頭の巨人


 船で賑わうシレノス港を素通りし、湾の奥から河口を遡ること少し。
 河が支流と分岐する場所に、目的のラザロの町はある。レンガ造りの家が丘まで立ち並ぶ町で、川を渡る定期船の出る町ということもあり、小さな割れに賑わっている。シレノス港で水揚げされた魚介を売る市場、他国から運ばれた品を並べた舶来屋、渡し舟を待つ人に威勢よく声を飛ばす屋台の食堂。フォルティーザとは違う港町の賑わいがある。
 ハーヴィ号は、わざと町はずれの寂れた船着場に停めた。少しでも発見を遅らせられればいいと思ったのだが、気休めしかならないことは解っている。ジャスパーは、いつものように目立たないようにと船の下に隠れる。
 「急ぐぞ。えっと、地図は…」
 「ここが市場通り、あっちが呉服屋通りって書いてある」
 「じゃあ、ここを真っ直ぐかな。なんだかずいぶん辺鄙なところに住んでるな、この人…」
マリア・ハーベントの家は、港とは反対側の丘の麓、ほとんど町外れと言っていい場所にある。歩いているうちに家は減ってゆき、やがて切り開かれた畑に出た。わずかに伐採をまぬがれた木々が身を寄せ合う林と、焼く前のツボや皿を並べた陶芸工房とが続く。その、陶芸工房が目的地のようだった。かまどは細い白い煙を立ち上らせている。
 家の前に立つと、寝そべっていた犬がむくりと起き上がり、大声で吠え始めた。この犬がドアベル代わりなのだろうか。奥から、エプロンで手を吹きながら家の主が出てくる。
 「あらあら、道にでも迷われました?」
間違いない、写真の女性だ。ルークは、相手の腕に目立たないよう控えめに嵌められた金の腕輪に気づいていた。二つの円を繋げた双頭の巨人の刻印が見える。
 「いえ。あなたに、お話があって。…マリア・ハーベントさん、ですよね」
 「はい、そうですけれど」
青い目の、若いころは美人だっただろうと思わせる風貌の初老の女性は、首を傾げ、微笑んだ。
 「遠くからいらしたふうね。ちょうど午後のお茶にしようと思っていたところなの。裏のお庭で、ご一緒にいかが?」
前回、ロカッティオでお茶に薬を盛られたルークは、一瞬、断ろうかと思った。だが、この女性が危険かどうかは、今はまだ分からない。もっとも、分かった時には既に遅いのだが。


 陶器工房の裏庭は、直接畑に繋がっていて、思っていたより広々としていた。
 馬がのんびりと草をはみ、農家の人々が畑を耕している。テーブルは、かまどの火が見える位置に据えられ、お茶を楽しみながら陶器の焼け具合にも気を配れる、という構造だ。
 「お若いけれど、”協会”の調査員の方なのかしらね」
お茶をカップに注ぎながら、マリアのほうから先に口火を切った。
 先制攻撃にルークが言葉を継げないでいると、エリザはくすっと笑った。 
 「そんな顔なさらないで。こんな僻地にいても、うわさ話は聞こえてきますもの。遠からずわたしも、事情を聞かれると思っていました」
 「――逃げなかったんですか」
 「どうして? わたしは何もしてない。同じ腕輪をつけているからといって、みな思想が同じわけではないんですよ。過激なのは、ごく一部。都会に住んでいる、若い人たちだけ――」
カップと手製のクッキーを勧めながら、老婦人は穏やかな口調で続ける。「でも、誤解されるのも仕方ないわね。」
 「教えてほしいんです。”双頭の巨人”とは、一体何なんです? なぜ、かつてこの大陸の人間を滅ぼそうとしたようなものを崇めてるんですか」
カップのお茶を一口すすってから、マリアはそっとカップを下ろした。
 「双頭の巨人は、その名のとおり二つの頭を持つ巨人のことです。二つの頭で見、考え、支配する。一つの頭は思考と再生、一つの頭は行動と破壊。力の象徴、偉大なる原初の存在――」
以前、ロカッティオの町で巨人の信奉者から聞いた話と同じだ。
 「彼は巨人たちの長、巨人を作り、命を与えるもの。かつて巨人たちはルー・ルー・ドに命じられ、この大陸に攻め寄せた。けれどそれは、ルー・ルー・ドすべての意志ではない。」
 「すべての意志ではない?」
 「ええ。二つの頭は別々の思考を持っていた。体はひとつでも、彼らの考えはひとつではなかったのです」
ずきりと頭の奥でに何かが疼く。
 「それは――どういう意味ですか」
 「言い伝えによれば、二つの首はまるきり正反対の性格だったそうですよ。それで、支配欲に駆られた破壊の頭は、反対する片方の頭をもぎ取って、体を自分のものにした。この大陸に攻め入ったのは、実は頭がひとつの巨人だったの。あなたがたの伝承ではそうはなっていない?」
 「…いえ。特に、そのあたりは…。」
ヴィレノーザの町の周囲に残る古い城壁跡のことは知っているが、攻め寄せたという巨人たちの具体的な容姿については、特に気にしたこともなかった。それに、双頭であれば普通とは違うから目立つだろうが、頭がひとつしかなかったなら、それは特筆すべき特徴ではないから、とくべつに言及されることは無かったはずだ。
 「では、わたしどもに伝わる話をしましょう。巨人はもともと不死でしたが、その力は、彼自身がもぎ取ってしまった”思考と再生の首”の持つ力だったのです。片方だけの頭では巨人は長く生きられず、深い傷を負い、人を攻め滅ぼす前に眠りについたと言われています。それが、伝説。わたしたちが奉ずるのは二つの頭の巨人。相反するものを統合する力。調和の素晴らしさ。いま暴れまわっているのは、一つ頭の破壊の巨人だけを信奉する、いわば、まがい物なのですよ。」
そう言って、マリアはまた一口、お茶をすすった。
 「ああ。久しぶりに沢山喋ると、やっぱり疲れるわねえ」
 「すいません、突然押しかけて」
 「いいえ。最近じゃ息子も滅多に来てくれないし、若い人と話せるのは嬉しいのよ。続けて。何が聞きたいの?」
 「その、ご存知だったらなのですが。――ゴーレムについても」
 「まあ」
マリアは、眉を寄せた。「あの人たち、そんなものまで?」
 「やはりご存知なんですね」
 「そりゃあもう。泥人形よ、あれは。でも今はもう使えない。かつては精霊や妖魔を封じて生きた人形として使っていたのだけれど――。」
それも、ロカッティオで、ドン・コローネに聞いたのとほぼ同じ内容だった。泥で体をつくり、その中にアストラル体を封じて動力源とする。アストラル体が消耗しきると死んでしまうし、実体である人形が破壊されてしまうと、中に封じられたアストラル体は自由になって逃げ出してしまう。しかし今では、中に封じるべき精霊や妖魔がいなくなってしまい、使われることはない。
 「もともとは、双頭の巨人ルー・ルー・ドが、しもべの巨人たちを生み出すのに使った方法よ。もっとも、巨人を作り出す力を持っていたのも、失われた首の力だったのね。精霊や妖魔を封じたゴーレムと違って、失われた首の創りだしたゴーレムは、決して死ななかったそうよ。その力を失ってしまった一つ頭の巨人は、しもべを失っても再生することが出来ず、人間に敗北したと言われている。双頭の巨人は、二つの首が互いを補完しあうことで無敵の存在だったのに――」
 「そのしもべっていうのは、泥人形のようなもの?」
 「ええ、そうね。体は泥で」
ならば、ロマナ湖で見たあの巨人は、れそとは違う方法で生み出されたことになる。かつて双頭の巨人だったものが失ったという、しもべの巨人を生み出す力とは似て非なるもの。もっとも、精霊や妖魔のかわりに人間のアトストラル体を使っているのだから、根本が異なるとも言える。
 その話をすると、マリアの表情が陰った。
 「それは良くないわね。確かに人間にもアストラル体はあるけれど、精霊と違って肉体が主ですから、元の体を捨てて巨人に生まれ変わるなんてことは、出来ない。」
 「でも、彼らは信じている。新しい存在に生まれ変われると」
 「愚かだわ。」
首を振り、ため息をついてマリアは言った。
 「泥は何にでもなれる。どんな形にもなれる。私は今日まで、陶器のかたちで泥に生命を与えることを喜びとしてこの仕事を続けてきたの。どうして、そんな風に生きられないのかしら。ルー・ルー・ドが教えてくれたものを本当に大切に思うなら…。」
そこまで言って、マリアは言葉を切った。
 「そう、もう隠す必要はないわね。――わたしたちはかつて、巨人を追って大陸へやってきた、海の向こう側の人間の子孫なのです。」
かすかな衝撃。
 「海の向こうから…?」
 海の向こうから来たというルークの前身の過去。
 聞き覚えのある”ルー・ルー・ド”の名前。
 見覚えのある気がした腕輪の刻印。
 それらは、彼ら”巨人の信奉者”たちとルークの間のつながりを意味している。巨人の信奉者の一員だった? あるいは、家族か身内がそうだった? だが、どちらとも違う気がする。最後の何かが足りない。最後の一つ――
 「なぜ、巨人を追って? 巨人とともに、こっちの大陸の人間を滅ぼすため?」
 「いいえ。私たちの祖先は双頭の巨人を崇め、巨人とともに暮らしていたから、彼が海を渡るときについてきた、それだけよ。必要があれば止めようとしたかもしれないけれど、祖先がこの大陸にたどり着いたとき、戦いはもう、ほとんど終わってしまっていたそうで。」
ルークは、手元に視線を落とした。口をつけていない琥珀色のお茶が揺れている。

 公式な歴史では、最後の巨人が倒れたときをもって神魔戦争の終わりとされている。それが百年の前。だとすれば、マリアたちは大陸に辿りついた最初の世代から数えて二世か三世あたりか。最初にこの大陸に辿り着いたのが何人くらいかは分からないが、戦後間もない混乱の時代は、たとえ新参の民族がいつのまにか増えていても、誰も気にもとめなかった時代だ。逆に、いつのまにかひっそりと消えた国、消えた民族さえある。神や悪魔、魔王や精霊でさえ、尽く消え失せてしまったくらいだ。
 「戻ろうとは思わなかったんですか? 海の向こうへ」
 「わたしはこっちでずっと暮らすつもりよ。元いた大陸がまだ残っているかも怪しいですもの。今でも”双頭の巨人”の教えは大切にしていますけれど、それがどうとかは。過激な人たちが一体なにをしようとしているのか、わたしには理解できない。」
マリアの口調には、嘘や偽りは何一つ感じられなかった。

 彼女の言うことが本当だとすれば、今もこの大陸には、巨人の信奉者…つまり、海の向こうの大陸から渡ってきた人々の子孫が、一定数住んでいることになる。その大半は平和を望み、こちらがわで暮らしていくことを望んでいるが、一部だけが、目的の分からない破壊行為に手を覚めていることになる。
 それはまるで、こちらの大陸に攻め入ってきた一つ首の巨人の遺志を継ぐかのようだ。
 巨人の侵攻が失敗に終わってから百年が経とうとしている。一つ首の巨人は、もはや居ない。それなのに何故――。


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