパーを簡単に手名づけるなど、未知の能力がある可能性も考えられる… とは、伝えた。空を飛んだり、鳥に変身したりしなければ、見た目は普通の女の子と変わらない。いきなり入国拒否をされることもないはずだ。


 ハロルドから預かった調査報告書のほか、身の回りの荷物などを取りまとめて船を降りる。ジャスパーにはいつものように、しばらく自由にさせた。今回の調査は、港を出てから全行程でニヶ月と半。今までこなしてきた調査航海の中では短いほうだったが、収穫は今までになく大きい。何しろ調査というものは、何ヶ月もはりこんで、結局何も見つけられずに帰ってくることのほうが多いのだ。
 「途中で送った電信、うまく届きましたか」
上司とともに車に乗り込みながら、ルークは尋ねた。
 「もちろん。素晴らしく撮れていました。あんなものが、この世界にあるとは――」
その岩を、日々少しずつ削りとって、岩が完全になくなる日はくるのだろうか。ハロルドの調査報告書を収めたナップサックを抱きしめながら、ルークは今更のように、あの島で見たものの不思議を思った。
 「その様子だと、色々あったようですね。」
 「ありすぎました。今回はちょっと」
 「だろうと思いました。次の調査依頼は、少し先にします。しばらくは休みを取るといいでしょう。」
ルークは、隣に座るジョルジュのほうを見た。

 上司、ということになっているが、実を言えばジョルジュはルークの後見人でもあった。数年前に祖母が他界した時、ルークはまだ未成年で、法的に独り立ちできる年齢には達していなかった。その彼の親代わりとして、祖母が遺言で指名したのが、かつての部下だったジョルジュだった。
 もともと、あまり感情の見える人物ではない。
 いつも薄っすらとした穏やかそうに見える笑みを浮かべているが、ルークは何故かジョルジュが怖かった。物心つく前は、祖母を訪ねてきたジョルジュに近づくことも出来ずに物陰から見ていた記憶がある。今も、――正直に言えば、得意なほうではない。気遣ってくれているのは何となく分かるが、どうしてなのか、素直に喜べない自分がいる。
 「ジョルジュさん」
 「なんです?」
 「ハロルドさんの家族は、今どこにいるんでしょうか。戻りたくないと聞いて、家族はいないのかと聞いた時、なんだか微妙なことを言っていて――」
ルークがハロルドとのやり取りを告げると、ジョルジュは苦笑した。
 「そんなことを」
男は、人差し指で眼鏡を軽く押し上げた。
 「彼は名門の出なんです。生家は西の国の大きな家でね。家族の反対を押し切って冒険家なんかになったものだから、勘当されたそうで。ただ、ご母堂は今もご健在なはずですよ。」
 「そう、ですか」
ハロルドが書いたという家族への手紙は、あのあと航海の最中にノートに挟まっていたのを見つけた。しかし表書きには宛名はなく、読まれても問題ないと思ったのか、特に封もされていなかった。
 「手紙を預かってるんですが、受け取ってくれるでしょうか」
 「さて。彼女、ミズハのこともある。打診はしているのですが」
 「というと?――」
 「彼女がハロルドの娘だと証明することが出来ても、こちらがわに身請け人がいなければ来訪者として定期的に滞在許可を発給しなければならないのですよ。カーネイアス家の認知があれば、移民や来訪者ではなく、国家連邦の住民として受け入れることができます。」
 「……。」
面倒な話だが、確かに事務手続き上はそういうものだ。
 話しているうちに車は市街地を抜け、高台に差し掛かっていた。支部の施設は高台の上に集まっている。
 車が門の前に停車すると、待ちかねていたように駆け出してくる人影があった。ジョルジュが降り立つのを待ちかねて、何か囁き、書類を差し出す。ジョルジュは、ざっとその内容に目を通すし、指示だけ出し、ルークのほうに向き直る。
 「相変わらず、お忙しそうですが…いいんですか?」
 「ただの報告なのです、気にしなくてもいいですよ。別の調査隊が数日で入港するというのでね。君と同じく、何か大発見を持ち帰ってくるようなんですよ。鑑定部は嬉しい悲鳴ですね。」
ここに来るのも久しぶりだ。ルークは、ジョルジュについて建物に入りながら、懐かしい空気を感じていた。

 この支部は、主に海洋研究を行なっている。その中でも、海の生き物―― つまり、魚とか鳥とか海藻とかを研究し、種族を分類する生物部と、海流や島、陸地などを計測する地理部とに大きく分かれる。ルークが所属しているのは地理部だが、祖母グレイスは生物部の大家で、ジャスパーとの卵を拾ったのも、海竜の生態を調査中のことだった。
 支部には、この大陸で最大の検疫部があった。
 検疫部とは、生物の特性や病原菌の有無を調べる部門のことだ。ここには日々、生物部の調査隊から未知の生物のサンプルが送られてくる。それらは安全なものかを含めて調査され、標本として保管される。ルークのような地理部が持ち帰るものは、大半が地図や海図など結果データだけで、検疫部には今回のように発見した島の石や砂を持ち込んだときにお世話になる。また、極稀なことだが、国家連邦に所属しない外部の人間が連れ込まれた時も、この施設の検疫所で検査するのが規則となっている。

 ”神魔戦争”のあと、人類の住む土地は分断され、おそらく大半が滅びてしまった。

 この大陸には数十の国があり、互いに協力しあう「国家連邦」を形成しているが、それらすべてを合わせても、この大陸の半分くらいの面積でしかない。大陸の中でも人の住まない土地の大半はいまだ未調査であり、大陸の外ともなれば、多少知られているのはフォルティーザから南に広がる「太平の海」くらいなもの。それも大陸から離れすぎると、調査されていない「闇の海」へと繋がっている。今回のルークの調査対象だった”霧の巣”も、そんな未開の海のただ中にあった。あの島は、未知なる「闇の海」の入り口に位置しているのだ。


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