いの回廊


 考えることを止めるのは簡単で、目を逸らすのは何より選びやすい選択肢なのだと、その後の数日でルークはいやというほど悟った。
 最初は、いつまでもここには居られないことを自覚していたはずなのに、気がつくと当たり前のように生活に馴染んでしまっている自分がいた。何も聞かずに客人として扱ってくれるメイドたちに囲まれ、誰にも干渉されることなくのんびりと庭を散歩し、歴史ある図書館や、価値の有りそうな美しい古遺物のコレクションを見て回っているうちに、気が付けば日は経っていた。

 これではいけないのだ。問題を先送りにしているだけで何も解決していない。連絡もとれず、行方をくらましている今、ジョルジュは…、たぶん心配しているだろう。でも、連絡をとって、それでどうする?
 館にいる間、外のニュースは何も入ってこなかった。いや、入らないようエミリアが止めている、と言うべきか。
 こうしている間にも、巨人の信奉者たちは各地を荒らしまわっているかもしれない。ジョルジュたちは、それを止めるべく奔走しているのだろうか。彼らが何をしようとしているのか、目的を知ることは出来ただろうか。自らが巨人になる? 大陸を支配する? 今はもういない巨人の遺志を継ぐなどと言いはって、そんな狂信的な夢を語る彼らに、一体どれだけのことが出来るのか。大したことは出来ない――と、信じたい。だがそれは、根拠の無い希望的観測にすぎない。
 考えながら歩いていたルークは、エミリアとすれ違ったのに通りすぎてからようやく気づく。
 「あ…」
足を止めて振り返ると、エミリアのほうも足を止め、振り返る。
 「こんにちは。」
 「…こんにちは」
鉄面皮が僅かに緩む。
 「迷いは、まだ晴れませんか?」
 「え…」
 「ある程度の事情は、わかっていると言ったでしょう。ミズハから聞いた分も含めて。」
館と館をつなぐ回廊、木々が作る緑の影が落ち、鳥たちの声が響いている。それ以外には、何も聞こえない。
 ルークは、微かに首を振った。
 「あなたの孫…ミズハが、普通の人間ではないこともご存知なんですよね」
 「ええ。」
 「あなたは、その。…どう思っているんですか?」
人の枠を超える力、人とは異なる存在という一面。
 「どうって。面白い子よ。それに、元気で素直だわ。この家には少々元気過ぎるようですけれど。」
 「人間とは違う部分を気にしないんですか」
 「もちろんよ。あの子はハロルドの娘、わたくしの孫。それ以外に無いでしょう?」
迷いのない口調。ルークたちが初めてここへ来た時から、エミリアは一貫してそのように振る舞ってきた。
 今さら確かめる必要もなかったな、とルークは自分で虚しくなった。
 身辺調査をつけていたのなら、ミズハが持つ通常の人間からはかけ離れた力のことは承知の上のはずだ。そのくらい、少し考えればすぐに分かる。だが、ルークやカーリーのような未知の存在を調査する未開地学者ならともかく、エミリアのような一般人がそれを恐れないというのは、信じがたかった。
 「…強いんですね。あなたは」
 「いいえ。私ではなく、あの子が強いのですよ」
微笑んで、エミリアは、庭の方に体を向けた。
 「ハロルドが、この家を出ていく時に言ったことがあるの。あなたに、この言葉を贈りましょう」
 「え?」
 「”自分が何であるかは、自分で決める”。」
年経た恐れを知らない瞳が、ルークのほうに向けられる。迷わないその瞳は、ハロルドの、そしてミズハのものと重なる。
 「ハロルドが選んだのは、歴史ある家の後継者でも、名誉ある権威学者でも無かった。ただの冒険好きの風来坊です。その道を貫くというのなら、私は受け入れるだけ。他人がどう言おうとね。周囲がどう言おうと関係ない。迷いなく道を貫き通す者の意思が、周囲を従わせるのです。」
一瞬だけ見せた鉄仮面の下の表情を隠すようにくるりと向き直り、ルークに背を向ける。
 「あなたにも出来るはずですよ。ルーク・ハーヴィ。」
胸に突き刺さるような言葉だった。
 ルークの返事を待たず、エミリアは静かに去っていく。ルークはその場に立ち尽くしたまま、動くことも出来なかった。
 ずっと信じてきたものは偽の身分だった。作られた名前と存在。でも、だからといって、かつての自分の名前と存在を受け入れることも出来ない。どちらかを受け入れることは出来ず、どちらも否定できない。
 ”自分が何であるか”
それを見失ってしまったから、次に成すべきことが分からずに、今、ここにいる。


 ミズハは中庭にいた。図書館から借りてきたらしい本を広げ、のんびりしている。場所は変われど、やっていること自体は何時も通りだ。
 「ミズハ」
 「あ、ルー君。どしたの?」
最初は見慣れない違和感があったが、今ではもうすっかり、貴族令嬢としての姿もさまになっている。
 「ここが気に入ったみたいだな。」
 「うん! おばあちゃんも、ここの人たちも優しいし。ごはんも美味しいしー」
 「そうか。」
ミズハは、ここでなら、ごく普通の少女として生きられる。それは、ハロルドの望んだことでもあるのでは――
 「でもね」
ミズハは、本を閉じた。「そろそろ帰りたいかなあ」
 「えっ?」
ルークは固まった。少女は不思議そうな顔をして首を傾げる。
 「ルー君はまだ、ここにいたい?」
 「いや。…ミズハは、ここに残るのかと思っていた」
 「どうして?」
逆にきょとんとしている。
 「フォルテのおうちに帰るでしょ? ジャスパーもいるし。ここじゃ海見えないし、この服も綺麗だけど、ひらひらして何か飛び辛いんだもん…」
 そうか。
 ルークはようやく思い出した。最初に出会った時から、そうだった。ミズハはずっと、そうだった。分かっていたはずなのに。
 ”自分が何者であるか”
――たったひとつの、単純な答え。
 「どうしたの?」
急に笑い出したルークを見て、ミズハは首を傾げる。
 「いや。ごめん、そうだったなと思って。――ミズハは最初から言ってたもんな、自分は自分だって。」
人ならざる存在である南海の女王を母に、古い名家の生まれでありながら、その身分を捨て冒険家として生きる父親を持ち、人であり、人ではない自分をともに肯定し、そのどちらでもあり続けられる。
 最初から迷う必要などなかった。在るものは在り、在るようにしかならない。どちらも自分、選ぶ必要などない。
 「帰ろうか」
少女の顔に、ぱっと笑みが広がる。
 「うん!」
本を側に置き、ベンチからぴょんと立ち上がる。「おばあちゃんに、さよなら言わなくちゃ!」
 「その必要はありませんよ」
 「あ」
ここへ連れてきてくれたのと同じ黒服の男を引き連れたエミリアが、姿を現した。ルークを見て、微笑む。
 「そろそろだろうと思ったのです。」
 「…何でもお見通しなんですね。」
 「年の功というやつかしらね。」
すっ、と笑みが消え、男から受け取った新聞を二人に差し出す。
 「今朝のものです。」
一面の見出しに踊るのは、『国家連邦首脳、緊急招集』 『巨人再来、宣戦布告か』などというセンセーショナルな文字。
 「これは…!」
 「メテオラのお偉方は、軍を送り込むと言っています。飛空艇も出すつもりのようですね。今ごろ、各国首脳は喧々諤々の協議中でしょう。責任のなすりつけ合いでさぞかし楽しいことになっているでしょうね」
エミリアの言葉は容赦無い。見出しには、『巨人への対抗策、いまだ見つからず』とか『西支部、巨人の襲撃により壊滅』といった文字も見える。フォルティーザは無事なのだろうか。顔見知りの未開地学者たちは。
 「送りますよ」
顔を上げると、エミリアはあの、いつもの不敵な笑みを浮かべていた。
 「イヴァンが案内します、超特急でね。時間がないでしょうから、着替えと荷物は車に積んでおきましたよ。行き先はヴィレノーザで良いかしら?」
 「――はい!」
ルークは頷いて、頭を下げる。「色々…ありがとうございました」
 「いいえ、こちらこそ。わたくしのもとへ、ミズハを連れてきてくれてどうもありがとう。孫に会える日がくるなんて思っていなかったから嬉しかったわ。」
 「おばあちゃん!」
ミズハは、エミリアに抱きついた。「また来るね。」
 「ええ、あなたも元気で。」
来た時と同じ、長い回廊。玄関前に付けられた車は、前と同じ立派な黒塗りのもの。二人が乗り込むとすぐ、車は動き出す。


 車の中、二人は、ここ一週間ほどの新聞を手に、額を付き合わせていた。
 巨人の信奉者たちは反撃に転じ、ついに大々的に宣戦布告をした。かつて巨人の長ルー・ルー・ドの始めた戦を今度こそ勝利に導き、近日中にヴィレノーザを攻め落としにゆく、と。本部・支部を含め、今の未開地学者たちがどこまで把握しているのかは定かではない。軍備という軍備を持っているのは、メテオラくらいだが、あの影の巨人たちは普通の武器で攻撃しても意味が無い。何か対策は打てているのだろうか。カーリーをはじめ、巨人の正体が解っている学者がいるなら、無策ということはないはずだが。
 日付を見れば、事件は、ルークたちがカーネイアスの城へ来てすぐに動き始めていた。
 だがエミリアは、外で起きていることを知りながら、ルークが答えを出すまで待っていてくれたのだ。事情を知っていたからこその配慮だったのだろう。
 次々に新聞を手に取り、読んでいくうちに、ルークは現実から目を背けて安穏とした生活に溺れかけていた自分に腹が立ってきた。エミリアとミズハの助けがなければ、今頃まだ迷い続けていただろうということにも。
 ルークは、新聞をテーブルに投げ捨てた。
 「…止めなくちゃ、こんなこと。」
”巨人の信奉者”たちがこの大陸に渡ってきた原因を作ったのが残された巨人の片方の首なのだとすれば、この事件は、過去の自分が遠因となって引き起こされたものになる。たとえ記憶はおぼろげでも、それは紛れも無い自分の責任だ。
 だが彼らは、マリアのように、止めて止まるものだろうか。
 かつての主との契約――あの金の腕輪にどれほどの効力があるだろう。
 「どうすればいいんだろう…」
両手で額の髪をくしゃくしゃと掻き揚げ、膝に額をつける。
 「思考と再生の力…再生…」
自分の両手に視線を落とす。記憶の断片が感覚とともにフラッシュバックする。
 一片の肉塊から、人の体を形作ること。
 失った体を再生する力。
 土くれに精霊を封じ込め、動く人形を作り出す技。
 土くれに生命を与え…
 「…ミズハ。いつものあれ、見せてくれないか」
 「あれって?」 
 「鳥を出すやつだ」
少女は、すっと手をかざし、一羽の鳥を生み出した。
 「これ?」
 「そう――」
ルークは、そっと手を伸ばし、鳥の羽根に触れるぎりぎりのところで手を停めた。
 「これって、ミズハのアストラル体の分身なんだよな」
 「カーリーさんの言ってたこと? そういのは良くわからないけど、あたしの一部なのは、そうだよ」
 「どうやって出してる? 何か考えながら?」
 「形を想像したら出来るよ。特別なことは何もしてないの。気持ちを集める感じ…」
 「……。」
ルークは、しばらく考えこみ、やがて、頷いた。
 「分かった気がする。出来るかもしれない――」
ミズハは微笑み、鳥を消した。
 「今度は、守りたいね。」
 「そうだな」
ロマナ湖の時のように、何も出来ずに目の前で誰かの大切なものが壊されるのを眺めているのは、もう――ごめんだ。


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