わる世界


 あれから何週間かが経ち、フォルティーザに駐屯していた兵士たちは各々帰途につきはじめていた。アーノルドは、飛空艇もメテオラに帰ってしまうというのでたいそう残念がっている。どうやら気に入ってしまったらしい。
 アネットが纏めた最終報告によれば、破壊された建物は町外れの少数。死亡者は今のところ無し、負傷者十名ほど。市街地での戦いで多数の犠牲者を出すという最悪の事態は避けられた。
 巨人の長ルー・ルー・ドは文字通り海の藻屑と消えた。そしてカーリーの目撃情報からすれば、「鮫男」も、もうここへは戻ってこないだろう。

 町の風景は一変した。
 白い森という新たな風景が加わり、最初は恐れていた町の人々も、やがてそれが陽の光に合わせて木に見える触手を動かし、のんびりと生きている無害な生き物と認識するに至り、今では昔からそこにあったかのように扱われている。巨人たちが戦い、大きくずれた崖も、今では観光名所だ。最新の歴史教科書のページには、”神魔戦争”の真の終焉を告げる場所として、この町の写真が載るかもしれない。
 ただ、破壊されたヴィレノーザの復興までは時間がかかるという。本部が機能を失っているため、その機能を引き継いでいるフォルティーザの支部は後始末に大忙しだった。

 待機を命じられているルークは、桟橋に来ていた。特に用事があったわけではないが、ずっと家にいるよりはましだと思ったのだ。
 「あら、ここにいたの。ルーク君」
振り返ると、カーリーが手をひらひらさせながらこちらに向かって歩いてくるところだった。
 「こんにちは、調子良さそうね」
 「カーリーさん、谷に戻ったんじゃ…」
確か、事件が終結した数日後には、谷に戻ると言って発って行ったはずなのだが。
 「あーナユタだけ先に帰らせたわー。わたしは、まだちょっとだけやり残したことがあって。」
 「やり残したこと?」
 「ちょっとね。思いついたことがあるの、まだ理論なんだけど…」
腰に手を当てながら、じっとルークを見つめる。
 「前にも話したわよねー、あらゆる生き物は、肉体と霊体を持っている。つまり物質界とアストラル界に同時に所属している。」
 「ええ」
 「でもねー、あなたたちの場合、何かそれだけじゃない気がするのよ。ルーク君はコアを失った状態でも、元の”再生”の力を持ち続けられた。ミズハちゃんは、鳥と人の姿を使い分けながら、そのどちらも同一の記憶と人格を保持していられる。それに、あの不思議な不可侵領域よ。本人が意識しなくても発動する未知の障壁。結界と似てるけど何か違う。…」
くるくると空中で指を回し、眼帯に覆われた片目にその指をぴたりと当てる。「私のこの目では何も見えなかった。ということはね未知なる第三階層が存在する可能性が出できたわ。それこそがこの世界の謎を解く鍵なのかもしれない」
 「はあ」
 「というわけで」
カーリーは、突然両手でがっちりとルークの肩を捕まえた。
 「調査対象になって貰えないかしらー!」
 「え、ええっ?!」
悲鳴が、入江にこだまする。船の下からジャスパーが迷惑そうな顔をして首をもたげ、一つあくびをすると、また潜ってしまう。

 カーリーはまだ話しておらず、ルークも知らなかったが、この時、谷には変化が起きていた。
 襲撃で大きく裂け上部を失っていた”逆さ大樹の樹”に、新たな芽が息吹いたという。最初はごくごく小さな、ぽっちりとした緑の固まりだったそれは、やがて新たな枝となり、瞬く間に大きく茂っていった。
 それが何を意味するのかは、まだ、誰にも分からない。


 ジョルジュは、自分の執務室で客人を迎えていた。
 「ようこそお越しくださいました。再びお会いできて光栄ですよ、――賢者コロネールの直系、ヴェド・コロネール」
小柄な老人は、笑って手を振る。
 「そんな大層な名前で呼ばんでいい。今のわしは、ただのドン・コローネ。」
その手元には、ロカッティオでミズハがガラクタの中から掘り出した、あの杖がある。
 「うちのバカ弟子がどうしても付いてきて欲しい、と言いはるのでな。山を降りるなど何十年ぶりか」
 「申し訳ない。直接出向くべきでしたが私はまだ傷も癒えておらず」
 「ま、懐かしい顔にも会えたからな。」
椅子にゆったりと体を沈めながら、ドン・コローネはちらとジョルジュを見た。「あとで思い出したんだがな。あのときハロルドと一緒に山へ来たのは、お前さん、だったんじゃな。」
 「ええ」
ロカッティオを”発見”した三人の未開地学者。その、最後の一人。
 「ま、あらかたの話は聞いておる。”双頭の巨人”の最期と、残骸として残った存在<もの>。南海の女王の<娘>にして人である存在。”白い森”の消滅と出現。――お前さんが心配しているのは、この連鎖が偶然ではない可能性だろう」
 「その通り、偶然とは思えない」
ジョルジュは、軽く眼鏡を押し上げる。
 「過去の世界に存在した神や魔王、巨人…といった存在は、完全に消えていない、あるいは死んでいないのではないかという疑問が湧いたのです。彼らの全てではないにせよ、一部は、存在を変えて、何がしかのカタチでまだ存在し続けているのでは、と。それらのうち一つの存在が表舞台に出るたび、連鎖的に別の存在も目覚める。それが続けば、最悪の場合は――」
 「再び世界が大きく書き換わる、と? ははは」
小柄な老人は小さく体をのけぞらせ、白い髭を震わせて笑った。
 「大地は平らなテーブルから球へ変わったという。次はどうなる? 二つに分裂するとか?」
 「ドン・コローネ…」
 「いや、わかっとるとも。そうさなあ、わしはそこまで危惧はしておらんよ。ただ、薄々と考えていることがある」
 「というと」
 「世界は――もしかしたら、まだ”作り終えられていない”のではないか?」
膝の上で指を組みながら、老人はじっと、ジョルジュを正面から見据えた。
 「…どういうことです? つまり…?」
 「思い出したんじゃ。お前さんたちが山へ来た時、ハロルドに話したことをな。あの時は、わしも冗談のつもりでおったのだが。覚えておるかな、お前さんたちがわしに問うた内容を」
しばしの思案。ジョルジュは、ゆっくりと口を開いた。
 「”この世界を何者かが作り替えたのだとしたら、一体だれがそんなことが出来たのだろうか”」
 「そう。――そう。対して、わしはこう答えた。”さあて、それほどの力を持つ存在がいるのだとしたら、それは南海の女王か、北天の神王くらいじゃろう”とな」
 「…そうでしたね。」
ジョルジュは苦笑しながら頷いた。もう何十年も前の話だ。すっかり忘れていると思っていたのに。
 「それを聞いて、ハロルドは、じゃあ探しに行く、どうせ会うなら女のほうが良い、と――」
それが”霧の巣”へ至る冒険の始まりだった、そして、それきり彼は戻っては来なかった。
 残されたふたりのうち、一人は賢者の末裔のもとに弟子として残り、もう一人は…つまりジョルジュはグレイス・ハーヴィという新たな仲間と出会い、かつての仲間たちと道を違えた。それぞれの行き、二度と交わるはずのなかったそれらの未知が、再び交わろうとしている。
 ドン・コローネは、窓の外に目を向けた。
 「”神魔戦争”とは、言い得て妙な名前じゃな。戦いは確かにあった。その結果として、この世界から、あらゆる力ある存在が消えた。じゃが、戦争なのだとしたら、最後まで生き残った勝者がいてもおかしくない」
 「……。」
旧世界の力をそのまま保持し続ける、おそらく唯一の存在。ただの傍観者として、”一切関与せず”生き残った可能性もある。だが、――全く正反対に、”積極的に関与した”からこそ生き残った可能性も、無いわけではない。
 確実に言えることがある。
 旧世界から存在し続けている”南海の女王”は、過去に起きた出来事のすべてを知る可能性のある、ほぼ唯一の存在だ。
 「ハロルドは、気づいているでしょうか?」
 「気づいとるからこそ娘を寄越したんじゃろう。あの娘、今はどうしてる」
 「ルークと普通に暮らしていますが…。」
 「人として?」
 「そう。人として」
答えながら、その言い方に、ジョルジュはかすかな違和感を覚えた。「何故、そんなことを」
老人は、あごひげに手を伸ばした。
 「あの娘は、人と人ではないもの、その両方を同時に存在させておる。つまり普段は人として在りながら、その裏で、南海の女王の一部としても機能しておるようなのだ。」
ドン・コローネは、ロカッティオで何度かミズハが見せた、瞬時に気配を切り替えるさまを思い出していた。人と鳥の姿を入れ替える時と同じだ。本人は意識することなく、矛盾を感じることもないままに、連続的に属する次元を変えている。
 「つまり…ルークのようになると?」
 「いや。あの兄ちゃんと違って、状態は非常に安定している。だが、それが逆に奇妙なのだ。」
 「というと?」
 「父方に由来する性質と、母方に由来する性質がきっちり半々ということじゃからの。普通ならどちらかに似る。まるで仕組まれて生まれたような…違和感を感じるのだ。ただの取り越し苦労ならよいのだが。もしかすると、あの娘が、この先の世界の運命を左右するのではないか…とな。」
 「……。」
 旧世界のすべてを壊し、”作り変え”られた。
 世界の破壊と再生。
 世界のカタチも、月の数さえも変えたそれがまだ終わっていないのだとしたら、残された変化は一体何なのだろう。そして、その変化を引き起こす鍵は、本当にあの少女なのだろうか。


 丘の上の家の屋上に、白いワンピースの少女が一人、髪をなびかせながら立っている。
 島を出て、この町へ来て、早くも何ヶ月かが過ぎ去った。かつて無知で無垢だった存在は、急速に知識を得て変化しつつ在る。本から吸収したもの、人と触れ合うことで知ったこと。父譲りの眼差しの向こうには、水平線が広がっている。その向こうに、母の支配する海があるのだ。
 ミズハは海風の中に腕を伸ばし、海鳥を飛び立たせる。長い白い翼をいっぱいに広げ、その鳥は海の彼方へと一直線に消えてゆく。


 一寸先も見えない濃い霧の中、一羽の鳥が羽ばたいていた。霧の中心に浮かぶのは巨大な岩。波さえも見えないほどの霧の奥に、平らな輪のようになった島が見えてくる。鳥はためらいなく、島の中心へと吸い込まれてゆく。
 目を閉じ、じっとうずくまっていた白い影がゆらりと動いた。そっと片手を差し伸べると、鳥はその手に降り立ち、そのまま光の粒となって消えてしまう。白い影は、青い瞳を開き、口元にうっすらとした笑みを浮かべた。
 岩影から、もうひとつの影が起き上がる。
 「どんな様子だい? 我らの愛娘の様子は。」
日に焼けた、逞しい体をした男。髪も髭もざんばらだが、海に焼けた横顔は、どこか人を惹きつけずにはいられない生気に満ちている。
 白い影、浮世離れした美しい女性は、小さく頷く。
 「そうか。はは、楽しくやってるなら何よりだ。」
ハロルドは笑いながら、妻の肩に手を回し、重さのない体に触れた。感触はあり、確かにそこに存在しながら、そこには居ない。
 「心配するな、あの子たちなら大丈夫さ。俺の昔馴染みの連中もいる。そんなに遠回りすることはない」
呟いて、頭上の大岩を見上げる。
 「島はほぼ完成、か。あとは待つだけ…」
かつて乱舞していた鳥の姿は、今はそこにはない。
 「…楽しみだな、その時が」
女性は、薄っすらと笑みを浮かべてゆっくりと頷いた。

 ――時の終わり果てる場所。
 彼らはいつか必ず、ここへ戻ってくる。

 ”神魔戦争”の始まりとなった、この場所へ…。

<<第一部 完>>


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