後の戦い


 潮風は今日も穏やかに港を吹き抜け、海鳥たちの声が港に響く。澄み渡る空の下、少し冷たくなった空気に季節の変化を感じながら、ルークは支部への道を辿っていた。
 ヴィレノーザの長い夜――ハリールードとの戦いから、一週間近く。フォルティーザの町には人が溢れ、町の外には陣まで引かれている。
 本部が機能を失っていたため、ヴィレノーザからの撤退の陣頭指揮をとったのはカーリーだった。そのカーリーが、最も近い支部であるここへ向かったことで、後続も自然についてきた。生き残って本部から脱出した人々は今、フォルティーザの支部に集まっている。メテオラの軍を始めとする、各国からかき集められた兵力も、町の外で待機していた。そして今日は、今後の作戦について話し合う、ということになっている。
 ルークが到着すると、そこにはすでに必要なメンバーが揃っていた。
 ミズハとともに本部へ行った時に面会した学会の四人の重鎮たち。カーリーとナユタ。各軍の司令。各支部の支部長も並ぶ中、ジョルジュは傷をおして参加している。
 「では、手短に始めさせていただくわ」
カーリーはペンを手に、フォルティーザ周辺の地図と写真が張り付けられた白板に向かった。
 「これまでの調査から、敵の正体が”神魔戦争”時代の最後に攻め寄せた巨人そのものであることが分かっています。当初、敵と目された”巨人の信奉者”はむしろ被害者で、本命は彼らを操っていた、その教祖とでも言うべき存在、ということになります。」
車の荷台に押し込められていた”巨人の信奉者”たちはカーリーが助け出したが、そのうちの何人かは極端に衰弱しており、今も危険な状態が続いている。薬を盛られただけではなく、アストラル体を致命的に損傷したからだろうと、カーリーは言っていた。たとえ肉体上は傷ついていなくても、精神が衰えれば生き物は死んでしまう。
 老学者が、自嘲するように呟いた。
 「――では、その巨人を倒す方法を考えればいい、というわけだ。」
 「そのとおり。もちろん勝機はあります」
と、カーリー。
 「そして我々には、あの巨人が自らここへ攻めて来るという確証があります。」
 「ここで迎え撃つというのか? 城壁もなしに。軍備という軍備も無い、この町で」
 「海があります」
彼女は白板に貼った地図を指す。
 「背後は全て海。――これが最大の防壁となり得るのです。と、いうわけで、今回の作戦についてご説明させていたたきます。これは文字通りの背水の陣、皆さんのご協力があってはじめて成功し得る策です――。」
 ルークは、ちらとジョルジュのほうに視線をやった。身動ぎ一つせず、ただ一点を見つめている。ナユタの応急処置のお陰で命に別状はないというが、大丈夫だろうか。


 会議は、ほぼ一方的にカーリーが話すだけで小一時間ほどで終わった。
 異論も反論もほとんど無かったのは、既にこの件が参加者たちの常識を越えているからだろう。人は、信じがたいことはを目の前に突きつけられたとき、理解できなくなり、歩みを止めてしまう。かつてルークがそうだったように、だ。当初は勇ましかったメテオラの軍司令ですら、ヴィレノーザでの人智を超えた戦いを目撃したあとでは、嘘のように大人しくなっていた。
 会議室を出たあと、ルークはアーノルドに会いに第二研究棟へ向かった。先に来ているミズハも、そこにいるはずだった。作戦の決行を待って大忙しの研究棟は、普段は見かけない他の支部からの応援もいて、人でごった返している。
 ミズハは、すぐに見つかった。組立途中の砲台の先端部分に乗って、筒の中を覗きこんでいる。
 「あ、ルー君」
 「やあ」
アーノルドも一緒だ。床の上で設計図を広げている。ルークは、奇妙な形をした砲台を見上げた。
 「これが、例の?」
 「うん。ま、僕は兵器のことはよくわからないし、言われたとおりに仕込んでるだけだけどね」
赤毛の青年は、床から立ち上がり、膝を払う。
 「体のほうは大丈夫かい? ずいぶん大暴れしたって聞いたけど」
 「ああ、心配ないよ。」
実を言うと、今までになく調子は良かった。ラザロの町での小競り合いの時、影の巨人から奪ったコアを幾つか飲み込んだのが良かったとカーリーは言っていた。
 通常、アストラル体のほうが主である存在は、依代を失うと存在することが出来なくなる。”再生”の力を持っていた巨人の首は、自ら依代である実体を生成する力を持っていたが、”コア”を失ったことでアストラル体が不安定になり、人間としての体とのバランスを欠く状態になっていた。
 ただし、他者から奪ったコアは必ずしも適合するとは限らない。他人の肉体を移植しても拒絶反応が起きて腐り落ちてしまうように、ルークが飲み込んだコアも、いずれは機能しなくなるはずだと、カーリーは推測していた。安定させるためには、十七年前に奪われた本来のコアを取り戻すしかない。ハリールードが体内に持っているはずの――。
 「あんまり驚かないんだな。」
 「ま、正直、実感が沸かなくてさ。」
アーノルドは、ぽりぽりと頭を掻いた。
 「君が、神魔戦争で攻めてきた巨人の”一部”だって?」
ルークは肩をすくめた。
 「カーリーさん曰く、海の向こうに置き忘れてきた”良心”、らしいよ」
カーリーの言い回しは、実に詩的かつ、人を惑わす響きに満ちている。嘘ではないが、真実とも言えない。しかしこの状況下では、人は、安堵できる響きのよい単語に飛びつくものなのだ。
 「君も戦場に出るんだろ」
 「身内の不始末みたいなものだからな。ケリはおれがつけないと」
 「……そうか。そうだよな」
 「大丈夫だよ」
砲台の上から、ミズハがふわりと舞い降りてくる。「あたしも一緒に行くから!」
 「”海の女神”様、ね」
アーノルドは苦笑して、お手上げ、のポーズをした。
 「あーあ、僕みたいな普通の人間にできることなんて、ささやかなもんさ。でも、できる限りのことはさせて貰うよ!」
――そして、ふいに真顔になる。
 「月並な言い方だけど、さ。その、…僕は君たちを信じてるから。ちゃんと帰ってきてくれよ」
二人は、頷く。
 「もちろん」
 「帰ってくるよ。約束する」
今のところ、勝ち目は五分もない。力押しではハリールードには勝てない。それは皆承知している。この町を戦場に選んだ理由は、ミズハの能力が最大限に発揮できる海際であること、そして、郊外にはほとんど民家がないこと。巨人の本体、ハリールードにとって気に入らない目の上の瘤であるルークが、この町にいる限り、巨人は必ずここへやって来る。


 ミズハを連れ、いったん家に戻るために研究棟から町へ続く渡り廊下を歩いていたルークは、ふと、本棟の窓辺に人影を見つけた。さっきまで会議をしていた会議室の前あたりだろうか。
 「どうしたの、ルー君」
隣でミズハが首を傾げている。
 「ごめん、ちょっと用事思い出した。先に戻っててくれ」
話しておきたいことがあった。ルークは本棟の階段を駆け上がる。
 やはり、会議室の前の廊下だった。ジョルジュは、車椅子に腰を下ろし、窓の外を見つめている。片腕を吊り、額にも包帯が巻かれているという痛々しい姿だ。
 ルークが声をかける前に、ジョルジュのほうから口を開いた。
 「――結局、私は踊らされていただけ、というわけですね」
長年上司だったハリールードが黒幕だったことは、もうジョルジュも理解している。信頼関係はなかったとはいえ、支部長に取り立ててくれた相手でもあった。そのハリールードが目の前で正体を現したこと、自分が利用されていたということが、この男にとって何よりの衝撃だったようだ。
 「あなたは、私を助けるべきではなかったのです。あのまま、死なせてくれたほうが良かった」
やつれた顔で呟くジョルジュは、今までとはまるで違って、小さく見えた。かつて、得体の知れない恐怖を感じていた頃のジョルジュは、今はもういない。
 「バカなこと言わないでください。あなたを見殺しにしたら、おれのほうがここの皆に殺されますよ。」
 「…ルーク」
ジョルジュは、驚いた顔で見上げる。
 そう、かつてこの男に対して感じていた恐怖の理由も、よそよそしく思えた壁の正体も、今ではもう判っている。
 グレイスといる時、いつも睨まれているのを感じていた。敵意は日増しに強まり、なぜ敵意を向けられるのかが理解できず、恐れるようになっていた。過去のルーク、”双頭の巨人”から別れて間もない頃の彼は、まだ、人の感情というものを良く理解出来なかったから、それが”嫉妬”や”恐怖”と呼ばれるものなのだとは分からなかったのだ。
 人は、愛しているからこそ憎しみを抱き、近しいからこそ敵意を向ける。
 単純に、敵か味方かという区別ではなく――。
 「昔のことは忘れて下さい。いいんじゃないですか? もう。」
 「でも、私は、あなたを殺そうとした」
 「ここの地下の冷凍室に閉じ込められたことですか?」
ジョルジュが口を引き結ぶのを見て、ルークはすぐに笑いながら続けた。
 「推理小説の愛憎モノなら、その百倍は酷い殺し方が出てきます。それに、あなたは利用されただけなんだ。本当の目的は、おれを人気のないところにおびき出すことだったみたいだから。」
 「――やはり、思い出していたんですね」
 「思い出したのは今ですよ。でももう、忘れます。この話が済んだら、そのあとで。だからジョルジュさんも」
車椅子の上で、男は静かに指を組み、膝の上に置いた。
 晴れた昼の日差しは穏やかに廊下に落ちている。
 「…ずっと、恐れていました」
男の目は、遠いどこかを見ていた。
 「自分のやったことに吐き気がして、助けに戻ろうかと迷っているうちに、冷凍室で爆発が起きて…。その跡から遺体の残骸が見つかった時、グレイスはひどく取り乱して、まるで別人のようだった。私は自分の仕出かしたことの愚かさを思って、ただ…恐ろしかった。どうしても言い出せなかった…。」
誰にも言わずにたった一人で溜め込んできた思いを、ジョルジュは、途切れ途切れに吐き出してゆく。
 「墓を作ったあと数ヶ月してあなたが戻ってきた時は、私に復讐しに来たのだと…。それ以来、いつかあなたが思い出すことを恐れ続けていました。いつか元の、私が歪んだ憎しみを抱いてしまった男に戻るのではないかと、そればかり」
言葉を切り、振り返って、ジョルジュはルークの目を見つめた。
 「思い出していたなら、どうして、あなたは今までのままでいられるのです…?」 
 「”自分が何であるかは、自分で決める”」
ルークは、そう言って笑った。
 「だから、もういいんです。おれは、ずっとグレイス・ハーヴィの孫のルークですよ。」
 「……。」
遠くで、鐘のなる音が聞こえた。二回。二時だ。
 「お待たせジョルジュ君、次の打ち合わせの準備出来たよー…って、あら?」
廊下の向こうから駆けてきたカーリーは、陽だまりで車椅子に腰掛けている男を見て、少し不思議そうな顔をした。周囲には誰もいない。
 「なあに、なんだか嬉しそうだけど。それに…」
横から顔を覗きこんで、にやりとする。
 「何だか肩の荷が下りたみたいな顔ね。」
 「特に何もありませんよ。それより、次の打ち合わせはどこでしたっけ」
 「大会議室よ。実行部隊との最終打ち合わせー」
 「…やれやれ。怪我人だというのにコキ使われていますね、私は」
 「ジョルジュ君がいないとはじまんないのよ。他の支部長たち及び腰だしさ。みんな頼りにしてるんだから! さーいくわよー」
カーリーが車椅子を押していく。ジョルジュは薄っすらと、ごく自然に笑っていた。いつもの作り笑いではなく。
 季節が変わるように、人もまた、変わっていく。

 ――だからこそ、未来がある。


 家に戻る前、裏の桟橋へジャスパーの様子を見に行ってみた。
 ハーヴィ号がそこにあり、ジャスパーはその下で気持ちよさそうに眠っている。普段通りの光景。海は変わらず昼の日差しにきらめき、どこまでも続いている。
 すべて忘れる、とジョルジュには言ったが、忘れたくない思い出も沢山あった。
 初めて会った時、まだ小さかったジャスパーは酷く怯えて、腕が食いちぎられるかと思うほど思い切り手を噛まれた。驚いたグレイスが止めに入って、ひどく狼狽えている横で、何事もなかったかのように傷を直してみせると、何故か泣きそうな顔をされ――
  「お前も、覚えてるんだろ? …ジャスパー」
船の下からに浮かび上がる、うたた寝の泡に向かって、ルークは呟く。
 グレイスが過去のルーク、”ルー”に抱いていたのは、本当に親子としての感情だけだったのだろうか。
 今となっては、それはルークにも分からない。過去の自分はもどかしいまでに人間の感情に疎く、記憶のすべては、謎に満ちた理由なき情景の連続だからだ。人がなぜそうするのか、何がそうさせるのか、それを理解しないまま、かつての自分は、本能的な”敵”と”味方”の区分だけで周囲の人々を眺めていた。
 今なら違う方法をとれるのに、と彼は思う。向けられた笑顔に笑い返すことも、敵意に反抗することも、涙の理由を聞くことも出来る。グレイスにはまだ生きていて欲しかったのに。今なら、聞きたいことは沢山あった。そして謝りたいことも。
 時はただ前へと進んでゆき、戻ることは出来ない。
 かつての自分の記憶の大半は曖昧で、色あせた写真のように不明瞭だ。けれど、それらの断片は、今まで出会ってきた人たちとの絆の証でもある。


 丘の上の家に戻ると、ルークは真っ直ぐにミズハの部屋へ向かった。この頃は、姿が見えなくても、彼女が何処に居るのか予想がつくようになっていた。
 果たして、少女はそこに居た。部屋の海側にあるベランダで、手すりにもたれて景色を眺めている。ドアの開いた音で振り返って、ルークがベランダに出てくるのを見ていた。
 「お帰り。遅かったね」
 「うん。ジャスパーのところにも寄ってきた」
少し、風が出てきたようだった。海には白波が立ち、波はいつもより少しだけ大きい。それでも、ベランダから見える風景は、いつもとほとんど変わらない。港があり、灯台がある。
 今の姿で生まれてからの十七年間、この街で暮らしてきた。ほとんど帰ることがなかったとはいえ、見える風景のどんな些細な街角にも、港にも、通りにも、記憶が、思い出が存在する。
 ここは、今の自分の”故郷”。守りたいもの。失いたくないもの。
 ルークは、胸に手をやった。
 「感じるの?」 
 「…ああ」
ハリールードが近づいてきているのが分かる。認めたくないが、あの正反対の思考を持つ生き物は、かつてはひとつだった存在なのだ。相手も同じように、こちらの鼓動を感じているはずだ。
 ヴィレノーザの様子をうかがいに戻った偵察部隊の報告では、人が避難して廃墟のようになったヴィレノーザの中心に巨人の姿はなく、ハリールードは見つからなかったという。巨人の姿のまま移動するのは目立ちすぎる。おそらく、人の姿に戻って傷を癒しているのだろう。
 最初はやむを得なかったのかもしれないが、既に人間に交じって暮らすこと百年近く。どのように生きながらえてきたかは知る由もないが、たとえ本人が否定しても、ハリールードは人としての性質を身につけてしまっている。ルークだけではない。もう片方の首と体も、もはや昔とは変わってしまった。”双頭の巨人”はとうに死に、もはやかつてと同じ存在に戻ることはない。
 「不思議な感じだな。考えてみれば、自分自身と戦うようなものなんだから」
 「ルー君と、あいつは違うよ」
 「でも昔は同じだった。ひとつの体で、長いこと一緒に暮らしてきた。…今も、あいつの考えていることが分かる。」
ルークは顔を上げ、視線を遠い海へと向けた。
 皮肉なことに、互いを近くに感じられるようになればなるほど、相反する思考に嫌悪と拒絶が強まっていく。人が、家族や友人など近い者にほど強い感情を抱くのと同じように、自分の一部だと判っているからこそ許せない。
 風が吹き抜けていく。夜までは、まだ何時間かある。

 おそらく今夜が、決戦の刻になる。



表紙 ┃ 戻る ┃ 次へ