頭の巨人


 ヴィレノーザへは、馬車を乗り継いでの旅だった。
 列車とは違い、乗り継ぐのに時間がかかるうえに速度も遅かったが、結果的に選んだ道は正しかったらしい。大陸横断鉄道の復旧作業は遅れに遅れ、ちょうど一行がヴィレノーザへたどり着いた日にようやく再開との情報が流れていた。
 馬車は列車駅から少し離れた各方面への馬車が出る広場に到着した。
 驚いたことに、そこにはジョルジュが迎えの車とともに待っていた。事前にカーリーが、到着便を本部に報告していたとはいえ、まさかフォルティーザからジョルジュが直接やってくるとは。
 「ジョルジュさん、どうしてここに…」
 「あら?! ジョルジュ君」
驚いているのは、カーリーも一緒だ。
 「どういうこと? 君、支部長になったはずじゃ…。なんでここにに」
 「ご無沙汰です、カーリーさん。ですが今は、時間が無いので。二人はこちらへ」
どうやら二人は前からの知り合いだったらしい。ルークとミズハは、訳もわからずに車に押し込まれる。ジョルジュは、何か言いたそうなカーリーの視線を故意に無視し、話しかける隙を与えずにドアを閉める。
 車はすぐに走りだした。
 「あの、どこへ…」
 「フォルティーザへ帰るんです」
ルークは仰天した。
 「これで? 列車じゃなくて、ですか」
帰れない距離ではないが、一昼夜ぶっ通しで走り続けなくてはならない。
 「こちらのほうが早いですし、途中何かあった時も対処しやすい」
 「何かって」
 「……。」
運転席と、キャビンになっている後ろの空間とは完全に切り離されている。要人が公務で移動する時に使われる特別仕様の車だというのはルークにも分かった。ただ、支部長のジョルジュですら、こんな車を使っているところは見たことがない。
 普段とは違うジョルジュの雰囲気に気圧されて、それ以上は聞けない。膝の上で指を組み合わせ、じっと二人の様子を伺っている。
 どのくらい沈黙が続いただろう。気まずい雰囲気野中、ようやく、ジョルジュが口を開いた。
 「ルーク、体の具合はいかがですか。」
 「え、えっと…。特に、何も」
 「フォルテを出る前に怪我をしていたはずです。”逆さ大樹の谷”では撃たれたと聞きますし、ロカッティオでは毒を飲まされたと」 
なぜそこまで詳しく知っているのかを、疑う理由はなかった。カーリーには全て話したのだ。そして、カーリーは定期的に本部に連絡を取っていた。ならばルークの後見人でもあるジョルジュの耳に入ったとして、おかしなところはない。
 「心配はいりません。傷はもう消えていますし、さいわい毒というのも大したものじゃなくて」
 「…そうですか」
ふう、と小さくため息をつき、ジョルジュは指を額に当てた。
 「あなたのこともそうですが…ミズハさんのこと。少し派手に動きすぎましたね」
 「目立ってしまったことは謝ります。でも…」
 「不可抗力なのは分かっています。任務外のプライベートな動きまで、制限する謂れはありません。ですが、一言言ってから出てくれても良かったのでは?」
 「…すいません」
ジョルジュは、珍しく軽く苛立っているように思えた。
 「でも、ミズハのこと、ずっと隠しておくわけにもいかないでしょう」
 「ええ。ですが、ハロルドが報告書にも書かずにいたのは何故だと思いますか。」
 「…それは」
ハロルドは、娘のミズハを「普通の人間」として、この大陸に送ったつもりだったのだ。
 「面倒なことになってきています。もっともそれは、全てがあなたがたのせいではない。私の政治力の無さもあるのですが、きな臭い雰囲気になりつつある今、各国は疑心暗鬼に囚われつつあります。」
 「というと…」
ジョルジュは、ルークとミズハを見比べた。
 「基本的に、本部に上げられた報告は全ての支部に伝達されます。各支部は、それぞれの設置されている国の影響を強く受ける。本部は、支部に伝えた情報を支部が所属国に漏らすのではないかと恐れ、支部は自分たちが上げた情報で所属国を不利な状況にするのではないかと恐れている。そんななか、各国は、握っている切り札の情報をお互い隠しあっているのではないかと恐れていて―ー、」
ジョルジュの視線は、ミズハに向けられた。
 「まあ平たく言うと、あなたが我が国の――フォルティーザの所属するフィオナの切り札と勘違いされているということですね。」
 「え、…」
 「ええー?!」
ルークとミズハは、同時に声を上げる。
 「何でそんなことに」
 「今回の騒動で、その能力を遺憾なく各地で発揮してくれたからですよ。」
ジョルジュは、再びため息をつく。
 「犯人がどこに本拠地を持っているのかは未だ分からず、ティエラは関与を否定している。今のところティエラがハメられた可能性も濃厚なのです。いつ自国で事件が起きるかも分からないのですからね」
 「ミズハが狙われるかもしれないんですか」
 「それはわかりません。が、当面あなたがたには大人しくしていたいただきたいのです。フォルテで」
 「それは…構いませんが…」
海の近くなら、何か起きても心配はない。だが、フォルテでのんびりしている間にも、別の場所で何かが起きるかもしれない。
 「そういえば、」ふとルークは、さっきひっかかっとたことを思い出した。「カーリーさんとは、知り合いなんですか?」
ぴく、とジョルジュの指が動いた。
 「――ええ、古い時代のね」
それ以上、話は続かない。今までと同じだ。ジョルジュは何故か、過去のことを話そうとはしない。グレイスとともに調査船に乗っていた時代のこと、支部長に就任するまでのこと。いま支部に務めている人々が知っているのは、ここ十年ほどのことだ。カーリーとの付き合いは、それ以前の語られない時代のものだということか。
 微かな違和感。
 だが、その正体は、まだ分からない。


 二人は、車で家の前まで送られ、そこで解放された。
 「いいですか、しばらくは町を出ないでください。アネットには、時々様子を見に来させます」
それだけ言って、ジョルジュはすぐに去っていってしまった。忙しいのだろうが、何ともそっけない。
 しかし久しぶりの家だった。
 「んー、潮風きもちいい〜。」
ミズハは胸いっぱいに風を吸い込み、大きく伸びをする。
 「いろんな乗り物にいっぱい乗って、もう疲れちゃったよ。しばらくお休みもいいんじゃないかなあ」
 「おいおい、自分が谷を見に行きたいって言ったのに」
 「あんなに海から遠いと思わなかったんだもの!」
ジョルジュにさんざん脅されたにもかかわらず、ミズハは相変わらずの調子だ。かえって、ほっとする。この旅で少し疲れたのは、ルークも同じだった。夢に見る光景を探しに行ったはずなのに、得たものは、別の「夢」。形にならず、目にも見えない、何かもやもやとして胸につっかえる感じだけだった。
 荷物をほどきながら、ミズハはぽんと手を打つ。
 「そうだ、ジャスパーにも会いに行かなきゃ」
 「そうだな。船も気になるし」
さっき車から見た限りでは、エレオノール号のほうは修復がだいぶ進んでいるようだった。港は普段通りの賑わいを取り戻しているように見えたし、ここしばらく、フォルティーザは平和だったようだ。
 ルークは、荷物を手に自分の部屋に戻った。旅から戻るといつもそうだが、机の上にはうっすらと埃がたまり、閉じきられていた部屋の中はかすかに潮の匂いが篭っている気がする。窓を開けると、新鮮な風が待ちかねていたように部屋いっぱいに吹き込んでくる。懐かしい、そしてほっとする香り。今日も海は、幾多の船を浮かべ、穏やかにきらめいている。
 ふと、机の上の写真立てに目がとまった。
 三枚の写真。うち一枚は、最近、ハーヴィ号の掃除中に見つけたものだ。まだ生まれたばかりのジャスパーを抱いた祖母と、自分によく似た若い男、それに――第三の男。船が大破した今となっては、その前に見つけられてよかったと思う。 
 だが、写真を眺めていると、何故だか胸がざわめいた。じっとしていられない感じ。
 写真の中に写っているのは、ハーヴィ号とジャスパー。ハーヴィ号…。
 ルークは胸のあたりを押さえた。何だろう、この気持ちは。家に帰ってきて、安心できるはずなのに、落ち着かないのは…。


 「あれ? ルー君」
一階のリビングで荷物を整理していたミズハが、顔を上げた。「お出かけ?」
 「やっぱり先にジャスパーに会いに行こうと思って。」
 「そか。後であたしも行くね」
 「ああ」
ドアが開き、そして閉まる。
 海岸通りへ続く坂道を足早に歩いてゆくルークを窓越しに見送っていたミズハは、ふと、ぽつりと呟く。
 「…雨」
見える範囲の海は晴れ渡り、雲ひとつ無い。だが、彼女の五感は、空の僅かな変化と吹き込んでくる海風の中に、迫ってくる雨雲の湿気を感じ取っている。夜になる前に雨が降りはじめるだろう。
 「いやだなあ、これからお洗濯しようと思ってたのにー。」
旅帰りの洗い物の山を前に、少女は不機嫌そうに立ち上がった。雨が止んでから洗ったほうが、よさそうだ。


 家を後にしたルークは、修理用のドックへ来ていた。
 フォルテを後にした時には傷ついた船でいっぱいだったそこには、今ではもう数隻だけしかなく、ジャスパーの姿もない。
 「お! ルークのぼうずじゃないか」
船大工のモーリスが目ざとくルークを見つけ、片手を上げた。「戻っとったんか」
 「ええ、ついさっき」
 「船の準備は、もうちょっとだ。」
モーリスは自身たっぷりに、自分のすぐ後ろで進水を待っている船にあごをしゃくった。
 「どうだ? 立派なもんだろう」
そこには、元のハーヴィ号によく似た、ほんの一回り大きめの船だった。何もかも新しく、しかも前の面影も残している。ルークは思わずしばらく見とれてしまった。
 「はっはっは、そんなに嬉しいか! もうすぐだぞ。こいつは自信作だ」
モーリスは、大きな手でばしばしとルークの肩を叩く。あまりの勢いに息が詰まるほどだ。
 「あ、ありがとうございます。その、…あと、うちのジャスパーは?」
 「ああ、もうここにはいないな。元気になったんで、海のほうに出とるようだが。」
それなら、裏の桟橋だろう。モーリスに礼を言い、ルークはドックを後にした。


 裏の桟橋には、いつもより船が少なかった。調査船はほとんど出払っている。
 当たり前だが、いつもハーヴィ号を止めている場所に船がないのには、違和感があった。いつもなら船がそこにあり、ジャスパーは、船の真下に出来る影に隠れているのだ。
 だが船はなくても、ジャスパーはそこにいた。ルークが桟橋に近づくと、足音を聞き分けて海竜が黒い頭を水面に出す。
 「やあ、ジャスパー」
黒い海竜は、小さく声を上げて答える。ルークは手を伸ばし、濡れた海竜の、ごつごつした頭を撫でた。
 「元気そうだな。傷は?」
ひれには、まだ白い傷が残っているが、ほとんどくっついて、真ん中のあたりはほんのり赤く色づいた新しい肉で盛り上がっている。
 ジャスパーは、じっとルークの顔を見上げた。
 「ん? どうした」
物言わず、ただじっと見つめてくる目。不思議そうに、何かを確かめようとするかのように伺っている表情。やがてジャスパーは、差し出されたルークの手をゆっくりと噛んだ。普段は見せないジャスパーの仕草に驚いて、ルークは思わず手をひっこめようとした。
 「おい、どうした…」
ずきん、と頭が痛む。今、何かが…。
 「……つっ」
ジャスパーがルークの手を離した。
 「あ、いや。噛まれて痛かったわけじゃなくて。」
手は、濡れてはいるが傷ついていない。でも昔、力加減を間違えたジャスパーにひどく噛まれたことが…あった…はずだ。あれは…いつのことだったのか…。
 「おーい、ルーク!」
突然襲ってきた不安をかき消すように、底抜けに明るい声が飛んできた。アーノルド、それにミズハも一緒だ。
 「帰ってきたって聞いたからさ! 会いに来たんだけど…って、どうした?」
 「いや、何でもないよ」
ルークが立ち上がると同時に、ジャスパーはぱしゃんと水の中に沈んでしまう。ルークは務めて明るい表情を作ろうとした。
 「どうしたんだ、会いに来たって」
 「いや、特に用はないんだけど。しばらく顔見ないと、なんか物足りなくってさー。家に行ったら、たぶんここだって言われたから」
 「ジャスパー、元気そうだね?」
 「うん、…なんか、ヘソ曲げてるみたいだけど」
 「はは、船がなくて寂しいんだよ。っと、そうだ!」
アーノルドは、ぱちんと指を鳴らす。
 「どうせなら海に出てみないか? うちの調査班の船がひとつフリーなはずだ。」
 「船、って。アル、操縦…」
 「なーに、そんな難しい船じゃないんだ。こっちこっち!」
桟橋の、途中で分岐しているところを渡って、アーノルドが案内した場所にあったのは、小さなオールつきのボート。
 「…これ?」
 「いやまあ、近場の浅瀬くらいならこれで十分だよ。ほら、乗った!」
勢いに押されて、ルークはボートに乗り込んだ。手漕ぎボートは、つい先日ロマラの湖で乗ったばかりなのだが。ルークの座った位置は船尾、向かいにはアーノルド。船の先頭には、ミズハが乗っている。
 「さあ漕いで!」 
 「って。おれが漕ぐのか…」 
 「非力な研究員に体力はないっ。」
 「自慢することかよ! ったく」
ルークはオールをとり、ぎこちなく漕ぎ始める。ついこのあいだ、ロマナ湖でも手漕ぎボートに乗ったが、あの時はナユタがオールを漕いでくれたのだった。
 あのとき無理して自分が漕ぐと言い出さなくて良かった、と悟ったのは漕ぎ始めてからすぐのこと。船のオールというのは思った以上に重たいものだった。少し漕いだだけで、腕がつりそうになる。
 それでも、ボートは少しずつ桟橋を離れ、防波堤のほうへ向かって進み始めた。

 海に出ると、アーノルドは話しはじめた。
 「だいたいの話は聞いてるよ。色々あったみたいだね」
 「ああ、まあ」
 「本部は、”神魔戦争”がまた始まることを危惧してる」
ルークの手が止まった。アーノルドの顔を見る。冗談で言っているようには見えない。
 「君たちは切り札扱いされてる。」
いきなりの本題だ。
 「本部は、何とかしてハロルド・カーネイアスを呼び戻せないかと思ってるらしい。彼が発見し、調査した場所が尽く、いま話題になっている場所なんだ。ハロルドには、鍵となる場所を嗅ぎつける運と卓越した視点があった。現地住民からの評判も良かったし…」
 「無理だと思う」
と、ミズハ。「お父さんは、島を離れないよ。」
 「だろうと支部長も言っていた。ほかに役に立ちそうなのが、かつてハロルドと共に冒険していたカーリー・バークレイ。」
 「その人なら、途中まで一緒だった」
 「そして、そのどちらにも関わりの深い、君たちさ。――本当は、こんなことバラしちゃいけないんだけどね」
そう言って、アーノルドは笑った。潮溜まりのようになった防波堤の内側には波はほとんどなく、近くには漁船もいない。話を聞かれる心配はない。アーノルドは最初から、それを狙って船に誘ったのだろうか。
 「おれたちに、何か調査させる気なのかな?」
 「そうじゃないと思う。支部長の考えてることはよくわからないんだ。ただ、君たちが必要以上に関わることを恐れてる感じがする。起きていることの全貌が、あまりにも掴めなさ過ぎて…」
水平線に、薄い雲が広がり初めている。太陽が傾き、夕日がうっすらと港全体を赤く染める。家路を辿っているのか、海鳥たちが数輪、一直線に岬の彼方へ飛び去っていくのが見えた。
 「僕も、君が心配だ。ルーク」
そう言ったアーノルドの眼鏡にうっすらと赤く染まる空が反射して、ルークは、はっとした。

 夕日が間近に迫る海。黒い影を作る防波堤。穏やかな波と潮風。 
 小さな手漕ぎの小舟…、乗っているのは三人の男女。話に耳を傾けながら、興味ないふりをして船縁かに身を乗り出し、手で潮をぱしゃぱしゃ撥ねているミズハの姿が、一瞬、記憶の中の”誰か”と重なる。
 そう、あの日もこんなふうだった。
 こんな風景で、――こんな…平和な夕暮れ。全く同じセリフを、誰かに言われた気がする…。

 ”初めてじゃない、以前にも同じような場面が”

 「ルーク?!」
世界が回った。アーノルドの声が瞬時に遠ざかる。気を失ったのはほんの数秒。気がついたとき、ルークは横木に突っ伏していた。
 「ルーク、おい! 大丈夫か?」
 「あ、うん。貧血…かな」
 「ごめんよ、疲れてるところ連れだしたりして。帰りは、僕が漕ぐから」
アーノルドは泣き出しそうな顔になって、ルークの手から落ちたオールを拾い集める。頭がくらくらして、ルークはもう一度、目を閉じた。今は考えまい、と必死に念じながら。


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