頭の巨人


 予想はしていたことだが、港には、すでに調査船が何隻か横付けされていた。 
 「これは… まずいな。」
あれほどの騒ぎを起こした後だ。ルークたちがここに来ていようといまいと、”巨人の信奉者”の動向に敏感になっている”協会”は直ぐに動いただろう。いま来ている調査船がルークたちを追ってきたものなのか、純粋に地元警察からの連絡を受けて急行した調査員なのかまでは分からない。だが、ハーヴィ号が”協会”支部に所属していることは見ればわかる。船に気づいているなら、自分たちより先に着いていたその船を不審に思うだろうし、出港しようとすれば呼び止められる。いや、すでに所属支部に照会して、ジョルジュに足取りを掴まれているかもしれない。
 「どうする?」
 「どうするかなあ」
現在の居場所が知られれば、船は勿論、乗合馬車でも、徒歩でも、足取りは簡単に割れてしまう。マリアの家は調査班がすでに向かっているだろうし、この町で宿を借りて篭るにしても、そう長くは隠れていられまい。それに、逃げられたとして、次の目的地は決まっていない。
 「飛んで逃げる?」
 「かえって、目立つだろ。それに、…逃げるったって」
ため息をついて、ルークは、物陰にしゃがみこんだ。
 何から逃げるのか。どこへ行くのか。
 かつて所属していた国や組織から逃げ出して自由を得る? そんなことを望んでいるわけではない。ただ、考える時間が欲しかった。誰にも干渉されない場所で…
 「お困りのようですね」
 「?!」
気がつけば側に黒服の男が立っている。ぴったりとしたスーツ、白い手袋、この辺りでは見かけないような格好の。
 音も気配も感じなかった。
 「静かに。お望みなら、手をお貸ししましょう」
 「えっと…一体、あなたは」
 「エミリア・カーネイアスの使い、と言えば分かるでしょうか」
ミズハは、目をぱちぱちさせた。
 「カーネイアス…?」
 「ハロルドさんの実家?」
 「そうです。こちらへ」
男は二人を、路地の入り口に停めた黒塗りの立派な車へと誘う。中は広々として、いつだったかヴィレノーザからジョルジュと乗ったあの車よりも立派だ。座席にはふわふわしたクッション。床は絨毯張り、おまけに天井のランプはシャンデリア調。
 ドアが閉まり、車が走りだす。
 「えっと…これ、どういうことなんだ」
 「ルー君、何も聞いてないの?」
 「知るわけない。カーネイアス家には打診したけど梨の礫だって話しか…」
石畳で、車がかすかに上下に揺れる。
 運転席との間を繋ぐカーテンが開き、さっきの黒服の男が顔を出した。
 「テーブルの下に飲み物があります。ご自由にお飲みください。後ろの部屋が手洗いになっております。検問の突破についてはご心配なく。では」
カーテンと、その奥にある扉が閉まる。ルークとミズハは顔を見合わせた。
 「…検問って言ったよね今。どこ行くんだろ」
 「メテオラじゃないか? それしか思いつかないよ」
ルークは、荷物から取り出した地図をテーブルのうえに広げた。
 「今いるここが、フィオナの隣の国アステリア。ここから逆方向に国境を越えて、もう二つ国をまたいだ先がメテオラ」
 「西の方なんだね、遠いなあ」
 「うん。山が多いから――」
外から見えないよう閉ざされたカーテンの間から、そっと外の様子をうかがう。ちょうど街の入口を通過するところだった。張り込みがいたとしても、いかにも要人が乗っていますという雰囲気のこの豪華な車を呼び止めるまでは出来ない。
 「ジャスパー、どうなるのかな?」
 「たぶん、フォルティーザに連れ戻されると思う。あいつは賢いから、人間の話してることを理解して動くよ。戻ったら会える」
 「そっかー…」
ミズハは、クッションを抱いて足を伸ばした。「ちぇ、海からまた遠くなっちゃった」
 「そうだな。疲れたんなら、少し寝てればいい。たぶん今日中には着かない」
 「ルー君は大丈夫なの?」
 「おれは、…」
そういえば、眠気も、だるい感じもしない。今までは、影の巨人の姿になった後、起き上がれないほどの疲労感があったのだが。体にダメージを負っていなかったからなのか、それとも…。
 「ミズハ、おれがもとは巨人だったって聞いても驚かないのな」
 「うん」
 「ごめんな、さっき、…その」
 「いいよ、ちょっとびっくりしたけど。でも…ほんとに体は大丈夫なの?」
 「わからない」
ルークは、小さく首を降った。
 「前に比べて、体から抜け出すのが簡単になってきてる。抜けだしたあとの意識も妙にはっきりしてて、…まるで自分じゃないみたいで。いつか、取り返しのつかないことをするんじゃないか、って…。」
 「だから、あたしが一緒にいるんでしょ?」
クッションにもたれかかりながら、少女はあっさりと言う。
 「ルー君が暴れたら、あたしが止めるの。」
 「だけど、もし…もしおれが、今のおれじゃなくなったら…。」
意識の奥底には、薄れてしまったとはいえ、確かに過去の自分がいる。自分とは違う思考を持つ、巨人の分身だ。記憶をすべて取り戻したら、いつか自分は今の自分ではなくなってしまうかもしれない。本来の姿が過去のほうだとしたら、その思考に引きずられて、いつか戻れなくなってしまう日が…
 いや。心配するだけ無駄なのかもしれない。確かに今まで、何度も暴走しかけるのをそのたびに止めてくれたのは、ミズハだった。側にミズハがいてくれる。それだけでも安心できる。
 女の子に頼るなんて、と言っていられるのは、相手が普通の人間の時だけだ

 ――彼女は強い。

 それは、事実だった。
 過去の自分の意識が、本能的に彼女を恐れていたのをルークははっきりと覚えている。双頭の状態でも勝てないと感じていた、より強大で不可侵な存在の分身。ただその存在は、自分の領域から決して出てくることはなく、いかなる争いにも関与したことがない。
 過去のルークが”南海の女王”としてミズハの母親を認識していたように、ミズハの母親もまた、”双頭の巨人”を知っていたのかもしれない。だとすれば彼女は、全てを察して娘を預けたことになる。島を出るとき、ハロルドから渡された手紙の内容の意味も、今なら理解できる。

 ”君は、君自身おそらく知らされていない何かを持っている。”

 もう一つ気になることがある。
 影の姿になったとき、ルークは無意識にコアを求め、他の影の巨人たちから奪いとろうとしていた。そのうちの幾つかは今日飲み込んで、そのままになっている。体の中で飲み込んだものがどうなっているのかは、あまり考えたくないが、どうしてそんなことをしたのか、今ははっきりと分かっていた。
 過去の自分が無くしたもの。
 それは、自分自身の”コア”だ。

 過去には確かに、持っていた。それは”巨人”の本体、心臓とも言うべきもの――。
 無くしたとすれば、十七年前。そのせいで、過去のルークは無垢な赤子から再生を強いられた。
 事故、とジョルジュは言っていた。コアを失う事故? コアは物質界に存在しないもの、アストラル体になってはじめて奪うことが出来るものであることは、”逆さ大樹の谷”で実証済みだ。単に肉体が傷つく事故だったはずがない。
 だが、今は悩んでいても仕方がない。全てを知るか、納得のいく答えに辿り着くまで、足を止めることは許されない。もう、引き返して、かつての何も知らなかった日々に戻ることは――出来ないのだ。


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