頭の巨人


 色んなことがあったというのに、過ぎ去る日々は容赦なく、ルークを普段通りの生活に引き戻していった。

 ミズハは相変わらず部屋で本を読んでのんびり過ごしている。毎日決まってアネットが訪ねてくる以外、予定もない。あれからジョルジュと顔を合わせる機会はなかったが、アネットは、相変わらず忙しくしていると言っていた。そこを敢えて会いに行く必要は見いだせなかった。何かを聞こうにも、ジョルジュだって、知っていることは限られているはずだ。それに今は、昔のことを知りたいとも思わなかった。
 ルークは特にすることもなく、手持ち無沙汰な状態でいた。というよりも、まだ気持ちの整理がつかないでいる。
 ジョルジュの話を聞いたからといって、劇的に何かを思い出せるわけでもなかった。時折断片的に蘇ってきていた奇妙な感覚の正体が分かった、くらいの話だ。過去の自分というのは、いまの自分とはかけ離れた思考の持ち主だったらしく、フラッシュバックのように風景を思い出すことがあるくらいで、その風景もいつも灰色がかって、陰鬱な感じだった。
 ただ、趣味は合うように思えた。
 かつて「父が設計した」と聞かされていた家も、要するに”過去の”自分自身の設計だったわけで、その家の居心地がいいのは、過去と今で共通する趣味ゆえだと言える。
 何が変わるわけではない。
 ルークが今もっている身分証は「グレイス・ハーヴィの孫」で「普通の人間」というもの。グレイスとジュルジュが、口裏を合わせてそのようにしたのだろう。書類上は何も問題なく、ルークさえ大人しくしていれば、一生誰にも気づかれることなく、ごく普通の人間として暮らしていける。グレイスも、それを望んでいたはずだ。ただ、繰り返し見ていたあの夢の谷の風景だけが、気がかりだった。

 ジョルジュに真実を聞いてから、かつては気に留めたこともなかった一階の奥の部屋も行ってみた。
 そこは祖母グレイスが仕舞いこんだ”思い出の品”の部屋だと聞かされていた。今となっては、それが過去のルークの持ち物一揃いだったというけだ。子供の頃にたまに忍び込んでも何も感じなかったくらいだから、今さらそこで持ち物を漁ってみたところで何かが変わるとも思えない。
 ただ体を動かしていないと不安で、何かをしていたかっただけだ。

 長年開かれていないクローゼットを開けると、少しカビ臭い匂いと一緒に、几帳面な祖母が分類した衣類の数々が姿を現す。
 「うーん…。これ絶対、グレイスの趣味なんだよな」
改めて見てみると、シャツにズボン、帽子など、渋めの色合いで揃えられた衣類は、むしろ祖母の思い出の品だった。過去に死んだ時の自分は、今の自分よりかなり体格が良かったに違いない。シャツもズボンも大きすぎて、ルークには着ることは出来ない。もう少し成長できる余地はあるにせよ、同年代と比べても華奢なほうのルークが、しまい込まれたシャツのかつての持ち主の肩幅に達することは、無理そうだった。
 何だか、悲しくなってくる。
 同じ自分なのに、同じように成長出来ないとは、どういう理屈なのだろう。生まれ変わる時、何か部品を無くしてしまったのかもしれない。
 「これなんかは、何とかなりそうなんだけどな」
袖折りたたんだ探検用の丈夫なジャケットを取り上げて、試しに着てみる。見た目のわりに軽くて、今でも使えそうだ。ポケットが沢山ついているので、調査の時には役にたつかも――


 玄関のチャイムが鳴った。
 腕時計を見る。夢中になっているうちに、いつものアネットの訪問の時刻になっていた。上着を片手に、ルークは玄関へ向かう。ドアを開くと、笑顔のアネットが立っていた。
 「はーい、ルーク。今日も様子を見に来たわ」
 「こんにちは、アネット」
アネットは、ルークの”正体”については何も聞かされていなかった。知っているのはアーノルドと同じ「各国の微妙な関係」「切り札」というくだりだけ。それと、戻ってきてすぐルークが船の上で気を失った一件を絡めて、アネットに様子を見に行かせる名目としているようだった。
 「ミズハちゃんは?」
 「上で本読んでます。学者にでもなるつもりなのかな、あいつ」
 「ふふっ。そういうところはお父さん似なんじゃない?」
笑って、アネットはしげしげとルークを上から下まで見つめる。
 「体の調子は?」
 「おかげ様で、今のところ」
 「体調管理には気をつけてね、ほんと。”霧の巣”から戻って以来、立て続けだったから。」
相変わらず、アネットは優しい。何も聞かされず、毎日、純粋に気遣ってくれるアネットと話していると、彼女を騙しているようなうしろめたい気分になってくる。
 「そういえば、調査船がずっと出払ったままですが…。今、何か調査中なんですか」
 「ええ、例の”巨人の信奉者”とかいうやつね」
リビングにひっこみかけたルークの足が止まる。
 「海からも?」 
 「かなり広域に活動を行なっているらしいの。拠点と見なされてるところも何箇所も判明していて…。いま、全支部がその事案を最優先で動いてるわ。」
 「…そうなんですか」
双頭の巨人。その名を聞くと心が震える理由も、たぶん、過去の自分なら答えられたのだろう。過去の自分は、”闇の海”の向こう側から来たという。神魔戦争の時代、この大陸に攻めてきた巨人たちも”闇の海”を渡ってきた。どこかで関わりがあるのかもしれなかった。
 「”闇の海”の調査を制限しよう、とかいう話は?」
 「もうじき可決されるわ。違反者は罰則よ。そりゃあそうよね、海の向こうから持ち込んだものが尽く事故を起こしていて、今も海の向こうから来た巨人を崇める人たちが事件を起こしているんだから」
 「自由に海を越えられなくなるんですね」
 「そうね。また、海洋調査は一歩戻ってしまうわね。…」
その前に”霧の巣”まで辿りつけたことは幸運だったのかもしれない。ハロルドの時代から二十年、調査は止まっていた。今度の禁止法案が緩められ、人々が海の向こうの世界を開拓する気になるまで、また数十年、あるいはもっと時を要するかもしれない。
 「ま、その辺は! ルーク君たちが気にすることじゃないわ。じゃあ、ミズハちゃんにはよろしくね。」
 「上がって行かないんですか」
 「ええ。今日も支部で会議なの。もー忙しくって。じゃ! またね」
世界から取り残されていくような気がした。
 支部ではアーノルドはじめ、調査班のメンバーが寝る間も惜しんで活動しているだろう。未開地学者たちは本部からの司令で各地に散らばっている。何も起きないこの場所で、安穏とただ日々を過ごしているだけで良いのだろうか。――
 「ルー君」
二階の手すりから、ひょっこりミズハが顔を出す。
 「アネットさん、もう帰ったの」
 「ああ、今しがた。どうした?」
 「今日もう何もないよね。お出かけしない?」
 「お出かけって…」
 「ジャスパーに会いに行くの」
そういえば、ここのところ家に引きこもったままで、しばらく港に降りていない。旅から帰って、一度桟橋に行ったきり。あの時は、手漕ぎボートの上で気分が悪くなって、そのままだ。

 ジョルジュから過去の話を聞いた、あの雨の夜、ミズハからジャスパーの話を聞かされた。
 数十年を生きてきた海竜は、事の顛末の全てを覚えていた。若い頃のグレイスに抱かれた、生まれたての子竜の姿で写っていたあの写真は、”ルー”が海を渡ってきて間もない頃のものだという。事件の起きるまでの十年ほど、ジャスパーと彼は共にグレイスを母代わりとして暮らしていた。ジャスパーにしてみれば、ルークは文字通り”兄弟”同然の存在だったのだ。――かつても、今も。


 裏の桟橋に差し掛かると、ジャスパーは、ルークがまだ近づいても居ないうちから水面に浮かび上がって首をもたげて待っていた。足音を聞き分けているのだ。
 「ジャスパー」
ルークの後ろからミズハが声をかける。なんとなく察してはいたのだろう、首を向け、黒い海竜は判っているというように少し目を伏せた。
 「……ごめんな」
ルークは、長くもたげたジャスパーの首を見上げる。
 「ずっと忘れてて。今でも…ほとんど思いだせてはいないんだけど」
十年以上も一緒にいて、ある日を境に突然、家族の一人に自分のことを綺麗さっぱり忘れられてしまうというのが、どれほど辛いことかは想像に難くない。それどころか、そのあと十七年、疑問にも思わず、思い出す気配さえ無かったというのは。
 ジャスパーは、こづくように鼻面を力いっぱいルークの胸に押し付けた。
 「何だよ」
 「今のままでいい、って。」
と、ミズハ。
 「今のルークのほうが好きだって。昔のが嫌いなわけじゃないけど…」
ジャスパーは、ルークの顔を覗きこみながら一声、低く小さく唸った。
 言葉としては分からなくても、考えていることはわかる。
 たとえ過去が思い出されなくても、新しく過ごしてきた十七年が消えてしまうわけではない。
 「ありがとな、ジャスパー」
もう一声、低く唸って海竜は静かに波の下に沈んでゆく。もともと人ではないジャスパーにとって、ルークが人であるのかどうかなど、大した問題ではないのだ。
 ジャスパーは、これからも共にいる。生まれてからずっと共に暮らした家族として。


 次にミズハが行きたがったのは、ドックだった。ハーヴィ号はそろそろ仕上げに入っていて、残りは内部の塗装くらいだ。
 あれだけ居た船大工も、いまはモーリスを含め数人だけ。広いドックの中は閑散として、どこか寂しい。 
 「もう、あと数日もあれば海に出られるぞ。あんたの海竜が戸惑わなきゃいいんだけどな。」
船大工の老人は、威勢よく笑う。
 「すごいねー、早くこの船で海に出てみたいな」
 「ははっ、嬢ちゃんも楽しみか。待ってろ、あとちょっとだ。」
船が直れば、また、海に出られる。だが――
 ドックを後にしても、ルークの表情はなぜか晴れない。
 「どうしたの、ルー君。嬉しくない?」
 「いや…」
海岸通りを歩きながら、ルークは呟いた。「おれにはもう、調査許可は降りない気がしてる」
 「何それ」
 「未開地学者がどこかを調査する時は、本部か支部からの調査依頼を請けるか、調査の申請を出して許可が降りるかしないと駄目なんだ。いまの状態じゃ、依頼はジョルジュさんが止めて降りてこないだろうし、申請許可だって、本部に危険だと思われてたら、…」
 「海に出るのに誰かの許可なんて必要ないよ?」
少女は、ルークを追い越してその前に立った。「海は自由だよ。ほら」
 指さした方角に、水平線がきらきらと輝きながら広がっている。
 「看板も、道もない。あのずっと向こうに、あたしの生まれた島がある。そのもっとずっと向こうが、ルー君の生まれたところ」
 「…おれの」
 「行ってみたいんでしょ? いつか行こうよ。怒られたってさ」
ルークは、ふっと笑った。
 「そんなことしてたら、未開地学者クビになるかもな。」
 「お父さんは自分で辞めたって言ってたよ」
ミズハはスカートを翻して、海岸通りのゆるやかな坂道を跳ねるように走っていく。気楽なものだ。
 「そのあと無人島暮らしするわけじゃないんだから。仕事やめたら、町で生活出来ないんだけどな…」
気ままな自由暮らしも悪くない。けれどルークは、祖母の残してくれた、あの家での暮らしを捨てる気はなかった。それには、この町にはグレイスとの思い出が、そこかしこに散らばっている。
 歩き出そうとした時、ふと、ルークは、眼下の桟橋に着いた船から何かが運び出されるのを見た。支部専用の裏の桟橋だ。枝分かれした桟橋の一番近いところに着いた大きめの船は、燃料を積んでエンジンを回す最新式の高速輸送船。そのデッキから降ろされている担架のようなものは、どう見ても人間を運んでいる。
 「どうしたの?」
先に行っていたミズハが戻ってきた。
 「…あれは何だろう」
担架は、急ぐ様子もなく静かに道へ上げられ、車に積まれて先に出発する。船員たちは残りの荷物の引き上げにとりかかっている。ルークは、道を戻って桟橋に降り、船に近づいた。船長らしき男が、荷物の積み下ろしを眺めている。
 「どこからの戻りですか?」 
 「ああ、シレノス港からのな。…って、あんた確か、こないだの鮫男の時の」
振り返った男は、ルークのことを知っていた。ルークも、この男を見たことがある。支部に務める生物学者だったはずだ。
 「優先司令の、巨人の信奉者の件ですか」
 「まあそうだ。あんたも船が直れば出るんだろ?」
一般の未開地学者たちは、何も聞かされていないのだ。ルークは、曖昧な返事をした。
 「それで、シレノス港から何を? いま、人みたいなものが見えましたが」
 「いやあ、拠点らしきものがあるかもってんで行ったんだが、撤収済みだった。奴らも情報が早いな。今のは、人間じゃなくて…まあなんだ」
男は、あごひげをしごいて首を傾げる。「人形…みたいな…もんかな」
 「人形?」
 「よく分からんのだ。連中はゴーレムだとか何とか言っていたが。押収できたのがそれだけなんだ。」
ゴーレム。
 その言葉には聞き覚えがあった。ロカッティオで、ドン・コルネールが言っていた言葉。「巨人の信奉者は、かつてアストラル体を岩に宿して”ゴーレム”を作る技を使っていた」と。その実物ということだろうか。
 「そのゴーレムって、どんなものでした。石像みたいな? それとも」
 「泥の塊だなあ、人の形をした。見たいなら、支部に行けばいい。」
 「そうします」
桟橋を後に、ルークは、支部へと急いだ。支部に行くのは久しぶりだ。鮫男の事件いらい、一度も近づいていなかったのだ。


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