ィレノーザ攻防


 カーリーは、ミズハの案内でゴーレムに守られた”巨人の信奉者”たちの車まで辿り着いていた。数人の兵士たちも一緒だ。
 トラックの荷台には、ルークの言っていた通り薬で眠らされていた人々が積まれていた。みな腕に金の腕輪をつけていることから、”巨人の信奉者”と分かる。しかし年齢も性別もまちまちで、中には逃げないようにか、足かせを嵌められたままの者もいる。薬が効きすぎて呼吸困難に陥っている者、乱雑に積み込まれて押しつぶされかけていた者、扱いがあまりにも酷い。
 彼女は、そうした惨状に歯を食いしばりながら、運び出した人々に次々と処置を施していたところだった。ついてきた兵士たちは最初、トラックを守る奇妙な二体の土人形に戸惑っていたが、カーリーに敵ではないと説明され、恐る恐るながら共同で救出作業を手伝うようになった。今も、土で出来たゴーレムたちが守っている脇で、兵士たちは働き続けている。
 突然、そのゴーレムが動きを止め、町のほうを振り返った。
 その動きに気づいてゴーレムの視線を追ったとき、カーリーは、闇空に浮かんで対峙する、二体の巨人の影に初めて気がついた。

 風を切って、夜空から羽ばたきが聞こえてくる。
 「カーリー!」
呆然と巨人たちの戦いを見上げていたカーリーは、ナユタの声で我に返った。ナユタがこちらへ走ってくる。そのすぐ上方を、ミズハが飛んでいた。
 「ナユタ、ミズハちゃん! それに…えっ?」
駆け寄ってきたナユタは、背負っていたジョルジュの体をカーリーの傍らにそっと下ろす。脇腹が血に染まり、一目見て重傷を負っていることが分かる。
 「撃たれた。弾は貫通している、止血はした。あとは頼めるか」
 「何とかしてみる。でも一体、何が起きてるの」
 「ハリールードとかいう男が裏切った。」
カーリーの手が止まる。
 「…評議会の?」
 「ルークは、そう言っていた。そいつが巨人の親玉らしい。この大陸に攻めて来た巨人の長の今の姿だとか」
 「まさか…そんな」
にわかには信じがたいことだった。ハリールードは数十年に渡って”協会”に努めてきた。経歴も何も、疑うような要素はなく、――持ち前のカリスマ性から、評議会の中でも強い発言権を持っている一人だったはず。それに、ジョルジュが支部長になる以前からの上司だったはずだ。見た目も、振る舞いもごく普通の人間。誰一人疑おうともらず、誰も怪しむことをしなかった。
 いや、だからこそ…なのか。
 だからこそ、彼は数十年をかけて、この大陸の中枢を内側から掌握することが出来た。

 巨人たちの咆哮が入り交じって聞こえる。片方は低く、荒々しい声。もう片方は、どこか聞き覚えのあるような、柔らかい声。
 「あそこにいるのは…ルーク君?」
 「うん、そう。体はこっち」
ミズハは、抱えていたルークの体をジョルジュのすぐ脇に降ろす。カーリーは、ルークの脈に触れた。
 「…異常はない、でも弱まってるわね。彼、大丈夫なの?」
 「わかんない。でも、これはルー君が望んだこと。みんなを逃して、って」
言いながら、少女は髪をひとつに纏めていた白いスカーフを解いた。栗色の髪が肩先に広がる。
 「あたしも行くね。ルー君ひとりじゃ、あれを止められないから」
 「行くって…」
問いかけるより早く、ミズハの姿が溶けるように消えた。代わりにそこには白い翼を広げた海鳥が一羽。遠い海からの風をはらみ、舞い上がる。カーリーとナユタが、その姿のミズハを見たのは、初めてだった。
 「…っ」
カーリーは、思わず片目を抑える。眼帯で覆われているほうの眼だ。
 「カーリー?!」
駆け寄ろうとするナユタを、手で制止する。
 「大丈夫、至近距離だったんでちょっと眩しかっただけ。」
言いながら、彼女は町の方へ一直線に飛んでゆく輝く鳥の姿を開いているほうの目で見つめていた。
 人ならざるものを見る魔眼に見えているのは、太陽の如き輝きを放つ人間の姿の時とは桁違いの光の塊だった。人の器に収まっていることが奇跡と思えるほどに、カーリーの第二の眼で見えている世界の中で、それは異質な輝きを放っている。


 力の差は歴然として、抗うことは困難だった。
 一つ首の巨人は、不恰好な体をうまくバランスをとりながら、ルークの攻撃を交わし、面白がるように、いたぶるように攻め立てる。人々の逃げ去ったあとの建物に叩きつけられ、引き倒され、体は何度も傷ついた。いくら再生の力があるとしても、体力までは回復できない。時間稼ぎに徹するつもりだったが、どうやらそれすらも怪しくなってきた。
 ミズハたちは、どこまで行けただろう。
 地面に組み伏せられながら、ルークはぼんやりと考えていた。ここでハリールードを止められないとしても、少しでも遠くへ行ってくれれば、追いつくまでに時間はかかる。だが、彼らを逃したところで、ハリールードを倒せなければ何も変わらない。かつて同じ存在だったルークでも手も足も出ないのに、一体誰がこの凶暴な巨人を止められるというのだろう。
 絶望の足音を感じ始めたその時、ルークは、頭上高く広がる天一杯に、聞こえない声が歌うのを聞いた。
 顔を上げたハリールードは、目の前に迫る白く輝く海鳥の姿を見てルークを押さえつけていた腕を離し、威嚇するように咆哮を上げた。声が廃墟となった町にこだまし、大気を震わせる。だがそれは、恐れない。
 白い鳥は自ら巨人に体当たりした。体の真ん中を貫かれ、巨人はうめき声を上げる。影のような体の境界が、貫かれた部分でもやもやと薄れる。ハリールードは目障りな鳥を掴もうと手を伸ばすが、相手の速度はあまりに早く、追いつけない。
 体を起こしたルークの肩先に、白い鳥が降りてくる。
 いつの間にか、自分たち以外の影の巨人は見えなくなっている。カーリーたちが、本体の生身の人間を目覚めさせることに成功したのだろう。そして城壁のほうでは、軍の撤退が始まっている。

 ”――時間ヲ稼イデ 皆ガ逃ゲルマデ”

 視線で、ミズハの言おうとしていることが分かる。
 頷いて、ルークは再びハリールードに殴りかかっていった。それをハリールードは、片手で軽くあしらう。しかし最初ほど動きに余裕があるわけではない。体力を消耗しているのは相手も同じ。苛立っているのが伝わってくる。ここまでの反撃は予測していなかったということか。
 ルークは、人間の姿の時には殴り合いのケンカなどしたことがなかった。グレイスにさえ、打たれたことは一度も無かった。だが今は、拳を振り上げることにためらいはない。そうしなければならない理由があるからだ。
 力では勝てないことは判っている。だが、傷つけられても、たとえ四肢をもぎ取られてでも、立ち上がるつもりでいた。

 記憶の彼方で、朧気に思い出す。
 遠い、遠い昔―― 自分が、まだ今の自分では無かった頃。まだ一つの体に二つの頭が、二つの思考が存在していた頃。意見が食い違った時、押し切って体を動かすのは常に”破壊”の首だった。抗いがたい、その力。人々は彼を恐れ、いうがままにかしづいた。なぜなら、破壊と行動の首の本質は、”支配”だったから。もうひとつの首は苦々しく、長年に渡り片割れの首のする残虐な支配を眺めていた。ある夜、生命を与える者である首は、暴君を永遠に眠らせることを思いつく。だが、それは失敗に終わった。
 体の支配を奪われ、怒りに燃え、猛り狂う片割れの首に荒々しく体から切り離されてなお、”再生”の首は生きている。生きて、思考しながら、半身を血に染める自らを見下ろしている。
 それは自分とは別の思考だった。
 今の自分ではない、自分の中にいる別の、過去の存在の持つ記憶の残像に過ぎなかった。諦め、という概念さえ知らず、ただ自らの企ての失敗したことだけを淡々と悟り、投げ捨てられるまま暗い崖底に投じられてゆく記憶。それが、幼い頃から繰り返し見た、あの悪夢の真実。
 ”あの頃とは違う”、とルークは思った。
 守りたいものがある。引けない理由がある。過去に”再生”の首が感じながら理由を知らなかった漠然とした苛立ちの正体を、今の自分は知っている。


 頭上で、飛空艇が動いた。

 中に誰か乗っていたのだろうか。指示が来ないことに業を煮やしたのか、砲門を開いた。ハリールードの周囲に砲弾が降り注ぎ、土煙がもうもうと上がる。だが、効果はない。煙の中から巨大な手が伸びて、邪魔な空飛ぶ船を掴もうとする。それを阻止しようと、白い鳥が手と船の間に割り込んだ。鳥の周囲を守る見えない障壁に阻まれ、巨人は苛立ちの咆哮を上げる。その隙に、敵わないと悟った飛空艇は巨人たちの戦う空域から脱出していく。
 既にヴィレノーザの町の中心部は原型を留めていない。
 国家連邦も”協会”本部も、建物は燃え盛り、巨人たちの足元に踏み潰されてしまっている。
 ルークは、急激に疲労を感じ始めた。体を離れてからの時間が経ちすぎたのかもしれない。それとも、この体でいる時も体力の消耗があり得るのか。
 だが、そろそろ時間は十分に稼げたはずだった。撤退はほぼ、完了している。町の周囲に人影はない。
 もう大丈夫、と思うのと同時に、意識が薄れてゆくのを感じた。土が砂となって崩れ落ちるように、影の巨体がさらさらと風に流れて消えてゆく。不満気に咆哮を上げる、もう一方の巨人にも最初の頃ほどの勢いはない。
 最後に見えたのは、遠い地平線にうっすらと広がる曙の気配と、夜明け前の一時だけ地平線付近に輝く星が、夜空に別れを告げようとしているところだった。


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