いの回廊


 国境を越える時も、街に入る時も、何もなかったのが意外だった。身分証を確かめられることもなく、軽く停車しただけで、黒塗りの車はメテオラへ入っていた。
 ルークも、メテオラへ来るのは初めてだった。国家連邦の中でも栄えているほうだとは聞いていたが、それどころではない。予想以上だ。車の通り過ぎる町は、首都でもないのに立派な城壁が市街地を取り囲み、立派な高い尖塔が何本も見えている。フィオナでは首都のヴィレノーザですら今も郊外に半壊した城壁を晒したままなのに比べると、雲泥の差だ。
 車は、市街地を素通りし、緑の続く郊外の森へと入っていく。どこまでも続く並木道。やがて、行く手に立派な門が見えてくる。門をくぐっても、しばらくは、また森。行く手に見えているのは城のような建物。まさか、あれが目的地なのだろうか。
 果たして、車はその前に停車した。運転席から黒スーツの男が降りてくる。ルークは、クッションを抱えてぐっすり眠っている少女を揺さぶった。
 「ミズハ」
 「ん…」
 「着いたみたいだぞ」
ドアを開くと、男は二人に出るよう促した。降り立つと、爽やかな森の風。様々な花が植え込みを飾り、珍しい木々が枝を絡めている。空の色も、空気も、海沿いの町とは別世界だ。
 さらに、入り口の階段を上がると扉まで続く回廊の両脇には、いわゆる執事とメイドらしき人々が立ち、二人を出迎えている。
 「お荷物は、お運びいたしますのでご心配なく」
 「えっ、…あ、はい」
ルークたちは、促されるまま手ぶらで歩き出す。回廊の天井には星々が描かれ、足元には分厚い紺色の絨毯が敷かれている。あまりにも場違いで、気後れする。ハロルド名家の出身だった、とは聞いていたが、まさかこれほどまでの家とは。
 「おっきい家だね。ドン・コローネの家の何倍あるかなあ」
ミズハも、周囲をきょろきょろ見回している。
 「誰の家なんだろ」
 「…ミズハ、話聞いてなかったのか」
 「え?」
 「多分ここが、ハロルドさんの…君のお父さんの実家だよ。」
回廊の奥の扉が両側にゆっくりと開かれる。
 入ったすぐのホールは、吹き抜けの巨大な空間になっていた。二階と三階から降りてくるカーブを描く大階段があり、ちょうど今、そこから後ろに小間使いを従えた老婦人が降りてくるところだった。威厳をもち、シンプルだが格調高いドレスに身を包んだその女性が、この館の主人だということはすぐに分かる。
 いつの間にか、ここまで連れてきてくれた黒服の男が二人のすぐ後ろに立っていた。男は帽子を取り、軽く頭を下げる。
 「イヴァン、ご苦労。下がってよろしい」 
 「は。」
まるで女王だ。二人の目の前まで来ると、老婦人は威厳を保ったまま、静かに宣言した。
 「ようこそ、我が館へ。わたくしは、この城のあるじエミリア・カーネイアスです。長旅お疲れでしょう。まずはゆっくりお休みください」
ミズハは、きょとんとした顔で見上げている。老婦人の視線が一瞬、そこで止まったが、すぐに踵を返す。それが合図だった。
 待ちかねていたように、左右からメイドたちが集まってきて、二人を別々に案内した。息をつく暇もない。着替えやら、風呂やら、部屋の案内やら…。
 気がついた時には、貴族の子息のようなあり得ない格好で、天井つきのベッドのある王族のような部屋にひとりぽつねんと置き去りにされていた。ベッドの側に置かれた荷物が逆に場違いなほどだ。今のハロルドの姿からは、こんな家で暮らしている姿が想像出来ない。
 「…なんだか、かえって居心地が悪いな」
首周りのスカーフを外しながら、ルークは苦笑した。それにしても、エミリア・カーネイアスは何故、突然自分たちを連れてきたりしたのだろう。
 廊下へ出ると、すぐ下に中庭が見えた。泉の周りに植物が茂り、ベンチが据えられている。外界から隔絶された楽園。
 「あれ、ルー君?」
ミズハの声。振り返ったルークは、一瞬、ミズハがどこにいるのか分からなかった。
 「……えっと」
目の前にいるのは、貴族令嬢…にしか見えない、淡い青のドレスに、白いケープをかけた少女。手首まである白いレースの手袋に、髪の毛をまとめる大きなリボンも真っ白だ。
 「ミズハ、だよな」
 「そうだけど。」
ミズハは、くすっと笑う。「ルー君の格好、変なの。」
 「そっちもだろ。変とか言うなよ、貸してくれたのがこれなんだし。それに、たぶん高いぞ、この服…」
そういえば、ルークの服も、ミズハのも服、袖や裾がぴったり体格に合っている。急ごしらえで貸し出されたものではなさそうだ。
 「これから、おばあちゃんのところに行くの。ルー君も行く?」
 「おばあちゃん…」
 「うん」
どうやらミズハは、メイドに聞いて、自分たちをここに連れてきたのが何者だったのかを理解したらしい。やはり、さっき下で会ったのが、ハロルドの母、つまりミズハにとって祖母にあたる人物なのだ。
 「こっち」
言いながら、ミズハは長いスカートをたくしあげて、廊下を走っていく。
 「おい、その格好で走るのは…。」
廊下に飾られた絵や壺、どれをとっても高価そうで、転んで傷でもつけたら大変だ。見ているほうは気が気ではない。
 そんなルークの心配をよそに、廊下の突き当りまで一気に駆け抜けたミズハは、迷いなくドアをノックした。
 「入りなさい」
中から返事がある。
 「おじゃましまーす」
重たいドアを押し開く。エミリアは書斎机の前に座って虫眼鏡を手に書類に目を通していたが、二人が入ってきたのを見て手のものを置いた。厳格な表情が、少しだけほころぶ。
 「ああ、やはり。よく似あってますね、お二人とも。」
 「えへへ」
 「…あの」
ルークは、一歩前に進み出た。
 「お招きありがとうございます。でも、どうして、おれたちをここへ? それに、この服もそうですが、準備していたみたいですよね。どうやって居場所が分かったんですか」
 「弁明しておかなくてはいけませんね。」
女主人は、すっと椅子から立ち上がった。
 「正直に申し上げましょう。最初に報せをもらった時から、わたくしは信頼の置ける手のものに、あなた方の調査を依頼していたのです。」
 「調査?」
 「考えても御覧なさい。何十年も行方不明だったドラ息子がまだ生きていて、しかも他所で子供を作っていただの、その子を認知してくれだのと言われて、ほいほい請けられますか。当家はそれなりの格式がありますので」
エミリアは、ため息をつく。
 「…我が家の直系を詐称する者や、息子に成りすまして詐欺を働こうとする者がいないとも限りませんからね」
ルークは苦笑した。それが本心かどうかは別にして、いかにも貴族然とした物言いだ。
 「ハロルドさんの手紙は?」
 「受け取りましたよ? ええ。あの汚い字は確かにハロルドのもの。ただ、いつ書かれたものかは分かりませんし、字を似せるだけなら不可能ではないですからね。」
平然とした顔で言ってのける老婦人は、まるで不動の要塞だ。「ですが…」ちらりと二人を見る。
 「ここにお招きしたということは、そういうことなのです。お分かりいただけましたかしら?」
 「はあ」
つまりは、ミズハが確かにハロルドの娘と認めた上で、非公式に招待するチャンスを狙っていた、ということなのか。
 「さて。堅苦しい話は抜きにしましょう。聞きたいことは、まだあるのでは? わたくしも聞きたいことがあります。ミリー!」
机の上の呼び鈴を慣らす。すぐに隣室からメイドが一人、飛んできた。
 「お茶の支度を。そこのテラスでいいわ」
 「かしこまりました、奥様」
 「さあ、こちらへどうぞ。」
エミリアは、書斎机の脇からテラスへと続くガラス戸を押し開けた。そこからは庭が一望できた。あまりにもだだっ広く、手入れだけでも大変そうな庭。来る時にくぐってきた門は、森に隠れてここからでは見えない。
 「おばあちゃんって、ここに一人で住んでるの?」
 「えっ?」
エミリアは、不意打ちを食らったような顔をした。
 「ええ、今は一人ね。…”おばあちゃん”、か」
表情を崩し、くすっと笑う。「斬新な響きねえ。」
 「あってるよね?」
と、ミズハは隣のルークを見る。
 「ああ、まあ…ハロルドさんのお母さんだし、あってるけど…。」
 「いいんですよ。」
スカートの裾を直しながら、優雅な動作で椅子に腰を下ろす。
 「写真を見た時から思っていたけど、あなたはハロルドの小さい頃にそっくり。」
 「そうなの? お父さんの小さい頃って、どんなだったの?」
 「そうねえ。やんちゃで、元気いっぱいで…。言うことはひとつも聞かなくて。昔から、家柄や肩書にこだわらない子ではあったわね。」
メイドがお茶を運んできて、テーブルに並べてゆく。青磁の、これもまた高価そうな器だ。それに銀の菓子皿、金の縁取りをした砂糖壺、などなど。あっというまに、テラスは王族のお茶会へと変わる。
 「あとで写真を見る?」
 「うん!」
ミズハが頷くと、はじめて、エミリアは笑顔を見せた。ハロルドにも、ミズハにも似た笑顔。鉄仮面の装いを取り去ったエミリアは、急に別人に変わったようだ。
 「そうそう。聞きたいでしょうから、先に言っておくわね。申し訳ないけれど、あなた方にはしばらく尾行をつけさせていただいていたの。身辺調査も終わっています。今の状況は分かっているつもりですよ。」
 「えっ…」
 「わたくしも、権威というやつが嫌いなの。」
どこか侮れない笑みを浮かべ、老婦人はティーカップに砂糖をひとつまみ、落とした。
 「”未開地学者は、結局のところ国家連邦の政治の駒に過ぎない”。あの子も同じ事を言っていたわ。わたくしと気が合った唯一の場所ですね。わたくしが、ミズハを公式には認知せずにいるのも、そのため。」
 「…メテオラに所属させて、メテオラの道具にされたくないから?」
 「平易に言うと、そうなります。」
軍備の拡大を熱心に謳うメテオラにとって、今回の一連の騒動、”神魔戦争がまだ終わっていない”という可能性は、自国の主張の正しさを裏付け、国家連邦内での存在感を増すための願ってもない機会であるはずだ。
 「そんなわけで、事情は分かっておりますから、どうぞ好きなだけ滞在していってください。ここなら、誰にも手出しは出来ません。たとえメテオラの政府重鎮であっても」
エミリアは、不敵に笑う。
 「ここは、わたくしの城。あなた方は、わたくしの大事な客人なのですから。」
 「…ありがとうございます」
 「さあ、そんな憂鬱な話はもう終わりにしましょう。聞かせて頂戴? あなた達の見たもののこと。うちのバカ息子は今、どんな暮らしをしているの? 島は良い所なの?」
 「ええっと…」
平和で、穏やかな時間が過ぎてゆく。広大な女主人の王国、閉じられた絶対安全圏。今のルークには、その安心が一番ありがたかった。


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